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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
霜花編
212/410

190 ドタキャンと崩壊

「もしもし」


 有利とのデートから帰ってきた芽榴は、鳴り響く家電の受話器をあげた。もちろん、傍らには例のごとく真理子が構えている。


『るーちゃん? 来羅です』


 聞こえた綺麗な声に、芽榴の心が和む。


「こんばんはー」


 とりあえず芽榴がそう挨拶すると、来羅も『こんばんは』と明るい声音で返してくれた。どうやら明日のデートは来羅がお相手らしい。


『今日は有ちゃんとお出かけだったっけ?』

「うん、とっても楽しかったー」

『あらら、それは妬けちゃうわ』


 受話器越しに来羅が可愛らしくそう言って笑う。それにつられて芽榴もカラカラと笑った。


「明日、何時にどこで待ち合わせよっかー?」

『とりあえず、正午にセントラルパークの前ね』

「りょーかい」


 連絡が終わり、少しだけ風雅と有利とのお出かけ話をした後、芽榴が「また明日」という挨拶をしようとすると、その前に来羅が声をあげた。


『るーちゃん』

「んー?」

『風ちゃんや有ちゃんなんかに負けないくらい、すっごく楽しいデートにするから期待してて』


 来羅の笑顔をまるで目の前で見ているような気持ちになり、芽榴は笑顔のまま「うん」と答えた。


 受話器を置き、芽榴は困り顔で真理子のことを見る。


「いいなぁ、芽榴ちゃん。イケメンくんたちと日替わりデート」

「デートじゃないよ」


 真理子のキラキラした視線を受け、芽榴は苦笑する。相変わらずな芽榴の反応に、真理子は唇を尖らせるが、すぐに何かを思いついたような顔をして口を開いた。


「でも来羅くん、どっちの格好で来るのかしら?」


 まるで呟くようにしてその言葉を残した真理子は、そのまま圭と重治のいるリビングに戻っていった。


「……どっちって……」


 どちらの格好で現れても来羅は来羅だ。芽榴はいつものように迷いなくその考えに至り、肩を竦めながら真理子の後に続いた。








「来羅、もう寝るの?」


 芽榴と明日の連絡を済ませた来羅が自室に帰ろうとすると、母がそんなふうに声をかけた。


「うん。明日はるーちゃんとお出かけだから、おめかしするの。夜更かしはお肌に悪いでしょ?」


 来羅はそう言って自分の頬をピタピタと叩いてみせる。すると、薫子は「そうね」と楽しげに笑ってくれた。


「おやすみ、来羅」

「おやすみなさい」


 来羅はニッコリ笑顔で母に手を振り、長い髪を揺らして自室へと向かった。



 部屋に戻った来羅は明かりをつけることなく、すぐにウィッグを外してベッドの上に横たわる。


「明日はどこに行こうかなぁ……」


 天井を見つめながら、来羅は可愛らしい芽榴の姿を思い描いた。

 どんどん可愛くなっていく芽榴に、来羅の想いは募りゆく。


 けれど、その隣に立つ自分の姿だけはいまだに思い描くことができない。芽榴の隣に立てたとして、その自分は女の姿をしているのか、男の姿をしているのか、それさえ分からない。


 どちらにしても中途半端な自分の姿しか見えないのだ。


 恋慕と同時に、自分の中の喪失感と芽榴への羨望も募り始めていた。


「るーちゃんはこれからもどんどん可愛くなるけど……私はもうこれ以上にはなれないや……」


 来羅は自分の腕で目元を覆い隠す。




――来羅ちゃんは来羅ちゃんだから――




「もう一度……聞きたいなぁ」


 微睡みの中、来羅は願うようにして告げる。

 導かれる真っ黒な夢の中で、微かに聞こえた芽榴の声は来羅の救いだった。




 薄れる意識で聞こえたのは、今よりはるかに高くて可愛いらしい来羅の声。


『ママ、どうしたの?』


 小さい頃、来羅はよく思ったことがある。

 母は実はとても目が悪くて、自分のことが本当に見えていないだけなのかもしれない、と。


『ね、え……あなた、来羅はどこ?』


 来羅は目の前にいるのに、母はそう言って〝彼女の来羅〟を探していた。

 自分のことを認識してくれない母を前にして、来羅にとって唯一の味方は父だった。


『来羅は……目の前にいるだろう? 何を、言っているんだ……薫子』

『ママ……?』


 まだ何も知らない、母と同じ綺麗な髪色をした幼い少年は首を傾げて変わりゆく自分の母の姿を眺めていた。


『違う……違う違う違う! 来羅は、来羅はどこなの!?』


 そう言って泣き出す母がかわいそうだったけれど、来羅には母の吐き出す言葉の意味が分からなかった。


『来羅……来羅はどこぉ……』


 ここにいるよ、と来羅が差し出した手は母の元には届かない。ヤンチャな少年の姿をした来羅は柊来羅という存在でいることを許されなかった。



 母が心の病にかかっていると分かっても、できる限り彼女を刺激しないことでしか、家族としての安らぎを取り戻す術はなかった。



『……来羅、パパと約束をしないか?』

『約束?』


 あの日、暴走した母を止めるのに必死になって、父も来羅も引っ掻き傷を顔にたくさん作っていた。壊れた母の精神を支える、父の精神ももう限界だった。

 そんなボロボロの姿で交わしたのはその先、来羅が背負い続ける重い枷。


『ママのために、女の子になるんだ』

『……ぼくは男の子だよ? パパ。女の子になんか……』

『なれるさ。……来羅なら、できる。そうだろう?』


 あのとき、どうして『うん』と答えたのか、今でも来羅は考える。でもその答えは最初からずっと変わらない。


『本当にごめんよ……来羅。これしか、もう方法が、ないんだ……』


 父が家族のために、苦渋の決断をして流した涙を見たとき、来羅の口から受諾以外の答えは出てこなかった。おそらく幼ながらにして、来羅はそれ以上のいい手段がないことを分かっていたのだ。


『パパ。ぼく……誰よりカワイイ女の子になるよ』


 その言葉の重さもよく分からないないまま、小さな来羅はそう言って父と指切りをした。ただ一つ分かっていたことは――。


『そしたらママは、ぼくを見てくれるんだよね』


 女の子でいれば、柊来羅になれる。ただそれだけだった。







 ベッドの上、目を覚ました来羅は少し開いたカーテンの隙間から窓の外の景色を眺める。


 昨日降った雪はもう止んで、積もることはなかった。けれどその雪のせいか、今日は曇り空。

 寝覚めの悪い夢に加えて、この天気。


「せっかくのるーちゃんとのデート日なのに、なんか嫌な感じ」


 そう呟いた来羅は部屋のカーテンを完全に閉めて、外の景色を遮断した。


 薄暗い部屋の中を、来羅は本来の姿で歩き回る。今となっては家の中で来羅が本来の姿でいることを許されるのは唯一自分の部屋とお風呂の中だけだった。


「なんで今日に限って……こんなしおらしくなるかなぁ」


 来羅はネガティブ思考な自分の頭を手首でガンガンッと叩き、化粧台の前に座る。そしてウィッグをつけることはしないまま、自分の地毛の髪をマジマジと見つめた。


「しかも髪、伸びすぎ……」


 少し伸びた自分の髪を見て、来羅は呟く。

 今日の芽榴とのデートはちゃんとウィッグをつけていくつもりだが、その前にどうしてもこの髪をどうにかしたかった。

 イブのときはまだ気にならなかったが、今日はやけに髪の長さが気になる。来羅の中で地毛が肩にかかり始める長さになることは絶対に嫌なのだ。


「……切ろうかな」


 基本的に来羅はセルフカットをしている。だから別に今日慌てて切る必要もなかった。明日でもいい。けれどなぜか今日でなきゃいけない気がして、来羅はその感覚と共に着ていた上の服を脱ぎ捨てた。


 鏡に映る身体はどう見ても女のものではない。お腹周りは少し筋肉がついて硬く、女の子のような柔らかい感触もない。


「そろそろ本当に、限界なんだよね……」


 来羅はそんな自分の身体から目を背け、メイクボックスの中からハサミを取り出した。

 髪が散らばってもいいように、椅子の下にはシートを敷き、慣れた手つきで来羅は自分の髪を切っていった。


 いつもと同じくらいの長さまで切って、来羅はハサミをボックスの中に直す。シートごと丸めて、ゴミ箱の中に突っ込み、脱ぎ捨てた服に手をかける。


 服を着ようとして、次に聞こえた声が来羅の動きを完全に止めた。


「来羅、ちょっと入るわよ?」


 ノックと共に部屋の扉が開く。急な出来事に来羅の思考は追いつかなかった。


「え……ママ! ちょ、っと、ダメ!」


 来羅は叫びながら慌てて上半身を服で隠した。しかし、そうしたときにはもう遅い。


 母が扉のところに足を縫い付けられたかのようにして立っている。その手には、来羅のために用意したのであろう、可愛らしいワンピースがあった。けれど、そのワンピースはまるで母の心を表すかのようにして、彼女の手から滑り落ちる。


「ら、いら……?」

「……ママ」


 瞳孔が開き始めた母の瞳を見て、来羅の顔が強張った。


「らい、らは……どこ?」


 もう聞き飽きたその台詞は、一瞬で来羅の心を切り裂いてしまう。


 どうして今日、髪を切ろうと思ったのか。

 崩れ落ちる心の中で、来羅はひたすら意味のない自問自答だけを繰り返していた。









「来羅ちゃん、遅いなー……」


 来羅と約束した待ち合わせ場所について1時間。

 もうすでに待ち合わせの時間は過ぎていた。


「何か、あったのかな?」


 芽榴は現れない来羅のことを待って、壁に背を預けた。来羅のことだから男子にナンパされていそうな気もする。もし男バージョンで来たとしても周囲が女子の黄色い声で騒がしくなるはずだ。けれど今のところは芽榴の見える範囲に来羅の姿はない。


 それからまた10分、20分経っても来羅は現れない。


 いつ雨が降り出すか分からないような天気に、芽榴は目を細める。一応折りたたみ傘は持ってきているが、このなんとなくジメジメとした空気が芽榴を不安にさせた。


「……来羅ちゃん」


 芽榴は前に目にした来羅の住所を頭に思い浮かべる。そちらに足を運んだほうが早いと思い、芽榴は向かう先へと足を向けたのだが、目の前に現れた人物を見て驚いたように目を大きく開いた。


「芽榴、さん……」


 大遅刻の末、待ち合わせ場所に現れたのは来羅ではなく、来羅の父、春臣だった。


「……来羅ちゃんの、お父さん……?」


 芽榴の喉が渇いていく。出した声は掠れていて芽榴自身驚いていた。

 ただ、目の前にいる来羅の父が文化祭で会ったときとは違い、やつれた顔をしていることが、来羅の身に起きた嫌な空気を暗示している気がして、芽榴の顔は不安で歪んだ。


「よかった……。まだ、いてくれた……」


 春臣はそう言って、芽榴の前に頭を下げた。


「来羅は……今日、ここには来れなくなって、しまったんだ……」


 なんとなく予想していた台詞に、芽榴は驚くことをしない。大事なのはその理由だった。


「体調が、悪くなってしまってね……。また後日お詫びをするから、と伝えるよう言われたんだ」


 初めて会った時の紳士然とした姿はどこにもない。どこか苦しげに来羅からの言伝を告げる来羅の父が、芽榴には不審でならなかった。


 芽榴は春臣のことをジッと見つめる。




――すっごく楽しいデートにするから――




 春臣が芽榴の視線から目を逸らしたのを確認して、芽榴は徐に口を開いた。


「来羅ちゃんなら……ドタキャンするときは、もっと早く連絡しますよ」


 いつもの来羅なら、行けないと分かった時点で家に電話するなり役員の誰かに伝言を頼むなりして、芽榴をここまで待たせるようなことはしない。

 何より、最後に聞いた楽しげな来羅の声がただの体調不良でないことを直感させた。


「来羅ちゃんに、何があったんですか?」


 芽榴の質問に、春臣の顔が強張った。それだけで彼の嘘はバレてしまう。


「何も……」


 それでも春臣は、バレバレの嘘を芽榴につきとおそうとしていた。その理由が分からず、芽榴は眉を顰める。

 芽榴の顔はただ来羅を心配するがためだけに歪んでいた。


「来羅は……」


 春臣は泣きそうな顔で芽榴の肩を掴んだ。


「芽榴さんに、会いたくないと……言いました」


 その言葉に、芽榴の声が詰まる。「芽榴に会いたくない」と、そんな言葉を口にする来羅は想像がつかない。しかし春臣が嘘をついているようにも思えなかった。


「なんで、ですか……?」


 芽榴の声がか細く響いて、春臣も本当のことを隠していることが辛くなっていた。




――このことは絶対言わないで。約束だよ、パパ――




 来羅の父の頭には、来羅の切実な願いが響いていた。あれは来羅の心からの願い。だから父はそれを破るわけにはいかない。でもそれなのに、春臣は口を開いてしまった。


「芽榴、さん……」


 春臣に名前を呼ばれ、芽榴は顔をあげた。苦しそうな顔で、それでも芽榴はしっかりと彼の瞳を見返す。


 芽榴は赤の他人。けれど、来羅の欲しい言葉をかけてあげられたのは他でもない芽榴だった。


 間違いだらけの家族に、終止符を打てるとしたら――。


「来羅を……助けてくれますか?」


 それはこの先もきっと芽榴だけなのだと、芽榴の真っ直ぐな瞳を見て、春臣はそう悟ったのだ。

甘々のデート話の中で、舞い込むヘビーな話。来羅ちゃんにも甘いデートをしてほしかったのに……っ!

一体来羅ちゃんの身に何が……っ!


と変な予告をして来羅デートは2話に跨ります。

少し難しい話なので執筆ペースが遅れてしまっています。申し訳ありませんが、その分とっておきの話を届けますのでご了承ください!


穂兎ここあ

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