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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
霜花編
211/410

189 初雪とお茶会

 その日の朝の藍堂家は少し騒がしかった。


「ごちそうさまでした」


 朝稽古が終わって風呂で軽く汗を流し、朝食をさっさと済ませた有利はそのまま自室へと帰っていった。

 今日は母親も京都で行われた生花展から帰ってきての朝食だったのだが、相変わらず久々に会う母への反応が薄い有利に、母は溜息を吐いていた。


「今日はまた一段と淡々としてるわねぇ、あの子。つまらないわ」


 母がそうボヤくと、功利が祖父と母に食後の茶を出しながら「仕方ないですよ」と静かに答えた。


「どうして?」

「今日、楠原さんとデートみたいです」


 それを聞いた祖父と母は目を輝かせて身を乗り出した。


「有利のヤツはとうとう芽榴坊をゲットしたんじゃな!?」

「いいえ。違います」

「なんだ、違うの」


 功利が芽榴と有利の恋人関係を否定すると、面白くなかったらしく祖父と母は同時に座布団にポスッと座り直した。こういうところは本当に親子だな、と功利も思うのだ。


「しかし、なるほどのぉ。じゃから、有利はソワソワしとるんじゃなぁ」


 付き合っているわけではないにしても、有利が芽榴とのお出かけに張り切っているとなればやはり面白いらしく、有利の祖父は髭をさすり、母はニンマリ笑顔を浮かべた。


「でもあの子、和装だったわよね? どこに行く予定なのかしら」

「昨日、そのことで父様に連絡していましたよ」


 功利は昨晩廊下を通る時に、こっそり有利の部屋から聞こえてくる有利と父との電話を盗み聞きしていたらしい。

 父の名前が出ただけで祖父と母は納得できたらしく「なるほど」と楽しげに頷いていた。


「やっぱり顔合わせは早い方がいいものねぇ」

「ふぉっふぉっ、有利はそれでいいじゃろうけど、芽榴坊はどうするのじゃ? 色無地を持っとるかのぉ?」


 色無地というのは和服の中でも無地の着物のことを指す。有利の祖父の問いかけに母はお茶を啜りながら笑った。


「芽榴さんなら行き先聞いただけで、洋装でも正しいものを身につけてくると思うわ」

「あ、そのことで母様に少しお願いが……」


 功利がそう言って、母にあることをお願いする。功利の願いを聞いた母はまた楽しげに笑い始めた。


「功利、あなた随分気が回るようになったわね」

「ライバルが手強い人たちばかりですから、妹として最大限に兄様のサポートをしますよ」

「ふぉっふぉっ、功利を小姑にもって平気なのは芽榴坊くらいじゃろ」


 そんなふうに有利の恋路について語りながら3人は食後の茶を楽しむのだった。






「兄様、もう行くんですか?」


 しばらくして玄関先に現れた有利に、功利が駆け寄って尋ねた。パーティーのときの着物とは違い、有利は群青色の無地の紋付袴を着ている。


「はい、待ち合わせが14時ですから」


 現在の時刻は13時だ。家から待ち合わせ場所まで30分もかからないのに、どう考えても出発が早すぎる。


「兄様、あんまり早く行くと楠原さんが気を遣うんじゃ……」

「早めに待っていないと楠原さんが待つことになるんですよ。あの人は基本30分前には来ますから」


 有利がそう言って下駄を履こうとするが、それを功利が止めた。


「功利?」

「兄様、ちょっと待ってください」

「どうかしたんですか?」


 有利からの不審げな視線に、功利はあからさまに目を逸らす。


「功……」


 有利が功利の名を呼ぼうとするのと同時、引き戸をノックする音が響いた。


「ごめんください」


 次に引き戸の前から聞こえた声で、有利の目が大きく見開き、対照的に功利がホッと息を吐き出す。

 そのままポカンと阿呆面をしている有利を放って、功利が下駄を履き、玄関の引き戸を開けた。


「お越しくださいましてありがとうございます、楠原さん」


 功利がそう言って頭を下げると、玄関先に立つ芽榴が「こっちこそ気遣ってくれてありがとー」と芽榴らしく呑気な物言いで功利の顔を上げさせる。そしてそのまま視線を家の中へ移した芽榴と、いまだ状況を把握できていない有利の視線が交差した。


「藍堂くん、こんにちは。お邪魔しまーす」


 紺色のコートを羽織って、簡素な白シャツに黒の膝下スカートを身につけた芽榴が有利に手を振る。少し伸びた髪は綺麗に後ろでおだんごにまとめられていて、その姿が薄くメイクアップされた顔とマッチして清潔感が漂っていた。


「あら、芽榴さん? とっても綺麗ね」


 芽榴の声が聞こえて、玄関口にやって来た母が口元に手を当てて感動を口にする。文化祭に来ていない有利の母は美少女芽榴の姿を初めて目の当たりにするのだ。


「ふぉっふぉっ、美弥子みやこの言っとったとおり、洋装でも正式な格好で来たのぉ。さすがじゃ」


 祖父まで玄関先にやってきて、芽榴を出迎える。美弥子というのは有利の母の名だ。

 芽榴は突如現れた有利の祖父と母に、頭を下げて丁寧な挨拶を残した。


「本当に礼儀正しいわねぇ。有利の嫁にピッタリ」

「お、お母さん!」


 嫁発言でやっと頭が回ったらしい有利が、彼には珍しく取り乱した様子で母の口を塞ぎに行くが、母の口が閉じる前にすでに別方向からも嫁発言が飛び出し始めてしまう。


「芽榴坊ならいつでも嫁入り歓迎なんじゃが」

「おじいさんまで!」


 祖父と母の前でアタフタする有利を見ながら、芽榴は反応に困って苦笑する。そんな芽榴の姿を横目に見て、今度は功利が芽榴に声をかけた。


「楠原さん」

「何ー?」

「最近、兄様とどうですか?」


 芽榴の耳に口元を寄せ、功利は有利に聞こえる声の大きさで芽榴に尋ねる。それを聞いた芽榴は首を傾げ、有利の顔は完全に真っ赤になった。


「功利! お母さんもおじいさんも、楠原さんを困らせるのはやめてください!」


 そう言って有利が玄関先に降りて芽榴のそばに駆け寄った。


「楠原さん、待ち合わせ場所はバス停前でしたよね。なんで家に……」

「え? 昨日藍堂くんと今日のこと話した後に、功利ちゃんから電話があって色無地貸してくれるって言うから……一応洋装もちゃんとしたの着てきたけど、藍堂くん和服だろうし、私もそっちのほうがいーかなと思って……」


 芽榴の話を聞いて、有利がまた固まる。

 後ろで母が楽しげに笑っているが、もはやその笑い声さえ有利の耳に入ってこない。


「じゃあ、楠原さんこちらへ」

「芽榴さんに似合うものを準備しておいたわ」

「ありがとうございます」


 そんな会話をしながら女子3人組が家の奥に消えていく。


 玄関先に残った有利の祖父は、またしても唖然としている有利を見て「ふぉっふぉっ」と楽しげに笑い、有利が現在考えていることをそのまま代弁してあげた。


「有利、筒抜けじゃのぉ」


 芽榴とのデートのことが家族全員にバレている。これほど恥ずかしいことはない。


「……な……」

「ふぉ?」


 有利の祖父は楽しげに笑いながら、背中に手を回す。


「ふ、ふざけんな! クッソジジィィ!!」

「ふぉっふぉっふぉっ! やるか、有利!」


 羞恥のあまりスイッチが入って木刀を取り出した有利に、祖父も木刀を携えて迎え撃つ。そしてドタバタと激しい音を立てながら玄関先で手合わせを始めるのだった。






 夏休みと同じく、有利の母と功利にしっかり着付けられた芽榴は再び玄関先に戻る。

 広々とした玄関で祖父と激しいお手合わせを続けていた有利も、芽榴の着物姿を目にすると途端にスイッチが切れてしまった。


 無地の紫紺色の着物に身を包む芽榴は、良家のお嬢様にしか見えない。


「……綺麗です、楠原さん」


 ほぼ無意識的に、有利はそう口にしていた。

 祖父も母も、普通ならその発言をからかうところなのだが、有利が恥じらうことなく真剣な顔で告げるため、空気を読んでその場からいなくなる。


「兄様、楠原さん。楽しんできてください」


 そう言い残し、功利も母たちの後を追って、家の奥へといなくなる。


 芽榴はそんな3人の後ろ姿を見送り、用意された下駄を履いて有利の隣に並んだ。


「ははっ、どっちも和服だとなんか緊張するねー」

「でも、洋服で出かけるより特別な感じがします」


 有利はそう言って薄く笑い、玄関の引き戸を開けて家を出て行く。

 芽榴は有利の言葉を聞いて少し照れくさそうにしつつも、暖かい羽織を纏って、その後ろをついていった。







 有利の家から30分くらい歩くと、庭園が美しい、有利の家と似たような造りの風格ある日本家屋が見えてきた。


「あそこー?」

「はい。寒いですから予定より早いですけど中に入りましょうか」


 有利がそう言い、芽榴の手を引く。


 現在、芽榴たちの目の前に建つ日本家屋の中では有名な茶道家、柿谷かきたに与一よいちが茶を点てるという、その道に詳しい人ならぜひ行きたいイベントが開催中とのこと。

 茶券を入手すること自体困難なこの茶会に参加できるということで、芽榴と有利は今回お茶会デートをすることになったのだ。


 門の前にいる着物姿の女性に有利が茶券らしきものを見せると、その女性は目を丸くして慌てて2人を中に通した。


「……?」


 女性の様子が気になって芽榴が小首を傾げていると、有利が「どうしたんですか?」と尋ねてきた。


「あの女の人、慌ててたから……なんでかなって」

「ああ……たぶんこれのせいです」


 そう言って有利がさっき女性に見せていた茶券らしきものを芽榴に見せた。


「これ、普通に売ってる茶券ではなくて柿谷与一が特別に作った茶券なんです。これを持っている人物が来たら誰よりも先に誘導すること、という書状みたいなものですね」


 有利は淡々と言ってのけるが、対する芽榴は目をパチパチッと瞬かせた。


「なんで、そんな券持ってるの?」


 芽榴の素朴な疑問に、有利は納得がいったらしく困ったように笑って、芽榴に簡潔的な答えを示した。


「息子の特権ですね」

「息子って……もしかして、え?」


 芽榴の思考が答えにたどり着く。それを悟って有利は小さく頷いて芽榴の考えを肯定した。


「楠原さんにはまだ言ってませんでしたね。柿谷与一は僕の父なんです」


 本名は藍堂与一。茶道の場では、藍堂の家名より柿谷の家名のほうが何かと都合がいいらしく、旧姓のままで名乗っているらしい。


「そうだったんだ……」


 芽榴は驚いた顔のまま、有利の横をテクテクと歩く。庭園を抜け、足袋を綺麗なものに履き替えて家屋に足を踏み入れると、有利は少し不安げに芽榴の顔を覗いた。


「どーしたの?」


 その視線が気になって、下駄を揃えた芽榴は有利のほうを見ながら首を傾げた。

 芽榴の大きな瞳で見つめられ、有利は少しぎこちない様子で頬をかく。


「あの、今さらですけど……茶会、嫌じゃないですか? 僕が勝手に決めてしまって……」


 会場に来てから聞くのもどうかと思ったが、有利は芽榴にそう問いかける。何せ、芽榴と2人きりで出かけるということで有利はかなり焦っていたのだ。芽榴が実は茶会に興味がないのではないか、などという考えに今さら至ってしまう。


「ははっ、全然嫌じゃないよー」


 不安げな有利を落ち着かせるように芽榴はカラカラと笑った。


「むしろ楽しみなくらい」

「……本当ですか?」

「嘘ついてどーするの?」


 芽榴の言葉を不審がる有利に、芽榴は困ったような声をあげる。


「昔ね、習い事で少し茶道もやったんだけど……そのときに点ててもらったお茶が美味しくて、藍堂くんのお父さんが点てるお茶ならあのときよりも美味しいんだろーなって、ちょっと期待してるの」


 芽榴は羽織を綺麗に畳んで有利のほうを向き、改めて笑顔を見せた。その笑顔を見たら、有利もそれ以上心配の言葉は告げられない。


「お父さんには最高の茶を点ててもらいます」

「やったー」


 有利が薄く笑うと、芽榴は胸のところでバンザイをした。


 そんな和風美男子と和風美少女に、廊下ですれ違う人々は老若男女問わず必ず2度は振り向いて2人の姿をその目に焼き付けていた。





 そうして廊下の際奥にある障子戸の前までやってくると、芽榴たちを誘導していた女性が徐に膝をついた。


「柿谷様、特待状をお持ちの方がいらっしゃいました」

「どうぞ。入れてください」


 中から聞こえる落ち着いた声により、誘導の女性が障子を引いた。


 有利が中に入り、その後に続いて芽榴も中に入る。畳の香りを感じていると、後ろで静かに障子が閉まり、その空間は芽榴と有利、そして柿谷与一だけのものとなった。


 芽榴と有利が正座をして向き合うと、有利の父である柿谷与一が薄く笑う。有利と同じ色素の薄い綺麗な瞳と髪色を見て、芽榴の緊張が少しだけ解けた。


「有利、久しぶりだね」

「お久しぶりです、お父さん」


 そんなふうに親子で挨拶を交わす。そして有利の父は芽榴に目を向けた。その視線を受けて、芽榴は畳に指先を軽くつけ、頭を下げる。


「楠原芽榴と言います。この度はお茶会に参加させていただき、ありがとうございます」

「いえいえ、そんな……顔をあげてください、楠原さん」


 有利の父はそう言って、芽榴に顔をあげさせた。


「お話は妻と義父ちちから、うかがっております。いつも有利がお世話になっているとか……」

「いえ、こちらこそ有利くんにはお世話に……」

「功利も懐いているそうで……」

「そーなんですかね……?」


 有利の父の言葉に芽榴が困り顔で首を傾げる。すると有利の父はクスリと笑った。


「それにしても、こんなに綺麗な方だったとは……。その色無地、とても似合っています」


 有利の父の心からの言葉が少し気恥ずかしくて芽榴は視線を落として俯いた。その様子が可愛くて、有利は隣の芽榴を愛おしむように見つめ、そんな有利を父がまた優しく見つめていた。


「それでは、有利と芽榴さんに美味しい茶を点てましょう」


 そう言って、有利の父が背筋を伸ばす。

 芽榴と有利もそれに倣って、洗練された空気の中、点前の時間が始まった。





 茶を飲む作法も、有利の母が言っていたとおり綺麗な型通りの作法で、それを目にした有利の父は楽しげに芽榴のことを見ていた。


「服加減はどうですか?」

「とても美味しいです」


 碗を置いた芽榴に有利の父が尋ね、芽榴は幸せそうに笑って感謝の意を言葉にした。幼い頃、稽古で飲んだ手本の点前よりもはるかにバランスのいい服加減に、芽榴は満ち足りた気分になる。


「それはよかったです」


 茶道に通ずる者。有利の父が芽榴を気に入るのにそれ以上の理由も時間も必要なかった。





 茶会が終わり、有利の父からの勧めで、有利と芽榴は外の綺麗な庭園を2人でしばらく歩き回ることにした。

 門の中に入った時から目を引いた綺麗な庭の光景に、芽榴は思わず感嘆の息をもらす。


「綺麗なお庭だなー……」


 庭師に手入れされた形のいい松の木や木の葉一つ落ちていない綺麗な池、そしてその中を踊るように泳ぐ鯉の姿を見つめて芽榴は微笑んだ。


「雪が積もったら、もっと綺麗になりそう」


 雪景色を想像し、芽榴は目を瞑る。本当に呆れるくらい有利に対して無防備になる芽榴を、有利は困り顔で見つめた。


「楠原さん」

「んー?」

「そういう顔、しないでください」


 有利はそう言って芽榴の額を優しく叩いた。額を押さえて首を傾げる芽榴の姿に有利は肩を竦める。問い詰められたら有利が追い込まれるだけ。だから有利は話を変えるように、徐に自分の着物の懐に手を突っ込んだ。


 有利の懐から出てきたのは片手サイズの小箱。


「僕からのプレゼントです」


 そう言って有利は小箱の中身が見えるようにして芽榴に差し出した。


「オルゴール?」


 有利の手から箱ごと受け取って、芽榴はその中からコンパクトサイズの茶色いオルゴールを取りだし、その蓋をパカッと開ける。

 すると心地よいオルゴールの音色が庭園に響き、その曲を耳にした芽榴は息を止めた。


「ずっとプレゼントを何にするか迷ってて……イブの日に楠原さんが弾いた最後の曲がとても耳に残っていたので、それに決めたんです」


 別れのワルツ――少し前まではその曲を聴く度に、芽榴の心は締め付けられていた。それは芽榴と東條の歯車のような曲で、芽榴にとって大嫌いな苦しい曲でしかなかった。


 でもあのイブの日、芽榴と東條を繋いだこの曲は今の芽榴にとって大好きな愛しい曲に変わっていた。


 音色を聴きながら、自分の心に生まれた今までとは違う感情に芽榴は安堵するように笑う。


「ありがとう、藍堂くん」


 芽榴と父を繋ぐ曲は、芽榴とみんなを繋ぐ曲に変わって、芽榴を苦しませるだけの曲は、芽榴を笑顔にする曲に変わった。


 嬉しくて鼻の奥がツンとするのを感じる。芽榴はフーッと息を吐いて、オルゴールをパタンと閉じた。丁寧に箱に直し、腕に下げているがま口バッグの中に収める。


 そして芽榴は代わりに別のものをバッグの中から取り出した。


「私からも藍堂くんに」


 芽榴はバッグから取り出した木箱を有利の前に出す。

 小箱を受け取り、中身を確認した有利は、小箱の中に落としていた視線をすぐに芽榴へと向けた。


「私も最後まで迷ったんだけど、藍堂くんにはそれしか思い浮かばなくて」


 小箱の中に入った木刀用の革鍔を指差し、芽榴は苦笑した。


「小さい頃にね、護身術も少し習ってたんだけど……その先生が剣道をしていて、友人から鍔をプレゼントされて嬉しかったって言ってた記憶があったから……」


 5歳のときの些細な記憶を思い起こし、芽榴は有利のプレゼントを考えた。ただ、鍔にこだわりを持つ人もいるということで最後まで迷ったのだが、結局、有利のこだわりと違う鍔のときはお守りにしてくれればいいということで革鍔をプレゼントすることに決めたのだ。


「藍堂くんといえば、やっぱり稽古を頑張ってるイメージだから」


 芽榴がそう言って笑う。その笑顔を見た有利はクルッと反転して芽榴に背を向けた。


「藍堂くん?」


 後ろを向いて顔を上げる有利は白い息を吐き出す。芽榴が不思議そうにその様子を見ていると、有利が吐き出すようにして口を開いた。


「楠原さんから……プレゼントもらえるだけで嬉しいのに、僕の欲しいものまで当てられたら、嬉しすぎて……どんな言葉でお礼を言えばいいのか、全然分からなくなっちゃいました……」


 有利はもう一度息を吐き出し、芽榴に向き直る。


「だからお詫びに、僕からもう一つプレゼントです」

「え?」


 有利から次に差し出されたのは細長い白い栞――四つ葉の押し花だった。


「このあいだ道場周辺の草むしりをしていたらちょうど見つけて、使用人の方にやり方を聞いて押し花にしたんです」


 有利の手からそれを受け取り、芽榴は目を大きく見開いたままその栞を見つめた。


「実際のところ、それはプレゼントじゃなくて……ただあげたかっただけなんですけどね」


 有利は苦笑しながら本音を告げる。

 対する芽榴は栞を大事に両手で持って有利のことを見上げた。


「流れ星は見せてあげられませんけど、四つ葉ならこれから毎日見られます」


 有利はそう言って薄く笑みを浮かべる。

 夏に芽榴と流れ星にお祈りをしたとき、有利は流れ星は見えないだけでちゃんと流れていると言った。けれど、やはり見えないのは不安だから、流れ星の代わりに有利はずっと見ていられる幸せの証を芽榴に残した。


「それを持っていたら、いつでも願い事が叶いますよ」


 いろんな願いを諦めてきた芽榴にとって、たとえ願いが叶わなくてもその言葉だけで十分だった。


 芽榴は皺ができないように気をつけながらギュッとその栞を握る。


「本当だね……」

「え?」

「願いが叶っちゃった」


 芽榴がそう言い、空を見上げる。それにつられて有利も空を見上げると真っ白な粒がチラホラと降り始めていた。


 庭に雪が積もったら綺麗だろう、という芽榴の呟きを、願いとして受け入れたように降り出した雪は、冷たい空気の中で芽榴の心を温かくした。


「藍堂くん」

「はい」

「もうちょっとだけ、ここにいていい?」


 雪が降り出して外は寒い。でも芽榴はこの景色をまだ見ていたくて、白く染まり始めた綺麗な景色を見つめながら有利にお願いする。


「いいですよ。……楠原さんが満足するまでずっと、隣にいます」


 有利はそう言って冷たくなった手を袖口に隠し、腕を組んだ。


「綺麗……」

「はい。……とても、綺麗です」


 景色を見つめる芽榴の呟きに、有利も同意する。


 ただ、そんな有利の視線が景色ではなく、芽榴に向いていたことなど、もちろん芽榴は気づいていない。


 有利の薄赤く染まる頬の理由を知らないまま、芽榴は幸せそうに笑っていた。

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