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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
霜花編
205/410

183 能ある鷹と爪隠し

 パーティーが終わり、芽榴は役員とその場で別れる。


「じゃあ、芽榴ちゃん。明後日はよろしく!」


 クリスマス後に待つ役員とのデートおでかけは風雅が1番最初らしい。風雅がそんなふうに言って手を振り、他の役員も全員芽榴に挨拶をしてパーティー会場を後にした。


 役員を見送り、芽榴は荷物をまとめる。コートとバッグを手にして、芽榴が向かう場所は挨拶を交わしている聖夜と東條の元だ。誰もいなくなったパーティー会場に2人だけが残っていた。


「……琴蔵くん、招待してくれてありがとう。とてもいいパーティーだった」

「それは何よりです、社長」


 そんな会話を交わす2人のもとに芽榴が現れると、ほぼ同時に2人の視線が芽榴へと移った。


「あ、えっと……帰りは琴蔵さんのところに行けって、簑原さんに言われてたので……」

「ああ、ちょっと待て。では、社長。僕は彼女を家まで送らなければなりませんので。これで失礼します」


 芽榴に声をかけ、聖夜は改めて東條に挨拶する。すると、芽榴も聖夜の後ろから東條に頭を下げた。


「東條様、今日は本当にありがとうございました」

「芽……楠原さん、別にお礼を言うことは……」


 言いかけた名前を東條はすぐに訂正する。けれど東條が言い終わる前に、芽榴は顔をあげた。


「また、たくさんお話ができる日を……心待ちにしています」


 芽榴の言葉に東條の目が大きく開かれる。東條には言うことのできない再会の約束を、芽榴はその口でしっかりと紡いだ。真剣な表情で東條を見つめたまま、ちゃんと願いを告げた芽榴に聖夜は薄く笑む。


「私も、楽しみにしているよ。楠原さん」


 東條は芽榴と握手を交わし、優しく満足げな笑みを浮かべたまま2人の元を去る。芽榴はそんな東條の背中を見えなくなるまでずっと見つめていた。


「……車に行こか」


 東條の姿が見えなくなったのを確認し、聖夜が芽榴に告げる。けれど、芽榴は聖夜の後ろをついていこうとはしなかった。


「……芽榴?」

「琴蔵さん。ちょっとだけ時間もらえますか?」


 聖夜は芽榴の言葉に目を細める。芽榴にはまだやり残していることがあった。それが何なのか、聖夜はなんとなく分かっていた。ソファーで芽榴を押し倒したとき、そうするように言葉をかけたのは聖夜なのだから――。

 

「主賓ルームのそばにおるで。……車で待っとる」


 聖夜はそう言って芽榴の前を通り過ぎようとするが、その前に一つだけ芽榴に言っておかなければならないことがあった。


「何を見ても、見んかったフリしてやれな」


 意味深な言葉を吐いて、聖夜は先に車へと向かった。


 






 あまり聖夜のことを待たせるわけにもいかないため、芽榴は聖夜が教えてくれた場所に早歩きで向かう。


 エントランスを抜けた通路の際奥、そこを右に曲がった突き当たりが主賓ルームだ。

 芽榴はパーティー会場を出て、エントランスを通りすぎる。少し歩いて通路の際奥に差し掛かったところで、その足を止めた。


 止めたというより、足が動かなくなったというべきか。


「お前ってさ……本当何様だよ、慎」


 その声は芽榴の記憶に新しい。初めて会った、慎の兄の声と同じだった。

 芽榴は壁に張り付いて、角から少しだけ顔を出して主賓ルームに繋がる通路の様子をうかがった。


「ダンスなんか踊って調子のるなよ。あんなのお前じゃなくても踊れる。お前が褒められたのは、仮にもお前の兄である僕に敬意を払うためだ。それをちゃんと分かってるか?」


 それを言っているのは間違いなく慎の兄だ。数時間前に見た優しい印象はどこにもない。

 芽榴の感じた違和感と風雅の言葉の意味が繋がる。


「兄さん、分かってるよ。俺なんか、全然。兄さんのほうがたくさん褒められてたじゃん。久々に、優秀な兄さんの姿を見れて俺はすげぇ嬉しかったよ」


 兄に対する慎はいつも以上に読めない笑みを浮かべていた。


「僕が優秀なのは当たり前だろ。お前とは違う。僕は簑原家の跡取り息子だからな。お前みたいな馬鹿で呑気な奴を見ていると本当に苛々する」

「ははっ、だよな〜。ごめんね、兄さん」


 慎の言葉も笑顔も嘘みたいに嫌味がない。芽榴はそれを訝しむ。けれど次に起きた慎の兄の行動に芽榴は思わず息を呑んだ。


 ガッ


「……っ」


 兄の拳をもろに食らい、慎はその反動で壁に頭を打つ。そしてそのままズルズルと床に座り込んだ。


「ははっ、兄さん。さすがにこれは痛いんだけど」


 慎は殴られた頬を摩りながら、尚も笑っている。そんな慎を慎の兄は忌むようにして睨んでいた。


「お前が優秀なんて……笑わせんなよ。慎、お前は馬鹿で、どうしようもない出来損ないの弟。そうだろ?」

「うん、そうだよ。俺は……馬鹿で呑気でどうしようもない、出来損ないの弟だ」


 慎は薄く笑みを浮かべながら、まるで復唱するようにして答えた。そんな慎の言葉に満足したらしい兄は、踵を返す。


「父さんの命令で琴蔵の駒になったからって、出しゃばるな」


 そう言って慎の兄は通路を主賓ルームとは逆方向に進み始め、芽榴は近くにあった女神の彫像の後ろに隠れた。


 慎の兄が去り、芽榴はバッグを抱えて慎の元へと駆け寄った。


「簑原さん」


 通路を曲がり、慎の姿を目にした芽榴が呼びかけると、慎の顔は一気に強張った。


「なんであんたが……っ、聖夜」


 疑問を口にした慎はすぐにその答えを悟る。芽榴は慎の言葉など無視して、彼の切れて血の出る唇にハンカチを添えた。


「よりにもよって、あんたに見られるとか……ねぇわ、マジで」


 慎は笑ったまま、そんなことを口にする。慎の前に膝をついた芽榴は何とも言えない表情をしていた。


「なんで……殴られるの、避けなかったんですか」


 慎の顔を見て一番に浮かんだ疑問はそれだった。他にもっと聞かなければならないことはあるのに、なぜか芽榴はそう尋ねていた。


「あれ……避けられましたよね?」


 慎はしっかり兄の拳を捉えていた。それなのに、慎はあえてその拳が自分の頬にクリーンヒットするように向きを変えたのだ。


 芽榴の指摘に、慎はいつものようにケラケラと笑う。


「受ければ早く終わるからだよ。避ければ煽るだけだろ」


 簡潔的な答えは、その中にたくさんの意味を持っていた。


「ダンスが……いけなかったんですよね?」


 芽榴は真剣な顔で尋ねる。さっきの兄の話から察するに、慎が本気のダンスを踊って、少なからず公の場で認められたことが兄の癪に触ったというところだ。


「その通り」

「分かってたなら……適当に踊ればよかったじゃないですか」


 慎にとって適当にやり過ごすのはいつものパターンで、抵抗はないはずだ。芽榴は眉を顰めてそう言うが、対する慎はやはり嫌味な笑い声をあげた。


「俺だって手を抜くつもりだったぜ?」

「じゃあ……っ」

「でもあんたが相手じゃ手を抜けなかった」


 手を抜けば、慎と言えど芽榴の本気のダンスにはついていけない。


「あんたは俺が唯一本気でやりあえる相手だろ? なのに……適当になんか踊れるわけねぇじゃん」


 そう言って満足げに笑う慎がとても儚くて、芽榴の顔が苦しそうに歪む。悲しそうな顔をする芽榴が何一つ言葉を発せられないように、慎は即座に言葉を続けていた。


「楠原ちゃん、俺は兄さんがどう思おうが興味ねぇんだよ。まして他の人間なら尚のことそうだ。怒るなら怒ればいいし、見下すなら見下せばいい。勝手にしろって思ってる。だって俺が言葉を取り繕えばさっきみたいにすぐ機嫌なんて直っちまうんだから」


 慎は淡々とそう言って、目を閉じた。


「俺が俺である以上、誰に否定されようが知ったことじゃねぇだろ」


 それを強がりで言う人は世の中にたくさんいる。けれど慎は心の底からそう思っていて、本当にその言葉通りの人生を送っていた。


「俺が従うのは聖夜の言葉だけだ」


 だからこそその言葉が引っかかる。


「どうして、琴蔵さんのためにそこまでするんですか」


 慎の忠誠は生半可なものではない。きっと彼は聖夜のためならなんだってできる。

 それだけの器量を持っているのに、慎が愚かなフリをし続ける理由も芽榴には分からなかった。


 そんな芽榴の疑問を察したかのように、慎は薄く笑って、その答えを口にする。


「俺は、簑原の縛りから離れたかったっていうより……兄さんの縛りから逃げたかったんだよ」


 語り出した慎の瞳は真っ黒で、目の前にいる芽榴でさえ映っていない気がした。その瞳は、夜会のワルツで兄のことを口にした慎が一瞬垣間見せた瞳とまったく同じ色をしている。


「兄さんはさ、普通に優秀だったよ。でも……単純に兄さんより俺の方が出来がよかっただけ。あー、自慢でもナルでもないぜ?」


 慎はそう言って「ははっ」とさっき兄に見せていたものと同じ人形のような笑顔を見せた。


 慎の兄は昔からすごく頑張っていた。習い事もたくさんして、ちゃんと努力をしていた。それで得られた能力は確かに『優秀』と位置づけられるものだったけれど、習い事を何一つしていない慎のほうがそんな兄より何においても出来がよかった。


 それが分かった途端、兄の態度は一変した。先に生まれた兄は後継の優先権利を持っているのに、その権利さえ脅かしてしまいそうな慎の存在を恐れた。


「本当、兄や姉がいない聖夜と楠原ちゃんは幸せだぜ? いたら確実に潰されるからな」


 その言葉とさっきの件だけで、慎の兄が幼い慎にしてきたことは想像できる。そんな悲しい話をしているというのに、慎は楽しげに笑っていた。


「だから俺は、神様って残酷だな〜なんて呑気に思いながら、兄さんのために馬鹿な振りをすることにした」


 そうすれば、世間の認識は優秀な兄と出来損ないの弟として成り立つ。わざわざ慎が簑原家との関係を切らずとも、それだけで慎の権限は無に等しくなった。それでも慎の兄は慎の持つ極僅かな可能性を恐れ続けていた。


「だから兄さんの望み通り、ほとんどねぇ権限も全部放棄して簑原家から勘当されるように仕向けたってわけ。元々政治のこととか興味ねぇし、面倒ごとが嫌いなのは昔からだし」


 けれど、外務大臣である慎の父は違った。慎の演技を知ってか知らずか、慎の父は慎を繋ぎとめておこうとした。

 その手段として、父は慎を聖夜の元に送り込んだ。聖夜から捨てられたら戻ってくることを条件に、慎を一時的に簑原家から解放したのだ。


「だから俺は絶対に聖夜を裏切らない。聖夜のためなら全力で動く。そうすれば俺は本当に自由だから。本気なんて出せなくていいんだよ、マジで。疲れるだけだし」


 適当に過ごせるなら、それに越したことはない。聖夜のような重荷ばかりを背負う人生なんて慎は御免なのだ。


「でも、それでも馬鹿な振りに疲れたら、さっきみたいにあんたが俺を本気にさせてくれんだろ? なら俺はそれで十分。……俺の幸せはもうここにある」


 聖夜の欲しいもの以外はすべて掴み取れる。それは慎にとって本当の自由だった。今までは――。


「でもさ……今日くらい本当に本当の自由人になっても罰当たんないっしょ?」


 慎は自分の口にハンカチを当てる芽榴の手を優しく掴んだ。


「だから……楠原ちゃん、俺にキスして」


 慎の言葉に芽榴は眉を顰める。慎はそんな芽榴の顔から視線を逸らし、芽榴の首に輝くハート形のネックレスを見つめていた。


「それが楠原ちゃんから俺へのクリスマスプレゼント……な?」


 慎は芽榴の唇に指を添える。柔らかいその唇は、こんな狡い駆け引きをしない限り触れる事を許されない。

 けれどやっぱり芽榴は、そんな慎の狡い駆け引きに負けるような女ではなかった。


「キスなんて……あなたが頼めば誰でもくれるような……そんなプレゼント、絶対あげません」


 強い口調でそう言った芽榴は慎の寒々しい首にマフラーを巻きつける。芽榴のバックの中から現れた、そのブラウンのマフラーは優しい温もりで慎の首を包み込む。


 慎は目を見張りつつ、そのマフラーに触れた。


「楠原ちゃん……これ」

「首が寒そうだから、私のですけどあげます。返さなくていいですから」


 慎が何も言えないまま、芽榴は早口でそう言って立ち上がる。


「簑原さんが本気で戦いたいときは、いつだって私が相手になります。その度に絶対、叩き潰してやりますから。だから……」


 見て見ぬフリをしろと聖夜は言っていた。その意味は今の芽榴にも分かる。ともすれば慎に同情の視線を送ってしまいそうになるのだ。


「幸せだって言うなら……もう二度とそんな情けない顔しないでください」


 芽榴はすぐそこまで出かかっていた優しい言葉を全部飲み込んで、慎のそばから逃げるようにしていなくなった。



 一人取り残された慎は床に座り込んだまま、整えられた髪をクシャッと握りつぶす。


「あぁー……くっそ。ぜってぇキスできると思ったのに……」


 悔しげに言ってみせても慎は笑ったままだ。慎の笑顔は風雅の張り付いた笑みとも、聖夜の胡散臭い社交的な笑みともワケが違う。悲しくても苦しくても浮かんでしまうその笑みは、慎の築き上げた防衛線だった。


 慎の笑みが消える――それは彼が感情を塞ぎ込めないほどに動揺した時にしか起こりえない。


「楠原ちゃんって……本当馬鹿だよなぁ」


 慎はそう言って、口元にマフラーを寄せる。

 芽榴に渡されたマフラーはブランド物のように触り心地がいい。でもそのマフラーにタグなどついていなかった。


「楠原ちゃんが使ってるマフラーくらい、把握してるっつの。……バーカ」


 芽榴が普段使っているマフラーは薄い水色。


「こんな最高のプレゼントもらっちまったら……文句も言えねぇじゃん」


 泣きそうな声は誰の耳にも届かない。


 マフラーの中に顔を埋めた慎は、包み込むような心地よい温もりを感じて、しばらくそこに座ったまま動けずにいた。

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