180 勇気と開扉
余興が終わり、役員はシャンパンを会場席に配っていく。
「素晴らしいパフォーマンスだったよ」
「楽しませてもらいましたわ」
男性陣へシャンパンを配るのは翔太郎と来羅、そして芽榴。残りの3人が女性陣へシャンパンを配った。
すべてが終わり、待ち受けるのは役員と東條の挨拶――。
聖夜は余興の主催者として様々なお偉い方に囲まれている。慎もそのサポートで忙しそうだ。
役員はすでに全員、聖夜の指定した主賓ルームに向かった。今頃5人のうちの誰かが東條と挨拶を交わしている。
芽榴は最後に一人で落ち着くため、誰もいない舞台裏へと姿を隠した。
会場の賑わいは芽榴の耳に届くけれど、それがまるで自分とは別世界の音に聞こえる。
自らの心臓の音が芽榴の聴覚を支配していた。ドクン、ドクンと激しい脈が頭に響いて、どんどん怖くなっていく。
「……芽榴」
耳を塞ごうとした芽榴は、動きを止めた。
「神代くん……」
芽榴が振り返った先には、東條との挨拶を一足先に済ませた颯の姿があった。
泣きそうな顔で芽榴は颯を見つめる。その姿は普段の芽榴から想像することなどできない。
「もう……主賓ルームに向かったほうがいい」
「……うん、分かった」
芽榴は小さな声で返事をする。そのままゆっくりと足を動かし、颯の前にやってきて再び立ち止まった。
「……芽榴? どうしたの?」
颯が少しだけ腰を屈めて、芽榴の目線に合わせる。颯の手が芽榴の頭に乗り、その温もりを感じて芽榴の表情が和らいだ。
「神代くん、もし私が選択を間違えても……怒らないでくれる?」
芽榴の声は微かに震えていた。
今から芽榴が選びに行く答えは、一瞬にしてすべてを覆すことができる。感情に任せて投げやったなら、正解にはたどり着けない。不安は芽榴の中に根強く残る。
それでも前を向くことを決めた芽榴は、颯に最後の後押しを願った。
「……怒らないよ」
だから颯は芽榴の願いを受け止め、芽榴の欲しい言葉を選び抜いた。
「僕は君のすべてを肯定する。それが芽榴と僕の最初の約束だ。だから君の選んだ答えを僕は絶対に否定しない。……それでも芽榴が選択を間違えたと思ったなら、そのときは僕が芽榴の間違いごと全部肯定してみせる。だから君は絶対に間違わない」
芽榴と颯の視線が交差する。それは始まりの約束と同じ――。
「君の選ぶ道は僕が全力で肯定する」
言い切った颯は、芽榴の頭から手を離す。サラリと芽榴の髪が揺れ、颯は屈めた腰を上げた。
「……神代くんが味方なら、何も怖くないね」
「当然だよ」
芽榴は顔を上げない。でも芽榴が今どんな顔をしているか、颯はちゃんと分かっていた。
「行ってきます」
「……行ってらっしゃい」
芽榴と颯はすれ違いざまに手を重ねる。触れ合った瞬間に、2人は互いの顔を見ることなく微笑んだ。
そして颯の手から芽榴の手が滑り去り、そのまま芽榴は颯の横を通り過ぎた。
「芽榴ちゃん」
主賓ルームの前には風雅と来羅、そして有利が立っていた。シンとしていた廊下は芽榴が現れた瞬間、少しだけ明るくなった。
「……みんな、もしかして待っててくれたの?」
芽榴が苦笑しながら尋ねると、風雅が芽榴の手を取った。風雅の手から芽榴の手へ何かが移り、同時に風雅は芽榴から手を離す。手に残る感触が気になって芽榴は風雅が触れた手を開き、そして眉を上げた。
「……飴?」
芽榴の手の中にあるのは、芽榴がよく風雅にあげている飴玉。
芽榴は目を見開いたまま風雅の顔を見た。
「芽榴ちゃん、笑顔」
そう言って風雅がニッと芽榴に笑いかける。今の芽榴は昔の風雅と同じくらいぎこちない笑みを浮かべていた。
いつも芽榴が風雅にしてくれていたことを、風雅は芽榴に返す。それだけでなんとなく強張った芽榴の心は緩んでしまった。
「るーちゃん、挨拶が済んだら乾杯しましょ」
風雅の隣で来羅が微笑む。今の来羅はいつもの姿ではないけれど、芽榴にとってはいつもと何一つ変わらない優しい来羅の姿。挨拶が終わった後、芽榴が笑顔で戻ってくることを来羅は信じている。だから「頑張ったね」という乾杯は絶対不可欠だ。
「うん。最高級のアップルジュースで乾杯ね」
芽榴の迷いない返事を聞いて、来羅はやはり満足げに笑った。
「楠原さん」
有利は視線を芽榴へと移す。有利が言うことはもうない。だから芽榴と有利は笑顔で拳をコツンと突き合わせるだけ。
すると、主賓ルームの扉が開いた。中から出てきたのは翔太郎だ。
「……楠原」
そこで待ち構えている芽榴を見て、翔太郎は心配そうに眉を寄せた。だから芽榴は少しだけいつもの自分に戻る。「皺が深くなるよー」と翔太郎の眉間を指差して笑えば、翔太郎の緊張も解れた。
「もう、入っていいって?」
言いにくいであろう台詞を、芽榴は先に言ってあげる。翔太郎は「ああ……」と返事をして、芽榴の肩に手を置いた。
「……しっかり挨拶してこい」
ぶっきらぼうにそう言って、翔太郎は風雅たちの輪に戻る。芽榴は顔だけ、そっちを振り返った。
みんな、笑顔だった。
誰か一人でも悲しそうな顔をしていたら、芽榴はまた逃げ出していたかもしれない。けれど誰もこの状況を憂うことなく、芽榴の背中を押してくれた。
だから、芽榴は汗ばむ手を棒状のドアノブに添える。
「行ってきます」
そう芽榴が言うと、さっきの颯と同じようにそれぞれ「行ってらっしゃい」と返してくれた。――それが答え。
芽榴は扉をゆっくりと開けた。
扉の向こう側で芽榴ちゃんが得るものは――!?
という予告をもちまして、22時の更新をお待ちくださいませ!




