176 作戦とお見送り
会場に戻ると、すでに有利と有利の祖父の挨拶代わりのお手合わせは終了していた。
「じいさん、まったくこのような場で暴れる必要はないだろう!」
翔太郎が眼鏡を掛けなおしながら有利と有利の祖父に説教をしている。その姿はまさに子どもを叱るお父さんの図だ。
「ふぉっふぉっ。相変わらず堅いのぉ、催眠眼鏡。藍堂流はこういうパーティーで披露すると喜ばれるんじゃぞ?」
「おじいさん! 葛城くん、すみません。皆さんもご迷惑をかけてすみませんでした」
有利はそう言って、止めに入った颯と来羅にも頭を下げる。スイッチが入っていない有利を見ると、役員もホッと息を吐いた。
「みんな、お疲れ様ー」
芽榴は風雅の腕を掴んだまま、みんなのもとに登場する。今の芽榴に敵う美少女は来羅しかいないのだから、その芽榴が風雅のそばにいる以上マダム達も容易に風雅には近づけない。おかげで芽榴に注がれる女性側からの視線は、かつて学園で感じていた視線と似たレベルできつい。
芽榴の声で、颯と来羅が2人のほうを振り返った。
「芽榴、探したよ」
颯の視線は真っ先に、風雅に触れている芽榴の手に向かう。けれどそれは仕方のないことで、颯は軽く息を吐いて芽榴の顔を見つめた。
「さっきの神代くんと一緒。外の空気を吸いに行ってただけ。おかげで蓮月くんも無事に脱出成功ー」
芽榴はそう言って笑う。芽榴らしい呑気な物言いはどことなく颯を落ち着かせた。
「風ちゃんもお疲れ様ぁ」
「……やっぱここが落ち着くよ」
来羅がポンッと風雅の肩を叩くと、風雅はそう言って大きく息を吐いた。
そんな風雅を見て、芽榴と颯は肩を竦めながら困ったように微笑んだ。
「ふぉっふぉ! おおっ、芽榴坊っ!」
有利の祖父は翔太郎のお説教など完全無視で、やっと現れた芽榴に視線を向ける。祖父の輝く視線を受け、芽榴は笑顔でお辞儀をした。
「お久しぶりです、おじいさん」
「久しぶりじゃな。しても芽榴坊、文化祭のときも思ったがその姿はよく似合うのぉ?」
有利の祖父は愉快そうにそう言ってまた独特の笑いをこぼす。芽榴は「ありがとうございます」と笑顔で返した。
「うむうむ。ますます藍堂家の女にふさわしくなっとるわい」
「有利クンのじいちゃん! どさくさに紛れて何言ってんの!」
「お、おじいさん!!」
風雅は芽榴に掴まれている腕をひき、有利は祖父の和服の襟元を掴む。互いに芽榴と有利の祖父を引き離し、フーッと安堵の溜息を吐いた。
「有利クンのじいちゃんはすぐに芽榴ちゃんをお嫁さんに勧誘しようとするんだから!!」
「ふぉっふぉっ、勧誘を怠って色ボケ男にとられるわけにはいかんからのぉ」
「それは確かにそうですけど……」
「有利クン!?」
芽榴の隣で口論を始める風雅と有利と有利の祖父。翔太郎はその隣で額を押さえていて、来羅はそれを見て楽しそうに声に出して笑っている。
「あははっ」
芽榴がこういう格式あるパーティーで心から笑ったのはこれが初めてだった。十年前もパーティーに参加することはあったけれど、そのどれも息が詰まる感覚と苦しい思いしか記憶にない。
この空気が好きで、芽榴も風雅と同じように「ここが落ち着く」とそう思った。
「――――」
そんな芽榴を颯は一人、儚げに見つめる。チラリと主賓席に目を向ければ東條と、彼に媚売りに向かっている人々の姿だけが映った。聖夜と慎の姿はもうそこにない。
――それが合図。
『どや? この話、のむか?』
颯が思い出すのはさっきエントランスで聖夜に持ちかけられた話――。
『それで芽榴が救われるなら、不服だけど君と手を組むよ』
聖夜の持ちかけた案に颯はそんなふうに答える。けれど聞いた聖夜はククッと喉を鳴らして不敵な笑みで颯を見下していた。
『ほんまにええんか?』
『……どういう意味』
颯はそんな聖夜の態度が気に入らなくて、彼のことを睨んだ。その凍てつくような視線で射抜かれて、並の人間なら耐えられない。役員でさえその目で睨まれれば即座に顔を青くしてしまうのだ。平気な顔をしていられる聖夜は確かに強者。
『楠原芽榴のままやったら、あいつはお前ら側や。俺の立場に芽榴は並べん』
今の芽榴が公で聖夜の隣に並ぶことは許されない。けれど――。
『でも東條芽榴に戻ってしもうたら、あいつはその瞬間、俺側になる言うことや。芽榴の隣に並ぶことが許されへんのはお前らのほうになる』
他の人間に聞かれないように、聖夜は小さな声で告げる。けれど言葉の重さからなのか、その声が颯の耳にはやけに大きく響いた。
『お前がこの話のむ言うんやったらそれくらいの覚悟せえよって話や。まあ、お前が自分の感情ほったらかしにしてまで、ほんまに芽榴のために動く気やったら何も考えんでええやろうけど』
『……っ』
『他の役員にもそう伝えとけ』
最後まで上から発言で聖夜は姿を消す。一人その場に佇む颯は聖夜の言葉に唇を噛んだ。
「芽榴……」
「んー?」
周囲の楽しそうな笑い声の中、響く颯の声は寂しい。聖夜の言葉は図星だった。
颯が芽榴のために動くのは、芽榴を自分の手に抱きたいから――。聖夜の案をのむことは颯のその気持ちを打ち砕く。
それが分かっていて、それでも颯が出した答えは――。
「琴蔵聖夜が……呼んでる。舞台裏の主賓ルームで」
「……え?」
芽榴はその言葉に目を見開く。颯からその言葉が出てくるとは思っていなかったのだ。他でもない颯が、聖夜のもとへ芽榴を寄越すのは驚きでしかない。
颯の言葉が聞こえていたのであろう他の役員も目を丸くしていた。何かを察した有利の祖父はスッとその場からいなくなる。
「颯クン……何言って……」
「風ちゃん」
背後から抱き付くようにして来羅が風雅の口を両手で塞いだ。颯が決めたことにおそらく間違いはない。そう信じて来羅はとりあえず風雅を黙らせる。来羅とアイコンタクトをとり、颯は続きの言葉を口にした。
「あのお坊ちゃんがね、僕たちにパーティーの余興をしろと言うものだから。僕たちは何をするか考えて準備をしなきゃいけないんだ」
「え、私は……」
「芽榴の余興の準備は、すでにあのお坊ちゃんが済ませてる。だから、単にその話を聞いてくればいいんだよ」
颯はそう言って笑い、芽榴の頭をなでた。
「……その代わり、早く戻ってこないとお仕置きだから」
いつもなら恐ろしいはずの言葉が、今は少しだけ儚く感じる。まるでこのまま芽榴が戻ってこないような言い方――――芽榴がラ・ファウスト学園に行くことを決めた時と同じ顔を颯はしていた。
でもだからこそ、何があってもまたみんなが連れ戻しにきてくれる気がする。
「……うん。超特急で帰ってくる」
芽榴は颯にそう言葉を返し、来羅と風雅、翔太郎と有利をそれぞれ視界にいれて芽榴らしく笑いかけた。
「神代……どういうことだ?」
芽榴がいなくなり、みんなの疑問を口にしたのは翔太郎だった。本題に入ることを察して来羅が風雅の顔から手を離す。芽榴が出て行った扉を見つめながら颯は口を開いた。
「琴蔵聖夜の誘いでね――――」
その話を聞いて、みんな黙る。それは颯の独断で決めたこと。でも先に話しても今話しても、きっとみんなが自分と同じ答えを出すことを颯は分かっていた。
「それが楠原さんのためなら、断るわけにはいきませんよね」
有利は悲しそうに笑いながらも、そう言葉を返す。「そうそう」と言いながら来羅は颯の肩に触れた。
「そんな顔、颯らしくないわ」
「何があっても『芽榴は渡さない』って男らしく言っちゃうのが颯クンじゃん」
1番この案に反対する恐れのあった風雅が、そう言って笑った。颯の予想通り、颯の答えに反論する人はいなかった。
「やるからには最高の余興にするんだろう?」
翔太郎は不敵な笑みで、眼鏡を押し上げながら颯に問いかける。これが颯の集めた最高の生徒会役員。
1年前まではこれが当然。でも今はここに芽榴の姿が不可欠なのだ。
「一肌脱ぐとしようか」
――――大切な女の子のために、できること。
それを分かっているからこそ、役員たちは晴れやかな顔でパーティー会場を後にした。




