171 すれ違いとフルコース
今日はクリスマス・イブ。
午後6時半には指定された会場へ行って受付を済まさなければならない。
お昼ご飯を済ませて、芽榴は洗い物を開始する。圭は今日も部活らしく、もう家にはいない。重治もお仕事だ。
真理子は居間で編み物をしている、穏やかなお昼頃。
しかし、そんな空気を吹き飛ばすようにプルルルルとやけに大きな音を立てて家の電話が鳴り響いた。
「あらあら、お電話」
編み物をやめて、真理子が電話元に走る。何回かのコールの後、真理子は受話器をあげた。
「はい、楠原です。……えっ!? あわわ、初めまして、楠原真理子です。えっ、いえ……そんな……あ、はい。もちろんいます。め、芽榴ちゃーーん」
珍しく真理子が焦っている。芽榴は何となく電話の相手を想像して目を細めた。キリよく洗い物を片付け、真理子の元へと向かう。芽榴が受話器を譲り受けるけれど、真理子はそこにスタンバイしたままだ。――いつか見た光景再び。
「はい、お電話代わりました」
『あ……コホッ……ああ、俺や』
電話の相手は芽榴の予想通り、聖夜だ。真理子が相手のときは社交界の琴蔵聖夜としてバッチリ標準語で紳士らしく言葉を発していたのだろう。咳払い一つで一気に声音が変わった。
「パーティーは6時半ですよね?」
『せや。でも、お前は俺の用意したドレス身につけるんやからその前に迎え行く。1時くらいに迎えを寄越す』
「あの、早すぎません?」
『妥当な時間や』
「……。迎えは結構です。場所教えてください。自分で行きます」
『ほんなら、行き先は教えへん』
「は?」
『ああ、それと俺は明日のことでも準備あって、お前の準備には立ち会われへん。せやけど、お前のことはちゃんとスタッフに伝えとるから何も心配せんと、めかし込まなあかんで』
かなり忙しいのだろう。聖夜は用件を手短に淡々と告げ「ほなまた」と一言挨拶して電話を切った。
ドレスを用意されるという時点で少なからず予想はしていたが、今回はいつもより気合いが違う気がする。
「もうビックリしたぁ。琴蔵財閥のご子息様からのお電話なんて……」
真理子は胸を押さえてフーッと息を吐く。確かにいきなり聖夜から電話が来て、平然としていられるはずがない。
「若い声だったから颯くんかと思ったのに」
「……まだ電話友達してるのー?」
「もちろん。芽榴ちゃんの近況報告!」
そう言って真理子はVサインをした。さすがはキャッチフレーズ「イケメンは国宝」なだけはある。掴んだイケメンは手放さない。
芽榴は溜息を吐きつつ、楽しげな真理子を見て微笑んだ。
時計の針が午後1時を指す。
ちょうどピッタリに楠原家の目の前に滅多にお目にかからない高級車が止まった。
「きゃーっ、時間ピッタリ」
「だねー」
家の前で聖夜が寄越す迎えを待っていた真理子と芽榴はそんなふうに言って高級車を出迎える。すると黒いスーツを着た男の人が運転席から降りてきて、芽榴と真理子の前で深々とお辞儀をした。
「聖夜様の使いでございます。楠原芽榴様、どうぞお乗りください」
その男性が後部座席の扉を開ける。完全に1人で乗るには広すぎる空間だ。
「じゃあ、お母さん。行ってきます。今朝ケーキ作って冷蔵庫に入れてるから夜は圭とお父さんに出してね。あと……」
「冷蔵庫に入ってる美味しそうなご飯は全部出しておくから大丈夫!」
芽榴の説明を切り上げて真理子がグーサインで合図した。確かに真理子の意見は間違ってはいないが、少々不安が残る。しかし真理子が「大丈夫」と言うのだから大丈夫なのだろう。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、芽榴ちゃん」
真理子に見送られ、芽榴は車の中へと乗り込んだ。扉が閉まり、芽榴を乗せた車が動き始める。
「私もあんな車に乗ってみたいなぁー」
そんな呟きを零しつつ、真理子は家の中へと戻って行った。
芽榴を乗せた車は小一時間後停車する。
ドライバーにより、再び扉を開けてもらった芽榴は目の前に広がる光景に驚愕した。
「嘘ー……」
芽榴が連れられてきたのは琴蔵財閥傘下の美容施設ARICE。エステティシャンから美容師まで各分野の一流スタッフが集まっていて全国の御令嬢の予約で常にいっぱいだとテレビで耳にしたことのある、有名も有名な場所。そしてスタッフ一同がそこに参列して深々と頭を下げている。
「お待ちしておりました。琴蔵様からお話はうかがっております」
「私は何も聞いてないのですがー……」
支配人らしき女性に声をかけられ、芽榴はハハハと半笑いで答えた。
芽榴はそのまま半強制的に一流エステティシャンによる美顔マッサージと全身むくみ取りマッサージを受ける。約2時間かけてマッサージされ、体は全体的に軽くなりツルツルだ。それが終わると今度は髪の毛の手入れが始まり、絶対にスーパーでは見かけないようなお高いトリーメント剤が惜しみなく芽榴の髪に塗られていく。元々パサパサなわけでもなかったが、約1時間のお手入れの後、シャンプーのCMができそうなほどにサラサラヘアになっていた。
「疲れた……」
一通り聖夜から連絡されていた美容コースはやり終えたらしく、支配人には衣装室へとつれていかれた。そして2、3人の女性スタッフにより、聖夜から予め渡されていたのであろうドレスに着替えさせられる。
ドレスの色はやはり黒。聖夜が用意するドレスはいつもシックな色が多い。おそらくそれが聖夜の好みなのだろう。今回はパーティードレスで膝丈のもの。ベアトップでウエスト部分には蝶をモチーフしたようなリボンがついている。腰から下はリボンから解けていくようにフワリと広がっていて可愛らしさをもたらしていた。
「靴はこちらになります」
そう言って女性に渡されるのは――赤いパンプス。
黒を引き立たせる最高のアクセント。クリスマスらしい衣装だ。
着替えを済ませた芽榴は衣装室を出て、そして今度こそ本当に固まった。衣装室の扉の前、腕を組み壁に寄りかかって1人の男が立っているのだ。
「へぇ、さすが聖夜。コーディネートのセンスあんね~」
スーツ姿の慎だ。ジャケットは脱いでいてネクタイも緩めており、まだ完全体ではないが支度を終えた後らしい。今更何が起きても驚かないと思っていたが、さすがの芽榴も慎の登場には驚いてしまう。聖夜なら分かるが慎がここに来る意味が全く分からない。
「なんで、あなたが……」
「今日の楠原ちゃんのメイク係は俺だから」
「は?」
芽榴は呆然とする。そんな芽榴の反応を見て、慎はやはりケラケラと笑うのだ。
「一応、聖夜から頼まれてんだぜ? ここにいるメイクスタッフより俺のほうが上手いから」
慎は自信満々に言ってのける。本当は夏の夜会のメイクも慎がやる予定だったのだが慎にも自分の準備があったためできなかったのだ。
眉を顰める芽榴を無視して、慎は芽榴の腕を引っ張る。そして貸切状態のメイクルームへと連れ込まれた。
慎はメイクルームにある道具を慣れた手つきであさり始める。鏡の前に座らされた芽榴は不安げに慎のことを見つめていた。
「何その顔」
芽榴の視線に気づいたらしい慎は顔をあげて芽榴へと視線を向けた。
「化粧できるんですね、簑原さんって」
「まぁな。そりゃあ乱れたお嬢様を整えなおしてあげんの慣れてるし?」
楽しげに言う慎に芽榴は軽蔑の眼差しを向ける。先日の芽榴の約束を覚えているのか謎な発言だ。
「まぁ、安心しろよ。変な顔にしたら聖夜に怒られんの俺だし。完璧にしてやる」
道具をそろえた慎は芽榴のもとに歩み寄り、化粧水を芽榴の顔になじませ始めた。
「ああ、そうそう。楠原ちゃん」
「はい?」
顔をパタパタと慎に触られながら、芽榴は慎の声に反応する。すると、慎は乳液を少量手に取りながら口を開いた。
「今から使う化粧品、全部聖夜がクリスマスプレゼントで楠原ちゃんに送るってさ。あとそのドレスも」
言われた芽榴は目を見開いた。明らかにここに置かれている化粧品は一つ買うだけで諭吉さんが1枚とんでいく。それを全部とドレスまでプレゼントするとは、さすがは琴蔵聖夜。
「いや……でも、化粧品もらっても私は化粧しな」
「だーかーら、今から俺がしてみせんの。あんたの記憶力なら全部見て覚えられるだろ?」
慎は化粧下地を芽榴の顔になじませ、告げる。聖夜が慎に芽榴のメイクを担当させた理由はそれも含まれているのだ。つまりは慎のメイクの仕方を覚えて芽榴が自分でできるようにしろ、ということなのだ。
「聖夜や、あの役員たちの隣に並んでもおかしくねぇ女になりたいんなら、いい加減容姿も釣り合わせる努力しろ」
「……でも化粧したからって、別に……」
芽榴自身は化粧した自分に納得していない。確かにすっぴんでいるよりは可愛くなっているが、それでも周囲にいる女子と変わらないという認識だ。自分への評価が極端に厳しい芽榴に、慎は目を細める。
「一つだけ教えてやるよ」
「え?」
「化粧をしたあんたは、すっげぇ綺麗だ。そこらへんにいる美女なんか相手になんねぇくらい」
アイシャドウを塗られ、芽榴は片目を瞑る。半分の目で見た慎は真剣な顔で、彼の言葉が嘘ではないと伝えていた。
「ま、俺はあんたんとこの柊来羅の女装顔が1番タイプだけど」
ちゃんとそう付け加えるところは慎らしい。それでも慎の言葉なら、芽榴も信用できた。それくらい慎の言葉はいつだって芽榴に厳しくとも真実を伝えてきた。だからこそ芽榴は慎が芽榴に告げている最も気付いてほしい嘘に気付かない。
「っし、できた。さすが俺じゃん?」
鏡に映るのは美少女芽榴。
化粧の仕方は三者三様――けれど、琴蔵つきの使用人が施した化粧よりも文化祭で舞子がしたメイクのほうが芽榴にあっていた。そして慎のメイクは舞子のメイクと同等に芽榴のよさを引き出している。
それが示す意味を、芽榴は知らない。
「――ありがとうございます」
「聖夜の命令だから仕方ねぇし?」
そんなふうに言って慎がメイク道具を片付ける。芽榴はしばらく鏡の前の自分と向かい合っていた。
「あ……そーだった」
芽榴は自分が持ってきたショルダーバッグの中をあさる。芽榴が取り出した綺麗な箱の中に入っているのは聖夜がくれたブレスレットだ。
それを静かに腕につける芽榴を、慎は横目にチラリと見る。
「えっと、簑原さん」
そう言って芽榴は慎のほうを向き直るのだが、芽榴が何かを言う前に慎が口を開いた。
「楠原ちゃん。俺、すっかり忘れてたわ」
変わらずの軽い口調で言って慎は芽榴のもとに歩み寄る。「え?」と芽榴が首を傾げるのと同時、慎の腕が芽榴の首に巻き付いた。
「簑原さん!?」
「別に何もしねぇよ」
慎はどこかうんざりしたような声音で言う。そしてすぐに芽榴から離れた。慎の腕の温もりが消えたのに、芽榴の首まわりには違和感が残る。不自然に感じた芽榴は自分の首元を見て目を丸くした。
芽榴の首に巻き付いているのはピンクゴールドのハート形ネックレス。
「簑原さん、これ」
「聖夜から」
慎はそう言って芽榴の首につけたネックレスを指さす。
「それは聖夜からのプレゼント。でもドレスも化粧品もやったからって、あげるの躊躇してたから俺が持ってきた。だから聖夜に余計なことは言うなよ? 俺が怒られる」
「琴蔵さん……お金使いすぎじゃないですか?」
芽榴が困り顔で言うと、慎はケラケラと笑った。聖夜はお金の問題に無縁だ。
「ちなみに俺は何も買ってねぇから。楠原ちゃんも俺には何も用意してねぇだろ?」
「え……あ、はい」
芽榴はバッグを下に置いてそう答える。すると、慎は薄く笑って「やっぱりな」とつぶやいた。
「聖夜にはちゃんと用意してんだろ? してねぇなら買いに行くの手伝うけど」
さすがにこんなにプレゼントをもらって聖夜にプレゼントがないのはいけない。芽榴は「用意してます」と口にした。イブに会うと分かって芽榴は聖夜の分のプレゼントを急遽用意したのだ。
「んじゃ、問題なし。そろそろ会場に向かうぞ」
慎はそう言ってメイクルームの扉を開ける。どうやら芽榴は慎と共に向かうことになっているらしい。
「――はい」
芽榴はバッグを抱えて慎の開けた扉を出て行った。
――――そして波乱のイブパーティーが幕を開ける
現在開催中のキャラクター投票初日からいい感じです!
ありがとうございます!
コメント蘭でご質問がありましたので、この場にてご返答させていただきます。
役員のお仕事は初等部から高等部までの諸々の事務業等です。本来事務員が片づけたり先生方がやらなきゃいけない仕事を役員さんがやってあげているというところです。というわけで役員さんに渡されるお仕事は常に山の如しで尽きることはありません、という設定です。
で、お仕事が生徒会室のどこからどうやってふってわいてくるのかと言うのが今回のクエスチョンです。これについてはですね、役員のお仕事はほとんどUSBにインプットされていて、書類や資料はそこから生徒会室の来羅特製印刷機にて大量高速印刷してドンッと役員の目の前にエンペラー颯が置くという感じですね。
拙い説明ですが、ご理解いただけたら嬉しいです。その設定は納得いかない!という意見もあるかと思いますが、そこはウッと堪えて温かい目でお見守りください。
以上、穂兎ここあでした。




