169 お馬鹿さんと無邪気
試験というものは実施中よりも実施後のほうが生徒の気持ちをソワソワさせるもの。
そしてそれは麗龍学園の生徒も例外ではない。期末テストの返却が始まり、喜びの声やら悲痛の叫びやらが何処かしこから飛び交っている。
「じゃあ、テストを返す」
F組で最初に返されたテストは英語。英語があったのはテスト期間1日目。芽榴が熱でダウンした日だ。頭がふわふわした中で解いたテストに不安がないといえば嘘になる。
「楠原ー……」
芽榴の名を呼ぶ中井先生の顔が少し歪んだ。瞬間、芽榴とF組の生徒の顔も強張る。
芽榴は中井先生からテスト用紙を受け取り、恐る恐る自分の点数を見て眉をあげた。
「さすがだな、楠原。1日目は高熱でダウンしていたと聞いたが」
芽榴が平均点でなく満点をとることは今や学年教科担任の中での共通理解。しかし今回はテストの難易度もあげ、なおかつ芽榴の体調不良も耳にしていた。中井先生も芽榴がおそらく点数を落としてくると思っていたのだ。
「満点、素晴らしい」
満点をとったことに安堵している芽榴に、中井先生からの言葉が降る。芽榴は反射的に顔を上げた。
「みんな、楠原を見習うように!」
F組の生徒に向かって中井先生が言い、テスト返却が再開される。
そんな中井先生を見て、芽榴は自分の席へと足を向けた。さっきの中井先生の褒め言葉を思い出し、次に自分の手元にあるテスト用紙に目を向け、微笑んでしまう。
面白いくらいに平均点を取り続けてきた子が、突然満点を取り続けるようになった。それにはやはり疑いの目があって当然のこと。芽榴の実力は昔から簡単に受け入れられるものではない。
けれど今は違う。
教師からテスト結果を素直に褒められるのは久々のことで、それが芽榴は嬉しかった。
「今回も全部満点かぁ。体調不良だったって事実を疑うわ」
午後、国語の授業が終わって休み時間になる。国語のテストが返ってきてテスト結果は全て出揃った。結果から言うと、芽榴は毎度お約束の全教科満点を成し遂げることができた。
舞子の発言に芽榴はカラカラと笑う。
「これで神代くんに負けることはないねー」
「また首席かよ、お前」
そんな芽榴のそばに滝本までやってきた。満点なのだから首席でないはずがない。芽榴は「だよー」と笑ってVサインで返す。
「……っ」
芽榴の笑顔を見て、滝本が固まった。それを見て舞子は溜息、F組の生徒は何人かが吹き出す。それも仕方ない。滝本はいまだ芽榴のことを諦めきれずにいるのだ。
「く、楠原っ!」
「芽榴ちゃん、いる?」
滝本が怒鳴るが、その後ろから別の人が芽榴を呼ぶ。
滝本の背後を見て、芽榴はふわりと笑った。
「蓮月くん、どーしたの?」
扉の前に立って中を確認している風雅に芽榴がそう声をかけた。芽榴の姿があると分かって、風雅はF組に足を踏み入れる。
風雅がF組に来る回数は減った。たまに来ても前とは違い、落ち着いた様子で彼は芽榴の席まで歩み寄る。しかし、彼の見せる笑顔は以前と変わらず芽榴にだけ見せる心からの笑顔だ。
「テスト、全部返却されたから……芽榴ちゃんに1番に見せたくて!」
F組女子のハートマーク飛び散る視線を受けながら、風雅は芽榴のほうだけを見て告げる。今日は全クラスでテストが全部返却されているのだ。順位は分からずとも点数でだいたい善し悪しは分かるもの。
「どうだったー?」
風雅が笑っているところからして、出来がよかったことは想像に難くない。芽榴は首を傾げて風雅に問いかけた。
「英語は最悪だったけど、日本史は72点!」
「え……」
日本史の平均点は確か69点。風雅のそれは平均点よりも高い。芽榴は少しだけ驚いた顔をしていた。
「芽榴ちゃんに教えてもらったから、日本史だけは絶対に取りたくて頑張ったんだ!」
風雅はクシャッと笑う。日本史自体は暗記科目なわけで、勉強次第で点数に反映される教科ではある。けれど、風雅が平均点オーバーを獲得するということはかなりの努力があったということだ。
「芽榴ちゃん、芽榴ちゃん」
「何ー?」
「オレ、頑張ったから褒めて!」
風雅はテストの結果が本当に嬉しかったらしく彼本来の笑顔を絶やさない。芽榴はそんな風雅のおねだりに困ったような顔をするものの、やはり断ることはできなかった。
「よしよし、よく頑張りましたー」
芽榴は椅子から立ち上がり、高いところにある風雅の頭を背伸びして撫でてあげた。すると風雅は目を見張る。そしてすぐにはにかむようにして笑った。
「あたしだったら、毎日褒めてあげるのに……」
「ていうか、うちが褒めたい」
離れたところで2人の様子を見ているF組女子はそんなふうに呟く。誰が褒めてもきっと風雅は嬉しそうに笑ってくれるが、あんな笑顔は絶対に見られない。
「まぁ…楠原さんがしなきゃ意味ないか」
それをF組女子はちゃんと分かっているのだ。
「あんたも褒められたいんじゃない?」
「はあ?」
芽榴と風雅が話している目の前で舞子がボソッと滝本に告げる。言われた滝本は「何言ってんだよ」と顔を顰めた。
「楠原は満点なのに、自分の点数見せられっかよ。褒められたら余計に惨めだ」
滝本はそう言って、芽榴たちから離れていく。やはり役員が芽榴と絡んでいるところは間近で見ていたくはないのだ。そんな滝本の後姿を溜息を吐きながら見送り、舞子は再び目の前のイケメンに視線を移す。
滝本の言うことは正しい。普通、男子は好きな子にいいところを見せたいはずなのだ。
『風雅くんってやっぱり何やってもカッコイイね』
『うーん……』
『あんたは……美少年が周りにいすぎて目がおかしくなってんじゃない?』
『あはは。蓮月くんの顔がカッコイイのは私も認めるよ。それは役員の中でもダントツだと思う。けど……』
以前、芽榴と交わした会話を舞子は思い出す。移動教室の途中で窓の外に目を向けると、校庭でB組男子がサッカーをしていた。もちろん風雅ファンが風雅を応援していて、その応援を背に、風雅は爽やかな汗をかいていた。
誰が見ても風雅はすべてがカッコイイ――はずだった。
「でもご褒美からは遠いねー」
「これからもっと頑張るから前払いっていうのは!?」
「却下ー」
「芽榴ちゃん!」
楽しげに笑う芽榴と泣き目の風雅を見て舞子は微笑む。無邪気な風雅は確かに芽榴の言うとおり――。
――蓮月くん自身はカワイイ人だよ――
「でもそれは……芽榴の前だけの話ね」
芽榴のそばを離れて他の女子が話しかけたなら、風雅はすぐに「完璧なイケメン」になりすましてしまう。だからやっぱり風雅をカワイイなんて言える女子は芽榴しかいない。そう、舞子は思った。
その後、成績発表が行なわれた。
もちろん生徒たちが予想していた通り、学年首席は恒例の颯と芽榴の2人。文句なしの満点トップだ。
それに続くのが翔太郎、来羅、そして有利。トップ5は絶対に生徒会役員が譲らない。
「風ちゃん、何位だったー?」
トップ5の用紙から離れ、役員は下位の順位表に足を運ぶ。そこにいた風雅に来羅が声をかけ、風雅はニッと笑う。
「195位! 200番台脱出!」
「「「おぉー」」」
風雅の順位を聞いて、芽榴と来羅、そして有利は感嘆の声を漏らすが、翔太郎は溜息を吐いて眼鏡を押し上げた。
「感動するところではない。ワースト100は抜けても半分以下だろう」
「でも蓮月くんにしてはすごいでしょー」
芽榴が横目に翔太郎を見て言う。すると翔太郎も反論できないらしく他所を向いてしまった。翔太郎は翔太郎なりに感心しているのだろう。
「……風雅」
しかし、そんな5人の背後から現れた人物の笑みは黒い。
「え、颯クン……な、なんで怒ってるの?」
風雅は慌てた顔で尋ねる。颯との約束は200番台の脱出であり、それは成功したのだ。文句はないはず。
「神代くん、どうしたんですか」
有利も不思議そうに颯のほうを見る。役員全員の視線が集まる中、颯は盛大な溜息を吐いた。
「順位は僕も褒めてあげたいところだけどね。風雅、お前の英語の点数はいくらだい?」
「……」
聞かれた風雅は固まる。そういえば芽榴に日本史のテスト点を告げるときも「英語は最悪だった」と言っていた。そして役員の中で風雅の致命的英語を担当したのは颯だ。
「……28点と24点です」
英語はリーディング系とライティング系、2種類のテストがあり、それぞれ100点満点だ。聞いた来羅は「珍解答楽しみね」と笑い始め、有利と翔太郎は額に手を当てた。
「でも、英語はどっちも平均40点台で……みんな悪かったんだから」
「芽榴は風雅に甘い」
フォローしようとする芽榴を颯が止める。
「僕が教えたのに平均をとらないってどういうことだい? 風雅」
「いや……で、でも颯クンとしたときは出来て……」
「関係ない」
颯は風雅の意見を即切り捨てる。もう冬休みが近いため、皇帝様のお怒りにより翔太郎に加えて風雅も仕事3倍の刑が下った。聞いた風雅は「ぎゃあああああっ」と叫んで有利に泣きつく。それをいつものように有利が慰め、来羅が爆笑。
「あははっ」
いつもの光景が楽しくて、芽榴は思わず声に出して笑った。




