13 始まりと6つの影
トランプ大会は順調に行われ、第2、第3体育館での試合は終了し、第1体育館でも神経衰弱の試合が最終局面を迎えようとしていた。
役員が参加しないということもあって、神経衰弱はもっとも参加人数の多い種目となっている。それもあって勝敗を決しやすくするため、試合は特別ルールで行われた。
まず選手はアイマスクをつけて、審判の先生がカードを表にして適当に並べる。合図があったらアイマスクを外し、五秒間それを記憶する。再び合図があったらアイマスクをつけ、すべて裏返しにされたらアイマスクを外して試合を開始。1回間違えたらそこで終了。あわせたカードの数が多いほうが勝ちというものだ。
厳しいルールのために参加者の平均獲得数は22枚11組。僅差の勝負でトーナメント戦が進んで行く中、体育館は静寂に包まれた。あまりの静けさに一周まわって不気味なほどだ。
「嘘、だろ……」
誰かがそう呟いた。瞬間、体育館が絶叫に包まれる。
「あの2人! 今のとこ、全部パーフェクトだぜ!」
人で溢れかえる第1体育館、みんながトーナメント表の決勝戦に勝ち上がった名前を見て叫ぶ。なぜなら決勝に勝ち上がった2人はまだ一度も間違っていないのだ。
その1人は『高原光男』。3年生の首席。残りの1年でも生徒会の経歴が欲しいと意気込むガリ勉。見た目からも真面目ということが見てとれる男だ。そしてあと1人は――。
「楠原! すげーな!」
滝本が芽榴の背中をバンバン叩く。芽榴はうんざりしたように滝本のことを見ていた。
「痛いよ……滝本くん」
「本当にすごいわ、楠原さん」
委員長も感心している。芽榴はF組の生徒に囲まれている状態だ。そう。決勝に勝ち残ったのは芽榴だ。
「パーフェクトなんてすごいわよ」
「まぐれまぐれー」
舞子がトーナメント表を見ながらつぶやくと芽榴はそんな風に否定した。
「どんなまぐれだよ!?」
滝本が大声で叫ぶため、芽榴は耳を塞ぐ。
「でも、次勝ったら優勝なのよね……本当に」
舞子はそう言って壇上を見た。芽榴もそれに倣う。壇上には優勝を決めた5人が王者のようにして席に座っていた。
大富豪の優勝者は翔太郎。七並べは有利、スピードは来羅が優勝した。もちろん、颯と風雅も問題なく生徒会の座を確保したようだ。
ジッと見つめていると、5人はそれぞれ芽榴の視線に気づいた。翔太郎は眼鏡を押し上げて不敵に笑い、有利はペコリと芽榴に向かって一礼する。来羅は口パクで「頑張れ」と言い、風雅は拳を芽榴に突き出すようにして笑った。
芽榴は左から順番に彼らを見て、最後に颯のことを見た。颯は芽榴を見ながら、空いている自分の隣の席を撫でる。
「さあ、始めよう」
颯の声がマイク越しに体育館に響いた。
「よろしくお願いします」
――決勝戦。芽榴は目の前に座る七三の男、高原光男に一礼した。それはあくまで試合をするにあたっての最低限の礼儀。しかし、高原は芽榴のことを蔑むような目で見て、鼻で笑った。
「2年の分際で偉そうに……。どんなコネを使ってあの天才たちを丸め込んだか知らないが、偶然もここまで。役員に相応しいのはこの僕だ」
「……」
応援のために芽榴の少し後ろに立つ舞子と滝本はその発言に小声で文句を言っていたが、芽榴本人はそれに対して何も返事をせず、静かに手元のアイマスクをつけた。
「ふん、言い返す言葉もないか。まぁいい」
高原も同様にマスクをつける。2人がアイマスクをつけたのを確認すると教師がカードを置いていった。
「マスクを外しなさい」
2人はマスクを外し、5秒間瞬き1つせずに表にされたカードと向き合う。再び教師の合図がかかるとすばやくアイマスクをつけた。2人の行動にイカサマは見られない。まさに真剣勝負だ。
カードがすべて裏返しになり、生徒たちは唾を呑んだ。これで決まるのだ。
「スタート!」
合図がかかると、高原はものすごい勢いでカードをめくり始めた。記憶が鮮明のうちに捲り終える。それは記憶がなされている場合の最もな作戦だ。合図があってから数秒のうちに高原はすべて捲り終える。
「ま、またパーフェクト!」
生徒が感嘆の声をあげ始めた。
「まだ、楠原が終わってないんだから黙ってください!」
芽榴はまだカードを捲っている最中なのに周りが騒がしくなり、滝本が怒鳴りつける。逆に滝本の制止の声のほうがうるさいくらいだ。
しかし、芽榴はそんなことを気にも留めない様子で眈々と一枚一枚ゆっくりと正確に捲っていった。そして――。
「あ、あの子もパーフェクトよ!」
芽榴は最後までカードを捲り終えた。芽榴のそれは、急いで捲り終えた高原よりも遥かに冷静で綺麗なゲーム展開だった。
「ど、どうなるんだ!? 引き分けだぞ!」
誰もが騒ぎ始める。2人ともパーフェクトでトーナメント戦を勝ち進んでいる。もう1度試合をしたところで決着がつかない可能性のほうが高い。
「芽榴……」
舞子が心配そうな顔で芽榴に駆け寄る。普通に考えて、試合が長引けば長引くほど、不利なのは芽榴のほうだ。高原は麗龍の学年首席だが、芽榴は違う。舞子の知る限り、芽榴はミス平均の普通の女の子だ。今までパーフェクトを貫いてきた記憶力が信じられないくらいなのだ。それは壇上の役員も同様で、皆不安そうな顔をしていた。ただ一人、颯を除いて――。
「もう一試合行いましょう」
颯の静かな声がざわめきを一瞬にして静寂へと変える。高原はしめたといわんばかりにガッツポーズをした。舞子やF組の生徒は信じられないと顔を歪める。
そんな中、芽榴は颯の姿をジッと見つめた。颯も芽榴の姿を同じように見つめる。2人は同じことを思い出していた。
『神代くん、あのね……』
誰もいない教室の中、芽榴は静かに言葉を紡いだ。
『私、もう手は抜かない』
『そう』
颯は驚かなかった。そのことを分かっていたようにただ頷いていた。
『私、絶対に勝つよ。何があっても絶対に勝つ。……神代くんは信じてくれる?』
颯は告げた。
「次の試合は暗記時間を5秒ではなく3秒に。なおかつ、1から13まで2組ずつ順に揃えていくというルールにします」
皆、目を丸くした。高原もその発言に青ざめた顔になる。颯の変更ルールは規格外だ。それで勝敗を決めるなど、ババ抜きと同様、運に左右されるようなものだ。
「か、神代颯! バカを言うんじゃない! そんなことをして、試合になると…」
「分かりました」
高原が抗議するのを遮ったのは芽榴の肯定の言葉だ。
「芽榴! 何言ってんのよ!?」
舞子が声を裏返しながら尋ねる。試合を観戦する生徒たちも芽榴のことを理解できないといったように見ていた。
「お、お前!」
「先輩は出来ませんか?」
芽榴は珍しく挑発するように言った。その言葉に高原は顔を真っ赤にして芽榴を睨みつけた。
「運に任せようなどと卑怯なことを考えてるんだろう!? 僕はお前なんかに負けない!」
激昂した高原が叫ぶと颯がそれを試合続行の意と認め、生徒たちのざわめきが一層増した。
「芽榴、大丈夫なの!?」
「舞子ちゃん」
芽榴はニコッと笑った。
「私は舞子ちゃんの自慢になるよー」
呑気な口調はいつもの芽榴だ。芽榴は両頬をパンッと叩いてアイマスクに手をかけた。
「僕が勝ったら、お前なんか学校にいれなくしてやる」
怒りに震える声で高原が言う。芽榴はアイマスクをつけながら笑った。
「そんなことしなくても負けたら顔向けできないですから」
芽榴の言葉に文句を言おうとする高原だが、審判の教師が早くアイマスクをつけるように言うと、渋々それに了解した。
カードが並び終わり、2人がアイマスクを外す。2秒の差がこれほどまでに大きいかと思うほどの瞬時の暗記時間。潔くアイマスクをつける芽榴に対して、高原はその顔に焦りを浮かべていた。
「スタート!」
教師の合図により、試合が始まる。
高原は先程と同様にものすごい勢いでカードを捲った。1のカードを4枚表にし、次に2、3、4、5…。そして6の数字を揃えるところでその手が止まる。周りがざわついた。彼が手を止めたのはこのトーナメント中初めてのことだ。
「く……っ」
悩み抜いた結果、彼が引いたのはスペードの9。高原の獲得数は22枚に終わった。しかし、それはかなりの大健闘だろう。あの一瞬でここまで記憶できた彼は確かに凄い。
しかし、周りが高原の結果に感嘆の声をあげる前にその素晴らしさは遠くに消えてしまった。
「おい、あいつ……! まさか……!」
皆が息をのむ。
芽榴はゆっくりと着実にカードを揃えて行く。6のカードもあっさり4つ揃え、高原は絶望に瞳孔が開いている。そして――。
「パーフェクト……」
芽榴が最後のキングを揃えると、体育館は今日一番の盛り上がりを見せた。
「何だよ!? あれ! どんな記憶力だ!?」
「凄すぎるわよ!」
舞子を筆頭にF組のみんなが芽榴に飛びついた。
「芽榴!」
「楠原、すげーよ!」
「楠原さん! 凄いわ!」
松田先生も体育館の端でガッツポーズをしている。
「芽榴ちゃん! おめでとー!」
壇上では風雅が満面の笑みで手を振る。来羅も翔太郎も有利も安堵したように笑っていた。
しかし、芽榴の目の前の男は違う。
「い、イカサマだ!」
みんなが興奮してはしゃぐ中、高原が雰囲気をぶち壊すように叫んだ。
「考えてもみろ! あんなのパーフェクトなんて、ありえないだろ!? それにこの女は役員に気に入られてるじゃないか! 何かインチキしたんだ!」
彼の声は体育館全体に響いた。さっきまで浮かれたように芽榴を指差して騒いでいた先輩も後輩も同級生もその言葉に納得してしまう。実際に芽榴の結果はチートなものだ。
「そ、そーだ! アイマスクの下からずっとカード覗いてたんじゃねーのか!?」
「カードの配置をあらかじめ知ってたんじゃないの!?」
「卑怯だ! そんなの!」
歓声はいつのまにか非難に変わる。
「な、なんだよ! 楠原はそんなことしねーよ!」
「芽榴のこと悪く言わないでください!」
舞子や滝本、F組の生徒がそれに反論する。体育館はまさに一触即発の緊迫した雰囲気に包まれた。
「……楠原さん」
「るーちゃんにいちゃもんつけるなんて……っ!」
「オレ、助けに……!」
「神代?」
壇上から降りようとする役員を颯が片手をあげて制止する。不安そうな役員とは裏腹に颯の顔には笑みが浮かんでいた。
「高原先輩」
シンとした体育館。声を出したのは芽榴だ。高原は芽榴のことを鋭い目つきで睨むが、やはり芽榴はそれには動じなかった。
「私はイカサマなんてしてません」
「…! そんなこと、いくらでも嘘が言えるだろう!? 証拠もない!」
「私がイカサマした証拠もないです」
「お前が勝ったのが証拠だ!」
高原の言葉はもはや滅茶苦茶だ。芽榴は高原の目をしっかりと見て冷静に言った。
「先輩は私に負けました」
「な……っ!」
「仮に私がイカサマをしたということにします。でも、あの壇上にいる役員たちなら引き分けに持ち込むはずですよ」
芽榴の声は静かにそして澄み渡るように響く。
「だって、それが麗龍学園生徒会の役員としてふさわしいってことじゃないですか」
その言葉は高原の心に深く突き刺さった。自らが芽榴に言った台詞を突き返されたようなものだ。高原は今度こそ何も言い返す言葉がなく、床にペタリと手をつき、放心してしまう。
「でも、じゃあ……あの子はイカサマしたってこと?」
「してないって言い切ってたぜ?」
「でも、嘘かもしれないし……」
高原が黙ったところで一度生まれた疑問は皆の心に根を残している。収集つかない議論が再び始まるころ、ついに颯が口を開いた。
「イカサマ、というのは……まずこのアイマスクの下から覗くというものでしたよね?」
颯はアイマスクを手に掲げていた。その隣に立つ来羅は壇上に立つ誰よりも不機嫌だ。
「このアイマスクは私、柊来羅が今日の神経衰弱用に改造したイカサマ防止のものです。実際に使った人が一番わかってるはずです。このアイマスクはどの深さでつけても一切の光を断じ、下から覗くなど不可能です」
来羅が真剣な顔で言うと、生徒たちは唖然とした。大量のアイマスクを来羅一人で作り変えたという事実に芽榴でさえ驚いた。壇上では来羅の隣に翔太郎が歩み出る。
「それから、楠原がカードの配置を知っていた、ということもありえない。カードの配置は担当教員がその場で適当に置いている。そして担当教員は試合直前にくじで決めた。ここにいる役員でさえあらかじめ知ることのできない事柄だ」
翔太郎の声音はいつもより低く、冷たい。風雅も有利も前に出てきた。
「そんな中でイカサマできたっていうなら、それは逆に尊敬に値すると思うんですけど」
「そしてイカサマを許してしまった僕たち役員にも責任があると言えるでしょう」
有利の言葉はつまり、これ以上の芽榴への非難は役員への非難とみなすということだ。そこまで言われれば誰も何も言えない。生徒が静まると、颯はもう一度口を開く。
「これでもまだ異論がありますか?」
颯が体育館にいるすべての生徒を見渡す。有無を言わさぬ颯の圧と、決定的な事実が役員によって突きつけられた今、誰も口を開かない。
「沈黙は肯定とみなします」
颯は芽榴に視線を移した。芽榴の姿を見て颯は微笑む。
「では、楠原芽榴さん。壇上へ」
芽榴は颯に言われるがまま、壇上に向かう。
芽榴は注目を浴びるのは嫌いだ。でも、今はそれも悪い気がしない。
「芽榴ちゃん」
「お疲れ様」
「待ってました」
「……時間オーバーだ、馬鹿が」
芽榴が壇上にあがれば、風雅、来羅、有利、翔太郎が芽榴に笑いかける。芽榴の目の前に立つ颯は愛おしむように芽榴を見つめた。
『神代くんは信じてくれる?』
あの時、覚悟した芽榴の顔は颯の目には何よりも美しく映った。
『君が役員になるのなら、僕は君のすべてを肯定するよ』
「ありがとう、神代くん」
颯はあの時交わした約束を守った。無理なルール設定にしても芽榴はきっと勝つと信じた。芽榴の瞬間記憶能力を信じ、受け入れたのだ。芽榴はそれだけで今向けられている視線がたとえ非難の渦であったとしても後悔はなかった。
「何のことだい?」
颯は満足そうに笑う。芽榴が颯の隣に歩み寄ると、壇上には6つの影が一列に並んだ。
「以上6名を改めて生徒会役員に決定します」
語り継がれることはなかった。それでも、五人の天才が認めた一人の少女は確かにあの時そこにいた――。




