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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
霜花編
188/410

166 エレベーターと大嫌い

 期末テストが終わり、再び休日が訪れる。1日目は高熱でダウンした芽榴だが、2日目以降は調子を取り戻した。結果次第にはなるけれど芽榴なりにベストは尽くした。


「えっと、これで全部かなー……」


 そして、現在芽榴は買い物中。食材の買い出しではなく、今回は私用の買い物だ。買い物袋の中をチェックして、そんなふうに呟く。買う予定だったものはすでに全部買い終わっていた。


「……にしても、今日は寒いなー」


 芽榴は手を擦りあわせる。一応暖かさ重視のモコモコしたパーカーは着ているのだが、それでも少し寒い。


「帰……」

「さすがは俺〜。優秀な駒だってことを自負するぜ」


 帰ろうと思った芽榴は突如背後から聞こえた声に目をカッと見開く。声と喋り方でその人物が誰か分かった芽榴は振り返ることなく逃げようとした。


「はいはい、どーせ捕まるんだから大人しく掴まれよ」


 そんなふうに告げられ、男に右腕を掴まれた。


「なんですか……簑原さん」


 芽榴は振り返り、自分の腕を掴む男――簑原慎を睨みつけた。このやり取りには覚えがある。夏にも偶然、慎と街で出くわして最終的にラ・ファウストの夜会に連行されたのだ。


 今思えばあれも偶然ではなく、慎にとっては最初から計画済みの話だったのではないかと思わなくもない。


「久々に知り合いにあって、その態度ってどうかと思うけど? 友達なくすぜ〜」

「あなたみたいなお友達なら、どーぞ去ってください。さよーなら」


 ケラケラ笑う慎に芽榴は笑顔で返すが、慎は芽榴の腕を離そうとしない。芽榴が力を入れてみてもビクともしないのだ。


「楠原ちゃんって女のわりに力あるよな?」

「それよりも強い力で掴んでるって自慢したいんですか?」


 歩道の中心で口論する2人をコソコソと周囲の人が見つめている。女性の視線は刺さるくらいに感じるほどだ。慎への好奇心と芽榴への羨望、両方が入り混じった視線が2人に注がれていた。


「私も学習能力があるので、ちゃんとついていきます。だから離してください」

「へぇ〜、もっと抵抗してくれるの楽しみにしてたんだけど残念」


 慎がわざと挑発してくるが、芽榴はそれを無心になって受け止める。いちいちカッとなっていったら慎の思う壺なのだ。


 おとなしくなった芽榴の腕を慎が引く。どんなに頼んでも腕は離してくれなかった。しかし、あそこで延々と立ち止まっているよりはマシだ。


「あ、そうだ」


 慎が何かを思い出したようにそう言って、芽榴を横目に見る。芽榴は「何ですか」と興味なさげに正面を向いたまま尋ねた。


「生徒会復帰、おめでとう」


 まさかこの男の口からその言葉を聞くとは思わず、芽榴はすぐに顔を上げた。慎の前だというのに、芽榴は思わず柔らかい表情になる。


 嫌がらせがやまない毎日で、慎は芽榴を微かに救ってくれた。その事実を思い出し、芽榴は相手があの簑原慎であるということを忘れて口を開いてしまう。


「……簑原さん。あの時は、その、ありが」

「バーカ」


 感謝の気持ちを告げようとする芽榴を慎がそんな言葉で止める。それも相変わらずの読めない笑みを浮かべて。


「本気で祝福してるわけねぇだろ? 生徒会復帰できなきゃ聖夜がラ・ファウストに連れてきてくれただろうし。そしたら毎日俺が・・楠原ちゃんをいじめてやったのに。あ〜ほんと残念」


 そう、これが簑原慎という男だ。思い出した芽榴は一気に目を細める。それはまるで「一瞬浮かんだ感謝の気持ちを返せ」とでも言うような表情だ。


「それで、今回は何の用ですか?」


 芽榴は自分を落ち着かせるために、話題を変える。すると、慎は笑みを浮かべたまま口を開いた。


「別に。ただ、俺の主人が楠原ちゃんに会いたそうだったから」


 慎の主人と言えば彼しかいない。彼が芽榴に会いたそうだから探して連れて行こうとした、という慎の意見はさすが忠犬というところだ。主人のためなら芽榴の予定は完全無視なところも慎らしい。


「それが簑原さんの勘違いで、あの人が私に会いたくなかったらどーするんですか」


 芽榴は肩を竦めながら尋ねる。聖夜の頼みで動いているのなら分からなくもないが、あくまで慎の憶測からの行動。芽榴の問いに、慎はまたケラケラと笑う。


「聖夜が楠原ちゃんに会いたくない日なんてあんのかね〜」


 慎の観察が正しければ、はっきり言って彼は常に芽榴に会いたがっている。ただ今回はその度合いが常より大きいというだけの話だ。


「ま、怒られるのは簑原さんですからいーですけど」

「それは否定しねぇよ」


 慎は薄く笑う。聖夜が芽榴に会いたい会いたくない関係なく、このまま2人で聖夜に会いに行けば、きっと彼は――。







「お前はいつもいつも、どないして俺より先にそいつの隣に立っとんのや」


 高級マンションの一室にて、数分前に慎が思い浮かべた通りの怒鳴り声が響いた。


 あの後、芽榴は慎に連れられて聖夜の住むマンションへとやって来た。これが二度目となるが相変わらず高級感漂う住まいだ。


 慎に連れられた芽榴を目にし、聖夜があげた第一声こそさっきの怒鳴り声だ。


「まぁ、そんな怒んなって〜。聖夜のためを思って連れてきてやったんだぜ?」

「お前の私情が全く入っとらんのやったら許したるわ。入っとらん言うんは絶対認めへんけど」


 つまりは許さないということ。無茶苦茶なことをいう聖夜に慎はいつもの楽しげな笑い声を上げる。その笑い声で、さらに不機嫌さが増す聖夜はひとまずコーヒーを口にし、心を落ち着かせる。ちなみにそのコーヒーは芽榴に淹れてもらったものだ。


「なんで人様の家でコーヒー淹れないといけないんですか」


 芽榴は使ったものを綺麗に直し、聖夜と慎がいるリビングへと戻る。


「お前が淹れるんは格別やから」


 ソファーに座る聖夜は芽榴の一人文句に迷いなく告げた。芽榴以外には絶対見せない優しい顔をする聖夜に、芽榴は軽く息を吐いた。


「あ、楠原ちゃん。俺にもコーヒー」

「お前のために挽く豆なんかあらへん」


 聖夜がコーヒーを飲みながら冷静に指摘する。慎は「はぁ?」と言いながらもやはり楽しげだ。


「じゃあ、紅茶でいいや」

「お前のために淹れる茶葉もないわ」


 聖夜はそう言って、カチャと音を鳴らしコーヒーカップを目の前の透明なテーブルに置いた。


「俺は何も飲めねぇの? 珍しくケチだな〜。聖夜」


 慎は楽しげに丸椅子を揺らす。慎は聖夜の家に来ると特等席と言わんばかりにその丸椅子に腰掛けるのだ。まるで自室のように慣れた扱い。


 それさえも何だか癪で、聖夜は足を組みつつ慎を睨んだ。


「飲みたいなら自分で作ればええやろ。わざわざ芽榴を使うな」


 斜め前でそんなことを言ってのけた聖夜に、芽榴は苦笑する。部屋に入るや否や、芽榴に向かって「コーヒー淹れてくれへんか」と頼んだのは他でもない聖夜だ。


「会って早々、使った聖夜が言うか? それ」


 芽榴の思っていたことをそのまま慎が代弁する。しかし、図星をさされたはずの聖夜は慎の発言にも依然堂々とした態度だ。


「俺はええんや。せやろ?」


 聖夜はそう言って顔だけ後ろを見る。ソファー越しに聖夜に見つめられ、芽榴は半目で笑った。まさかのタイミングで話を振られてしまった。


「そーですね」


 下手に反論しないほうがいいと思い、芽榴は肯定する。すると芽榴の答えに聖夜は目を見張り、正面を向き直した。芽榴に気づかれないように聖夜はニヤついた顔を隠す。


 そんな聖夜の姿を視界に収め、慎はクスリと薄く笑った。


「……はいはい、んじゃあお邪魔虫は退散するから」


 慎はそう言って丸椅子から立ち上がる。そのままスタスタとリビングを出て行く慎を芽榴は目で追った。


「あの、琴蔵さん」

「なんや?」

「ちょっとそこまで簑原さん見送ってきていいですか」


 芽榴は聖夜の後ろ姿にそう声をかける。ソファーに腰掛ける聖夜の体が少しだけ揺れた。


「……はよ、戻ってこい」


 その返事に芽榴は眉を上げた。止められると思っていたが、予想外に聖夜からの制止の声はなかった。


 芽榴は慎を追ってリビングを抜け、そのまま聖夜の家を出て行く。


「簑原さん!」


 マンションのエレベーターのボタンを押そうとしている慎を見つけ、芽榴は駆け寄った。

 珍しくボーッとしていたらしく、慎は芽榴の声を聞いて目を見開く。そして芽榴を見て思わず口を開いていた。


「は? ……あんた、なんで聖夜のとこにいねぇの」


 驚きが先走った慎の声に覇気はない。自分の口から漏れた情けない声にこそ慎は一番驚いていた。


「せっかく聖夜のために連れてきてんだから、一緒にいてくんないと探した意味ねぇんだけど」


 すぐに調子を取り戻し、慎は目の前の芽榴に言う。マンションのコンクリートでできた壁は慎の声を反射し、小さな声なのに思ったより大きく辺りに響いた。


「すぐ戻ります……けど、何か雰囲気が変だったんで具合悪いのかな……と思いまして」


 芽榴は躊躇いながら言葉を紡いだ。今の慎はたまに見せる真剣な、そしてどこか怖い慎の顔なのだ。


「別に心配してるわけじゃないんですけど、ただ……後からそうだったって分かるのも後味が悪いですから」


 言葉ではそう言っても、芽榴が向けている視線は十分慎への心配で溢れている。つい最近自分が高熱を出したばかりだからか、なんとなく最後の慎の様子がいつもと違う気がして心に引っかかったのだ。


 慎は壁に寄りかかり、そんな芽榴を見て薄い笑みを浮かべる。


「楠原ちゃんって、本当残酷だよね」

「え……」

「俺、やっぱりあんた嫌いだ」


 慎はコツコツと靴音を立てて、芽榴との距離を詰めた。慎にはよく「嫌い」と言われている。冗談の「嫌い」もあれば、モヤモヤした思いを芽榴に残す「嫌い」もある。


 そして今回のそれは後者――。


「簑原さん」

「楠原ちゃん。俺はね、聖夜や他のヤツみてぇに優しくはねぇの」


 そう言って、芽榴との距離を詰めた慎は芽榴の腕を引く。そして自分の胸に芽榴を抱いた慎は、芽榴が上を向けないように頭を押さえつけた。


「楠原ちゃんの気持ちが誰に傾いてるかなんて、さすがの俺にもわかんねぇけど……でも、いつかそれに気づいたら」


 慎の腕にかかる力が微かに強くなる。


「もうこんなふうに、追いかけてくんな。分かってて期待させんのは最低な女のすること。あんたは、絶対そんな女に成り下がんな」


 そう言って、慎は芽榴の髪に軽く口づけを落とす。芽榴に気づかれないようにソッと触れた唇はやはり微かに笑っていた。


「簑原、さん?」


 頭を胸で固定されている芽榴の声は慎の胸で木霊する。

 不安げな芽榴の声を聞いて慎は芽榴を自分から解放した。


「じゃあ戻れよ。俺は行くから」


 芽榴の肩を押し、慎は芽榴に背を向ける。そして今度こそエレベーターのボタンを押した。


「簑原さん」


 その呼びかけに慎はもう振り返らない。けれど慎がちゃんと自分の声に耳を傾けていることは芽榴にも分かる。だから芽榴は慎の背中に言葉を続けた。


「簑原さんも約束してください」


 芽榴は慎に言われた言葉を思い返す。彼の言いたいことの意味は分かったようで分からない。それでも分かったことの分だけ芽榴には返したい思いがあった。


「もし簑原さんに、いつか本気で好きな人ができたら……その人だけを見るって約束してください」


 慎の欠点は唯一その浮ついた行動。それを直すことができたら、たとえ芽榴であっても慎に対して告げることのできる文句はない。


 慎が芽榴を最低な女にしたくないのなら、芽榴も同じ。互いに互いの実力を認めているからこそ、誰かにつかれる欠点を残したくないのだ。


「こんなふうに、冗談でも他の子に優しさを向けないって」


 芽榴の声はコンクリートに跳ね返って慎の耳に鮮明に響く。芽榴がそう言い終わるのと同時、エレベーターが到着した。


 慎は何も言わず、芽榴のほうを見ることもしない。そのままエレベーターに乗って階下へと向かって行った。


 何の反応も返さなかった慎に、芽榴は肩を竦める。それでも、微かな温もりを感じた髪を梳いて困ったように笑った。





 エレベーターの中は静かだ。

 高層マンションなだけあって、最上階からエントランスまでは少しだけ時間がかかる。


 個室に一人佇む慎は目元を押さえて笑っていた。


「もう、できてんだけどなぁ……」


 芽榴の言葉に返す。本人を前にして言わないのは慎の優しさであり、弱さだ。


 ポケットから取り出したのは、いつも持ち歩いている大切な写真。とても綺麗な、愛しい女の子が写っているそれを見つめ、慎は言葉を吐き捨てる。


「……優しくなんかしねぇよ。バーカ」


 慎はそう言って、写真を持っていない方の手に力をこめる。どうしても写真を握りつぶすことはできない。


 切ない思いを乗せるエレベーターはそのままエントランスへと降りていった。

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