163 慰霊祭と独り占め
本棟、1階。
応接室へと通じる廊下を、2学年の首席2人が静かに歩いていた。
「ね、神代くん」
しばらくお互い口を開いていなかったのだが、ふと口を開いたのは芽榴のほうだった。颯は少し視線を下げ、隣にいる芽榴を視界にいれる。
「何だい?」
「神代くんは本当にいーの? 私で」
「……どういう意味?」
この廊下は重要部屋が多いため、生徒はあまり通らない。だから芽榴の声がいつもより鮮明に颯の耳に響いた。
「神代くんとお付き合いするの、私なんかでいーのかなって……」
芽榴が不安げに颯を見上げる。芽榴に見つめられた颯は目を見張ったまま固まった。
「……僕の相手は、逆に芽榴しか考えられないけど……。その言い方は誤解を生むよ」
颯は困り顔で芽榴の頭を優しく撫でた。けれどしっかり「誤解してもいいなら存分にさせてもらうけど」と言葉を付け加える。
颯の意見はごもっとも。誰かが聞いていたら確実に誤解される。ちなみに芽榴の今の発言を誤解なく正確に告げるなら「神代くんと一緒にお偉い方とのお付き合いをするのが、私なんかでいーのかな」である。
「えっと……副会長だし、葛城くんのほうが相手にふさわしいんじゃないかって話」
「それも考えたけど、先方は別に役員なら誰でも文句ないさ。翔太郎には風雅の教育係って仕事もあるしね」
「葛城くんはきっとこっちの仕事のほうが楽だっただろーね」
芽榴はイライラが爆発する翔太郎を想像してカラカラと笑った。
今日は学園慰霊祭。
法人のお偉い方がたくさんやってくるので、学園からも代表生徒を選ばなければならない。そこで校長から役員へ達示がきたのだ。代表といえば彼らしかいない。というわけで、会長の颯はもちろん参加。そしてその相手に彼が選んだのは芽榴だった。テスト前であるため、残りの役員の中では芽榴が一番余裕もある。私情関係なく、妥当な選択だ。
「失礼します。神代です」
「楠原です」
応接室に辿り着き、颯が挨拶をする。それに続いて芽榴も挨拶をした。中ではすでに校長と理事長が座って待っていた。
「神代くん、君が参加してくれると心強くて助かりますよ」
校長が縋るような目で颯を見る。颯は「買い被りすぎですよ」と謙遜し、爽やかな笑顔を顔にのせた。
「久しぶりですね、楠原さん。葛城くんと、どちらが来るかと思っていましたがやはり君でしたか」
颯の隣に立つ芽榴に、理事長はそう語りかける。その顔には苦笑いが浮かんでいて、芽榴は少しだけ首を傾げた。
けれど理事長の表情も仕方ない。先日、芽榴の件で再び琴蔵聖夜から不安を煽る連絡があったのだ。苦笑も当然のこと。
「じゃあ門のところに車を待たせているので、式典に向かうとしましょう」
理事長の声かけで、芽榴たちは慰霊祭会場へ向かうことにした。
学園法人・麗龍学園の慰霊祭。
来訪者は麗龍学園の理事長と校長、学園の後援会代表者、数ある姉妹校の校長、教頭、その関係者、そして麗龍学園の生徒代表として高等部生が2名。当然芽榴たちが最年少だ。
式場には約10人座れる丸テーブルが10卓ほど用意されている。
「校長、我々はこちらに座りましょう」
「はい、神代くんはどこへ座るんですか?」
「僕はあちらに座らせていただきます」
理事長に連れられる校長が頼みの颯に尋ねる。が、颯は校長たちが座るテーブルとはかけ離れたところにあるテーブルに座ることを決めた。
「じゃあ、私も神代くんと共に……っ」
「校長。あなたは主賓の一人なんですから前方に座らなければなりません」
理事長にそう諭され、校長は「神代くん……っ」と嘆きながら去って行く。式典の際、校長は周囲との会話を常に颯に助けてもらっているため、颯と離れることを最後まで嫌がるのだった。
「私はどこに座ろーかな」
芽榴がきょろきょろと辺りを見回していると、颯が芽榴の手を引く。よろけた芽榴は颯に支えられ、彼の胸に背中を預ける形になった。
「神代くん?」
「芽榴の場所は、僕の隣に決まってるだろう」
上からそんな颯の声が降ってきて、芽榴はつられるように上を向く。颯も下を向いて、不意に互いの顔が近くなった。
「「……っ!」」
互いに目を見張り、即座に顔を正面に戻す。
「行くよ」
「うん」
さっきのことを忘れるように、芽榴も颯も笑顔で席に向かった。
「君が噂の敏腕生徒会長、神代颯くんですか!」
席につくや否や、同じ丸テーブルに座るお偉いさん方が颯を見て目を輝かせた。
生徒会役員が全員並ぶと美形の感覚が鈍るが、単独で居られると確実に見る人の目を引いてしまう。一番のイケメンは風雅、一番の美人は来羅と役員のあいだで相場は決まっているが、世間に出れば颯もただの美形だ。
「綺麗な顔立ちだこと……」
「娘の婿に欲しいわぁ」
三十路を過ぎた気品溢れるおば様方も薄く頬を染めている始末。芽榴は隣で社交術を行使しまくる颯を半目で見た。
ラ・ファウストの世間慣れをしている御曹司たちよりもはるかに上手だ。
席の人はみんな颯に注目している。芽榴は溜息を吐いて、直に行われる式典の開始を待つことにした。
のだが、颯との話に満足したらしいおじ様方が隣の芽榴に視線を移した。
「あなたも、役員の方ですか?」
「へ、あ……はいっ」
気を抜いていた芽榴は話を振られ、おマヌケな声を出してしまう。でもすぐに気を引き締め、しっかりとした顔つきでおじ様方の話に混ざった。
「楠原芽榴です。今年から役員になりました。自己紹介が遅れてすみません」
そんなふうに挨拶をし、軽く頭を下げる。こういう場での振る舞いは颯に負けず劣らず芽榴も慣れたものだ。
「楠原芽榴さん……どこかでお名前を拝聴したような……」
「そういえば、今年の麗龍の文化祭でキングをとった女生徒も、そんな名前だった気が……」
「ああ、そうですよ。東條様からメダルを受け取っていらっしゃった……」
「あ、それ私です」
本人を前にして、周囲が芽榴の話をする。少し反応に困ったものの、芽榴は同姓同名の女生徒が自分であることを告げた。
当然のことながら、おじ様方は「え?」と言って芽榴のことをマジマジと見つめた。
「……あの、文化祭でお見かけしたときとは、少し……御容姿が違うような……?」
おじ様の一人がかなり言葉を濁して告げる。それはここにいるおじ様方の頭に浮かんだ台詞をオブラートに包んで代弁していた。
「え、別に何も変わってないですよ? ……あー、あのときは化粧をしてました」
文化祭のときのことを思い出し、キング発表のときの自分との違いを考えて、芽榴はそう口にした。
すると、再びおじ様方の目に好奇心と輝きが戻った。
「なるほど!」
「いやぁ、実に美しかったですよ。あのときの君は!」
「ぜひまためかし込んだあなたにお会いしたい!」
そんなふうに言われ、芽榴は唖然とする。少し前まで放置だったのに、一気にテーブル席の半分が芽榴に注目し始めた。
「えっと……ありがとう、ございます……?」
一応、褒められているのだから感謝の言葉は返すべき。けれど何となく似つかわしくない気がして語尾が上がり調子になった。
「楠原さんみたいな方を、息子には娶ってほしいのですが」
有利の祖父を思い出してしまう発言だ。芽榴はなぜこんな展開になったのか理解できず、ただただ苦笑。
「どうです? 一度私の息子と会ってみませ……」
ガタッ
芽榴の隣に座っていたおじ様がそれを口にしている途中で、反対隣に座る颯が立ち上がった。
静かに立つこともできただろうに、颯はわざと音を立てた。それが分かった芽榴は訝しげに颯を見上げる。
「みなさん、もうすぐ開式です。僕たちは裏方作業があるので少し席を外させていただきます」
「え……神代く」
「行くよ」
颯はそう言ってさっさと式場の外へと向かう。芽榴は「えー……」と心の中で不満の声をあげながら、彼を追いかけた。その前に、おじ様方には話の途中に申し訳ないとしっかり頭を下げた。
「神代くん、待って」
芽榴はテクテクと早歩きで式場を抜ける。颯は受付とは逆方向に進んでいて、式場の奥の待合室のほうへと向かっていた。
「私、裏方作業とか聞いてないよー」
「……」
芽榴の声は届いているはずなのに、颯は無視する。芽榴は「なーぜー」とこれまた心の中で叫びながら彼を追いかけた。
「どこ行くの? 私は何すればいいの? ……ねー……神代くん、聞いてる?」
芽榴は颯の背中に追いつき、彼の真っ白なブレザーの裾を掴んで引き止めた。
「何か怒ってる?」
困ったような顔で、芽榴は颯を見上げた。芽榴の目線より10センチほど高いところにある颯の顔は、その感情を映してはいない。
「芽榴」
「んー?」
やっと颯が反応してくれて、芽榴は安堵すると共に首を斜めに傾けた。少し長くなった黒髪は肩の下まで伸びて白いブレザーに映える。颯の目に映る芽榴の雰囲気は、出会った頃よりも確実に女の子らしいものになっていた。
「それ以上……可愛くならないで」
芽榴の頬に颯の手が触れる。芽榴は一気に顔を青くした。
「……今のは顔を赤くするところじゃない?」
「いや、神代くんの目もとうとう病院送りのレベルになってしまったと哀れに思って……」
目を細めてそう告げる芽榴に、颯は目を閉じて溜息を吐く。
「自覚ないうちは、まだいいけど」
「何の?」
「言っても君は認めないから」
颯は言葉を紡ぎながら芽榴の頭を優しくポンポンと叩いた。まるで、この話はこれで終了、とでも言うような合図。
芽榴は「了解」という代わりに柔らかく微笑んで颯の顔を再び見上げる。もちろん、颯の手が頭にのっているため、芽榴の目だけが上を向いた。
芽榴の一挙一動に理性をかき乱されていたらキリがない。それこそ風雅と同類になってしまうレベルだ。――という、颯らしい冷静な判断力も最近は鈍りっぱなし。
隠れファンやら嫁候補発言やら、周囲が颯を煽りすぎ。なのに、当の本人まで可愛らしい仕草をしてくるなど拷問。
「お願いだから、いちいち煽らないでくれる?」
颯は笑みを浮かべたまま、文句のようにして芽榴に言う。颯の心情など知らない芽榴からすれば、ただ理不尽に怒られているのと同じだ。
「……私、何もしてないのに……」
芽榴のその発言は地雷。颯は「へぇ」と恐ろしい声音で言って、芽榴を見下ろす。
「あぁ、そうだ。裏方作業はないよ。あれは式場を出て行く口実」
「は? なんでそんな……」
「理由は簡単だよ」
颯は芽榴の耳に唇を寄せる。そうすると自然に芽榴の体は颯に抱き寄せられる形になってしまうわけで――。
「久々に芽榴を独り占めしたかったから」
囁かれた芽榴は颯の望み通り、顔面完熟トマトになって彼を突き飛ばした。颯の仕返しは大成功。赤くなった芽榴の顔を見て、颯は満足そうに爽やかな笑みを見せる。
「こ、ここは公然!」
「知ってるよ。でも……仕方ないよね」
「何がっ!」
芽榴は恥ずかしすぎて、言いたい文句を全部飲み込み、颯に背を向けた。
そして、冷たい自分の手で熱い顔を冷やしながら式場へと戻っていく。
「そういうとこを見せないでって言ってるのに」
肩を竦める颯は、それでもやっぱり愛おしそうに芽榴を見つめていた。




