161 無防備と鈍感
日が巡るのは早いもので、もう12月。景色も空気も冬らしくなった。
「うぅ……っ、寒いわ」
「急に寒くなったねー」
生徒会で仕上げた書類を職員室に届けるため、芽榴と来羅はともに廊下を歩いている。
先月は楽しかったかと聞かれればノーと答えるしかない月だったが、得られたものが大きかったのは事実。その分、芽榴が望むことは始まったばかりの12月が楽しい月であることだ。
「明日からちゃんとブレザー着てこよっ」
来羅は身震いしながら言った。昨日までは少し肌寒い程度だったため、来羅はキャメルのカーディガンだけを着ている。少しダボついているところが女の子らしさに溢れていて、可愛らしい。足元はニーソで綺麗な足が引き立つ。ちなみに来羅のニーソは男子たちの会話に8割の確率で出てくるトピックだ。
そんな来羅の姿を芽榴はマジマジと見つめる。その視線に気づいた来羅は長い髪を揺らし、首を傾げた。
「ん? なぁに?」
「来羅ちゃんって、何しても可愛いなぁと思って」
芽榴はそう言って自分の姿を見つめる。
オシャレな制服に身を包み、足元は普通のハイソックス。いろいろ頑張れば、芽榴も来羅みたいに女子力の高い着こなしもできるのだろうが、おそらく来羅ほど可愛くはなれない。
「ありがと。でも、るーちゃんはそのままで十分よ」
「……」
芽榴は半目で来羅のことを見る。来羅の言葉が慰めのように聞こえて悲しくなるのだ。芽榴がそんなふうに思っていることを察した来羅は苦笑する。
「うーんとね、るーちゃんの可愛さは私たちが知ってれば十分ってこと」
来羅はそう言って、廊下にチラホラ立っている男子に目を向けた。
「来羅ちゃんの隣にいる限り、私のこと可愛いなんて言う人いないと思うけどねー」
「いい虫除けでしょ?」
「寄る虫もいないけどねー」
ため息を吐きながら芽榴は困ったように呟く。そんな芽榴を見て、来羅はクスリと笑った。
そんな2人が通り抜ける廊下。2人が通過した後、男子生徒は必ず振り返ってその姿を追いかける。
「柊さん、相変わらず可愛いなー。絶対領域最強」
「やべぇよな、あれ。つか、書類重そうだな。持ってやりてぇよ」
もちろん男子生徒の視界に真っ先に入るのは学園アイドルの来羅だ。
そして来羅の一挙一動に惚れ惚れした後、彼らの目に映るのはその隣の少女。
「楠原さんって、化粧してないと本当普通だよな。柊さんの隣にいると余計に」
「あれは一緒にいる相手が悪い」
そう言う男子集団。また別の場所には違う意見の男子集団がいるのだ。
「柊さんは元から可愛いけどさ……最近楠原さんも可愛くみえるんだけど」
「あ、それ分かるわ。なんだろうな、最近よく笑ってるからじゃね?」
「いや、絶対あの美少女姿見ちまったからだって……」
「てか、元々ブスってわけじゃなかったしなぁ」
これまた、最近の男子生徒たちの会話に8割の確率で登場する話題が『最近、楠原芽榴が可愛くなった』というもの。
「ねぇ、芽榴」
「んー、何?」
昼食を食べながら芽榴は舞子と世間話をする。その年代の女子2人にしては珍しいくらいに、2人の会話はなかなかピンク一色のガールズトークにはならない。が、今日は少し違うらしい。
「C組の山本くんって知ってる?」
「顔と名前は一応……なんで?」
「その山本くんが、芽榴のこと気になってるらしいよ」
「……私、その人に何かしたっけ?」
芽榴はものすごく心配そうな顔をして舞子に問う。芽榴の中で『気になる』という言葉の意味は国語辞典通り『心に引っかかる』だ。つまり、自分が彼に何かしてしまったのかと芽榴は不安になったらしい。
「学年首席がどういう解釈してんのよ? あんたのことが好きってこと」
舞子は呆れるように溜息を吐く。芽榴に関するこっち方面の話は、はっきり言わないと伝わらない。
「私、山本くんと接点ないけど」
「芸能人のファンもだいたい接点ないでしょ」
「あー……いや、芸能人と私を一緒にするの?」
「あんたは、今や学園アイドルと並び立つ女子だし。似たようなもんじゃない?」
舞子はそう言うが、芽榴は悩む。確かに実力は学園アイドルと並び立ったけれど、容姿に関しては話が別なのだ。
芽榴がその『山本くん』について考えていると、後ろから不機嫌そうな声を出しつつお猿さんがやってきた。
「んなヤツ、やめとけ、やめとけ。好きになる基準は顔じゃねーっての」
芽榴からもらったクッキーを食べながら滝本はそんなふうに言う。バリバリとそれを食べるたびに粉が降ってくるため、芽榴は苦笑しながらそれを払った。
「あんたが言うと説得力あるわ」
「うるせーよ」
舞子と滝本が芽榴を挟んでそんな会話を繰り広げる。お互いの関係を考えるとどう反応していいか悩ましい。が、2人の感じを見るに、あまりそういうことは考えないほうがいいようだ。
「てか、役員は何も言わねーの? 楠原のこと好きとか言ってるヤツ見つけたら1人くらい騒ぎそうだけどな」
「それ私も思った」
滝本と舞子が珍しく意気投合。そしてそのまま意見を求めるかのように、芽榴のほうを見た。
「いや、ないでしょ。騒ぐ意味分からないし」
芽榴は肩を竦めて、彼女らしく半目で答える。
「第一、自分たちのほうが人気高いんだから……私のちょっとした噂を気にするわけないよー」
芽榴はそう言って、お弁当に再び箸をつける。そんな芽榴の反応にこそ、舞子と滝本は半目になった。
最近の芽榴は、地味にモテている。告白こそされないが、所謂隠れファンが増えてきた。男子のあいだでは来羅に並んで一躍注目の女子になっているのだ。
もちろん、その話は同じ男子である役員の耳にもちゃんと届いており、知らないのは当の本人だけ。
「るーちゃんって……本当変なところで鈍いわよねぇ」
昼休み、生徒会室で休憩している来羅は独り言のようにしてそう呟いた。頬杖をつき、紅茶にミルクをいれて来羅はボーッとそれをかき混ぜる。
「だからといって……敏くても困りますけどね」
有利は使用人が作ってくれた和食のお弁当を口にし、困り顔で来羅に返事をした。
現在生徒会室には、来羅と有利の2人しかいない。颯は隣の会議室で風雅との勉強会の最中。翔太郎はどこかの空き教室にて仮眠中である。
「それはそうなんだけど……」
確かに、芽榴がそういう類の話に敏くなるということはすなわち、自分たちの気持ちまで芽榴に悟られてしまうということだ。
「でもちょっとくらい敏くなってもらわないと、るーちゃんってばノーガードなんだもん」
「あぁ……だから最近、柊さんが一緒にいるんですね」
有利はどこか納得したように呟く。最近出回っている噂について、考えていた。
「僕のクラスでも最近耳にするようになりました。僕が通ると、黙られるので詳しくは聞いてませんけど」
「その子も命拾いしたわねぇ。聞いてたのが颯だったら酷いわよ」
来羅の発言に有利は苦笑する。
あくまで2人も現場に居合わせたことはないが、翔太郎曰く芽榴の噂をしている男子生徒のそばを通りかかった颯は颯史上ベスト5に入るくらいの恐ろしさだったらしい。
「確か葛城くんの話だと、委員会中に使ったチョークの半分が粉々になったとか……」
役員が進行となって行われる委員会において、そのときの担当は颯と翔太郎だったのだが、委員の男子数名が命知らずにも委員会の合間に芽榴の話をしていたらしく、黒板に物書きをしていた颯はチョークを折り倒していたそうだ。
「でも、気持ちは分からなくないわよ」
「楠原さんが認められるのも、善し悪しですよね」
有利と来羅はお互いに困り顔で頷きあうのだった。
「あ、藍堂くん」
昼休みが終わり、掃除場所へと向かう芽榴は同じく掃除場所に向かっているのであろう有利と廊下で出くわした。
「楠原さん。中庭ですか?」
「うん。藍堂くんは掃除区域どこなの?」
「僕は本棟の資料室です」
「じゃあ、途中まで一緒だねー」
芽榴はそう言って、有利の隣を並んで歩く。人目を憚ることなくみんなの隣を並んで歩けるようになった事実に、芽榴は微笑んだ。
「楠原さん?」
「あー、ごめん。気持ち悪い顔してたね」
「そんなことはないですけど……」
自分のニヤケ顔を気持ち悪いなどと言ってしまう芽榴は有利と出会った頃の芽榴と何も変わらない。
「楠原さん」
「ん、何ー?」
「最近、男子のあいだで楠原さんに好きな人がいるって話を聞いたんですけど……」
「は?」
芽榴は目を丸くして有利の顔を見る。
有利がクラスの男子のそばを通りかかったとき少しだけ耳にした噂によると、芽榴が最近可愛く見える理由は芽榴が恋をしているからではないのか、というものだった。
「へぇー、私って好きな人いるの?」
「なんで本人が他人事みたいに言ってるんですか」
「あはは、だってその本人が初耳なんだもん」
芽榴は笑いながら首を竦めた。
他人からの好意に疎い芽榴だが、はっきり言って、自分の中のそういう感情に関しても同じくらい疎い。
「好きな人、いないんですか?」
「うん、まぁ……私の認識ではね」
苦笑する芽榴に対して、有利は複雑そうだ。
それも仕方ない。芽榴が有利以外の誰かを特別視しているわけではないと分かって嬉しいのは確かだが、自分に対しても特別視していないと言われたのだ。
「藍堂くん? え、ちょっと……」
そんな有利の表情が気になって、芽榴は有利の顔を覗き込もうとした。が、突如として有利はちょうど通りかかった非常扉を開ける。そして有利に腕を掴まれた芽榴は扉の奥に連れ込まれ、扉を背にしたまま有利と相対することになった。もちろん手は握ったままだ。
「楠原さん」
「は、はい」
有利の透明な声に、芽榴は困り顔で返事をする。
扉の向こうは非常階段になっていて、冷たい外気が芽榴と有利の肌に刺さった。
「隙ありすぎです。こんなふうに連れ込まれたら、どうするんですか」
「どうすると言われましても……」
芽榴は視線を逸らす。「連れ込まれる状況にならない」と芽榴は言おうとしたが、有利が先手を打ってその言葉を塞いだ。
「楠原さん、自覚してください。最近、男子の楠原さんを見る目が違うの、分かってますよね」
有利が怖い顔で言うが、芽榴は心の中で「何も違わないけど……」と返す。怖いので言葉にはしないが、有利の発言には納得しがたい。
「他の人の前で、こんな無防備になるのはやめてください。この態勢で何もしないなんて……僕だって我慢するのしんどいです」
有利は言って、自分の情けなさを嘆く。風雅に負けず劣らずのヘタレ発言だ。これだけ言っても当然芽榴には伝わらない。
しかし、有利に間近で男を自覚せざるをえない発言をされれば、さすがの芽榴も頬を染めてしまう。
「僕がこんなこと言える立場じゃないって分かってますけど、……」
有利も思いつめているが、対する芽榴もいっぱいいっぱいだ。
有利が俯いてくれていることに、芽榴は安堵して大きく溜息を吐く。「勘違いするな」と自分に言い聞かせて芽榴はパンパンッと自分の頬を叩いた。
「……楠原さん?」
「藍堂くん」
「は、はい」
さっきと立場が逆だ。
「私、こんなのだから心配してくれるのはすごくありがたいんだけど……」
息を吸い込み、芽榴は少しだけムッとした表情で有利を見つめ返す。芽榴にそんな顔を向けられて有利は驚いていた。
「私は誰にでもこんなふうに接してるわけじゃないよ? ちゃんと心許してる人じゃなきゃ隙も見せません」
芽榴はそう言って、有利の額をペシッと叩いた。事実、過去の諸々の経験から、芽榴は他人に容易に隙を見せない。はっきり言って見せられるような相手すらいなかった。
今、こんなふうに少しの隙を見せてしまう相手がいることこそ驚きであり、嬉しい現実だ。
「それに私が力で負けるとしたら、学園なら役員のみんなくらいしかいないよ、たぶんだけど」
芽榴はカラカラと笑って言う。確かにそうだと有利も納得してしまった。
「……すみませんでした」
有利の気持ちは相変わらず伝わらないままだったが、有利は芽榴にそんなふうに誠意を込めて謝罪する。
来羅はノーガードと言っていたが、芽榴ほどいざという時のガードが硬い女子はいない。
「別にいーよ。忠告はありがたいし」
会話が収束したため、芽榴は体を翻して非常扉を開ける。
「それにしても、藍堂くんでも私に何かしたいって思うんだねー。意外」
ゴッ
芽榴の背後から物凄く痛々しい音が聞こえる。即座に振り返った芽榴の目には扉に頭をぶつけた有利の姿が映った。
「え、大丈夫?」
「……大丈夫じゃありません。いろいろと」
有利は少々涙目になって芽榴に訴える。
「今さっきの発言は忘れてください。……ただの例えですから」
「あー、なるほどね。ごめんごめん」
芽榴はそう言って申し訳なさそうに有利の肩をポンポンと叩く。
有利はそのあともしばらく痛みのひいた額を摩りながら幾度となく溜息を吐くことになった。




