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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
霜花編
182/410

160 珍解答と名文句

「失礼しまーす……う、わー」


 放課後、いつものように生徒会室にやってきた芽榴は部屋の扉を開けるなり、目を細めた。それもそのはず。現在、生徒会室ではとても嫌な恐ろしい空気が漂っている。それも、特に会長席の方からだ。


 といっても、会長席に座る皇帝様がお怒りの理由は一目瞭然。彼の目の前にいるお馬鹿さんにあるのだ。


「お疲れ様です、楠原さん」

「お疲れ様。今日は一段とお怒りだねー」


 さっさと自分の席についた芽榴は目の前の有利と小さな声で言葉を交わした。


「相変わらず、神代の逆鱗に触れるのが得意みたいだな、こいつは」


 翔太郎は会長席のほうを横目に見やり、呆れるようにして言葉を吐く。


「風雅……座れ」


 役員全員の視線が集まる中、皇帝様こと神代颯の静かなる怒りの声が響き渡った。


「……はい」


 鋭い視線に射抜かれたお馬鹿さんこと蓮月風雅は会長席の前で正座になり、床と睨めっこをしている。


「私は避難しておこうかしらね」


 来羅はそう言って現在空いている風雅の席に腰掛けた。会長席に近い来羅専用の席は少々居心地が悪かったようだ。芽榴の隣に座った来羅はとても楽しげにその颯と風雅の様子を見ている。


「来羅ちゃん、なんでそんなに楽しそーなの?」

「だって、久々に聞けるわよ? 珍解答」


 来羅はそう言いながらすでにクスクス笑っている。どうやら、颯の怒りの原因は風雅の最近実施された小テストにあるらしい。そんな来羅を見て、彼の目の前にいる翔太郎は溜息を吐いた。


「笑い事じゃないだろう。深刻だぞ、奴の答えは」

「今回はどんな解答が飛び出しますかね……」

「……蓮月くんが珍解答を出すのは前提なの?」


 翔太郎と有利はかなり真剣に考えている。芽榴もつい最近、風雅の珍解答例を耳にしたばかりのため半笑いになってしまう。


 そんなふうに別席で楽しそうにワイワイしている芽榴たちとは違い、会長席の半径1m以内は異様な空気に包まれている。


「風雅。中間の成績については、僕も目を瞑ろうと思ったんだよ。寛大な心でね」


 颯は満面の笑みで口を開く。目の前で正座をしている風雅はもはや怖すぎて颯の顔を見ることができない。

 今回の一件は芽榴だけでなく、風雅にも辛い事件だった。ゆえにその期間で風雅の成績が上がることは考えてもいない。だからといってワースト30入りは頭を抱えるものだったが、それも颯は目を瞑る予定でいた。


 が、しかし――。


「……中井先生からお前の英語の成績について、相談を受けてね……。このあいだの補習で実施した小テストの解答を見せてもらったんだよ」

「な……っ!」


 風雅は顔をあげた。その顔にはあからさまに「不味い」と書いてある。何せ、颯は風雅の解答用紙のコピーを持っているのだ。今から行なわれる説教という名の公開処刑は目に見えている。


 颯が口を開く瞬間、風雅は「ぎゃ----っ」と叫び、来羅は目を輝かせ、翔太郎と有利は溜息を吐いて芽榴は首を竦めた。


「問題『I'm sorry to hear that.』……翔太郎、訳してみて」

「『それを聞いて残念だ』だな」


 颯の質問に翔太郎が答える。初歩的な英文なのだが、どこで間違うのだろうか。誤答者である風雅は真っ青な顔をして笑った。


「風雅の解答は『私は総理大臣であると聞いた』」

「ブフッ」

「確かに似てるけどねー……総理とsorry」

「hearが聞くという意味だと分かったのは進歩だと思います」


 芽榴はその訳になった理由を真剣に考え、有利はできる限りのフォローをする。以前のテストではhearとhairを間違えていたらしいのだ。


 そしてそのまま颯は次の珍解答へと移る。


「問題『Taro was born in 1968.』」

「『太郎は1968年に生まれた』よね?」

「その通り。で、期待を裏切らない解答が『1968年、太郎は骨だった』」


 確かにboneとbornは似ている。英語を習いたての中学生なら間違えても仕方ない。圭も何度かそんな答えを書いていたのを芽榴は見たことがある。しかし高校2年生、それも麗龍の生徒会役員がその答えを書くのは相当まずい。


「うん……これは確かに酷いねー」

「というより、俺は学年に蓮月以下が残り13人もいることに恐怖を感じているぞ」


 翔太郎は深刻そうに告げる。来羅はいまだお腹を抱えて爆笑していた。


「まあ……蓮月くんはとりわけ英語が苦手ですから……」

「有利クン……っ!」

「有利。これ以上、風雅を甘やかすな」


 風雅は有利に助けを求めようとするが、その道を颯が塞ぐ。今回ばかりは会長として見過ごせない。風雅の役員継続の危機なのだ。とりあえず次の期末テストでそれなりに取り戻さないと大問題だ。


「というわけで、本来なら今日は中等部学校説明会の手伝いについて話し合う予定だったけど……議題を変更する」


 颯はそう言って会長席に両肘をつき、緊急会議に移ると真剣な面持ちで告げるのだ。


「まず決定事項は、風雅の成績アップのため、全員期末までのあいだ自分の勉強と並行で風雅の勉強も見ること」


 颯の宣告に、翔太郎の顔が青ざめる。翔太郎は何度か風雅に勉強を教えたことがあるらしいのだがいずれも「何が分からないのか分からない」などの諸問題に達したそうだ。


「翔ちゃん、そんな顔しないの。役員の不始末は連帯責任よ」

「僕に教えられますかね……」


 来羅と有利は決議を潔く受け入れる。芽榴もそれに対し、異論はない。圭のテスト勉強も手伝っていたくらいだから、元々教えること自体苦手ではないのだ。


「それで、担当科目についてだけど」

「「「英語は嫌」よ」です」


 翔太郎と来羅、そして有利がほぼ同時に先手を打つ。見事なハモり具合だ。

 今の小テストの解答とこれまでの成績からして、風雅の英語は3人とも担当したくないらしい。


「責任をもって、英語は僕が見るよ」

「え……颯クンが?」

「何か文句ある?」


 風雅が口を挟むと、颯が棘しかない声音で問いかける。もちろん風雅は飛んでいきそうなくらいに首を振ってそれを否定した。


「私は何を担当すればいいのー?」


 そんな会話が繰り広げられる中、芽榴はヒョイッと手を上げて颯に尋ねる。芽榴の質問を受けた颯は、風雅に向けていたものとは正反対の優しい視線でもって芽榴のほうを見た。


「芽榴は……得意不得意がないからね。残りでいいかい?」

「……残り?」

「得意科目が翔太郎は数学、来羅は理科全般、有利は、国語という感じではっきりしているから3人にはそれを担当してもらう。だから芽榴には社会系をお願いするよ」


 そう言われて芽榴はニコリと笑った。社会は基本的に暗記科目だ。教科書を読むのが一番の勉強方法という科目のため、ある意味一番教えるのが難しい。それに翔太郎から教えてもらった風雅の珍解答の一つは日本史。


「芽榴なら大丈夫」

「どーいう根拠?」


 芽榴は困り顔で尋ねるが、その答えは返ってこない。


「いいかい、風雅。ここまで僕たちが力を尽くすんだから結果を出しなよ?」

「はい。猛勉強します」




 というわけで、期末テストまで日替わりで風雅の勉強を見るという仕事が役員業務に追加されたのである。




「じゃあ、次の問題ねー。鎌倉幕府を開いたのは誰?」


 生徒会室の隣、会議室にて芽榴は風雅と日本史のお勉強中。初日の担当はジャンケンの結果、芽榴に決定したのだ。今は風雅の力試しをするために超基本問題をやっている最中である。


「あ、それは知ってる。源頼朝さん!」


 さすがに問題が問題なだけあって、正答率は高い。時々ミスもあるが手遅れということはない。英語よりは確実に救いようがあると、問題を出しながら芽榴はしみじみと思うのだ。


「正解。最後ー……源氏物語の作者は?」

「……えっとね、紫式さん!」

「『べ』じゃなくて『ぶ』ねー。……うん、悪くはないかな。基本問題は出来てるし」


 芽榴はそう言って、基本問題より少しレベルをあげた練習問題に手を掛ける。


「なんていうか、勉強した時は覚えるんだけど……一夜漬けみたいな感じだからすぐ忘れちゃうんだ」


 風雅は溜息を吐きながら、自分の馬鹿さを嘆く。芽榴との勉強前に教科書を熟読したため、今は問題にある程度答えられるが一時間も経てばすぐに忘れてしまう。


「どうしたらいいのかなぁ……」


 風雅は教科書をパラパラ捲りながら呟く。何度読んでも頭に入ってこないし、覚えることもできない。

 そんな風雅を見て、芽榴はパタンと練習問題を閉じた。


「え……?」

「……ごめんね。その感覚、私にはいまいち分からなくて……何とも言えないんだー」


 芽榴は苦笑する。圭もよく同じことを言っているが、一度見たものは絶対に忘れない芽榴にはどうしてもその感覚が分からない。

 風雅の発言を真剣に考えたけれど、芽榴には結局そんなことしか言えなかった。


「わわわ、違う違う! 芽榴ちゃんが謝ることないから! オレがバカなだけだから! てか本当に、芽榴ちゃんの勉強時間削ってごめん……」


 風雅はアタフタした後シュンとなって芽榴に謝る。やっぱりいちいち表情が変わる風雅は見ていて楽しい。その姿はなんとなく、数ヶ月前の風雅を思い出させた。


 芽榴がクスッと笑うと風雅は不思議そうな顔をして顔をあげた。


「芽榴ちゃん?」

「なんか、犬っぽい蓮月くんって懐かしくて」

「……犬」


 申し訳なさそうな顔をしていた風雅だが、次の瞬間には絶望的な顔になる。好きな子に「犬みたい」と言われて喜べるほど風雅も馬鹿ではなかった。


「別に変な意味じゃなくて……」


 そんな風雅の顔を見て、芽榴は急いで言葉を付け足した。


「久々にね、私の知ってる蓮月くんに会えたなと思って」

「――――」


 風雅は眉をあげた。

 芽榴の目の前にいる彼はたった一人――本当も嘘もなく風雅自身だ。

 ただ、あの一件で芽榴と風雅のあいだには大きな溝が生まれた。ファンの子たちの目を気にして、芽榴も風雅もお互いを避けるようになり、結果的に風雅は芽榴を傷つけた。しかし、風雅がファンクラブとの縁を切ったこと、芽榴が選挙でみんなの支持を勝ち取ったこと、そして保健室での芽榴との和解で、2人のあいだに生まれた溝は確実に埋められていった。


 それでも選挙が終わってファンのことも収まりがついた今でさえ、芽榴と風雅のあいだには埋められていない溝が微かに残っている。


 芽榴の発言で風雅の顔は一気に強張った。


 この話をすれば、風雅がそういう顔をしてしまうことは分かっていた。だから避けてきた話題だが、そのままでいても以前の2人には戻れない。そうしたとしても、完全に戻ることなんて出来ないのだ。


「だから、蓮月くんが前みたいな対応してくれると安心する」


 芽榴は目を瞑り、素直な言葉を吐き出した。


「……芽榴ちゃん」


 風雅は芽榴の顔を見る。芽榴の頬の傷痕はもうほとんど分からないくらい薄くなっていた。あともう少し時間が経てば、その傷は完全に消えてなくなるだろう。


「1つ、聞いても……いい?」


 芽榴の記憶力の恐ろしさを今の風雅は知っている。芽榴はその傷跡を見るたび、嫌がらせを思い出してしまうはずだ。ならばその傷がなくなった後、芽榴は受けた嫌がらせを思い出さなくなるのか。――そんなことはない。


「オレがそばにいて、芽榴ちゃんは辛くならない?」


 風雅は芽榴から視線を逸らした。風雅は芽榴の傷痕に等しい。傷が消えてしまえば、その次は自分の姿を見るたびに芽榴は嫌がらせを思い出してしまうのではないか。事件が解決した後、風雅はその考えに支配されてしまった。


「……それ、ずっと考えてたの?」


 芽榴は困ったように笑った。そんなことを考えていたら、確かに元々身に入らない勉強も捗るはずがない。風雅の中にある不安を取り除かないことには、この勉強会も成果が出ない気がした。


「蓮月くんを見ても、嫌がらせは思い出さない」


 芽榴の発言に、風雅はすぐに逸らしていた視線を戻す。互いの視線がぶつかり、風雅はやはり泣きそうな顔をして、芽榴は彼に笑顔を向けた。


「なんて……嘘だよ」

「芽榴ちゃん……」

「蓮月くんを見て少しも何も思い出さないなんて……蓮月くんには悪いけど無理」


 風雅の求める言葉を告げるのは簡単だけれど、それは嘘になる。そして風雅にもそれが分かるから、結局風雅の心を救うものにはならない。


「でもね、辛いがイコール嫌いってわけじゃないよ。私は蓮月くんを見て辛くなっても、嫌いにはならない。なれないって言うほうが近いけど」


 前にも似たようなことを言った。

 芽榴は風雅を嫌いになることができない。風雅がどんなにバカなことをしても、風雅が芽榴に与えた幸せのほうがはるかに大きい。


「蓮月くんのファンからの嫌がらせは辛かったけど……蓮月くんがこれからファンの子たちに振り回されたり、誰かの都合のいい蓮月風雅になりきろうとしたりしないで……誰の前でも私が知ってる蓮月くんでいられるようになったら、私はあのとき嫌がらせを我慢したことも蓮月くんを守ろうって思ったことも、全部後悔しないですむから……だから、後悔なんかしないで、前を見て」


 芽榴はそこまで言って、また苦笑いを浮かべる。


「私のため、みたいな言い方になっちゃったけど……。要するにさ、蓮月くんが前に進んでるのを見れたら、辛いより嬉しいって思えるんだよ」


 それは芽榴の本心だ。風雅が成長すること、すなわちそれが芽榴への償いになる。


「芽榴、ちゃん」

「んー?」

「オレって……やっぱりバカだね」


 芽榴の言葉を聞き終えた風雅はそう言って顔を押さえた。その隙間から自然と溜息がもれる。


「芽榴ちゃんがオレを責めないの知ってて……芽榴ちゃんに優しい言葉かけてほしくて、こんなこと聞いてる」

「……うん」


 芽榴は風雅のダメ男発言も笑顔で受け入れてくれる。風雅は顔から手を離し、参考書に置かれた芽榴の手に触れた。


「オレ、絶対イイ男になるよ。誰にも負けないイイ男になる」


 両手で芽榴の手を握りしめ、風雅は真っ直ぐに芽榴のことを見つめた。それは芽榴のためであり、自分のための誓い。


「うん、期待してる」


 芽榴はその誓いを受け止め、そして再び参考書のページを開き始めた。


「じゃあイイ男修行として、まずは期末で結果出そうねー」

「ううっ……頑張ります」


 宣言した以上、それは風雅が成し遂げなければならない絶対的な課題だ。


「頑張ったらご褒美あげるよー」

「ほんと!?」

「うん。5位以内」

「……芽榴ちゃん、颯クンみたいなこと言わないでよ」


 目を輝かせた風雅は次の瞬間、教科書に顔を埋めてしまう。そんなふうにメチャクチャな行動をする風雅こそ芽榴が好きな彼だ。


 お互いに視線が絡んで、吹き出してしまう。風雅といるときはいつだって芽榴はこんなふうに楽しかった。それはこれからも変わらないでほしい。


 カラカラと笑う芽榴を見て、風雅は幸せそうに笑った。

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