12 木陰と笑顔
トランプ大会が始まる。高等部全学年が参加するために大会会場はいくつかに分かれていた。参加人数の関係から、第1体育館では神経衰弱、第2体育館ではポーカーと大富豪と七並べ、第3体育館ではスピードとババ抜きが行われる予定になっていて、芽榴は学年棟の昇降口で颯と別れることとなった。
トランプ大会が終了した際には、第1体育館のステージに優勝者6人が並び、新たな生徒会を結成する。つまり、役員の5人は試合が終わり次第、優勝という座を手にして第1体育館にやってくる。そう思ったら、少しだけ芽榴の肩に力が入った。
先ほどまで小さく見えていた体育館が徐々に大きくなっていく。もうすぐだ、と芽榴が思った瞬間、背後からものすごい勢いで駆けてくる音がした。
「芽榴ちゃん!」
その声を聞いて芽榴は目を丸くする。
「……蓮月くん?」
振り返れば予想通り風雅がいた。息切れをしている風雅はどれくらいの距離を走っていたのだろうか。ゼーハーと荒い息をくりかえし、風雅は苦しげに笑った。
「はぁ、はぁ。間に合った!」
「……? 蓮月くん、会場逆でしょ?」
風雅の選択種目はババ抜きだ。つまり彼の試合会場は第3体育館。本棟の裏にあるこの第1体育館と1学年棟の裏にある第3体育館はまったく逆の方向なのだ。
芽榴が首を傾げると、風雅は思いきり息を吸い込んだ。
「オレ、芽榴ちゃんに、まだ、『ガンバレ』って、言ってないから!」
風雅が途切れ途切れにそう伝える。風雅の言葉を聞いて芽榴は笑った。
「そのためにこんなに走ったのー?」
「……っ! オレは芽榴ちゃんに勝ってほしいんだ! 芽榴ちゃん以外が役員になるなんて認めないし!」
「シーッ! 声大きい!」
風雅が大声で叫ぶため、芽榴は近くの木陰に風雅のことを引っ張った。
「まったく、蓮月くんといるとこ見られたら……優勝以前に私の命がないよー」
「ご、ごめん」
シュンとなった風雅はまるで犬みたいで、これが学園アイドルなのだと思うと何だか面白かった。
「このあいだまで雲の上だったのになー」
「雲の上?」
風雅が聞き返すと芽榴は頷いた。この2ヶ月でいろいろなことがあった。役員と出会って仲良くなって、廊下の端から見ていた人たちが今は目の前で笑ってくれる。
そして何より、彼らとこうして関わることがなければ芽榴が他人から声援を受けることもなかったのだ。
「私ね。誰かに応援されるのって初めてなんだー」
「え?」
「だからこういうとき、どういう反応すればいいか分からないの。でも、すごく嬉しくて……これは正しい反応かな?」
芽榴が風雅の顔を見上げる。芽榴の目は真剣だった。まるで答えを求めるように。風雅は目を瞑り、芽榴と同様に真剣な顔をして向き直った。
「あってるよ」
風雅は静かに言った。しばらくの沈黙。芽榴は一瞬目を大きく見開いた。そして、本当に嬉しそうに笑う。そんな芽榴の顔を見て、風雅は口元を押さえて顔を背けた。
「蓮月くん?、わ!」
芽榴が風雅の顔を覗こうとすると、風雅が芽榴の手を引っ張り、芽榴は風雅の胸に顔を埋める形になってしまう。
「ちょっと、離してよー」
「ダメ。オレ、めちゃくちゃだらしない顔してるから」
風雅がボソボソと小声で呟くと芽榴は堪えきれずに噴き出した。
「そんなに笑わなくても……」
「ごめんごめん」
芽榴はしばらく笑い、そのせいで思わず出てしまった涙を拭いた。
「そういう蓮月くんは? 勝てるの?」
ババ抜きは一番運に左右される種目だ。つまり、風雅が役員の中で最も不利ということになるだろう。しかし、風雅は自信満々に笑顔で頷いた。
「どこからくる自信ー? すごく強運、とか?」
芽榴が尋ねると、風雅は「まだ芽榴ちゃんには言ってなかったね」と笑った。
「オレ、こう見えて軽い読心術が使えるんだ。だからババ抜きなんていうのは負けたことない」
他の役員の能力を聞いていたため、驚きは半減されているのだろう。それでも芽榴の受けた衝撃はかなり大きかった。唖然としている芽榴を見て、風雅は苦笑した。
「でも、翔太郎クンの眼と一緒。芽榴ちゃんの心の中は読めないから安心して」
風雅が真剣な顔で言うので、芽榴は信じることにした。というより、芽榴の本心を読めたなら普段あそこまで抱きつくなどありえないのだから納得できたというのが正しい言い方だろう。
「まぁ、そんなわけで……オレは勝つよ。だから、芽榴ちゃんも勝って」
風雅が少しだけ腕の力を緩め、芽榴の顔を覗く。やっと見えた風雅の顔は少し赤く染まっていたが、先ほどと同じくらい真剣なもので、芽榴はその気持ちに応えたいと思った。その精一杯の思いをのせた言葉はただ一つ。
「絶対勝つよ」
芽榴は風雅を見上げて言い切った。いつもの芽榴なら絶対に言わないセリフだ。風雅は思わずふにゃんとだらしなく笑い、もう一度「頑張れ」と芽榴を抱く腕に力をこめた。
「さて、もう行かないと」
芽榴は風雅の胸を押して彼から離れる。芽榴はどこか穏やかな雰囲気をまとっていた。
「じゃあ、またあとで」
芽榴は風雅に手を振り、背を向ける。しかし、数歩進んで「あ」と声をもらし、風雅に振り向いた。
「蓮月くん、はい!」
「え? わ!」
風雅は自分のほうに飛んで来た何かを慌ててキャッチし、目を見開く。
「さっきの笑顔は好きだったよー」
芽榴はニコリと笑い、今度こそ第1体育館に姿を消した。
「もう……ヤバいっしょ」
頭を抱えて座り込む風雅の手にはいつかと同じピンクの飴があった。




