156 特権とやり直し
麗龍学園高等部、第1体育館は人で溢れかえっていた。
朝のホームルームは急遽なくなり、放送で『高等部生は全員速やかに第1体育館に向かうように』との連絡があった。
みんな、いきなりどうしたのだろうと考える。緊急に高等部集会が行われるのは初めての話ではない。最近で言えば、颯によるトランプ大会開催告知がそうだ。
「あれ、また楠原いねぇぞ」
体育館の中を見渡して滝本が呟く。昨日の件もあり、芽榴がいないことに対して滝本はすごく敏感になっていた。
キョロキョロそわそわしている滝本を見て、F組の生徒たちにも心配が伝染し始める。
昨日のオリエンテーションのことは学年中で、否、学園中で噂になっていた。「楠原芽榴が脱走した」「楠原芽榴が役員に構って欲しくて自ら消えた」などなど紆余曲折さまざまな伝わり方をしているようだが、少なくともF組の生徒たちのあいだでは「芽榴が役員信者にいじめられていた」という事実がちゃんと伝わっていた。それもこれも舞子と滝本の説明のおかげである。
「それにしても、全然気付きませんでした……」
委員長は悲しげに言う。クラス委員として、芽榴がいじめられていることに気づかなかったのが悔しいようだ。芽榴が信者から嫌われていることは周知の事実であったが、まさか悲惨な嫌がらせを受けているとは思わなかったらしい。
といっても、芽榴は学園に元気に登校して、委員長とも何事もないよう笑顔で喋っていたのだから仕方がないといえば仕方がない。
「楠原さん、大丈夫ですかね?」
「委員長、怖いこと言うなよ……」
「でも楠原さん心配だよね。探しに行こうかな。ね、舞子? あれ……舞子?」
クラスの女子がそう言って、舞子のほうを振り返る。誰よりも心配顔をしているはずの舞子は、みんなの予想に反してとても冷静な顔をして立っていた。
「植村! 楠原がいねぇんだぞ! お前なんでそんな冷静なんだよ!」
滝本が舞子のそばに行って怒鳴る。
舞子は耳を塞ぎ、滝本が喋り終わると耳から手を離して溜息を吐いた。
「失礼なこと言わないでくれる? あんたが慌てるずっと前に、私は慌てたの! で、さっき柊さんに聞いたら『生徒会室にいる』って言われたの!」
口を開いた途端に、どんどん舞子の口調が荒くなっていく。最後は滝本の胸元に指を突き刺しながら言っていた。
「す、すみません」
あまりの迫力に滝本も思わず謝る。
さすがの舞子も芽榴のことを心配していないかのように言われたのが腹立ったようだ。
「ていうか、この集会開いたのは芽榴よ、きっと」
「え、どうしてですか?」
委員長が舞子の発言に興味津々に尋ねる。
「だって、前の緊急集会はトランプ大会の告知で、神代くんがキングの特権を使ったからでしょ? なんかいろいろありすぎて忘れそうになってるけど、今年のキング様は誰よ?」
舞子の言葉に耳を傾けていたF組の生徒は納得する。
「楠原、このタイミングで特権を何に使うんだ?」
「さぁ……それは知らない」
舞子はそう言って、体育館のステージに目を向けた。
「楠原さん、時間です」
芽榴を生徒会室に呼びに来たのは有利だった。あの後、翔太郎を中心に事後処理を行い、芽榴はこの学園で一番安全な場所であるここへと連れて来られた。
全校集会が始まる時間。芽榴は有利に言われ、ゆっくりと席を立つ。
「……なんか、今さら不安になってきたなー」
いつものノンビリした声で芽榴は言う。でもその顔は言葉通り、不安を露わにしていた。生徒会室をジッと眺める芽榴に、有利はそっと近づいた。
「楠原さん」
「え、あ……へ?」
有利に呼ばれて、振り向いた芽榴は急に頬を引っ張られた。
「はひほふふん……?(藍堂くん?)」
驚いた顔をする芽榴に有利は困り顔で、でも少しだけ優しい表情でもって言葉を告げた。
「弱気なことを言う楠原さんにお仕置きです」
有利はお仕置きというが、引っ張られた頬は別に痛くない。
「楠原さんがさっき宣言したとおりですよ。楠原さんが本気で頑張ってきたことを僕は知っています」
有利の目は微かに揺れていて、芽榴に説教できないくらい有利も不安でいっぱいだった。
「まだ……トランプ大会のときの指切りは有効ですよ」
芽榴がしようとしていることは大博打。勝敗は全く分からないのだ。
絶対に勝ってくださいという、有利と初めて交わした指切り。それはあの時限りのものではない。
「……うん、負けても責任はとらない」
「楠原さん……」
昔と同じように、芽榴は戯けた返事をする。恨めしそうな視線を向ける有利に、芽榴はニコリと笑った。
「だって、負けないから」
しばらくすると、体育館は静かになる。翔太郎と来羅、そして風雅がステージの下に姿を現したのだ。しかしその中に芽榴はいない。
「風雅くんたち、ちょっと疲れてない?」
女生徒たちが心配そうに呟く。彼女たちの言うとおり、役員の顔色はよくない。
「ほら、昨日なんかあの子がやらかしたんでしょ?」
「うーわ出たよ」
ファンクラブの信者がそんなふうに言って、芽榴をコソコソと罵倒する。役員の顔色を悪くしている張本人たちが言うのだから、これまたおかしな話だ。
「女ってこえーな」
「いやいや、あれ特殊だろ。俺の彼女はあんなんじゃねぇ」
ちらほらと聞こえてくる身も蓋もない言葉たちに、芽榴と親しいF組男子はしみじみと芽榴に同情する。
「つーか、あの子いなくない?」
「退学宣言してくれたりして?」
残っているファンクラブのメンバーは楽しそうに馬鹿げた話をコソコソと言い合っていた。
役員たちは各所にいるファンクラブのメンバーたちに冷ややかな視線を向ける。
「楠原はああ言ったが、ヤツらに理屈は通用しないだろうな」
「本当、翔ちゃんの催眠誘導使えば早い話なのに。るーちゃんがインチキ少女だったら、迷いなくそうしてくれただろうけど」
来羅は女生徒たちを睨みつけながら隣にいる翔太郎に言葉を返す。本当のインチキは翔太郎の催眠誘導を使って、ファンクラブの女子たちから芽榴への恨みの感情をすべて消すこと。それを止めた芽榴はやはり正々堂々という言葉がピッタリな少女だ。
「芽榴ちゃんはたぶん、翔太郎クンのことも気にしたんだよ」
「どういう意味だ?」
「……翔太郎クンが女の子嫌いだから、催眠誘導使ってたらたくさんの女の子と向かい合わなきゃいけないし」
風雅はそう言って苦笑する。芽榴が言ったわけではないが、きっと芽榴のことだからそんなことまで考えていたはずだ。
翔太郎は目を見張り、そしてすぐに咳払いをして眼鏡に触れた。
「……余計な気を回して……あのような下劣なヤツらは女である以前に人間とも認識しづらい。芋だ、芋」
「翔ちゃん、芋に謝って。食べたくなくなっちゃうから」
来羅が真顔で言う。翔太郎も心の中で納得したらしく本気で芋に謝った。
そんな3人の元に白い箱を持った颯がやってきた。
「颯、遅かったわね」
「ああ。先生方の手際が悪くてね」
先生たちの手際が悪いのはいつものことだ。それをカバーするのが生徒会役員の仕事。でも今回そんなふうに言葉を包み隠さなかったのはよほど颯の機嫌が悪いからだ。
「風雅、持て」
「はい、持ちます。全力で」
颯が少し重たい白い箱を風雅の胸に突きつけると、風雅は顔を青くしてそれを抱えた。
「機嫌最悪だな、神代」
自分の隣に立った颯に、翔太郎は困ったような声で言う。
「当たり前だ」
颯は低い声で言う。言葉が少ないと余計に怖いものがある。
「勝手に全部決めた楠原に、怒っているのか?」
「……僕が芽榴の決めたことに怒れるわけないだろう」
芽榴の話をふった途端、颯の表情が少しだけ柔らかくなった。
「僕は昔も今も芽榴のすべてを肯定するよ。これからもね」
颯はそう言って、自分が今さっき入ってきた扉を見る。ちょうど有利が帰ってきたところだ。
つまり、それは芽榴も体育館にやってきたということ。
体育館が一気にざわつく。
ステージ上に現れた芽榴を、全校生徒が様々な思いをもって見つめていた。
ステージに立った芽榴は全校生徒を見下ろす。マイクを持って、芽榴は深呼吸をした。
『みなさん、おはようございます』
芽榴の朝の挨拶で、ざわついていた体育館は一気に静かになった。こんな大勢が集まる空間がシンとしていると、少しだけ怖くなる。
『今日はみなさんの授業時間を少しだけ私事に使わせてもらいます』
芽榴がそう言った瞬間に、少しだけまた騒がしい空気が戻る。しかし、どんな文句が紡がれていようとも、これは芽榴の絶対的な権限なのだ。
『みなさんも知っての通り、私は以前行われたトランプ大会の結果、生徒会役員になりました。……ですが、みなさんの言うとおり確かにあれは少し狡いやり方だったと思います。暗記が得意な私のために仕組まれた、公認の役員決めと言われても言い返せません。だから…』
芽榴はマイクを持つ手に力をこめる。役員たちはそれぞれ目を閉じた。
『私は生徒会を辞めます』
その言葉で、体育館に一瞬の静寂が訪れる。でもすぐにその静寂は壊れ、一斉に生徒たちが口を開き始めた。あるものは喜び、あるものは高笑いをし、そしてあるものは呆然とする。
そんな三者三様の態度に、芽榴は一息吐く。
『その代わり……』
そして再びその口を開いた。芽榴の冷静な声で紡がれた逆接に、また生徒たちが口を閉じる。
『今この場で、私の椅子をかけた公平な選挙をします。今の役員以外、私を含む全校生徒の中からたった一人、彼らの隣に並ぶのにふさわしい役員を決めます』
芽榴の発言に、何人かの女生徒が叫び始める。
「はぁ!? ありえないんだけど」
「辞めるならそんなことせずに、潔く辞めればいいじゃん。口説い」
「無視無視」
そんな勝手なことを言う信者女子を見て、役員が動きをとる。それを見た芽榴は彼らが動くよりも先に、口を開いた。
『キングの特権は絶対』
芽榴は文句を言っていた女子のほうを見ながら告げる。
『先輩たちも役員になるチャンスですよ? いつもみたいに自信満々に取り組んでくださいよ』
芽榴は挑発的な視線を彼女たちに送りつけた。言われた女生徒たちの単純さは芽榴が一番よく知っている。まんまと芽榴の挑発にのり、黙ってくれた。
「……芽榴らしいね」
いつもの芽榴らしい行動に、役員もF組の生徒も少しだけ笑顔になった。
『じゃあ、キングからの発表は終わりです。みなさんの授業時間がもったいないので、さっそく選挙を始めましょうか』
そう言って、芽榴は軽やかにステージを降りた。




