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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
生徒会動乱編
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147 トラウマと真っ暗な部屋

 秋から冬に移り変わる季節は、どこか人の心を浮つかせた。


「賢一郎様、大変そうね」

「この時期は仕方ないわよ。しばらくは仕事詰めね」

「お可哀想に」


 メイドたちは疲労を重ねた東條の背中を見ながら心配を言葉にした。けれど、奥深いところで他人事のようなその言葉たちを芽榴は冷めた思いで耳にしていた。


 この季節はマスコミの動きが激しくなる。浮ついた心が美味しいネタを運んでくれることを期待して、報道陣は常に賢一郎のボロが出るのを待ち構えていた。それを回避するために賢一郎は仕事に仕事を重ね、もともと少ない芽榴と接する機会も無くなっていく。だから芽榴はこの季節が嫌いだった。


 しかし、芽榴はそのことに文句を言ったことはない。不平不満を口にしたことは一度もなかった。

 当時の芽榴が考えていたことはいかにして東條に迷惑をかけないか、ただそれだけだった。自分のせいで東條が足をすくわれるようなことがあってはいけない。


 芽榴は毎年と同様に、屋敷の中にひきこもる。そうすれば絶対に東條に迷惑をかけることはなかった。




 屋敷の中が絶対に安全だという、その盲目的な安心感があの事件を引き起こしたのだ。




「お嬢様。今日は習い事も稽古もございませんので、ゆっくりお休みくださいませ」


 その日は珍しく何も予定が入っていなかった。だからといって何もしないわけにはいかず、芽榴は部屋の中で一人勉強をしていた。


 少し前に7歳となった芽榴は小学校1年生。幼稚園同様、一般の小学校に通うことになった芽榴は学校でもずっと一人だった。周りの子どもたちとは考えていることも背負うものも何もかもが違った芽榴は自ら一人で居ることを望んだ。


 だから、芽榴が小学校を一ヶ月休んだところで彼女を心配するような友だちはいない。


「……世の中が、数学みたいだったらみんな幸せなのに」


 高校数学に挑戦していた芽榴は、その参考書をパラパラと捲りながら呟いた。


 数学は必ず明確な解法とたった一つの答えを持っている。世の中もそんなふうにはっきりとしていたら芽榴の不安は全部洗い流されただろう。けれど、世の中は曖昧なことばかりを好み、答えを出すことを嫌う。


 どうして自分が生まれてきたのか。自分が何のために存在しているのか。浮上する疑問は数々あっても、芽榴はその答えを見つけられない。芽榴の大嫌いな孤独の世界は芽榴にとって唯一最大の敵だった。


 そんなことを考える芽榴の耳に、部屋の扉が開く音が聞こえた。


 ガチャリ


 誰かメイドが入ってきたのか、それにしては合図が何もないことを不思議に思いつつ、芽榴は振り向く。そして、芽榴はその人物を視界にいれ、目を細めた。


「……どちら様、ですか」


 芽榴は椅子から立ち上がり、警戒を示す。フードの中から見えた顔は40代くらいで、目の下には大きな隈が刻まれていた。執事でもメイドでもない。芽榴の記憶の中にその顔は存在しなかった。

 見てすぐに、芽榴は危険を感じた。

 言葉に言い表せないくらいの憂いと怒りを含んだ、その男の瞳を見て、芽榴は唾を飲む。


 男は小さな少女を見て焦るような仕草を見せたが、すぐに一つの考えに思い至る。そして、剃り残された髭に覆われる赤黒い口をニヤリと吊り上げた。


「社長に、娘さんがいたなんて驚いたなぁ……」


 男は嬉しそうに、いやらしい目つきで芽榴を見ていた。東條の屋敷にいる小さな少女――芽榴が東條の娘であることは考えなくても分かる。


「きみのお父さんのせいで俺の人生はお終いになったんだよ。妻子にも捨てられて借金まみれだ」


 絶望に溢れたその言葉を聞いて、その男が元は東條グループの会社員の一人だったのだと芽榴は察した。


 榴衣が死んで使い物にならなかった東條の代わりに祖母がした尻拭いの一つは、大量の社員削減。いわゆるリストラだ。祖母の独断でしたことであったが、社員はそれを知らない。

 すべては東條のしたことだと思っていた。


「金目のものを盗んでやろうと思ってたが、一番金になるものを見つけちゃったなぁ……」


 執事やメイドの目を潜り抜け、屋敷の中に侵入してきた男は、自分の借金を返せるだけの金目のものを盗んで消えるはずだった。勝手なリストラで自分の人生を狂わせた分、同じだけ東條から金品を奪うだけの話だった。


 けれど、突然現れた東條の娘の存在は男の思考を狂わせた。芽榴を利用すれば、辺りにある金品とは比べ物にならないほどのお金を得ることができる。その考えに至った男は芽榴の腕を掴んだ。


「いやっ! だれか……!」


 芽榴は助けの声をあげようとする。しかし、すぐにその口を男の手で塞がれ、助けを呼ぶことは叶わなかった。


「――っ!」

「大丈夫。少し人質になってもらうだけだよ」


 芽榴は体を拘束されてもなお、抵抗するように足をバタつかせる。武芸も人並み以上に頑張って、護身術だって芽榴はちゃんと身につけていた。

 しかし、実際に恐怖を目の前にして芽榴の体はまったくいうことをきかなかった。芽榴の力が足りなかったわけではない。大人の男に幼い少女の力が敵わないのは当然のことだった。


「恨むなら……父親を恨んでくれ」


 その言葉とともに芽榴は屋敷から連れ去られた。


 犯人によって気絶させられた芽榴が次に目を覚ましたとき、そこは真っ暗な世界だった。


「ここ……どこ?」


 芽榴は周囲を見渡す。けれど、暗闇に慣れていない目には何一つ映るものがなかった。


 自分の体さえ見ることのできない暗闇の中に、芽榴は閉じ込められたのだ。





 芽榴が屋敷からいなくなったことはすぐに判明した。東條の屋敷にかかってきた一本の電話は芽榴を人質にとったことを知らせ、そして身代金数億を要求していた。


 緊急事態の連絡を受け、すぐに屋敷に戻った東條は迷うことなく警察に連絡をする。マスコミの動きなど全く気にしていなかった。否、気が動転しすぎてそちらに頭を向けることができなかったのだ。


 そんな東條が何より優先させたのは芽榴の捜索だった。犯人を捜すことよりも一刻も早く芽榴を見つけ出すことを優先させた。


 しかし、総帥である祖母は東條家のスキャンダルを絶対に許さない。東條と同じ時に連絡を受けた由紀恵は誰よりも早く根回しを始めていた。


 警察に事が公にならないように莫大な金を払い、マスコミの動きを自らの権威で抑えつけた。


 祖母は芽榴を見つけることよりも犯人を探させることを優先させた。それが東條家にとって優先するべき事柄だからだ。


 当時、東條よりも総帥のほうが権威が高かった。ただそれだけの理由で優先順位は芽榴よりも犯人捜しのほうに移行してしまったのだ。


 それからすぐに犯人は突き止められた。しかし、捕まる寸前に自殺を計った犯人は芽榴の居場所を明かすことなくこの世から姿を消す。


 芽榴の居場所を知る者はもはやこの世に一人もいなくなってしまったのだ。祖母が東條家のために動いたことで、芽榴の捜索は大幅に遅れていった。





「い、や……出して…」


 しばらく暗い部屋の中にいると、だんだん目が慣れてきて少しは周囲の様子が見えるようになってきた。けれど見えた世界はとても汚くて、芽榴に見えないほうがまだマシだったとさえ思わせた。どこかの倉庫の中なのか、乱雑に置かれた段ボールがたくさんあって、埃だらけの床には数匹の虫の死骸が転がっている。気持ち悪くて一刻も早くその場所から出たかった。


「出してぇぇえ! おねがい! いやぁぁああ! 怖い、こわいよ、いやだぁあ」


 芽榴は見つけた鉄の扉を何度も何度も叩く。芽榴がこんなに声を出したのは生まれて初めてだった。


「あ……あ、あ…あぁぁぁあああああ!!」


 手からどんなに血が流れても、扉は開かない。嗄れるくらい叫んでも、その声は届かなかった。





 やっと芽榴が見つかった時、連れ去られて約1週間が経過していた。

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