145 正体と開口
オリエンテーションが終わり、そこで今日の授業はすべて終了した。
「風雅くん……帰って来なかった」
芽榴を閉じ込めた風雅ファンの一人が呆然とした様子でそう言った。自分たちのことを放って風雅は芽榴を助けに行ったのだ。
あのまま風雅は帰って来なかった。そして、芽榴も帰って来なかった。それが示す意味は、風雅ファンの心を刺激する。
「……っ」
修学旅行のオリエンテーションが終わったあとで、唇を噛みしめているのは風雅ファンだけ。彼女たちがまたろくでもないことを考えていると、颯はすぐに察した。
「ちょっと君たち……」
「颯」
彼女たちに足を向けた颯を、来羅が止める。今はまだ生徒たちが教室に残っていた。
颯の行動を止める気はない。けれど、殺気まみれの颯が冷静な行動をとれないことを来羅は分かっていた。
「来羅……邪魔する気かい?」
「いいえ、邪魔はしないわ。ただ、今はやめて」
颯の鋭い視線を受けても、来羅は怯まない。
「神代。今は、生徒会室に行くぞ。……藍堂も、それでいいな」
そばにいた翔太郎は颯に諭すような声音で言う。ついでに、風雅ファンをものすごい顔で睨みつける有利にも告げた。
「はい。……でも、このままで終わらせる気はありません」
有利はそう言い残して、翔太郎の言葉に従った。
「芽榴!」
オリエンテーションが終わるや否や、舞子は階段をものすごい勢いで駆け下り、保健室へとやってきた。
扉を開け、舞子は芽榴の名を呼ぶ。
もう風雅は泣き止んでいて、腫らした目を芽榴にからかわれているところだった。
「舞子ちゃ……わ!」
「心配かけて……! バカ!」
舞子はベッドの上の芽榴に抱きつき、芽榴の頭をコツッと叩いた。芽榴は「痛いよ」と言って嬉しそうに笑う。
「楠原、大丈夫かよ?」
その後から入ってきた滝本も芽榴を見て心配そうに尋ねた。
「うん。蓮月くんがそばにいてくれたから」
そう言って芽榴は風雅に視線を向ける。滝本もそれに倣って風雅に目を向けた。今まで芽榴のそばにいなかった風雅に滝本はたくさんの文句がある。しかし、風雅のグシャグシャになった顔を見て、言葉を飲み込んだ。
「2人とも心配してくれてありがとう」
「当たり前でしょ! 親友なんだから」
「心配しねーほうがおかしいだろ」
2人が芽榴の言葉に対して、そんなふうに反論する。2人の言葉がその場限りの、形だけの言葉だとは思わない。
「そーだね」
芽榴は芽榴のことを大切に思ってくれる人たちをちゃんと見つけられたのだ。もう怖がることはない。
芽榴は保健室で舞子と滝本とは別れる。風雅と共に向かう先は久しぶりの生徒会室だった。
もうすでにみんなはそこにいて、芽榴と風雅はいつもの隣同士の席に座る。当たり前のように座った2人を、4人は穏やかな表情で見ていた。
「変わらないなー……ここは」
芽榴はしみじみと感慨深い様子で呟く。
久々に全員が揃った生徒会室には、前と同じような暖かくて穏やかな空気が流れていた。
芽榴の居場所は芽榴を変わらず歓迎してくれる。
「全員揃うと、安心しますね」
有利の言葉に、芽榴は笑顔になった。
笑った芽榴を役員みんなが見ている。それは芽榴への合図。みんなに話さなければならないことがあると言った芽榴に、それを口にするタイミングを与えてくれたのだ。
「あはは、なんか……こう改まると緊張しちゃうねー」
芽榴はみんなの視線を受け、少しだけ照れくさそうに頭を掻く。けれどそんな戯けた態度を深呼吸一つで正し、芽榴はもう一度口を開く。
「こんな大事になるまで、気づけなかったのも恥ずかしいんだけど……」
芽榴はみんなに頭を下げた。
頭を下げたまま、開いた口を閉じることなく言葉を続けた。
「みんなに迷惑かけたくないからって、そんな最もらしい理由でみんなを頼らなくて……でも結局みんなにすっごく心配させて迷惑かけて……本当に、ごめんなさい」
芽榴はまずみんなに謝った。
一人で何もかも解決できるという芽榴の思い上がりは大切な人を傷つけた。
芽榴は颯を見る。
颯は芽榴に頼れと言ってくれていたのに、芽榴はそれを断った。それが間違いだったことを今の芽榴はちゃんと理解している。だから颯はもう何も言わなかった。
大した迷惑をかけない頼みならできても、誰かの重荷になるような頼みはできない。それが良くも悪くも、変えられない芽榴の性分だった。
「私はみんなを信用してるよ。それは嘘じゃない。でも……それでも、私はみんなに言えていないことがあったから」
誰も口を開かない。
ただ静かに芽榴の話に耳を傾けてくれていた。
「大事なことを隠してる罪悪感で、私はみんなを頼れなかった。何を言ってもみんなを頼れなかった本当の理由はそれなんだよ。そんな資格ないって……思ってた」
本当のことを言えない芽榴が役員を頼るのは、それこそ役員信者のいう勝手な女の子のすることだった。
そして、芽榴はそんな自分とサヨナラをする覚悟を決めたのだ。
「来羅ちゃん」
芽榴は来羅のほうを見た。来羅は「なに?」と優しく芽榴に問いかける。
「前に、私の両親を初めて見たとき……私が幸せな家庭で育ったんだなぁって思った……って、そう言ってくれたでしょ?」
来羅は少し考えて、体育祭のときのことを思い出す。
「私はね、あの言葉が本当に嬉しかったんだよ。……私は本来あの2人が与えてくれる幸せの中にいるべき人間じゃなかったから」
「……え?」
芽榴の言葉はその場にいた誰にも理解することができない。不思議そうな顔をしている役員たちに芽榴は簡潔な答えを与える。
「私は、2人の本当の子どもじゃないんだ」
その事実を言葉にすると、芽榴の心はどうしようもないくらい締め付けられた。
役員はみんな耳を疑う。
重治と真理子が芽榴を見つめる瞳は、実の娘を見るような優しい瞳だった。それをみんな知っている。だから余計に、芽榴の言葉は役員に動揺だけを与えた。
芽榴が重治と真理子の本当の子ではないなら、芽榴の産みの親は別にいるということだ。
「私の親は……みんなもよく知っている人だよ」
芽榴は自分の本当の親を知っている、そのことは少なからず役員を驚かせた。そして、その人物を役員が知っているという事実は衝撃でしかない。
「どういう……意味だ」
翔太郎は芽榴に問う。
しかし、彼にはその時点でたった一人、思い当たる人物がいた。芽榴は一度だけ、翔太郎に冗談のようにして本当のことを話していたのだ。
「みんなの目の前にいる楠原芽榴は……一人の女の子が大嫌いな自分を捨てて、成りすました理想の、平凡な女の子だった」
だから楠原芽榴は平凡でなければいけなかった。元の自分と同じ能力を発揮することは最大のタブー。それをしてしまえば、大きすぎる代価が一瞬にして芽榴から全てを奪ってしまう。
けれど、平凡でいることをやめた芽榴は、昔の自分と今の自分を仕切る壁を壊した。一つになったもう片方の自分に光を当てるときは今しかない。
芽榴は薄く笑みを浮かべる。
「私の本当の名前は東條芽榴」
それを知った役員の顔を、芽榴は見ない。みんなの顔を見れば「冗談だ」と言ってしまいそうだった。
「……東條賢一郎の亡くなった一人娘だよ」
そして、芽榴は何度も忘れようとした古い記憶を引き戻した。
次回からついに芽榴の過去話スタートです!




