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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
生徒会動乱編
153/410

137 きっかけと選択肢

 大阪での一ヶ月の謹慎を終えた聖夜は東京へ戻る準備をしていた。


 この一ヶ月、聖夜は食事や睡眠といった最低限の動作以外は身動き一つせず、ずっと部屋の中心に置かれた座布団の上で正座をし続けた。


 そうしてやっと、本家から下された謹慎処分は終了したのだ。


「聖夜様、今日で一応の謹慎処分は終わりです」


 付き人のその言葉を聞いた瞬間、聖夜はスマホで、とある人物に連絡を繋いだ。


 聖夜が真っ先に連絡をとる相手はもちろん、彼の相棒だ。


『もっしー。そろそろ、かかってくると思ってたぜ?』


 いつものおちゃらけた態度で慎が聖夜の電話に出た。


「今から学園に戻る」

『りょーかい。でもその前に……会いに行くんだろ?』


 慎が間をあけて聞いた質問に、聖夜は少しだけ辛そうに表情を曇らせた。


「当たり前やろ」

『うん、まあ。だから教えとくけど、もう楠原ちゃん限界だと思うぜ?』

「は?」


 この時期で、あのニュース。確かにダメージはあるだろうと聖夜も予想していたが、慎の『限界』という言葉は理解できなかった。


「楠原ちゃん、生徒会に行ってねぇらしいんだけどさ」


 慎は先日芽榴に会いに行ったときのことを思い出しながら、聖夜に事情を説明する。


 慎からある程度の話を聞いた聖夜は一気に表情を険しくした。


「そないなこと、もっとはよう報告できひんかったんか!」

『はい、落ち着け。言ったところで、聖夜はそこから出られねぇだろ』

「……っ、もうええ、すぐにそっち戻る」

『あー、ちょい待った! まだ切ん」


 ブツッ


 聖夜は慎との通話を荒々しい様子で切り上げ、畳を思いきり殴る。


「くっそ……」


 畳に拳を擦り付けたまま、聖夜は苦しげに言葉を吐き出した。


「聖夜様」

「……何や」


 そんな聖夜の様子を見ていた父の付き人が、聖夜の名を呼ぶ。その声からして、どうせまた説教なのだろうと分かっている聖夜は振り向くことなく不機嫌な声で返した。


「今回は謹慎処分で済みましたが、今後もこのようなことがあれば……」

「どうすんのや。破門にでもするんか?」


 聖夜はそう言ってフッと鼻で笑う。


「所詮、琴蔵の利害でしか動けへんのやろ」


 後継は聖夜しかいない。ならば聖夜を破門することなど不可能なのだ。


 無駄な言葉で自分を縛りつけようとするのが気に入らない。


 けれど聖夜は自分がこんなにもイライラしている原因が何なのか、ちゃんと分かっていた。本当は家に逆らうこともできず、一番辛い時に彼女のそばにいられなかった自分が聖夜は一番許せないのだ。


「……かっこつかへんわ、ほんま」


 聖夜はそう言って、自分の額を押さえた。










 授業が終わって、芽榴はすぐに校舎を後にする。

 ――生徒会に行かずに早く帰る日々も今日で最後。

 明日からの日々は不安と期待が半々だった。このまま嫌がらせが続くかもしれないし、パタリとあっけなく終わるかもしれない。


 芽榴はこの1ヶ月をとても長く感じていた。


 いろんなことを考えながら、芽榴はゆっくり足を進める。

 学園から家までは遠くない。けれど、近くもない距離だ。日が落ちるのも早くなり、芽榴が通る道は人通りもそこまで多くはなかった。


「……なぁ、あの子」

「あぁ……小せぇし、余裕じゃん?」


 芽榴の少し後ろから、数人の男の人がそんなことを話している声が聞こえた。

 自分のことを言っているのか迷ったが、周りに人もあまりいないため、おそらく芽榴のことなのだろう。


「……」


 話の内容からして関わるのはよくないと察した芽榴は少し歩みを速くする。


 しかし芽榴が歩みを速めると、背後から聞こえる足音も速度を増した。


 コツ、コツ……タッタッタッ


 さすがにヤバイと思った芽榴は次の瞬間には走り出していた。


「……はぁ、はぁ!」


 いつもの芽榴なら平然としていられることも今はなぜか怖い。芽榴の足は速くて、並の男子なら追いつけないことも分かっているのにどうしようもなく不安だった。





――社長に、娘さんがいたなんて驚いたなぁ……――





「やだ……はぁっ、はぁ!」





――恨むなら……父親を恨んでくれ――




 走りながら、頭に響く声を芽榴は振り払う。


「……っ!」


 芽榴が立ち止まったとき、その腕は骨張った男らしい手に掴まれていた。


「いや……っ!」

「芽榴!」


 自分の名を呼ぶその声が、頭の中で響く忌々しい声を掻き消すように芽榴の耳に届く。


「……うそ」


 芽榴は自分の腕を掴む人を見て、思わずそう呟いた。


「琴、蔵……さん」


 一瞬、誰か分からなかった。

 黒縁眼鏡をかけて、スラックスにシャツ、その上からジャケットを羽織るだけの、彼にしてはラフな格好はとても大人びていて、すぐにその人が琴蔵聖夜だと認識できなかった。


「なんで、ここに……」


 芽榴の言葉は途中で遮られる。

 聖夜は掴んだ腕をその反動で引き寄せ、芽榴を自分の胸に抱いた。


 聖夜の抱く芽榴がとても小さくて、以前よりもはるかに細くなってしまっていることが聖夜の心を締め付けた。


「……アホ。俺の知らんところで、勝手に痩せんな」


 一ヶ月出していなかった声はたった半日では元に戻らず、聖夜の声は今朝同様に掠れていた。


「……琴蔵さん、実家に謹慎って……」

「終わった。せやから、会いにきてん」


 そう言って聖夜はギュッと芽榴を抱きしめる。

 人通りが少なくても、さすがに先日ニュースに名があがったほどの男が道端で女の子を抱きしめているのはよくない。そう思って芽榴は聖夜の胸を押してみるが、やはり無駄なことだった。


「心配せんでええ。このために変装してんのやから」


 聖夜の言う『変装』というのはおそらくこの眼鏡とその格好。確かに聖夜が私服で居る姿はあまり想像がつかない。けれどまるでどこかの映画俳優みたいな聖夜はそれはそれで目立っている気がした。


「琴蔵さん…」

「慎から全部聞いたで」


 聖夜の言葉に芽榴の肩が少しだけ反応する。慎が話す内容は彼が見たものすべてだ。おそらくその中にいい話は一つもない。


「俺のこと……許してくれるか?」


 聖夜が頼りない声でそう尋ね、芽榴は目を丸くした。芽榴の中で聖夜に謝罪される覚えはないのだ。


「何……言ってるんですか」

「文化祭――東條を麗龍に行くようふっかけたんも、記事を打ち消せんかったんも……お前が生徒会におれんくなったんも全部俺の力が及ばんかったからや。お前は俺のこと責めなあかんねん」


 まるで責めてくれと頼むかのように、聖夜は言う。

 けれど、あのとき聖夜がしたことに間違いはなくて、結局芽榴が今追い詰められてるのは芽榴自身の問題だった。


「あなたを責める言葉なんて……私には思いつかないです」


 芽榴は聖夜の力が弱まったのを感じて彼の胸を押し返し、整った聖夜の顔を見上げた。


 久々に見る聖夜の顔は役員が見せる憂いを帯びた悲しげな顔。


 周りにいる大切な人たちに、こんな顔をさせることしかできない自分は役員信者の言う通り『狡くて最低な女の子』――そう、芽榴は実感した。


「私はあのとき、本当に嬉しかったんです。琴蔵さんに次に会ったときは何よりも先に『ありがとう』って言いたかったんです。なのに、そんな大事なことも言えなくて……」


 会ってすぐに芽榴が聖夜にしようとしたことは彼の腕を振り払うこと。

 途中から芽榴を追いかけていたのが、チンピラではなく聖夜に代わっていたことにさえ芽榴は気づかなかった。それほどまでに余裕がなくなった芽榴は、もはや聖夜が気に入った楠原芽榴ではない。


「自分が自分じゃなくなっていくのが嫌になるくらい分かるんです」


 芽榴は聖夜の目を見て告げる。深い闇に落ちていく彼女には確かにもう前のような強さはない。けれど震える声とは裏腹に、その瞳は以前と変わらぬ透き通った彼女だけの光を持っていた。


 弱った彼女を見て、たったそれだけで嫌いになれるほど聖夜の想いは浅くない。引き返せなくなるくらいにまでその想いは深くなっていたのだ。


「……芽榴」


 聖夜は芽榴の髪に自分の手を滑らせ、そして芽榴の冷たい頬に手を添える。


「――――俺は、お前にそないな顔してほしくて麗龍に帰したんちゃうぞ」


 ただでさえ、今の芽榴は顔色が悪いのに再会してから1度も芽榴は聖夜に笑顔を見せていないのだ。芽榴の泣きそうな顔を見るのなんて御免だった。

 あのとき芽榴を連れ戻しにきた役員と、それを知ったときの芽榴の幸せそうな顔を見て、聖夜は芽榴を手放した。芽榴が芽榴でいられなくなるのなら、芽榴を麗龍学園へ置いておく意味などもはやない。


「どうせ笑えんのやったら……俺のそばにおればええやんか」


 聖夜の掠れた声が、切ない。

 本当は「自分のそばで笑えばええ」と聖夜はそう告げたかった。けれど役員に何も話さないまま、たった一つの大きな罪悪感を胸に宿す芽榴を、自分の籠の中に閉じ込めてもきっと芽榴は心から笑ってはくれない。


 それを分かって、自虐的な言葉を吐く聖夜は今にも潰れてしまいそうな想いを心の奥に仕舞いこむしかない。


「どうして……そんなに優しいこと言うんですか」


 芽榴はその言葉に縋りつきたくなってしまう。


 苦しげにそう呟く芽榴を見て聖夜は目を細める。愛おしそうに芽榴を見つめる瞳は微かに憂いを帯びていた。


「なんでかて……ほんまに、分からんのか?」


 ここまで明白な心を芽榴が気づかないのは、気付かないフリをしているだけなのではないかと聖夜は思ってしまう。けれど、今の芽榴にとって聖夜は雲の上の人だ。そんな彼がたとえ芽榴を気に入ることはあったとしても、所詮それはよき友人のレベルで、何があろうとそれ以上にはなりえないと思うほかなかった。


「……お前はそんなん知らんでええねん」


 聖夜は優しく言葉を吐き、芽榴の頬から手を放す。


 芽榴の質問に対する答えは簡単。

 でも、弱った芽榴にそれを伝えるわけにはいかない。きっと不安定な心は本当の気持ちを知らぬまま聖夜の想いをまるごと全部受け入れてくれるかもしれない。けれど、それは聖夜の求める本物の心ではない。


 今、聖夜が何より望むのは芽榴の笑顔だ。

 自分のことを見てほしいとか、自分のそばにいてほしいとか、いろんな欲求はあるけれど、それでも今聖夜が望んだのは芽榴が失くしてしまった幸せそうな笑顔だった。


「少しだけ……お前に時間をやる」


 そして、それを取り戻す方法を芽榴はすでに知っている。

 だから聖夜ができることはそのきっかけを作ってあげることだけ。


「それまでに役員に全部話して、今の状況を変えや。それができひんのやったら、その時点で俺がお前を連れ戻しに行く」


 麗龍に残るためにすべてを壊すことを覚悟して自分の過去を吐き出すか、それとも最初から諦めて聖夜のもとに下るか。


 聖夜が与えた選択肢は残酷な現実を芽榴に突きつける。けれどそうでもしなければ芽榴は一生前に進めない。


 芽榴の苦しげな顔を見たいわけではない。


「はぁ……この話はもう止めや。家まで送る」


 聖夜はそう言って、思い悩んだ表情の芽榴の手から鞄を取り上げた。


「え、ちょっと……」


 芽榴は聖夜に荷物を持たせるのが申し訳なくて取り上げようとするけれど、聖夜は譲らない。どうせ車に乗るだろうからと諦めた芽榴だが、考えてみれば目に付くはずの車がどこにも見当たらないのだ。


「使いがおると面倒やから、途中で車から降りてんのや。別に今から呼んでもええけど」


 聖夜はそう言って歩き出す。言葉ではそう言っていても車を呼ぶ気はないらしい。

 芽榴はどうしたらいいか分からず、いまだ立ち止まったまま。そんな芽榴のほうを振り返って、聖夜はいつもの自信に満ち溢れた彼らしい笑顔を向けた。


「歩いたほうが一緒におる時間が長うなるやろ?」


 そう言って聖夜は黒縁眼鏡を掛け直す。彼の優しい声は静かな夕暮れの道に沈み込んだ。


 芽榴は聖夜の隣に小走りで並んで、ゆっくりと帰り道を歩く。


「琴蔵さん」

「何や?」

「新鮮ですね、これ」


 制服姿の芽榴と私服姿の聖夜。

 きっとこの姿で2人並んで住宅街を歩くことは後にも先にももうないだろう。

 

「琴蔵さん」


 今、聖夜に会えたのは不幸中の幸いだったのかもしれない。微かに軽くなった心は、芽榴に少しだけ元の強さを与えてくれた。


「もし全部壊れても……私が私でいられたら、また元に戻れますよね」


 決意した芽榴は、聖夜が見たかった強い芽榴の姿に戻る。


「……せやな」


 聖夜はその一言で芽榴のすべてを受け入れた。


 2人はゆっくりとその足を進め、家へと向かった。


 家にたどり着いてしまえば、芽榴と聖夜のひとときの逢瀬は終わりを告げてしまう。


 終わりないものなど一つもないのだ。

 最後に待ち受ける悲劇がどんなに残酷でも、きっとそれにも終わりはある。


 そう信じて、芽榴は目を閉じた。

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