134 裏工作と眠り姫
芽榴と翔太郎が教室にいる間、少し離れた場所で物語は動いていた。
3学年棟の空き教室。
「いい加減吐けよ!」
ガンッ……バキッ
そんな怒声とともに響くのは何かが壊れる音と、女生徒たちの甲高い悲鳴。
「も、もう、やめてよ。うちらは何も知らな……っ! きゃあ!」
ガッ
女生徒たちを脅すように彼女たちの真横を通り過ぎて壁に突き刺さった木刀を見て、女生徒たちの顔は恐怖に歪む。
「聞き飽きてんだよ、……んな台詞は!」
スイッチの入った有利の声が教室に響く。壁に突き刺した木刀を引き抜き、有利は舌打ちをして一歩下がった。
有利の代わりに前へ出てきた颯はとてもいつもの彼では想像できないほどに冷めきった怖い顔をしていた。
「神、代くんっ! うちらは関係ないのにこ、こんなの、酷い……っ」
女生徒たちは真っ青な顔で叫ぶが、対する颯は女生徒たちを見て鼻で笑った。
「関係ない、酷い。よくもまぁ……そんなことが言えますね」
颯のその声に、女生徒の体が震える。ひどく悪寒がするのだ。
「本当に心当たりがないなら……なぜここに来たんですか?」
颯はそう言って、ある紙を取り出し、女生徒たちに見せつけた。そのメモ用紙を見た瞬間、女生徒たちの目は大きく見開いた。
それは放課後、彼女たちのうちの一人の机の中に入っていたものだ。そのメモにはこう書いてあった。
「『楠原芽榴が役員に告げ口するかもしれない。5階の社会科室に行ったらしい』……これは、僕たちが用意したものなんですけど」
「……っ!」
「まさか……こんな簡単に引っかかるとは思いませんでした」
颯はそう言って、メモ用紙をビリビリと破り捨てる。
芽榴のエスカレートする嫌がらせに気づいた颯たちは芽榴に分からないよう、裏で暗躍していた。芽榴が知れば、きっと彼女は悲しい顔をするから、絶対に彼女に知られてはいけない。
取材班も校内にいるこの状況で、表だった動きはとれない。役員の行動はかなり制限されていて、その中で彼らは彼らなりに動いていた。
「芽榴がされた分は……返しますよ。それが道理ですから」
見下ろす颯の目に優しさは残っていない。一人の女生徒の首を掴んだ颯の手はひどく冷たかった。
「神代、くん。冗談……やめて、よ」
「冗談だと思いますか?」
冷静に言葉を返す颯に、目の前の女生徒たちが感じるのは恐怖だけ。このまま颯の手が力のままに女生徒の首を締めてしまいそうで、あまりの恐ろしさに女生徒たちは泣きわめく。
「藍堂くん、助けて!」
「あ? なに言ってんだ?」
再び前に出た有利は絶対に彼女には見せないであろう顔をして、女生徒たちの前に立っていた。
「ご、ごめん、なさい! もう、もうしないから、だから、許してぇ!」
縋る女生徒たちの綺麗な顔が2人の目にはひどく醜く映る。
「上面の謝罪なんて……意味ねぇんだよ」
芽榴に手を出したことを後悔するほどに、痛みを返さなければ終わりがない。もしかしたらそれを恨んでまた芽榴に手を出す可能性だってあった。結局終わりなんてどこにもないのだ。
「きゃあぁぁぁあぁあ!」
それでも、もう黙って見ているわけにはいかなかった。
すべてが終わると、颯はため息を吐いて女生徒たちに目を向ける。放心状態で「ごめんなさい」と言い続け、彼女たちは震えていた。
「……悪いね、有利。汚い仕事を手伝わせて」
「いえ。僕も、もう限界でしたから。あとで葛城くんをこちらに呼んでください」
冷静になった有利が木刀を直して、いつもの様子で颯に言う。
颯は自分の策に他人を巻き込んでいるだけな気がしてならなかった。実力のある有利や催眠術を使える翔太郎がいなければ、一人で忌々しい芽を潰すことさえままならない。
「……芽榴に恨まれるのは、僕だけで十分だよ」
颯はそう呟いて有利に後を頼み、一足先にその場を去った。
そして生徒会室に戻ろうとしていたときだった。
ガタガタッ
段差を踏み外したのか、誰かが階段から落ちてくる音がした。
廊下を歩いていた颯は急いで階段のほうに向かい、そして落ちてきた人物を見て思考が一気に停止した。
「……っ、芽榴!」
颯は階段下に勢いよく転がった芽榴に駆け寄り、芽榴の上半身を抱きしめるようにして起こした。
「芽榴!」
血相を変えた颯は青ざめた顔で芽榴の名を呼び、彼女の肩を揺らした。
「……っ」
目は覚まさなかったが、颯の触れたところが痛かったらしく芽榴は眉を顰めた。落ちて身体を打ち付けたショックとここ最近の睡眠不足で、芽榴は眠りに落ちたらしい。スースーと可愛らしい静かな寝息を立てていた。
芽榴の意識があることを知り、颯の頭からさっと熱が引いていく。そして、颯は階段上を見た。
芽榴がボーッとして、足を踏み外す。ありえないことではないが、なんとなくそうではない気がした。
本当は駆け寄ったとき、すぐに上を確認して人影を探すべきだった。しかし、落ちてきた芽榴を見て取り乱した颯にそんな余裕はなかった。
頭で考えずに行動をするのは初めてで、妙な感覚に颯は少し戸惑う。けれど、今はそんな場合でもないのだ。
「……芽榴」
自分の腕の中にいる芽榴を、颯は複雑な顔で見つめる。文化祭で抱きしめたときよりもその体が小さく、軽くなっているように感じた。
自分の予想以上に、芽榴は追い詰められている。そう、颯は瞬間的に悟った。
「やっぱり……君は僕を頼らないんだ」
悲しげに呟きながらも、颯の顔は申し訳なさで溢れていた。
芽榴に頼ってほしい。けれど、芽榴はそれを望まず、一人で抱え込んで崩れていく。
「う……あっ」
目を瞑ったまま、芽榴は辛そうな顔で呻く。まるで悪夢を見ているような姿だった。
「芽榴……」
颯は芽榴の柔らかい髪を梳く。
手を差し伸べるのではなく、拒絶を跳ね除けてでも芽榴の手を掴んで、芽榴を助けること。それが本来颯のするべきことだ。
たとえ芽榴に恨まれても嫌われても颯はそうしなければならない。
少し前までは、芽榴のためなら恨まれても構わないと颯は思っていた。さっきだって有利に「恨まれるのは自分でいい」とさえ告げたのだ。
けれど、実際はそんなふうには思えていない。想いが強くなればなるほど、拒絶されることを恐れてしまう。
自分たちが、風雅のように芽榴から離れる道を選べば、すべて終わるのかもしれない。そう分かっていて、それでも芽榴のそばに居続けるのはただのエゴなのだ。
どんな言葉で取り繕っても、結局とんだ英雄気取りの大馬鹿だ、と颯は自嘲する。
「これが、惚れた弱みなのかな……」
「……」
眠る姫に、颯は初めて自分の想いをはっきりと言葉にする。
けれど眠りの森に消えた少女にその声は届かない。
もし、おとぎ話通りなら姫は王子のキスで目を覚ます。けれど、こんな狡くて最低な自分では舞台にすら立てないことを颯は痛感していた。
「だから……早く僕のところへ来て」
眠る芽榴を抱き寄せ、颯はその耳元で囁く。その悪夢が早く覚めるように、と思いを込めて――。




