09 指切りと確信
トランプ大会前日の放課後。芽榴は生徒会室にいた。というのも、松田先生に生徒会室から資料をとってくるように頼まれたからなのだが。
「あれ? 来羅ちゃんだけ?」
生徒会室には来羅しかいなかった。
「うん。トランプ大会の準備で颯も有ちゃんも忙しくて……。風ちゃんは別事情でいつも忙しいんだけどね」
「あー、ね」
風雅は放課後になると、女子に囲まれている。いつも囲まれているのだが、他の学年の女子までやってきて囲む人集りが1日の中でもっとも多くなってしまうのだ。そんな中でも芽榴にやって来るときはいったいどんな言い訳をしているのだろうと芽榴はたまに考えていた。
「葛城くんは?」
「あ、翔ちゃんは……ほら、有ちゃんのアレを止めたから今は仕事半減週間なの」
「そんなこと言ってたねー。そうそう、あの資料借りていい? 松田先生が欲しいんだってー」
「うん、いいよ。でも、ごめんね。今、計算してて手を離せないから……」
「自分でとるよー」
芽榴は来羅の後ろにある棚へと歩み寄る。横を通り過ぎるときにチラッと来羅の手元にあった計算機を見た芽榴は、やけに桁の大きな計算をしているなと思った。
「よっと……」
「あぁぁぁぁあああ!」
目的の資料を手にとった芽榴の背後で来羅が大きな声を出す。芽榴は心底驚いて肩をビクッと揺らした。
「どしたの?」
「間違って消しちゃった。さっきの数字写してなかったのに。はぁ。また計算やり直しね……」
来羅はとほほ、と机に伏した。芽榴は不謹慎にもそんな来羅の姿を可愛いなと思ってしまう。
「さっき計算機にのってた数字なら20746581だよー」
「え?」
芽榴が近くにあったメモ用紙にシャーペンでさぁっと数字の羅列を書き置いた。そんな芽榴の行動に来羅は驚く。
「なんで知ってるの?」
「さっき通るときに見えたー」
「その一瞬で!?」
来羅の声が裏返ったことによってやっと自分のしたことが他人からしたら少し変わっていることなのだと芽榴は気づいた。
「あー、うん。なんか覚えやすい数字の羅列だったから」
芽榴が頬をかきながら言うと来羅は顔をパアッと明るくした。
「……なに?」
「ううん、何でもないわ」
来羅は頬を緩めたまま、メモ用紙を取り上げて「ありがとう」と言った。
「どういたしましてー」
芽榴は資料を両手いっぱいに持ち上げると、扉に向かう。そんな芽榴に来羅はもう一度声をかけた。
「明日はお互い頑張ろうね!」
「……できるかぎりねー」
芽榴は苦笑して生徒会室を出て行く。
「やっぱり、るーちゃんよ」
扉が閉まるとき、来羅がそう呟いた気がした。
資料を抱えたまま、歩く芽榴はよく知った背中を見つけ、声をかけた。
「藍堂くんだー。久々だね」
芽榴は振り向いた有利を見てヘラッと笑う。有利を見るのはスクリーン越しに有利が暴走した時以来だ。そんな芽榴の笑顔に有利は珍しくも驚いているようだった。
「んー? どしたのー?」
「楠原さんも、あの僕を……見たん、ですよね?」
有利が歯切れ悪くそんなことを尋ねる。芽榴は「うん」と苦笑する。
「本当、驚いたよー」
「……引かないんですか?」
「へ? なんで?」
芽榴にはどうして引く必要があるのか分からないが、有利はとても驚いている。芽榴が首を傾げると有利はいつもの無表情な顔に少し寂しげな影を落とした。
「いえ。あの僕を見た生徒さんの態度が最近よそよそしくて……」
なるほど、と芽榴は思った。確かにあんな有利を見たあとでは接しにくいのかもしれない。しかし、本来の有利はやっぱり芽榴の知っている有利なのだ。
「まぁ確かに凄かったけど……」
芽榴は思い出して噴き出す。
「あそこまで真逆の性格になるといっそ面白いよ。たまには見たいかもねー。まー、毎日はさすがに嫌だけど」
「楠原さん……」
有利はやはり無表情だが、先ほどの寂しげな雰囲気は消えていた。むしろ明るい雰囲気をまとっているようにも感じられる。
「……半分持ちますよ」
一息ついて有利が芽榴に手を差し出すが、芽榴は首を振ってそれを拒否する。
「仕事忙しいんでしょー? 手伝うなら神代くんとか来羅ちゃんにしてー」
「ですが……」
「そうだ。藍堂。こんなところで油を売ってる暇はない」
反論の声をあげようとした有利を遮ったのは翔太郎の声だ。
「あら、葛城くん」
「楠原の手伝いは代わりに俺が引き受ける」
「いや、君も生徒会の仕事を手伝おー」
芽榴が目を細めて翔太郎を見ると、翔太郎は眼鏡を押し上げ、フッと笑う。
「生徒会の仕事を半減されているときまでするなど愚か極まりない。貴様の仕事など生徒会の仕事に比べればお茶入れのようなものだ」
「うわー、バカにされてるのかな? これ」
芽榴は一層目を細め、有利はため息をつく。しかし、翔太郎の仕事半減週間は自分のせいでもあるため何も言えないようだ。有利は翔太郎に頷くと、芽榴に向き直った。
「明日も忙しくて言えないかもしれませんから……」
「んー? 何を?」
「僕は絶対優勝します」
「うん。頑張ってね」
芽榴が笑うと有利が小指を差し出す。
「え」
「楠原さんも優勝してください」
有利の目は真剣だ。芽榴は戸惑うが、指切りをするまで有利は仕事に戻らないだろう。芽榴は翔太郎に書類をドサリと渡すと有利の小指に自分の小指を絡ませた。
「ゆびきりげんまん、嘘ついても責任はとーらない。指切ったー」
「……楠原さん」
指切りの意味があったのか分からないような指切りを交わし、有利は苦笑する。しかし、有利はそれでも満足げに「さようなら」と一礼して帰る。そんな有利の後ろ姿を見てさすが武道の名家の生まれだなと芽榴は思う。
「楠原。さっさと半分とれ」
「えー、全部は持ってくれないんだね」
「俺はあくまで手伝いだ。半分も持ってやることに感謝するくらいの心持ちで……」
「はいはい」
芽榴はペロッと舌をだして、翔太郎の腕から書類を半分とった。
「うーん……」
「何だ?」
芽榴が唸るので翔太郎は訝しむように芽榴を見下ろす。
「私って葛城くんの中で女と認識されてないのかなー?」
「……何故そう思う」
「だって女嫌いらしいけど、ほら」
芽榴は翔太郎と翔太郎の持っている書類を交互に見る。女嫌いのくせに現に女を手伝ってるではないか、と芽榴は言いたいのだ。
「貴様は催眠誘導が効かないからな」
「え、それだけ?」
芽榴が驚いたような顔をすると、翔太郎は深いため息をついた。
「意志の弱い人間、他力本願な人間は容易に俺の誘導にかかるし、俺の力を利用したがる。催眠誘導が効かない貴様は確固たる意志を持っているということだ。つまりは俺を利用しようとはしない。女ということを差し引いても認めるに値するだろう」
翔太郎が眈々と説明するが、芽榴は「難しくてよく分からない」と言って笑った。
「でもさ、私みたいに催眠誘導効かない女の子だって世界中探せばまだたくさんいるかもしれないんだし。女の子に偏見持ってたら、それだけでそんな大事な出会いも見逃しちゃうよー?」
芽榴は戯けて、翔太郎の肘をコツコツと自分の肘で押す。
「……くだらん」
「まー、来羅ちゃんみたいなカワイイ子が近くにいたら大抵の女の子には目がいかないだろうけどねー」
「あれは男だ」
翔太郎が言うと、「今ので数多くの男子の夢を壊したよー」と芽榴は言う。
「要は自分の心持ち、だよ」
芽榴は片手を突き出して翔太郎の胸をチョンッと押した。
「……楠原」
「あ……。葛城くん、もうここでいーよ。ありがとう」
芽榴は翔太郎の書類の上に自分の書類をのせ、そして翔太郎の腕から書類全部を奪った。
「職員室まで運んでやる」
「いーの、いーの。松田先生は葛城くんのこと苦手だから」
芽榴がからかうようにして言うと、翔太郎は芽榴をギロッと睨む。それでも芽榴はいつもの無気力な笑顔で「ばいばーい」と書類を持ったまま腕を揺らす。
「ふんっ、こけるぞ」
「余計なお世話ー」
翔太郎の文句を背に芽榴は廊下を進む。少し行ったところで数人の女子の姿が見えた。風雅の近くにいるような華美な女子ではないが、気は強そうだ。2年の棟にいるのだから同学年だろう。
「葛城くんの声があっちでしたんだよ! 多分まだ近くにいるから行こうよ!」
「明日のトランプ大会勝てるようにおまじないしてもらおう!」
「でも、葛城くんがおまじない得意って本当なの?」
「噂よ! でも縋らない手はないでしょ?」
そんなふうに女子が騒いでるのを見た芽榴は通り過ぎざまに呟く。
「あ! 葛城くんが校門のところにいるー」
「え!? 嘘ー! 急がないと!」
パタパタと忙しない様子で階段を駆けおりて行く女子を芽榴は見つめ、視線を別の方へ向ける。
「ふぁぁあ……」
欠伸をしながら職員室に向かう芽榴が去った後の廊下にはカチャリと眼鏡を押し上げる音が響いた。