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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
生徒会動乱編
149/410

133 疫病神と歯車

 真っ暗な部屋。

 音もなく色もない――ひとりぼっちの世界。


『い、や……出して……』


 まるでこの世とあの世の狭間の世界にいるような、そんな空間で一人取り残された。


『出してぇぇえ! おねがい! いやぁぁああ! 怖い、こわいよ、いやだぁあ』


 声を出していることだけでしか、自分が存在していることが分からない。けれど、返る言葉はなくて自分の存在が知れても他人の存在はない。


 不安で心が押しつぶされる。けれど、助けの手はない。


 そこはたった一人の、孤独の世界。


『あ……あ、あ……あぁぁぁあああああ!!』






「……っ、はぁ、はぁ……また、あのときの」


 目を覚ました芽榴はこの季節に似つかないほどの寝汗をかいていた。


 体を起こし、芽榴は額に手をつく。


 ここ最近、ずっと同じ夢を見ていた。

 これまでずっと、見ることのなかった夢。否、芽榴の過去。


 10年前、芽榴を襲った悲劇を、頭にちらつく記憶を、芽榴は何度も何度も心の奥に閉じ込め、そして毎年11月というこの時期に、自分を保ってきた。


 そうでもしなければ、脆い心はすぐに粉々に壊れてしまいそうだった。


「……うっ」


 気持ち悪い。吐き気がする。


 今この夢を見るということは、心が乱れて歯止めが効かなくなっている証拠だ。らしくないくらい、芽榴は不安定になっていた。


「……助けて」


 誰に助けを求めたのか分からない。

 何を助けてほしいのかも分からない。


 本当は誰にも何も求めてはいないのかもしれない。


 ただ芽榴がそう言葉を吐いたことだけは確かな事実だった。









 けれど、芽榴がどんな状況下にあろうと、周囲の人にそんなことは関係ない。嫌がらせは終わることなく続いている。


「芽榴、一緒行くよ」

「楠原。荷物貸せ、俺が持っとく」


 事情を知る舞子と滝本は常に芽榴のことを心配していた。

 それでも2人がずっと芽榴のそばにいれるわけではない。


 松田先生のパシリにされたり、2人とは違う選択授業に行ったりすれば、おのずと1人の時はできてしまう。


「死ねよ、ブス」


 そんな言葉だけならいい。けれど、芽榴に与えられるのは変わらない暴力で、女子の力だからこそまだ大事に至っていないというのが事実だ。


 役員と関わったら関わった分だけ、加えられる痛みは大きくなる。


「楠原さん」

「あ、藍堂くん」


 そんなある日、芽榴は有利と廊下でバッタリ会った。


「次、移動教室なんですか?」


 廊下ですれ違えば、いつもなら少し立ち止まって会話をする。だから有利は周りの目を気にしながらも、立ち止まってくれた。


「うん……じゃあね」


 立ち止まらなかったのは――芽榴のほう。


「え……」

「芽榴っ」


 舞子も驚いたように芽榴の手を引いたが、芽榴は笑って通り過ぎていくだけ。


 唖然とする有利の顔を見て思ったことを一言で表すなら『辛い』というありきたりな言葉に尽きる。その中にはいろんな思いがあって、でもすべて言い訳にすぎない。


 芽榴と有利が話すことを周囲の人は嫌う。芽榴が有利と話したことで嫌がらせが加熱すれば有利が責任を負う。そんな思いも確かにあるけれど、結局それは後付けのきれいごと。


 芽榴が有利を避けたのは、ただ自分を守りたいから。周囲の人にこれ以上疎まれたくない。そして、有利から拒絶されることを恐れた。


 そんな自分の浅ましさと情けなさが入り乱れて、芽榴の心はどんどん壊れていく。








 役員が芽榴の元へ足を運ぶことも減った。それは芽榴が望んだ結果とそれを役員が受け入れた結果。


「楠原」


 けれど唯一、いつも通りの自分でいることを約束した翔太郎は芽榴に会いに来た。


「葛城くん」


 放課後、教室で生徒会の仕事をする芽榴の前に翔太郎は座り、文庫本を読んでいた。


 翔太郎が近くにいるからと舞子も滝本も部活に行っている。


 芽榴の呼びかけに、翔太郎は顔をあげた。


「なんだ?」

「生徒会行かなくていいの?」


 芽榴は紙にペンを走らせながら、翔太郎に向かって尋ねる。芽榴の心配するような顔を見て、翔太郎は軽く息を吐いた。


「今日は個人取材だからな。俺の番まではあと少し時間がある」

「……そっか」


 その少しの合間にわざわざ芽榴に会いに来てくれた翔太郎に申し訳なさは残るものの、やはり芽榴は嬉しくて微笑んでしまう。


「もうすぐ取材も終わる」

「うん……」


 取材が終わっても、嫌がらせが終わる気はしなかった。


「葛城くん、ありがとね」


 芽榴が笑うと、役員はいつだって笑顔を返してくれた。けれど、その幸せを芽榴は自ら手放した。




――それを明かさねぇのは……信用できてねぇってことだろ?――




 慎の言葉が頭に浮かぶ。

 彼は芽榴を甘やかさない。

 芽榴の過去を知り、芽榴が傷つこうと傷つかまいと、思ったことを口にする慎の言葉はそれだけ説得力があった。


「葛城くん」

「……どうした?」


 静かな教室。


 すぐにでも今目の前にいる翔太郎を拒絶してしまいそうな自分が怖いと芽榴は切ない顔をする。

 失うことを恐れる芽榴は一歩も前には進めない。


 けれど踏み止まった芽榴の前には――きっと何もない。


「私が、本当は英国王室の血統のお姫様なんです、って言ったらどうする?」


 芽榴はいきなり突拍子もない話を振る。そんなことを言われても実感がわかなくて、翔太郎も反応に困ってしまった。


「……もう少し、現実味のある話はないのか」

「あはは、そーだね。じゃあ」


 芽榴はペンを止め、翔太郎の目を見る。


「東條社長の娘、とか」


 少しだけ空気が凍りつく。

 東條社長の名が出たのは単純に今、学園と噂になっている人物だから。

 けれど、なぜかその言葉には怖いくらいの説得力があって翔太郎はゴクリと唾を飲み込んだ。


「楠……」

「冗談なんだから、本気にしないでよ」


 芽榴はそう言って、真実を心の奥に閉じ込める。


 すべてを吐き出して、壊れることを恐れる芽榴は昔と変わらないただの弱虫だった。











「次の取材、風ちゃんの番よ」


 個人取材を終えた来羅が生徒会室に戻り、ひとりぼっちでいる風雅に声をかけた。


 翔太郎は芽榴のところへ、颯と有利は何処かへ行ってしまい、生徒会室には風雅だけしかいなかった。


「……うん」


 風雅は静かに返事をして、自分の荷物を片付け始める。


「ねぇ」


 今の風雅は昔の、予約制度に振り回され続けた風雅の姿よりもはるかに虚しい。まるで大切なものがどこか欠落してしまったような、そんな風雅を見ているだけで、来羅は切なくなった。


「……これからずっと、るーちゃんを避け続けるの?」


 来羅は静かに尋ねる。

 来羅の質問に風雅はピクリと肩を揺らした。


「……分かんない」


 風雅の声は小さく頼りない。

 風雅だって、芽榴のことを避けたくて避けているわけではないのだ。許されるなら今すぐにだって会って抱きしめたい。


 でも、自分のせいで彼女が傷ついていくのは耐えられなかった。


「オレさ、ちょっと前まで……オレが誰よりも芽榴ちゃんのこと好きだって思ってた」


 役員の中で最初に芽榴を気に入り、好きになったのは風雅だ。思いの順番は言い尽くせないけれど、彼の芽榴への思いが深いことは誰も否定なんてできない。


「でも……肝心なときにそばにいれないのに、『好き』なんて……最低すぎて、口にするのが怖いんだ」

「……風ちゃん」

「オレには、芽榴ちゃんを好きでいる資格すら……もうないんじゃないかって」


 風雅の顔はクシャッと整えられた髪に隠れて見えない。ただ、彼が笑っていないことだけは来羅にだって分かる。




――るーちゃん。風ちゃんがただの女たらしって勘違いしたかもよ?――

――芽榴ちゃんがそう思うなら、オレはそういう男ってことでいいよ――




 でも、そんなことを言う風雅なんて来羅は見たくなかった。


「しっかりしなさいよ!」


 来羅は頼りない風雅の胸ぐらを掴んで揺らす。

 どんなにみっともなくても、芽榴にどんなに情けない男だと思われても、芽榴の言葉ならすべて受け入れるといった風雅は確かに来羅の目の前にいる風雅だ。


「るーちゃんは……風ちゃんのことを責めたりはしないわ。風ちゃんの気持ちも全部分かって、それでも風ちゃんのそばにいたのに、風ちゃんがそんなんでどうするのよ!」


 来羅の手を抑え込むように、風雅はその手にソッと触れた。


「分かってる……分かってるよ。……でも」

「――っ」

「どうせなら、責めてくれたほうが楽だったんだ」


 顔を上げ、来羅に縋るような目を向ける風雅の顔は悲痛に歪んでいた。


「来羅……オレ、もうどうしたらいいか分かんないや」





 それぞれが思いを抱え、うまくいかない歯痒さに心が乱れる。


 それでも、回りだした歯車は止まる方法を知らない。結局、ただ回り続けることでしか終わりを見つけることもできない。


 そして回り続ける歯車のその先には――。






 翔太郎に仕上げた仕事を託して、芽榴は彼に別れを告げる。結局、芽榴の言葉の真意が分からない翔太郎は難しい顔をしたままで、芽榴はそんな翔太郎を見ることさえ辛かった。


「……これが、ずっと続いたら……どーしよう」


 芽榴は廊下を歩く。


 呟く芽榴の言葉には、もはや不安しかない。こんな自分がうんざりだった。


 幸せだった文化祭、あのときからまだ1ヶ月も経っていないのに、状況はあの時とはまるで違った。


「幸せは、私には遠いのかな……」


 芽榴の疲れたような乾いた笑いが、静かな空気に溶けて消える。




――疫病神――




「……ほんとにね」


 昔のクラスメートに言われたことを思い出す。


 そう言って目をつむった芽榴の視界は何も映さない。階段の前に差し掛かっていた芽榴は自分の不安を抑え込むのに精一杯で、油断していた。


 トンッ


「……え」


 振り返ったときにはもう遅い。


 芽榴の体は重力に逆らうことなく階下へと落ちていく。


「……っ、芽榴!」


 誰かの叫び声が聞こえたけれど、そこで芽榴の意識は途切れた。

 



 歯車のその先には――哀しみだけが待っていた。

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