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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
生徒会動乱編
148/410

132 天邪鬼と照れ隠し

 ラ・ファウスト学園の図書室。

 そこではいつものように一人の男が拾い集めたオモチャたちと楽しい一時を過ごしていた。


「……もうちょっと口開いて」

「……慎、様ぁ」


 キスの途中、慎はそんなふうに要求する。相手は慎がずっと前に拾ってほったらかしにしていたお嬢様。


「……かぁわいい」

「……恥ずかしいですわ」


 感情の読めない笑みで、そんな甘い言葉を囁く。うぶなフリをするお嬢様の反応を慎は楽しんでいた。


 聖夜が日々捨てていく女を拾う毎日もある日を境に終わってしまったため、なかなか新しい女を拾う機会がない。


「慎様、愛してますわ」

「うん……俺も好き」


 あんたの体がね、と慎は心の中で付け加える。自分に愛を告げても、所詮他の男に言い寄られればこんなふうにすぐに心を許してしまうくせに、と慎は物を見るような目でお嬢様のことを見ていた。


「今月に入って、また寒くなりましたわね」

「はは、でもこうやってたら暖かいっしょ?」


 慎はそう言って彼女の体を抱き寄せた。まるで本当に愛する女を抱くかのように慎は優しくその細い腰に触れる。


「それでも、寒いですわ」

「じゃあ、どうしたら暖かくなる?」


 潤んだ目でこちらを見てくるお嬢様に慎は笑顔で尋ねる。分かっていても、相手が満足するだけなんてつまらない。


 少しは慎のことも楽しませてくれなければフェアじゃない。


「……慎様」


 すると、お嬢様は慎の着崩された制服のシャツに手をかけた。


 自分の胸にいるお嬢様を見て、慎は別の少女の姿と重ねる。


 といっても、その彼女は慎の胸におとなしく収まるような女ではないし、磨きをかけたお嬢様と比べるのは申し訳ないと思うくらいに平凡な容姿だ。


 それなのになんとなく、今自分が抱いている少女が彼女ならどれほどの満足感が得られるだろう、と慎はそんなことを考えていた。


 聖夜がいなくて、時期も時期。

 きっと退屈で暇つぶしのように彼女の顔が思い浮かんだだけ。慎はそう、自分に言い聞かせる。





――簑原さん、言ったじゃないですか。私とはキスしたくないって――





 彼女の影を頭から振り払うように、お嬢様にキスを落とすと、今度は彼女が言った台詞が慎の頭に浮かんだ。

 文化祭、どうしようもなく無防備な彼女にキスするのは簡単。でもしなかったのは聖夜を裏切れなかったから、彼女を自分のものにする覚悟がなかったから。そして何より――。


「……きっと、途中で止めらんねぇし」

「……慎様?」


 キスを途中で切り上げ、慎は制服を軽く整える。その慎の行動を不思議に思ったお嬢様は首を傾げるが、対して慎は悪びれもなくウインクを返す。


「ごめん、気が削がれちゃった。またね」


 呆然とするお嬢様のことなんか放ってあっさり図書室から出て行ってしまった。












 ザッバーン


 頭上からバケツいっぱいの水が降ってきた。


 手を洗いにトイレへと来た芽榴は、近くで声がして他の女子もこちらへ来ることを悟り、急いで個室へと隠れた。


 しかし、妙に慌ててしまったため、不自然な足音とドアを閉める音が響く。


「ん? これ、楠原芽榴のハンカチじゃない?」


 加えて不覚にも芽榴は洗面所に自分のハンカチを起き忘れてしまったようだ。ハンカチ一つで芽榴のものだと気づく役員信者もさすがなのだが。


 というわけで、芽榴は個室に水をぶちまけられてしまったのだ。


「ぷはっ、つめた……」


 11月に入り、もうかなり寒い。それなのに、いきなり冷たい水を頭から被れば、ダメージは半端ない。


 芽榴は顔に張り付く髪を掻き分けて、自分の髪の毛と制服を搾る。すると、水を吸い込んだ雑巾のようにそこからたっぷりと水が滴り落ちた。


「さすがにこれは着替えないとだけど……」


 とりあえず現在休み時間で、廊下をびしょ濡れの状態で歩くわけにはいかない。舞子を呼ぼうにも、その手段がない。


 授業を遅刻する形にはなるけれど、廊下から人がいなくなった後、保健室で着替えを借りることにしよう。そう計画をたて、芽榴は個室の中にまだしばらく居残った。




 授業開始のベルが鳴り、芽榴はビチャビチャと音を立てて個室から出た。トイレの掃除道具をとって濡れた床を拭く。そのまま歩くとまた水で汚してしまうため、芽榴は水を吸いこんだ靴下と上履きを脱いで歩くことにした。


 保健室に行き、いないでほしいと思う時に限ってちゃんと業務をこなす医務教員は芽榴を見て目を丸くした。


「どうしたの、楠原さん」

「すみません。手を洗おうと蛇口をひねったら指で塞いでたみたいで、噴射しちゃいました」


 困り顔で芽榴は言い、医務教員は「あらまぁ……」と同情するような視線を芽榴に送った。


「楠原さんって意外とドジなのね」

「あはは。そーみたいです」


 貸出用の制服を受け取りながら、芽榴は医務教員の台詞に笑顔で返す。医務教員が気を利かしてドライヤーも貸してくれたため、芽榴は髪の毛を乾かして保健室を出て行った。


 更衣室に行き、濡れた制服を脱ぐ。

 キャミソールとスカートという姿になり、芽榴は自分の姿を見て溜息を吐いた。


 嫌がらせは日に日に酷くなる。

 肩や腕、お腹の痣は消えないうちにまた新たな痣を作ってしまい、帰宅部の女の子の体とは到底思えない。運動部の子でもここまで多くの痣は作らないだろう。


「お嫁さん、行けないねー」


 芽榴は自分に向かって呟く。頬の傷痕は薄くなって幸いにも痕は残さずに済みそうだった。けれど、体中の痣も全部綺麗になくなるとは限らない。


 芽榴は苦笑して、保健室から借りた黒いワイシャツを手に取った――瞬間。


 ガチャッ


「え」

「ごっめんね〜。ちょっと隠れさせ……て」


 本来この学園にいるはずのない、まして女子更衣室にいるべきではない男子が目の前に現れた。


「簑原、さん」


 驚いて声が喉に詰まった。が、それは相手のほうも同じらしく珍しく簑原慎が目を丸くしていた。


「なんで、あんたがいんの」

「いやいや、それはこちらの台詞ですから」


 芽榴は半目で言葉を返す。学園の生徒でない慎が、そして男子である慎がここにいることが一番不思議でおかしなことだ。


 とにもかくにも、今の芽榴の格好的にそんなことはかなりどうでもいい。


「あの、出て行ってもらえません?」


 着替え中の芽榴は目を細めて言った。キャミソールとはいえ、少し濡れているため軽くブラが透けているのだ。優しい言い方だが、芽榴は表情で「出て行け」と訴える。


 がしかし、慎は満面の笑みだ。


「大丈夫大丈夫。女の裸は見慣れてるし、あんたの平凡な体見て興奮するほど俺溜まってねぇから。それに、下着つけてんだし問題ないだろ?」

「何が問題ないのか意味分かりません」


 慎に軽蔑の眼差しを送る芽榴は、彼が偽りの笑みと言葉で自分を必死に繕っていることなど分からない。繕うくらいなら出て行けばいいのにそうしないのは、嫌がる芽榴を見ることで自分の苦悩とイーブンにしてみせようとしているだけなのだが。


 しかし、そんな慎の桃色な頭の中も彼女の姿をまじまじと映してしまえば、冷静になる。


 観念してさっさと着替えを済まそうとする芽榴に近寄り、慎は芽榴の腕を掴んだ。


「な……っ」

「この痣、何?」


 慎は芽榴の肩や二の腕の痣に目を向ける。芽榴は「離してください」と強気な声を出し、慎の腕を振り払おうとするが、慎に力で敵うはずもない。


「脱いで」

「は!?」


 次に慎の口から出た言葉に芽榴は頓狂な声を出す。けれど、もちろん芽榴が脱ぐはずもなく、慎は芽榴のキャミソールの裾に手をかけた。


「簑原さん! ちょっと、やだ!」

「うっさい、黙れよ」

「……っ!」


 慎の顔にいつもの笑みはない。

 時折見せる慎の真剣な顔は怖い。自分の顔を見て少し抵抗する力が弱まったのを確認し、慎は思いきりキャミソールの裾をたくし上げた。しかし、露わになるのはブラの真下、お腹だけ。

 安堵するものの、芽榴のお腹は今あまり見られていいものでもなかった。


「殴られた? あー、蹴られたってのもあるか」


 芽榴の体の痣を一通り確認した慎は、芽榴から離れてそんなふうに言葉を紡ぐ。図星すぎて、芽榴は反応に困った。


「あんた、今役員と一緒にいねぇの?」

「……生徒会休んでるから」


 芽榴の言葉に慎は目を細めた。

 麗龍に取材班が入り浸っているという話は先日どこかのお嬢様から慎も聞いていた。が、まさかそれが原因で生徒会から離れているというところまでは慎も予想しきれていなかったのだ。


「なんで……簑原さんはここにいるんですか」


 芽榴は他校の生徒である慎が、やってきたことに疑問を感じずにはいられない。聖夜が一緒ならまだしも、彼の姿は見当たらなかった。


「楠原ちゃんに会いに来た」


 慎は笑顔で答える。

 その言葉が本当か嘘かは彼しか知らない。


「なーんてね。暇だったんだよ、聖夜もいねぇから」

「え」


 慎の知らせる事実に芽榴は少しだけ目を見開く。聖夜が大阪の実家にて謹慎させられていることは、あまり公にされていない事柄だった。


「……私のせいですか?」

「さぁね。でも聖夜は、あんたがそういう顔をすることを望んでないってのは確かだぜ?」


 慎は扉に背を預けて、聖夜の代わりに言葉を告げる。


「まぁ……聖夜がもしここにいたら、あんたをこっちに即編入させると思うけどな」


 慎は傷ついた芽榴の体を冷ややかな目で見つめ、言った。芽榴はハッとして、手に取ったワイシャツを羽織る。今更の行動に、慎は笑った。


「にしても、聖夜の代わりに様子見に来て正解だった。……ただでさえ、頭おかしくなってんじゃねぇかと思ってたのにこの有様って」


 慎の「ただでさえ」という言葉が芽榴の心に引っかかった。それはきっとこの季節と芽榴の過去を指しての言葉。芽榴の素性を知る慎だからこその意見だ。


「役員にまだ言ってねぇんだ? 自分のこと。まぁ当たり前か」


 慎は腕を組み、芽榴の目を見つめる。その瞳は明らかに揺れていた。芽榴の素性は芽榴の最大の弱点。


「でもそれを明かさねぇのは……信用できてねぇってことだろ?」

「違います!」


 慎が冷静に告げた言葉を芽榴は間髪入れずに否定した。適当にあしらえばいいことをムキになって声を上げたのは心の何処かでそう感じている自分がいるからだ。


「知ってたら、今あんたを一人にするなんて馬鹿なことはしねぇよ。絶対」

「私は別に」

「平気です? ふざけんな」


 慎はそう言って芽榴の手を引き、自分の胸に抱き寄せた。その手つきは荒々しく、今朝抱いたお嬢様と比べてはるかに雑なのに、なぜか愛しさに溢れていた。


「平気なら、泣きそうな顔してんじゃねぇよ。そんな顔するくらいなら役員に全部言っちまえ。そんで捨てられたら……それだけの話だろ?」

「……違いますよ」


 芽榴の声が少しだけ震える。


「みんなには嫌われたくないんです。きっとみんな私の過去も全部受け入れてくれますよ。でも、みんなが本当のこと知ったら、いつも私のこと心配して……どこかで線引きされて」


 芽榴は慎の胸にしがみつき、自分の顔をそこに埋めた。慎の香りが芽榴の心に沁み込んでいく。


「きっと……みんなの重荷になるんです」


 それが嫌だとその言葉はもう声にならない。芽榴は慎のシャツを皺ができるくらいに強く握りしめた。


 誰にも言わなかった本音をぶちまけたのは、芽榴の心がぐらついていたから。でもきっと大嫌いな慎だから、全部ぶつけてしまえたのだ。


「それでもいいんじゃん?」

「よくないって言ってます」

「なんで? 俺が拾ってやんのに」

「絶対嫌です」


 芽榴はくぐもった声で慎の言葉を全否定する。それが面白くて慎はケラケラと笑った。


「あなたの笑い方、嫌いです」

「俺自身は嫌いじゃないんだ?」

「大嫌いです」


 まるで今の自分の不安を全部吐き出すかのように、芽榴は慎に言葉を吐き続けた。そしてその不安を取り除かせるように、慎もまた芽榴のために戯けた態度を取り続けている気がした。


 しばらくして、落ち着いた芽榴は慎から離れる。そして制服を完璧に着替え直した。


「じゃあ、私教室に帰るんで」

「は? せっかく来てやった俺の相手はしないわけ?」

「来てなんて頼んでません」

「うーわ、何それ」


 さっきまでほんの少しはムードがあったのに、今はもうすっかり芽榴がいつもの調子に戻ってしまった。


「じゃあ、俺も帰ろ。あー、暇。誰か相手してくれる子探さねぇと」


 慎はそう言ってスマホを取り出し、電話帳を確認し始める。


「簑原さん」

「あー……何?」


 気のない返事をし、慎はスマホに目を向けたまま芽榴のほうを向く。


「ありがとうございます……」


 でも微かに聞き取った声はそう慎に伝えていた。


 慎のおかげで、少しだけ芽榴の気分が晴れた。それは事実で、ここ数日の芽榴の苦悩を受け止めたのは他でもない慎だった。


 だから感謝の言葉を伝えたいのに、慎に直接言うのが不服で、でも言わないとすっきりしない気がして、芽榴は上目で慎を見つめ、なんとかお礼の言葉を口にする。


 けれど――。


「可愛げねぇの」


 慎はそう言い残して、芽榴の前から消える。


 あれだけ優しくしておきながら、最後の最後、芽榴は意を決してお礼を言ったというのに慎はいつにも勝る冷ややかな視線を送りつけてきた。


「バカ簑原め……」


 芽榴は少し腹が立って、慎に触られたところをパンパンッと埃を払うようにして叩いた。




 一方、門の外に出て、芽榴から完全に逃げ切った慎は緊張の糸を緩ませた。


 最後のは確実に不意打ちだった。

 照れ隠しにむくれた顔して「ありがとう」はかなりきつい。


 きっとあれをしたのが芽榴じゃない他の女の子なら慎は「かぁわいい」と薄ら笑いを浮かべてキスをしただろう。


「聖夜じゃあるまいし……ガラじゃねぇだろ……」


 火照る顔を隠すように、慎は手で顔を覆う。


「ふざけんな、バカ女」


 八つ当たりするように、慎は麗龍学園の壁を蹴って、ラ・ファウスト学園へと帰っていった。

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