131 痣と罵
それからの芽榴への嫌がらせは宣告通りエスカレートしていった。
「くっすはーらさぁん」
一人でいる時を見計らったように、役員ファンが現れてトイレや空き教室など、あまり目立たない場所へと芽榴を連行していく。連行していくときも仲良さそうに声をかけてくるものだから、先生たちも気にはしない。しかし、芽榴を掴む腕は骨が軋むのではないかと思うくらいに力がこもっているのだ。
「ねぇ、まだ生徒会やめる気ないのぉ?」
「神経図太いねぇ」
そんなふうに言って、芽榴の足やお腹周りといった制服で隠れている部位を女生徒たちは容赦なく殴ったり蹴ったりを繰り返す。
「いった……ぁ、ゴホッゴホッ」
見える部分に怪我をさせると、役員たちが敏感に反応することを頬の傷の件で思い知ったらしい。おかげで芽榴の見えない部分には打撲痕が日々増えていく。
けれど、さすがに体育の着替えの時にはその傷跡も露出してしまうわけで――。
「ねぇ、あんた……また傷増えてない?」
舞子は芽榴の肩やお腹のあたりを見て目を細める。最初見たとき頬の傷だけでもかなり痛々しかったのに、今ではところどころにある打撲痕が痛々しさをさらに倍増させていた。
「え、そう?」
「どうしたらこんなところに痣ができるわけ?」
舞子は真剣な顔で問いかけるが、芽榴は何事もないように笑う。
頬の傷は塞がっているが、いまだ赤い線を描いている。本当はそんなところに傷ができることだってよく考えてみたらおかしいのだ。
「最近、朝寝ぼけてよく階段から落ちるんだー」
芽榴は「マヌケだよね」と言って苦笑する。いい加減、言い訳のネタも尽き始めていた。
移動教室、不注意で鞄を置いて行ってしまった後、鞄の中の教科書は見れたものじゃなかった。
表紙は無事だが、取り出して中を覗くと基本的に真っ黒で文字はおろかどんなことが書いてあるのか雰囲気さえも分からない。
「じゃあ次は……楠原ー。125ページ、10行目から読めー」
にもかかわらず、先生は容赦なく芽榴に音読を当ててくる。前の舞子に教科書を借りることも考えたが、教科書が手元にあるのだからそれではあまりにも不自然。
芽榴は深呼吸をして頭の中を整理する。
全教科書、一度は一通り目を通しているから、内容は必ず頭の中にある。国語の教科書――125ページ、10行目――。
「『その橋の向こう側には――』」
芽榴は読むことのできない教科書を手に持ち、頭の中で創造した本物同様の教科書を読み上げる。一言一句違わない音読、誰も芽榴の教科書が黒く塗りつぶさているなんて気付くはずがなかった。
このまま誰にも気づかれずに、事が終わることを芽榴は望んでいた。
けれど、そんな願いはすぐに跡形もなく消え去っていく。
「楠原。次の数学、教えてくれ! 俺あてられてんだ!」
「え……あ、ちょっと待った!」
滝本はそう言って芽榴のノートに手をかける。芽榴は滝本が触れる前にそのノートを取って滝本に渡さなかった。
「楠原?」
「あはは、どこの問題?」
いつもなら面倒だからとノートごとポイッと滝本に渡す芽榴がそんなふうに尋ねた。ちゃんと説明してあげるというのは親切な行動だが、どう考えてもおかしい。
芽榴の前の席に座る舞子も滝本と同じように「変だ」と感じた。
「ノートになんかあんのか?」
「え? ないよ」
芽榴は表表紙と裏表紙を交互に見せる。その顔には「ね、普通でしょ?」と書いてあるが、いい加減舞子はその胡散臭い芽榴の表情に嫌気がさしていた。
「貸して」
「え、ちょっと舞子ちゃん!」
油断していた芽榴の手から舞子がノートを奪う。そして舞子は表紙を開き、中のページを確認して言葉を失った。
「何よ、これ」
「……嘘だろ」
舞子の様子を不思議に思った滝本もノートを覗き込む。そして目を丸くした。
芽榴のノートはいつも綺麗で、要点を分かりやすくまとめられている理想的な冊子。綺麗な字で丁寧に記された文字がそこにはあるはずだった。
けれど今、舞子と滝本の目に映るのは乱雑に書き記された罵倒の嵐。『死ね』『ブス』『消えろ』『インチキ女』などと見ただけで思わず眉を顰めてしまうほどに酷い言葉が書き尽くされていた。
芽榴は急いで舞子の手から自分のノートを取り返す。今さら遅いのに、芽榴はそれでもそのノートを鞄の中に隠した。
「あ、アハハ」
さすがに言い訳は見つけられなくて、芽榴は誤魔化すように笑う。けれど、舞子と滝本もあんなものを見てそんな笑顔で誤魔化されるわけにはいかなかった。
「楠原! なんでお前は何も言わな」
「滝本くん、声大きい」
取り乱す滝本を芽榴は冷静すぎるほど落ち着いた声で制した。確かにあの大声で言葉を発すれば、事がクラスみんなに知れ渡ってしまう。
別にそれでもいい気がしたが、「事を荒立てないで」と書いてある芽榴の顔を見て、滝本も声を抑えた。
「芽榴。説明して」
「……」
「日に日に増えてる怪我も、関係あるの?」
「……」
芽榴は何も答えない。
舞子は学園で最も芽榴と行動をともにしている女友達だ。ゆえに、芽榴が役員信者から嫌われていることも、悪口や軽い嫌がらせがあることも知っていた。だから舞子もこのノートや怪我が誰の仕業なのか、それくらいのことは容易に想像できているのだ。
「……芽榴」
それなのに、芽榴はあくまで舞子を巻き込むまいと一人で抱え込もうとしていた。親友として、それが悔しいのに芽榴がそれほど自分を大切にしていることが分かって舞子は辛くなる。
「楠原。役員には話したのか?」
珍しく頭の回転がよかったらしい滝本は、舞子の言葉から芽榴の嫌がらせの原因たる人物たちを頭に思い浮かべながら尋ねた。
「話してない、けど……たぶん気づいてるよ」
芽榴はそう言って、ぎこちなく笑った。
保健室で話した颯と石投げ現場に遭遇した翔太郎は気づいている。風雅の不自然な行動もおそらくそれが原因。そんな彼を心配して、芽榴のところにやってきた来羅と有利も確実に事情を分かっていた。
そんな芽榴の返事に滝本は顔を顰める。
「じゃあ、なんで……」
滝本はそこまで言って口を噤む。「なんで助けないんだよ!?」とそう言おうと思ったが、やめた。そう、役員が苦しむ芽榴を助けないはずがない。役員が芽榴を大切に思っていることは滝本も痛感していることだ。そんな彼らが芽榴を助けないということは、芽榴がそれを望んでいるか、あるいは助けることのできない理由があるからなのだ。
「……でも、ちゃんと言うべきよ」
舞子は複雑な表情をしていた。
滝本と同じようなことを舞子も考えたけれど、どんな理由があっても、ここまで酷く罵倒され、多くの痣を作る芽榴を役員が放っておけるはずがないのだ。
とすれば、考えられることは一つ。役員も嫌がらせがこれほどまでにエスカレートしているとは思っていないのではないか、そんなふうに舞子は思う。
「私は大丈夫。だから……」
舞子や滝本に心配をかけたくない。
そしてそれ以上に芽榴は生徒会メンバーに心配をかけたくないのだ。
「絶対に言わないで」
いつもとは違い、真剣に芽榴は告げる。
舞子と滝本はそれを渋るけれど、結局それを約束するほかなかった。




