128 噂話と悪い予感
芽榴が生徒会に行かなくなって3日。
テレビを見てみると、東條についてのニュースもだんだん収まりつつあった。けれど前々から特集の予定があった麗龍学園生徒会の取材は依然として終わりを見せない。
だから芽榴は生徒会には行かない。
そして芽榴と生徒会との繋がりが薄れたのを待っていたかのように、芽榴への嫌がらせもあからさまになり始めていた。
「生徒会行かないんだったらやめろっつーの」
「役立たず」
「お荷物のくせに」
廊下を歩けば、そんな悪口が芽榴の耳に届く。というより、芽榴の耳に届かせるように言っているというのが正しい。
「うわ……」
靴を入れる予定はないが、自分の靴箱をチェックすると、芽榴の予想通りゴミ溜めのような有様になっている。そこら中にあるゴミ箱ではなくわざわざ芽榴の靴箱までゴミを持ってくるのだから呆れたものだ。
「これで全部……っと」
しかし、芽榴は溜息ひとつで何も言わずに自分の靴箱を掃除し、ゴミ捨てに行く。放置すれば紛れ込んでいる生ごみが異臭を放ってしまうからだ。
そんなわけで、芽榴が生徒会に行かなくなったことは学園中に静かに広まっていた。そしてあと一つ。
「最近見かけないわねぇ」
休み時間――次の授業の準備をする芽榴のほうを向いて舞子がそんなふうに呟いた。何を見かけないのか、そんなことは言わなくても分かる。
「忙しいんじゃない?」
「それはないわよ。全部の仕事ほったらかしてでもあんたに会いに来るでしょ、風雅くんは」
風雅はやはり芽榴の前に姿を現さない。それどころか、たまに廊下ですれ違っても少し挨拶を交わすくらいなのだ。
文化祭時期はファンに囲まれないようにするため、音楽室にこもっていたみたいだが、今は彼が芽榴の前に姿を現さない理由がない。もちろん、舞子の言っていることも正しいのだ。
「あんた、分かってる? 『風雅くんもとうとう目が覚めた』とか噂されてんの」
舞子が言う。
芽榴が生徒会に行かなくなった噂ともう一つ、芽榴がとうとう風雅に飽きられたという噂が校内には広がっていた。
「うん、知ってる」
「知ってる、って……あんたねぇ」
舞子は呆れたような声を出す。
芽榴だってその噂に思うところはあった。風雅が芽榴に飽きたという噂を鵜呑みにするわけでもない。けれど、風雅が芽榴を避けているのは事実だった。
そんな噂の男子、風雅は昼休みになった途端、ファンの子たちから逃げるようにトイレへとやってきていた。
「……はぁ」
今の風雅の気持ちを一言で例えるなら「天国から地獄へ堕ちた」という言葉がまさにピッタリだ。
たった一つの幸せを手放した風雅は半年前と同じような生活を繰り返すだけ。けれど、一度美味しい水を飲んだ風雅は元の水を不味いと思うしかない。
ため息を吐きながらトイレを出た風雅は前を見て目を丸くする。
「有ちゃん、ターゲット発見!」
「捕獲しましょう」
そんなふうに合図を送りあい、トイレの前で構えていた来羅と有利が風雅の腕をそれぞれ捕獲する。
「え、ちょ、何すんの!?」
風雅の質問無視で、来羅と有利は風雅を空き教室へと連行していった。
空き教室に入り、鍵を閉めて、来羅と有利は風雅を解放した。
「2人とも……何?」
風雅は困り顔で目の前の2人に尋ねる。しかし、2人は「それはこちらの台詞だ」と言いたげな顔で風雅を見ていた。
「連日の楠原さんへの態度、おかしくありませんか?」
有利が怖い顔で言う。声も少しだけトーンが低くなっていた。風雅は有利から目をそらし、それには答えない。
「風ちゃん、あからさますぎでしょ。何があったの?」
来羅はそう尋ねて、風雅の答えを待った。来羅も有利もジッと風雅を見つめる。その視線が耐えられなくて、風雅は俯いた。
「……じゃあ、来羅も本当のこと教えてよ」
「え?」
「文化祭の2日目。来羅はオレを保健室に連れて行ったけど、あのとき本当は何があったの?」
風雅は気づいていた。
来羅の行動がおかしかったことに。でも、それは自分のためなのだろうと思って風雅は聞かずにいた。
けれど、今の風雅はその理由になんとなく心当たりがあってそれを知らなければならない気がしたのだ。
「……るーちゃんのクラスが荒らされたのよ」
「……。その、犯人は?」
「犯人は――」
来羅はその先を言うことを躊躇する。見兼ねた有利がその口を開いた。
「蓮月くん、あなたのファンです」
有利は切なげに風雅を見る。
風雅のせいでなくても、それを言えば風雅が責任を感じることは分かっていた。
「……そっか」
風雅は静かに、それでもちゃんとその言葉を受け入れた。もはや風雅はそのことを予想していたのだ。
「だから、オレは芽榴ちゃんのそばにいたらいけないんだ」
その風雅の言葉に、2人は顔を上げた。
「なんでそうなるんですか?」
「今さらでしょ、そんなの!」
来羅の意見は正しい。芽榴が風雅ファンに文句を言われたり何かされたりするのは今始まった話ではない。役員もできる限りサポートしていて、何より芽榴本人がそれをふまえて風雅と一緒にいたのだ。
「ずっと……分かってたことなんだ」
俯いた風雅は顔を片手で覆う。
出会ったときからずっと風雅は芽榴を好きだった。そしてそれに気づかない人はおそらくいなくて、ファンの子たちも本当のところでそれを分かっていた。
それでもファンの子たちの暴走をあと一歩のところで踏み留めていたのは風雅と芽榴が絶対に釣り合わないという事実。
しかし、あの文化祭で芽榴は誰より美しくて、学園のトップの証さえ手に入れてしまった。文句無しに風雅と釣り合う存在になってしまったのだ。
「オレがそばにいたら……きっともう、芽榴ちゃんは笑ってくれない」
それが怖くて、まだ戻れると信じて、風雅は芽榴に背を向ける道を選んだ。
「風ちゃん……」
いつも馬鹿なくらい「芽榴ちゃん、芽榴ちゃん」と言っていた風雅が真面目な声で告げる。それは冗談ではなくて、そんな風雅を見ているだけで来羅と有利は苦しくなった。
それと同時に、これから起こりうる最悪を予感して3人の顔に影が落ちた。
掃除時間になり、芽榴は中庭へとやってきた。
花壇の水やりは終わって、次は枯れ葉を集めなければならない。地面に落ちた茶色い葉を見ると、季節が冬に変わりつつあることが分かる。
もう一週間も経たないうちに11月になる。そう考えて、芽榴の表情は曇った。
取材の件も嫌がらせの件も始まったばかりで、たぶん解決するのはまだ先になる。けれど11月に入ったら、きっと自身の心を落ち着かせることで精いっぱい。同時に降りかかる重荷に自分が耐えられるかが芽榴は不安だった。
「なんでまたこの時期に……」
芽榴は溜息を吐く。
11月――それは芽榴が1年で最も不安定になる最悪の時期。
空気が、微妙な肌寒さが、風景が、すべてが芽榴を刺激して嫌でも十年前のことを思い出させてしまう。
「――考えないようにしないとね」
気を張りつづければ、心に鍵をかけていられる。
だから――。
「……っ、楠原!」
「え、うわ!」
芽榴は名前を呼ばれ、ハッとする。しかし、すぐに自分の方に飛び込んでくる何かを確認して目を閉じた。
ガッ
それが確かに何かとぶつかる音がした。けれど、芽榴に痛みはなくてゆっくり目を開けた芽榴は次の瞬間にはその目を大きく見開いていた。
「葛城くん!」
芽榴は自分の目の前に立つ人物の名を呼んだ。呼ぶと言うよりは叫んだという方が近い。
「……っ」
芽榴に飛んできたのは手に持つにはちょうどいいサイズの石。
そして芽榴の顔面めがけて飛んできた石は芽榴をかばって屈んだ翔太郎の顔面へと飛んでいき、彼の眼鏡の蝶番に直撃した。芽榴が目を開けた時にはすでに翔太郎の顔に眼鏡はなく、砕けた眼鏡が地面に落ちているだけ。
「怪我は!?」
珍しく慌てた様子の芽榴に、翔太郎は片手を突き出して「待った」の合図をかける。
彼は石の飛んできた方を見ていたが、石を投げた人物は翔太郎に石が当たったのを見てすぐに逃げ出してしまい、女生徒だということしか確認することができなかった。
「くそ……っ」
翔太郎は苛立ったようにそう言って舌打ちをする。
しかし、芽榴にとって犯人が誰かはどうでもよかった。今の芽榴は翔太郎が顔に怪我をしていないか、それだけが心配だった。
「大丈夫だ。顔には当たっていない」
翔太郎は眼鏡をかけていない綺麗な素顔を芽榴に向けた。翔太郎の言うとおり、その顔に傷はなくて芽榴はホッと肩を撫で下ろした。
「……眼鏡、壊れちゃったね。ごめん」
芽榴は地面に落ちている壊れた眼鏡を見て呟く。
「視力は悪くないから、問題ない」
翔太郎は静かに告げた。
翔太郎の裸眼は無意識のうちに催眠誘導を起こす。だから彼は眼鏡をしていて、それを知っているからこそ芽榴は申し訳なさそうな顔をするのだ。
「心配するな。教室に戻れば替えがある。それに……貴様のせいではないだろう?」
優しい声で翔太郎は告げる。
しかし、その顔は心配そうに芽榴を見つめていた。芽榴のせいではない。けれど、なんとなく投げられた石が芽榴のところに飛んできたわけではない。あの石は明らかに芽榴を狙って投げられていた。
「……楠原」
「ごめんね、ボーッとしてたから。でも大丈夫だよ」
芽榴はそう言って翔太郎に笑いかける。
芽榴の言葉が本当のはずはない。けれど、芽榴は本当に大丈夫なのではないかと思わせる笑顔を見せる。
「大丈夫」
芽榴がもう一度そう言えば、翔太郎もそれ以上何も言うことはできない。それが分かっていて、芽榴は言い聞かせるようにそう言った。
「俺にできることはないのか?」
それでも翔太郎はこれが予兆にすぎない気がして、こんなことがこれから頻繁に起こるような気がして、気づけばそんなふうに尋ねていた。
不器用な翔太郎だから、彼がたまにかける優しい言葉はそれだけ重みがある。芽榴にもそれを軽くあしらって流すことなんかできないのだ。
「……じゃあ、いつも通りの葛城くんでいて」
芽榴は苦笑する。
その言葉は翔太郎に告げたけれど、本当は別の男の子に向けた言葉。
これから役員がみんな、一人ずつ彼のように芽榴から離れていく気がして、それだけは絶対に嫌だった。
「分かった。……約束する」
誓う翔太郎の瞳は綺麗で――やっぱりその眼が好きだと芽榴は思った。




