122 キングとプレゼント
波乱の鬼ごっこが終わり、生徒も外来の人々も皆校庭に集まる。
役員を捕まえた生徒や抽選会で当たった人たちは役員との写真撮影を終えて、その写真を見せびらかして回っていた。
芽榴は写真撮影をせずに済んだため、一足先に衣装から制服に着替えておりてきたのだが、メイク落としの在り処が分からず、化粧をしたままでいることになった。
「お疲れ、芽榴」
「お疲れ様です、楠原さん」
芽榴は舞子や委員長、F組の女生徒たちに囲まれ、鬼ごっこの祝福を受ける。
『それでは文化祭のエンディングを行います。生徒の皆様、及び来訪の方々は大画面下にお集まりください』
大画面の下では結果発表と表彰を行うための舞台設置が完了したらしく、スピーカーからそのような放送が流れた。
芽榴はF組の人たちと後ろのほうに並ぶ。役員がキングになることは予想済みのため、自分の推している役員が舞台に上がったとき間近で見れるように、とファンが最前列を争っている。おかげで前に行くことすら大変な状況になっていた。
そんな生徒たちを微笑ましい様子で眺めながら、理事長が壇の上に立つ。騒がしかった生徒たちも静まって一礼をし、壇の上の理事長先生を見た。
『来訪してくださった皆様、わざわざ当学園の文化祭に足を運びくださいまして誠にありがとうございます。生徒諸君も例年に勝る素晴らしい出店で、誇らしい限りです』
恒例の挨拶をして、理事長は舞台を降りる。
これから結果発表が始まるのだと皆の手に力が入った。結果発表は生徒を代表してコンテスト委員長が行うことになっている。段に登るコンテスト委員長にみんなの視線が集まった。
『みなさん、3日間おつかれさまです。一人一人がベストを尽くした結果、今年の文化祭は大盛況でした。それでは私コンテスト委員長からすべての結果を発表させていただきます』
そして委員長は持っていた四つ折りの紙を開く。
『クラス出店部門』
コンテスト委員長が息を吸い、全校生徒が祈るように手を握りしめる。
『3位、2年E組占いの館』
コンテスト委員長の発表でE組の生徒が「やったー!」と手を上げる。2日間の中間発表で一度もランクインしなかったが、それらすべて4位と僅差だったのだ。
芽榴は辺りをキョロキョロと見渡し、翔太郎の姿を探し出した。翔太郎は満足げに、それでもやはり3位という結果が悔しいのか、目を伏せて眼鏡のブリッジを触っていた。
そして発表は続く。
F組の生徒たちは手を合わせた。
『2位、2年F組喫茶店! 1位は……2年A組劇です!』
コンテスト委員長の発表に歓声が沸き起こる。
F組の生徒は飛び上がった。それは中間発表で3位だった時にも勝る喜びようだ。
「芽榴! 2位だって!」
「やったー!」
芽榴と舞子は手を合わせて喜ぶ。嬉しさの余り、やはり委員長が泣き出してみんなで「委員長ー!」と彼女のことを抱きしめた。
これでまず芽榴と翔太郎、そして颯がキング争い一歩リードとなる。
『続きまして、美男子コンテスト部門!』
コンテスト委員長が少しワクワクした様子で告げる。女生徒たちも結果が気になってソワソワし始めた。
『3位、藍堂有利くん。2位、神代颯くん。そして栄えある1位は……蓮月風雅くん!!』
発表の瞬間、最前列の圧倒的割合を占める風雅ファンが「ギャーー!」ともはや悲鳴のようにして叫び出した。1位をとった風雅はその様子に苦笑しつつも嬉しそうにしていた。
翔太郎はランク漏れして不機嫌になっていて、今年もギリギリでランクインを果たした有利はとても嬉しそうだった。近くで功利と彼の祖父が祝福している。
そして芽榴は颯の姿を探す。
勝てないと分かっているものに出場しないと彼はそう言っていた。それなのに颯は参加して、やはり風雅に勝つことはできなかった。
そんな彼がどんな顔をしているのか、気になったのだ。
芽榴が颯の姿を見つけたとき、彼の隣には来羅が立っていた。
「……颯」
来羅も芽榴と同じように、少し心配そうに颯を見ていた。彼が誰かに負けるのは来羅の知る限りこれが初めてだったのだ。
「2位、か」
「……うん」
来羅は静かに返事をする。様子をうかがう来羅に、颯は清々しく笑った。負けるのはやはり嫌だ。
「でも……悪くない」
遠くから見ていた芽榴にも、颯が結果を楽しんでいるように見えた。
『そして、美少女コンテスト部門!』
女子の歓声を無視してコンテスト委員長が告げると、今度は男子生徒たちが盛り上がり始める。
「芽榴、ランクインしてるかもよ?」
「え」
芽榴はそこでやっと自分がエントリーしていたことを思い出した。しかし、思い出したところで芽榴の態度は変わらない。
「ないでしょ。みんなが御慈悲評をたっくさん入れてくれたらありえるだろーけど」
芽榴はいつものようにケロッとした様子で告げる。化粧をして別人のように綺麗になっても中身はいつも通りの芽榴なのだ。
『3位、佐倉美羽さん。2位は……えっ』
発表の途中でコンテスト委員長がそんなふうに声を漏らす。マイク越しにコンテスト委員長の動揺はみんなに伝わった。ミスでもあったのだろうかとみんなの頭の中にいろんな考えが浮かぶ中、コンテスト委員長は驚いた顔から一変、ものすごく楽しそうな顔になった。
『申し訳ありません。もう一度発表します。3位、佐倉美羽さん。そして2位は……』
芽榴とコンテスト委員長の視線がぶつかる。
『楠原芽榴さん』
生徒たちも静まり返った。
『1位は柊来羅さんです』
静かな空気も気にせず、コンテスト委員長は結果を発表する。来羅の「やったー!」という声でみんな「わーっ!!」と叫び始めた。
「芽榴! 2位って! 美少女!」
「うそ……」
「楠原ーー!」
舞子や滝本、クラスメートがみんな芽榴の元に集まってはしゃぎ出す。
まさか2位になるなんて予想もしてなかった。しかし、芽榴の頭に浮かんだのはそれだけではない。この時点で芽榴と現在トップであろう颯の点差はごく僅か。
そして残り加算される得点は――鬼ごっこ。
芽榴は慌てて役員たちに視線を向けた。けれど、みんなまるでそうなることを分かっていたかのように笑顔で芽榴の視線を受け止めていた。
『総合得点より、今年のキングは……楠原芽榴さんに決定です!!』
コンテスト委員長は、つまらないありきたりな結果を打ち砕いた芽榴に盛大な拍手を送った。それにつられてみんなも手を叩く。
芽榴は学園の拍手の渦の中にいた。
「よっしゃー!」
教師の列からはみ出して松田先生も飛び跳ねて大喜び。舞子も滝本もみんな喜んでくれて、芽榴は素直にキングになれたことを嬉しいと思えた。
「やったー!!」
芽榴は万歳をして笑顔で喜びを口にした。
そしてコンテスト委員長が舞台をおりて、今度は校長先生が舞台にあがる。次は表彰式。キングにその証であるメダルが贈られるのだ。
『今年も無事キングが決まったということで……表彰を行いたいと思います。が、その前に」
しかし、校長先生はそんなふうにして表彰を先延ばしにする。いったい何があるのかとみんなが校長先生の話に耳を傾けた。
『急遽、来訪してくださいました……東條グループ社長、東條賢一郎氏からお言葉をいただきたいと思います。東條様、どうぞ』
校長先生が舞台の後ろにいる人物に促し、その人物がゆっくりと舞台の上に姿を見せる。
体育祭の後、これが2回目の来訪。
周囲が東條賢一郎の登場にざわついた。
芽榴は目を見開いたまま閉じない。
今、自分の目に映っている人は今日ここに来るはずのない人なのだ。
「なんで……」
――礼は、文化祭中にちゃんと返す。お前が一番欲しいもので――
驚く芽榴の頭に、その言葉が思い浮かぶ。
まさかとは思うが、それしか考えられなかった。
「なぁ、聖夜」
ラ・ファウスト学園の特務室。
ソファーに横たわって次の仕事までの仮眠をとる聖夜に慎は声をかけた。
「なんや……。しょうもない用で起こしてんのやったらしばくぞ」
起き抜けに発した声は掠れていてひどく眠たそうだ。聖夜は目を擦りながら顔だけ慎の方に向ける。その鋭い視線からして、本当に『しょうもない用』だったらしばかれてしまうだろうと慎は思った。
「麗龍の文化祭で、聖夜が楠原ちゃんに約束してたことが気になったんだけど…」
「約束?」
芽榴に関する話と分かって、聖夜はすぐに起き上がる。さっきまで眠たそうにしていたのが嘘のようだ。素直すぎる聖夜の反応に慎は笑いたくなるが、本気で締め上げられそうなため、なんとか堪えた。
「楠原ちゃんが一番欲しいものって何」
慎は本棚から取り出した本をパラパラと捲り、ぱたんと閉じて直す。慎の質問に聖夜は「ああ……」と面白くなさそうな顔をして頬杖をついた。
「父親。……それも、ほんまもんの方のな」
「は?」
聖夜の答えに慎は驚き、そして不思議そうな顔をした。
「それ、いくら聖夜でもプレゼントするとか無理だろ」
「会わせるくらいはできる。あいつにとっては、東條の顔見れるだけでもそこらへんの値打ちもんやるよりずっと価値あんねん」
聖夜はそう言って、麗龍の文化祭前に東條のオフィスを訪れたときのことを思い出す。
『どういう用向きかな? 仕事の話はまだ先のはずだけれど』
聖夜の真向かいに腰掛けた東條が手を顎の下で組んで、探るような視線を聖夜に向けた。
『ええ。ですから今回は私用です』
『……私用?』
笑顔で答える聖夜に、東條の顔はさらに険しくなった。それも当然で、聖夜と東條はお互いの立場関係なしに接するほど親しいわけではないのだ。
『僕は明日麗龍の文化祭に行ってみようと思います』
まさか彼の口からその学園の名が紡がれるとは東條も思っていなかったらしくひどく驚いた顔をしていた。
『社長が以前麗龍の体育祭に赴いたように、ラ・ファウスト以外の学園生活もやはり知っておくべきかと思いまして』
『……そうか』
聖夜は麗龍を訪問する最もらしい理由をつけ、東條に告げる。少しくらい顔に出るかと思ったが、東條の顔色はまったく変わらなかった。
『しかし、君も上の立場の人間なら分かっていると思うが、この時期は行動に気をつけたほうがいい。下手に動いては自分も周りも巻き込むことになる』
東條は忠告するようにして聖夜に言う。そんな東條の言い方が気に入らず、聖夜は眉を寄せた。同時に、自分が予測していた通りの考えを持っていた東條を聖夜は呆れるように見ていた。
『つまり、社長は麗龍を訪問なさらないのですね?』
聖夜の質問に、少しの間をおいて東條は『ああ』と答える。
確かに東條の考えも行動も間違っていない。きっと普通に考えて今から聖夜がやろうとしていることのほうが間違いなのだ。それでも聖夜がそうするのはたった一人大切な女のため。
『社長』
『……なんだい?』
『僕はこの17年間、多くの発表会に出席して表彰され、そしてこの歳で父の権利も譲渡されることになりました』
聖夜は自分の話を語りかけるようにして明かし始めた。しかし、そんなことは東條もよく知っている。聖夜と東條は同じような道を歩いているのだ。なぜいきなりそんな話を始めたのか、東條は考えながら聖夜の話に耳を傾けた。
『けれど僕は一度もそれらのことを喜べたことはないんです』
聖夜は言葉を吐いてまるで自嘲するかのようにフッと鼻で笑う。
『もし僕が東條社長の息子なら……僕は僕のことを見に来てほしいと願うのだと思います』
『……っ』
聖夜の言葉で、少しだけ東條の瞳が揺れる。その反応を見れば、聖夜の言いたいことがちゃんと東條に伝わったことも分かる。
『それが、僕が17年間望んでも叶わなかった願いですから』
聖夜は思い出して溜息を吐いた。
我ながら無垢な少年のような発言をしてしまったと恥ずかしい思いが胸に広がる。
「あいつの一番は絶対ぶれへんよ」
「ふーん……。聖夜はそれでいいわけ?」
「ええも何も父親に勝とうなんて思わんわ。アホらしい」
聖夜のことだから芽榴の一番は自分だと言い張るかと慎は思っていた。予想外に冷静な反応をする聖夜に、慎はつまらなそうな顔をする。
「でも、聖夜がいくらそんなこと言ったって東條さんは行かねぇと思うぜ? 東條さんの言うとおり、この時期に目立った行動とるバカは聖夜くら……わりぃわりぃ怒んなって〜」
慎が最後まで言っていたら、おそらく慎の顔面に分厚い本が投げつけられていただろう。寸前のところで戯けたように言葉を止めた慎は偉い。
聖夜は慎に投げつけようとした本を前のテーブルに置いて、ソファーにもたれかかる。
「俺がわざわざ麗龍に行ったんは、単にあいつに会いに行っただけちゃうぞ。東條が麗龍に行ったかて俺も行っとんのやから騒ぎは緩和される。麗龍に行くんをふっかける意味も込めとんのや。……それでも行かへんのやったら、東條もそれだけの男って話や」
聖夜は真面目な顔で告げる。
慎はそんな聖夜を見て薄く笑みを浮かべた。聖夜がわざわざ自らを犠牲にしてまでそんなことをする必要なんてないのだ。
それが分かるだけに、聖夜の彼女への想いの強さは慎に痛いほど伝わってしまう。
「はいはい。聖夜が楠原ちゃんにご執心なのは分かりました」
慎は締め付けられる自分の思いを隠すように、いつもと同じく冗談めかした言葉を選ぶ。
しかし、そんな慎に今度こそ分厚い本が飛んできて、慎はギリギリ顔をそらしてそれをかわす。
「ちっ、外してもうた」
聖夜は本当に悔しそうに舌打ちし、慎はケラケラと笑いながらその本を拾い上げた。
「顔はやめろよ、聖夜。つか、あんま怒るとハゲるぜ?」
「お前、ほんまに殺す」
今、目の前にいる東條賢一郎はきっと聖夜の〝礼〟だ。そんなふうに芽榴は確信していた。
東條が舞台の上で、マイクを持って言葉を述べる。
『体育祭に続き、文化祭も大変素晴らしい出店で溢れていました。最終日しか訪れることのできなかった私も十分に楽しむことができ、感謝を申し上げます』
舞台の上の東條は下にいる多くの人々に視線を向けていて、芽榴の姿を見つけることさえ難しいだろう。でも、芽榴はたった一点、東條の姿だけを視界に入れてまるで焦がれるようにジッと彼へと視線を注ぐ。自分に気づいてほしくて、でもだからと言って何かが変わるわけでもない。それでも芽榴は東條の告げる言葉を一言一句逃さずに頭の中に詰め込んだ。
東條が言葉を述べ終わると、校長が表彰の伝達を東條にしてもらおうと提案する。東條はそれを躊躇ったが、結局快く受け入れた。
『それではキングの楠原芽榴さん、前へどうぞ』
芽榴はその言葉と同時に咄嗟に重治の姿を探した。
人混みの中、重治の姿を見つけた芽榴はおそらくとても頼りない顔をしていただろう。重治はそんな芽榴にいつものように優しく笑いかける。
「行きなさい」
遠くにいる重治の声は芽榴には届かない。しかし、重治の口の動きはそう言っている気がした。重治の隣の真理子も笑顔でガッツポーズをしていた。
「芽榴! 行かないと!」
突っ立ったままの芽榴に、舞子が興奮した様子で声をかける。芽榴はとても穏やかな表情で笑い、壇上へと足を向けた。
みんなの視線が芽榴に集まる。
ほんの半年前まではこんなふうに注目を浴びることを恐れていたのに、今ではそれが当たり前に変わっていた。
こんな自分を目の前のこの人はどう思うだろうか。
芽榴は汗ばむ手をキュッと握りしめて壇の上に立つ。
芽榴と東條は向かい合った。
芽榴は逸らすことなくその視線を東條にぶつける。東條は芽榴の姿をはっきりと視界に収め、そして瞠目した。
「キング……おめでとう」
東條はマイクを通さず、そのままの声で芽榴に伝えた。
咄嗟に口を開く芽榴だが、そこから声なんて出ない。視界がぼやけ始めるけれど、今ここで泣くわけにはいかない。次この人の姿を見れるのはいつになるか分からないのだ。
最後の最後まで目を閉じたくなくて、芽榴は潤んだ瞳を東條から逸らさない。
そんな芽榴の前で、東條は校長からキングのメダルを受け取る。芽榴に近づく彼の手は微かに震えていて、それが芽榴への恐れなのか悔恨なのか、それとも単に喜んでくれているだけなのか、東條の気持ちは芽榴にはずっと分からないまま。
それでもメダルを芽榴の首に通した瞬間に見せた東條の満足げな笑みは、芽榴の不安をすべて帳消しにしてしまった。
「あり、がとう……ござい、ます」
うまく発声できない。けれど、言葉以上の思いがそこには溢れていた。
東條に背を向けて壇を下りる。
芽榴は大きく息を吸い込んで吐き出した。
「俺の礼は……ちゃんと届いたやろか」
再びソファーに転がって、聖夜は届かぬ相手に声をかける。
「ありがと……琴蔵さん」
最高のプレゼントをくれた彼に、届くことはないけれど、芽榴は小さな声で感謝した。




