07 催眠術と木刀
「芽榴ちゃーん、迎えにきたよー」
終礼が終わるなり、F組に入ってきたのは風雅だ。恒例のこととして好奇の目も減ったところだというのに、今朝の颯のとんでも発言のせいもあってか風雅の登場にざわつく。
「楠原芽榴は帰りましたー」
「いるじゃん!」
そう言って風雅が芽榴に抱きつく。風雅はその身長の割に体重が軽いのだが、芽榴の小柄な体で支えるには重すぎる。ミシッと体が音を鳴らすのを感じながら芽榴は目を細めた。
「重い……」
「芽榴ちゃん、今日も抱き心地最高だね!」
「今度抱き枕をプレゼントしてあげるから離れてもらえない?」
芽榴は遠い目をして鞄に荷物を詰め込む。そんな芽榴とは対照的に風雅は幸せに満ちた表情を浮かべていた。その様は背景に花が飛び散っていても驚かないほどだ。
「イヤだよ。颯クンに怒られるから、最近あんまり芽榴ちゃんに抱きつけてないし」
抱きつけてない、と言っても風雅は芽榴に1日1回はちゃんと抱きついているのだが――。芽榴は盛大な溜息を吐いた。
「……今すぐにでも神代くんを呼びたい気分」
「ほんと、いつのまにか颯クンとも仲良くなっちゃってるしさ」
「パシリにされてるだけだよ」
「でもおかげで芽榴ちゃんを役員にできるからプラマイゼロだよね!」
全く話がかみあわない風雅に、芽榴はガクッとうなだれる。そんな芽榴の目には部活道具を持った舞子が映り、助けを求めてみるのだが。
「舞子ちゃーん。助けてー」
「嫌よ。旦那と仲良くしな」
「植村さん、ナイス!」
風雅と親指を突き出して頷き合う舞子に芽榴はさらに愕然とした。
これはさすがに観念するしかない。芽榴は風雅のことを横目に見やった。
「あー、もう何? 用件ないなら帰るよ」
「あるから帰らないでね」
芽榴が舌打ちをすると、風雅が「なんで!?」と騒ぎだしたので芽榴はおとなしく用件を聞くことにした。
「で?」
「芽榴ちゃん! 好きだ! 世界で一番す……」
「ありがとー。じゃあ、さようなら」
「言い終わってないんだけど!」
風雅が涙目で抗議するが、芽榴は面倒そうにそれを宥める。
「ヒドイよ、芽榴ちゃん」
「ごめんごめんー。で、用件は?」
「……颯クンが生徒会の仕事してもらうから放課後来てって」
「全力でお断りします」
芽榴は風雅に一礼すると、F組の扉に向かう。しかし、扉のほうはやけに騒がしく、嫌な予感とともに芽榴の口から声が漏れる。
「げ」
「女子に『げ』なんて言われるのは初めてだよ」
芽榴の視線の先にいるのは、扉に背を預け、腕をくむ颯。
「あはは、神代くん。どーしたのー?」
「まぁ、風雅のいうことなんて聞かないだろうから。やっぱり直々に迎えにくることにしたんだ」
その二つ名にふさわしいほどの麗しい笑みを向けられ、芽榴は深く息をはいた。
「あれ? 生徒会室じゃないの?」
半ば無理やり芽榴が連れてこられたのは高等部2学年最上階の視聴覚室だ。
「あぁ、ちょっと取り込んでてね」
「え?」
颯の返事に芽榴は首を傾げる。
そんな芽榴をよそに風雅が視聴覚室の扉を開けると、そこには元々設置されていたパソコン類以外に数々の機械類が投入されている状態だった。そしてその前には青白い光を受け、その機械類をすべてチェックしている来羅の姿があった。扉があいたことにも気づかないほどの集中力に芽榴は少し感心していた。
「来羅ちゃんのあれ、何?」
芽榴が目の前の風雅に問いかける。
「来羅のヤツ、超メカヲタクでさ。あの機械類は全部来羅の私物なんだ」
刑事ドラマに出てきそうな機械類の山をいったいどこで手にいれているというのだろうか。様々な疑問が芽榴の頭に浮かぶが、いちいち質問していたら日がくれてしまうのでやめた。
「わざわざ生徒会室からここまで持ってきたの?」
芽榴が唯一それを問う。あれだけの量をよく運べたな、と感心するレベルだ。
「バッテリー切れないのって生徒会室を除いて学年棟の視聴覚室くらいだし……それに」
少し言葉を濁す風雅だが、苦笑して続きの言葉を紡いだ。
「今は生徒会室とんでもない状態だから」
「とんでもない?」
芽榴が聞き返すのと同時に部屋の鍵をかけた颯が来羅のもとに歩み寄る。
「来羅」
颯が声をかけると、来羅の肩がピクッと揺れた。
「あ、颯。風ちゃんもるーちゃんも、待ってたわよ」
椅子ごと芽榴たちのほうに向き直り、来羅はニコッと笑う。
「どうだい? 準備できた?」
「バッチリよ」
来羅が誇らしげに鼻を鳴らし、パソコンのマウスをカチカチッと鳴らす。
すると、視聴覚室の大型スクリーンに生徒会室の様子が映し出された。
「へ?」
「生徒会室の実情を把握しておくためにね。芽榴にも関係しているからよく見ておいて」
颯が芽榴に笑いかける。芽榴には嫌な予感しかしない。しかし、見ろと言われたものは見るしかない。芽榴はスクリーンに目を向けた。
「あれ? 葛城くんと藍堂くんは生徒会室にいるんだね?」
スクリーンには翔太郎と有利の姿が映る。が、2人の顔色はよくない。特に翔太郎の顔にはあからさまに不機嫌と書いてある。
「来羅。2人につなげる?」
「はい、トランシーバー」
来羅が颯に片手サイズの機械を渡すと、颯はスクリーンを見ながらその機械に喋り出す。
「翔太郎、有利。聞こえるかい?」
颯がそういうと、視聴覚室の音響から聞き覚えのある声が漏れた。
『なぜ俺がこの役目なんだ?』
「まぁまぁ、翔太郎クンが1番適任でしょ、ここは」
颯の手元に向かって風雅が喋ると、スクリーン越しに翔太郎が眼鏡を押し上げる。
『くだらん。神代が一言いえば済む話だと思うが』
「うん、でも心から意見を変えてもらうことはさすがの僕にもできないからね。何度もこういうことをされても困るから」
颯は笑っているが、その笑みは黒い。いったい何に対しての笑みなのか、芽榴には見当もつかない。
『僕もですか?』
「有利は最後の切り札だから特に何もしなくていいよ。そうだね、翔太郎が逃げないように監視しておく、とかでいいかな」
『分かりました。葛城くんがいるなら僕の出番はなくて済みますから』
『藍堂……』
翔太郎が有利を睨んでいる。先ほどからだが、芽榴には役員が繰り広げている会話の意味が全く分からない。それなのにどうして芽榴に関係があるというのか。芽榴の抱く疑問を察してか、風雅が芽榴に笑いかける。
「大丈夫だよ」
「……うん」
芽榴が再び視線をスクリーンに戻す。すると、スクリーンの中の翔太郎が生徒会室の扉を開けた。
「何これ……」
翔太郎が開けた扉の向こう。芽榴が想像していたのは広い廊下やその脇にある無数の窓などだが、実際に芽榴の目に映った風景は画面越しに人数を推し量ることのできないほどの人集りだ。
『用件を言ってさっさと帰れ』
冷たい声で翔太郎が告げると、一気に人集りが口を開いた。
『役員募集してるなら、私がします!』
『あんな子より俺のほうが使えるはずだ!』
『いいや、僕だ!』
『私よ!』
生徒がそんなふうに騒ぎ始めると翔太郎が舌打ちをする。
『予想以上に人数が多いな』
『昼休みより増えてますね』
有利は困り顔でため息をつき、翔太郎の後ろに構えた。翔太郎は咳払いをし、人集りに目を向ける。
『貴様らが役員に相応しいかどうか試してやる』
そう言った翔太郎が眼鏡をとり、前髪をかきあげた。
瞬間、前列にいた生徒の眼が彼の瞳に釘付けになり、うっとりと心ここにあらずといった表情を浮かべる。
『二度と役員になりたいなどと考えるな。そして今すぐここから立ち去れ』
ついさっきまで役員になりたいと騒いでいた生徒たちにそんなことを言って簡単に納得するとは思えない。しかし、彼らは翔太郎が言葉を告げると一斉に生徒会室に背を向け、帰って行くのだ。
「何あれ?」
芽榴がキョトンとした顔でスクリーンを見ながら呟くと、颯が口を開く。
「翔太郎の瞳は大抵の人間の思考を奪う。簡単にいうと、催眠術をかけてしまうといったところだ」
芽榴は目をパチクリさせている。颯が真面目な顔で言うのだから、たぶん本当なのだろう。
「るーちゃんも一度かけられてるのよ? 効いてなかったみたいだけど」
来羅はクスクス、と思い出し笑いをしている。芽榴は目を天井に向け、翔太郎との接点を思い返してみる。すると、翔太郎に押し倒された時、彼が芽榴にした行動が今の彼の行動と一致するのだ。
「あー、確かに」
そんなことを言っているあいだにもスクリーンの向こうでは事件が進んでいる。
『全く、こんなことで変えられる意志で生徒会に入りたいなど、笑わせる』
眼鏡をかけ直した翔太郎が後列にいた生徒たちに冷たい視線を送る。しかし、彼らは翔太郎の瞳を見ていない。
『俺は強い意志を持って生徒会に入りたいと……っ!』
『私も初等部のころから生徒会に憧れていて……っ!』
次々にまた自分の意見を述べ始める生徒たちに翔太郎はため息をつき、再び眼鏡をはずそうとする。しかし、それを制したのは有利だった。
『藍堂』
『時間の無駄です。あと何列あると思ってるんですか?』
『……。しかし、俺にあの貴様を止めろと?』
『どちらがいいですか?』
『……頼んだ』
翔太郎は苦渋の選択をしたかのような顔だ。
有利は翔太郎の隣を通り過ぎ、生徒たちの前に出た。
有利の登場に生徒たちの顔があからさまに綻ぶ。生徒会一の穏健派とうたわれる有利だ。丸め込むチャンスとでも思ったのだろう。
『藍堂くん! 僕を生徒会に……!』
『私を!』
『俺を!』
バンッ――
生徒たちが騒ぎ出すのと爆音が響くのは同時だった。
あまりの強烈な破裂音に芽榴は耳を塞いで目を閉じてしまう。機械の故障かとゆっくり目を開け、次の瞬間には目が大きく見開かれる。
「藍堂くん……?」
きっと芽榴はスクリーンに映る生徒たちと同じくらい間抜けな顔をしているだろう。しかし、それも仕方ないことだ。
『オイ、黙って聞いてりゃあ、うっせぇんだよ。凡人共がァ』
音響から聞こえるそれは確かに有利の声だ。その言葉遣いも驚きだが、何より驚きなのは亀裂が入り、少し崩れてしまった廊下の壁。そしてそこには有利が右手に持つ木刀の先端が埋まっていた。
『あ、藍堂、くん?』
生徒の1人が有利に話しかけるといつもでは考えられないほどの鋭い目つきで睨み返す。
『アァ? なんだよ?』
有利は壁から木刀を抜き出して左右に振り払う。まるで刀についた血を振り払うかのようだ。
『あの、えと、その……俺たち、生徒会に……』
『ハッ! てめぇらみたいな凡人いらねぇんだよ! 分かったらとっとと帰りやがれ! 胸くそわりぃ! クソがっ! チッ! カメラも邪魔だァ!』
ブツッ――
刀を振り上げる有利の姿を最後に映像が切れた。
「あぁぁぁぁあ! 有ちゃんがカメラ壊したぁぁぁぁあああ!」
机をバンっと叩いて来羅が絶叫する。颯はいまだ楽しそうに何も映らなくなったスクリーンを眺めていた。
「オレはあの有利クンを止めなきゃならない翔太郎クンに同情するよ」
芽榴の隣で風雅は翔太郎に同情するようにして苦笑する。
「あの、あれ本当に藍堂くん?」
芽榴が瞬きを繰り返しながらスクリーンを指差した。かつてそこに映っていた有利が信じられないのだ。
「あれは正真正銘、藍堂有利クン」
「いや、でも……喋り方とか木刀とか木刀とか木刀とか」
ほぼ思考回路が回らなくなった芽榴を見て颯が笑う。
「芽榴も知ってると思うけど、有利は武道の名家、藍堂家の人間でね。しかも、あらゆる武術において藍堂流の免許皆伝だそうだ」
「藍堂家……」
藍堂家は芽榴でも知っているほど有名な武芸家だ。確かこのあいだ圭が見ていたテレビによると、藍堂流を会得するために海外の傭兵部隊が留学しにきたという話だ。
「藍堂流では木刀を常備しておくのが流儀なんだってさ」
「常備って、いつもどこに持ち歩いてるの……?」
芽榴が掠れた声で尋ねると「仕込み杖の要領だよ」と颯が教えてくれるが、今の芽榴には理解できない。
「有利クン、『百年に一度の逸材』だとかで、厳しい訓練受けてたらスイッチ入ると性格が歪んじゃうようになったらしいんだ」
「へ、へー」
歪みすぎだろうと芽榴は心の中で思った。少なくともあの有利は芽榴の知る有利とは別人だ。
「まぁ、翔太郎はしばらく仕事を半分に減らしてあげるさ。それより来羅。いい加減落ち着かないか? カメラなんていくらでも持っているだろう?」
いまだに絶叫しながら髪をわしゃわしゃとかいている来羅に颯が肩を竦めながら言う。
「違うわよ! あれは私がこのあいだ創り上げた最新鋭のP205-S型で薄さがなんと1ミリ強! スパイだって平伏しちゃうくらいの性能の……!」
「もう分かったよ」
熱弁を始める来羅に、降参するかのようにして颯が片手をあげた。
「創った?」
颯のストップで落ち着きを取り戻した来羅を前に、芽榴は唖然とした表情で尋ねる。芽榴が来羅の長々しい説明の中で気になったのはそこらしい。
「来羅は機械を取り寄せて自分のいいように改造して性能をアップさせてんだって。ここあたりの全部改造品だし」
「……」
驚くことに疲れた芽榴はひたすら瞬きをする。何度瞬きしても風景が変わらないのだから夢ではないのだ。天才なのだろうとは思っていたがここまで個性的なメンバーだったとは驚きだ。
「どうだい? これで少しは生徒会に入りたくなった?」
颯が芽榴のほうに向き直り、尋ねる。芽榴は首をブンブンっと横に大きく振った。
「むしろもっと入りたくなくなったよ」
「それは残念だ。だけど、誘った以上後戻りも撤回もしないのが僕の理念でね」
「すごく行き詰まった理念だね」
芽榴のそんなツッコミを軽く受け流し、颯はそのまま近くにあった椅子に腰掛けて腕をくんだ。
「それに芽榴も見ただろう? 芽榴だから役員に勧誘しているというのに、役員を募集しているのだと勘違いしたらしくてね。この通り、生徒会が運営の危機だ」
「私のせいみたいな言い方しないでよー」
芽榴がそっぽを向いて唇を尖らせると、再び颯に名前を呼ばれる。
「芽榴」
「……なに」
困り顔で芽榴は颯のほうを振り返る。いい予感はまったくしない。
「僕は君に、君だけに役員になってほしいんだ。だから……」
「だから?」
芽榴が言葉の続きを促すと、颯は楽しげに口角を釣り上げた。
「僕たちと、1つゲームをしようか」
「……は?」
――これが芽榴の人生を大きく変える事件の幕開けだった。




