115 国宝とそっくりさん
新しい紙コップに水を注いで芽榴は役員たちのもとへ戻る。
あの颯を前にして、役員全員さっきよりも疲れた顔をしているが、ともかく芽榴が調理場に行く前よりは颯の機嫌も少しはいい気がした。
「えっと、みんなメニュー決めた?」
芽榴が尋ねると、みんな首を横に振る。はっきり言って来店して以降、まともにメニューを考えるような状況下になかったのだ。
「よかったー。それなら」
しかし、芽榴の言葉はそこで聞こえなくなる。
「芽ー榴ちゃーん」
芽榴が何かを提案しようとする声に、出店の入り口から聞こえた声が被さったのだ。
振り向いた芽榴は「あ!」と言って、すぐに役員たちから離れて入り口の方向に駆け寄った。
そこには重治と真理子が仲睦まじい様子で立っていた。
「……っ! 芽榴、か?」
芽榴を見た重治はそんなふうに少し間抜けな声を出す。
芽榴はそんな重治の様子に、不思議そうな顔で首を傾げた。
「うん。他に誰に見えるー?」
「……ハハ、化粧をしたのか! 見違えるなぁ」
重治は何かを誤魔化すようにそう言って笑った。隣にいる真理子はそんな重治の様子に苦笑して、芽榴に視線を戻す。
「芽榴ちゃん、可愛いわ。とっても似合う」
「ありがとー、お母さん。お父さんも」
芽榴がそう言い、クラスメートが少しざわついた。
「え、芽榴のご両親?」
舞子はやっていた仕事を早々にうちやめて、芽榴と、クラスにやってきた芽榴の両親のところへわざわざ来てくれた。
「いつも芽榴ちゃんにお世話になってます。植村舞子です」
舞子は2人に頭を下げ、自己紹介をする。そんな舞子の様子に2人は顔を見合わせて嬉しそうに笑った。
「こちらこそ、芽榴がお世話になってます」
「やったわね、芽榴ちゃん! こんないい友達いるなら早く紹介してほしかったわ」
真理子がそう言い、芽榴は少し照れ臭そうに笑う。
そんな芽榴の笑顔に周囲のお客たちやクラスメートが一気に頬を染めた。
「……神代。資源の無駄遣いはやめろ」
翔太郎は芽榴たちのほうを見ながら、背後でおびただしいオーラを放つ人物に告げる。せっかく新たに芽榴が持ってきてくれた紙コップを翔太郎の背後の人物、颯は再び破壊しそうになっていた。
「それを言うなら翔太郎。いっそここにいる全員に『芽榴を見るな』という催眠術をかけてくれたら嬉しいね」
「……無茶を言うな」
颯がサラッとすごいことを言うため、翔太郎は困り顔で眼鏡のブリッジを押し上げた。
「まあ、神代くんの気持ちも分からなくないです」
「だからって有ちゃんは暴走しないでね」
有利がため息を吐くと、来羅が苦笑しながら念を押す。さすがに芽榴のクラスにこれ以上の負担はかけられない。
「ああもうほんと……芽榴ちゃん隠したい気分」
そう言って風雅がため息を吐く。
みんなもそれに頷いた。
「あら? きゃあー! 役員さんじゃない!」
真理子は芽榴に話しかけている途中であるにもかかわらず、目に映った光景に一人盛り上がって突っ込んで行った。
役員全員悶々とした考えを繰り広げているところだったが、真理子がそばに駆け寄ってきてみんな一斉に立ち上がった。
「「「「「お久しぶりです」」」」」
「やだ、ホストクラブにでも来た気分!」
役員全員がそう言って頭を下げると、真理子は両頬を押さえて若々しくはしゃぐ。芽榴よりもはるかに女の子らしい発言だ。
「お父さんいいのー? 浮気現場」
芽榴が真理子を指差して重治に問うと、重治はゲラゲラといつものように声に出して笑っていた。
「真理子の《国宝》だからな。仕方ないだろう」
「確かにねー。はい。お父さん、こっち」
芽榴がふわりと笑って、重治の手を引く。
――重治、こっち――
重なった情景に、重治は目を見開いた。
「お父さん?」
芽榴が重治の顔を覗き込むと、重治はハッとして、心配そうに自分のことを見つめている芽榴に笑いかけた。
「おう。案内してくれ」
「えぇ颯くんの劇終わっちゃったの!?」
クラスメートたちの配慮のおかげで、役員と重治たち夫婦は相席することになった。
芽榴はお菓子を持ってくると言って調理場に消え、みんなでそれを待っていた。
「はい。さすがの僕でも、もう一回公演枠を設けるのは難しいですから、すみません」
残念がる真理子に、颯は先ほどまでとは違い、柔らかい表情で告げる。颯ならどうにかしてルール違反の3日目二回公演をやってしまいそうだと役員全員が思ったことは秘密である。
「みんなのクラスは、これからもやってるのかな?」
重治の問いに、颯以外の4人は頷いた。
「芽榴ちゃんのお菓子食べたら、オレたちもすぐクラスに戻るんで。是非来てください!」
風雅が目を輝かせて言う。美形役員の中でもトップのイケメンがそんなふうに笑いかければ、40代の真理子でさえメロメロだった。
「それにしても、圭くんは来なかったんですね?」
来羅が言い、重治と真理子は顔を見合わせて吹き出した。
「どうかしたんですか」
そんな2人の様子に、翔太郎が思わず質問する。
すると、真理子が笑いを堪えるようにして口を開いた。
「ごめんなさいね。今朝ちょっと事件だったから」
「事件、ですか?」
有利が怪訝そうに尋ねる。
不思議そうな顔をする役員たちの前で、重治と真理子は今朝のことを思い出していた。
『……行ってきます』
圭は玄関でいつになく不機嫌な声を出した。
当初の予定をぶち壊しにした部活の試合に渋々向かう様子は見ていて面白かったが、おそらく笑ったらさらに機嫌が悪くなるだろうと思い、重治も真理子もなんとか笑うのを堪えていた。
『試合頑張ってね、圭』
『絶対勝ってこい!』
今にも敗北しそうなオーラを醸し出す息子に、親らしい言葉をかけてあげる。しかし、彼は相当機嫌が悪いらしくそんな両親の言葉にも『……ああ』としか返さない。
とうとう反抗期か、と考えるところかもしれないが重治と真理子の頭の中にそんな理由は浮かばなかった。圭が不機嫌な理由は2つ。
『麗龍の文化祭なら私たちが圭の分まで楽しんでくるから』
真理子の言葉に、圭の肩がピクリと反応する。
それがまず1つ目の地雷。
『芽榴も《頑張れ》って言ってたぞ』
芽榴は準備のために昨日よりもさらに早く家を出発したため、今この見送りには参加できていないのだ。
重治がもう1つの地雷を踏んだ。
『あーーー! もうなんなんだよ!』
両親は見事に息子の地雷を踏み倒し、慰めるどころか逆に逆鱗に触れてしまった。
『人が気にしないようにしてることをわざわざ言うなよ! ほんとムカつくんだけど!』
怪我が完治して初めての試合の朝、まさかの玄関先で親子喧嘩勃発である。といっても重治と真理子はかなり楽しそうであり、圭の一方通行の怒りでしかないのだが。
『あぁ! もう勝てる気しねぇ。父さんと母さんのせいだからな。ほんと謝って』
朝から息子に謝り続けた(爆笑してしまい結局許してもらえなかった)事件を鮮明に思い出し、重治と真理子はやはり堪えきれなくなってもう一度吹き出した。
「うちのバカ息子は試合で来れないんだ。あぁ見えてスポーツはできるみたいだからね」
重治がそう言って締める。
するとちょうどタイミングがいいことに、芽榴がみんなの元に大きなお盆を抱えて帰ってきた。
「お待たせしましたー」
芽榴はそう言ってそれぞれの前にお菓子を配る。
「それ、できればコソッと食べてねー」
芽榴が小さな声で持ってきたスイーツの説明をする。
芽榴の言葉の意味がよく分からず、みんな不思議そうに芽榴のことを見つめた。
「それ、みんなとお父さん、お母さんのために作った特別品だからメニューにないの」
芽榴はみんなの目の前に置かれたパンプキンカスタードパイを指して笑った。特別な人たちのために作った品だ。
両親はもちろん、役員は思わず表情を緩めてしまう。
「「「「「「「いただきまーす」」」」」」」
みんなで手を合わせてパイをいただく。
その味は当然プロ顔負けの美味しさだ。しかし、美味しさの理由はただ芽榴の料理の腕前がすごいということだけではない。《特別品》という言葉が余計にお菓子を美味しくしているのだ。
「よかったー」
みんなが「美味しい」と笑顔で言うため、芽榴は嬉しそうにヘラッと笑った。
「みんな来てくれてありがとう」
クラスのこともあるため、一足先に役員たちは喫茶店を出る。芽榴は役員たちにそんなふうにお礼を言った。
「そんなことないよ! すごく美味しか」
「美味しかったです。楠原さん、ありがとうございました」
風雅の言葉に被せて有利がお礼を言う。
「有利クン! オレ言い終わってな」
「楠原、邪魔したな。その、なんだ……。うまかったぞ」
再び話し出す風雅だが、これまた翔太郎に阻まれてしまう。
「いや、だから……オレまだ喋ってるとちゅ」
「るーちゃん、ありがとね。ほんと美味しか」
「来羅ーー!」
さすがに3度目やられれば風雅も我慢ならなかったようだ。来羅が話している途中で風雅が乱入した。
「今のは悪意しか感じない」
「えぇー、失礼ねぇ」
「顔笑ってるんだけど」
いつものように来羅は風雅をからかって遊んでいた。
その様子を見て芽榴はカラカラと笑う。
「僕もお礼を言うよ。とても美味しかった」
そんな芽榴の隣で、颯が声をかける。芽榴はみんなにもう一度「ありがと」と言った。
「じゃあ、次は13時に生徒会室で」
颯は集合時間を伝える。
それは3日目最大イベント、鬼ごっこについての連絡だ。みんなゴクリと唾を飲む。
そして笑顔でその場からみんな離れて行った。
その後ろから今度は重治と真理子が出てくる。
芽榴は2人にも同じようにお礼を言った。
「文化祭楽しむんだぞ、芽榴」
「私たちも楽しむからね!」
重治と真理子はそんなふうに声をかける。
そうして次どこを見に行くか話し合いながら、芽榴の元を去って行った。
「楠原さーん、注文おねがーい」
「はいはーい!」
みんなが去った後を眺めていた芽榴は、クルリと翻って喫茶店の中に入る。
役員たちの来訪のおかげか、それとも両親の来訪のおかげか、さっきよりも柔らかい笑みが接客する芽榴の顔からこぼれた。
「重治さん」
麗龍の廊下を歩きながら、真理子は隣を歩く重治に呼びかける。
「なんだ? 真理子」
重治が少し視線を落として真理子を見つめた。真理子は重治の真っ直ぐな瞳を見て、かつてその瞳が追いかけていたたった一人の女性の姿を思い出し、そして少しだけ困ったように笑う。
「芽榴ちゃん、そっくりだったわね――――榴衣さんに」
クラスに行って、自分たちのところに駆け寄ってきた芽榴を見て、一瞬本当にその人がそこにいるのかと思った。芽榴の姿は日に日に榴衣の面影と重なり始めていて、今日の芽榴は当時の彼女そのものだった。――血は争えない。それが重治と真理子の頭に真っ先に浮かんだ言葉だった。
「ああ……本当に」
少しだけ懐かしむように重治は言葉を吐く。
昔の想い人ではあっても、今は違うのだ。重治と彼女の関係は永遠によき幼馴染のまま。そんな重治が思うのはやはり別の人のこと。
「あいつにも見せてあげたかったな」
重治の言葉は周囲の騒がしさに溶けて消える。
誰より彼女の姿に焦がれている自分の親友を思い浮かべ、重治はため息を吐くのだった。




