114 大変身と最終日
とうとう麗龍の文化祭最終日が幕を開けた。
1日目2日目とスタート時が悲惨だったF組も最終日となる今日は出だしから大成功。客寄せはバッチリで、開始早々、役員クラスと比べてもトップに近い大行列を獲得した。
加えて嬉しいことに、おそらく現在累計クラス1位であるA組の劇は3日目は1回しか公演しないため、入るポイントはそこまで高くない。
もしかしたら――。そんな思いがF組の生徒の頭の中に浮かぶ。
「楠原さん」
「はーい」
調理場にいる芽榴のところに、委員長がやってきた。
芽榴はパフェの生クリームを綺麗に盛り付け、満足そうな表情で彼女のほうを振り向いた。
「どーしたの?」
「お菓子のほうはだいぶストックがあるので、できればてんてこ舞い状態の表を手伝ってほしいんですけど」
「……? うん、いーよ?」
委員長が機嫌をうかがうようにして尋ねる。いつもなら「手伝って」と断定系で言うのだが、どうしたのだろうと芽榴が考えていると、表の方から「きゃあーーー!」という女子のすごい声が聞こえた。
何事かと思い、芽榴と委員長は慌てて表の様子を見に行く。
「うわぁ、さっすが芽榴ちゃん。大繁盛」
「これは、今クラス空けるの間違いだったかもね」
カーテンの隙間から覗き見をする芽榴と委員長の目にまず最初に映ったのは風雅と来羅の姿だ。
「確実に客は集まるだろうな、ここに」
「そうだろうね。僕はもう公演終わったから、困るのはお前たちだよ」
「……神代くん、ずるいです」
続いて見えたのは翔太郎と颯、そして有利だ。
来るとは言っていたが、まさかみんな同時に来るとは芽榴も思っていなかった。役員の登場に、F組に来ていた女性客が目をハートにする。男性客も来羅を見てうっすら頬を染めていた。
役員がF組にいるという噂はすぐに広まり、F組はパンク寸前の大混雑を迎えてしまった。
慌てて表に出ようとする芽榴を委員長が止める。
「委員長? 私、表の手伝いに行ったほうがいいんでしょ?」
委員長から提案してきたことだ。なぜ止めるのかと芽榴は目で訴える。すると、芽榴の背後で誰かがニヤリと笑った気がして、芽榴はすぐさま振り返った。
「舞子ちゃん。……何持ってるの?」
芽榴は本当に背後で満面の笑みを浮かべていた舞子に少しだけ驚く。しかし、すぐに舞子が手に持っているものを見て目を細めた。明らかに今必要ではないものが入っているポーチだ。
「いいんちょ」
「客引き完璧な感じでお願いしますね、植村さん」
「任せて、委員長」
舞子と委員長は芽榴の腕を捕まえて互いにウインクをしあった。怖いくらいの笑みを浮かべる2人に芽榴はゾッとする。
「ちょ、誰か助けてーー!」
調理場の奥へと連れていかれる芽榴の助けを求める声は誰にも届かなかった。
「楠原さん、いませんね」
中央付近の四角いテーブル席に案内され、有利が少しだけ視線を周囲に彷徨わせてから呟いた。
「調理場にいるんじゃないかしら?」
有利の目の前に座った来羅が表と調理場を仕切っているカーテンのほうを見つめた。
来たはいいものの、会いたかった人物がいないため、有利と来羅は残念そうな顔をする。そんな2人を見て颯はクスリと笑い、冷静に水を飲んだ。
「忙しいんだろう。それより……」
お誕生日席に座る颯は有利と来羅に向けていた視線を、手前の男子2人に移す。先ほどから椅子に何度も座り直す風雅と無意味にメニュー表を取っては置いてを繰り返す翔太郎の行動が目について仕方がないのだ。
「お前たちはいったいどうしてそんなにソワソワしているんだい?」
颯の指摘に風雅は「え!?」と声を裏返し、翔太郎は「ソワソワなどしていない!」とムキになって返す。その反応からも、2人が冷静でないことは明白だった。
「蓮月くんと葛城くんが同じような反応するなんて珍しいですね」
「こいつと一緒にするな!」
「いった! なんでオレを叩くの!」
翔太郎が有利の言葉に反応して向かい側に座る風雅の頭をベシッと叩き、風雅は涙目で抗議する。
確かに性格が正反対に近い2人が同じような反応をするのはなかなか貴重だ。しかし、そんなことは前にもあった。そしてそれはある女の子の水着姿を見た時だ。
それに気づいた颯はため息を吐き、来羅は吹き出した。
「芽榴もそこにいる売り子と同じ衣装だよ」
「「……っ!」」
風雅と翔太郎が悶々と考えていることを颯がサラッと肯定する。すると、2人は目を見開いてそれぞれ顔を赤くした。
それと同時になぜか有利まで赤面し始めて、来羅は不思議そうな顔で有利を見た。
「有ちゃんまでどうしたの?」
「いえ、その……恥ずかしいことを思い出したので」
有利はそう言って深く息を吐き、赤くなる顔を両手で押さえていた。
「でもなんで颯クンは知ってるわけ?」
風雅が恨めしそうに颯を見ると、颯は「初日に会いに来たからだよ」とこれまた冷静に答えた。
「な……っ、颯クン、抜け駆け!」
「可愛かったわよ」
「貴様も見たのか?」
翔太郎が来羅を睨む。来羅は肩を竦めてニコリと微笑んで頷いた。
「狡いよ! オレ芽榴ちゃんに会いに行くの我慢してたんだよ!?」
「飴もらったって自慢してたじゃありませんか」
「う……っ」
涙目で訴える風雅に有利が厳しいツッコミをいれ、風雅は言葉に詰まった。クラスで会わなかっただけで芽榴に会いに行ったのは事実だ。
「俺は帰る」
騒がしい周りを放って翔太郎は怖い顔で立ち上がる。
「はいはい、今さらシャイはいいから」
「シャイではない!」
翔太郎の手を引いて来羅が彼を座らせようとするが、翔太郎はやはりムキになって抵抗した。
風雅と有利、来羅と翔太郎、それぞれの脳内ピンク色な話を前に、一人冷静な颯は水を飲んで楽しそうにその様子を見つめる。
しかし次の瞬間、優しく細められた颯の目がカッと見開いた。
同時に周囲も騒がしくなる。
「柊、離せ! 帰ると言ったらかえ」
「あの、お待たせしましたー……」
翔太郎の背後で、待ち人の声がする。
翔太郎の手を掴んでいた来羅の手の力が抜け、見てみれば来羅どころか他の役員皆固まっていた。
翔太郎は怪訝そうにその様子を見て、ゆっくりと振り返る。
そして翔太郎は一気に赤面した。
彼の前には、来羅にも負けないくらいの、もしかしたらそれ以上かもしれないくらいの美少女が立っていた。
「委員長、あれ誰! 助っ人!?」
「紹介して! マジで!」
表に出てきた委員長と舞子のもとにクラスの男子たちが集まる。そして、役員たちの前に突然姿を現した1人の少女を指さして彼らはそんなふうに尋ねた。
綺麗な透明感のある白い肌、薄くグロスが塗られプルッと潤う唇――。
――桜色に染まる頬、流れるように上を向いた睫がアーチのように大きな漆黒の瞳を覆う。
絵に描いたような美少女がF組の女子が着る可愛らしい着物を身に纏い、そこにいた。
「すっげぇ可愛い……」
そんな男子たちの発言に委員長と舞子は目を合わせて笑い出した。
「植村さん、完璧ですね」
「でしょ。絶対化けると思ってたのよ」
「は? どういうこと?」
質問に答えず、2人が満足そうにそんなことを言うため、男子は首を傾げる。
まったく気づかない男子に舞子がクスクスと笑いながら少女の正体を教えてあげた。
「あれ、芽榴よ。ミス平均の楠原芽榴」
舞子の発言から約5秒後、やっと正常に頭が回ったのか男子たちはもう1度美少女のほうを振り返る。
そして一斉に叫んだ。
「嘘だろーーーーーー!」
「まー、葛城くん。とりあえず座ってー」
今限定美少女こと楠原芽榴は真っ赤な顔で立ち尽くしている翔太郎にそう促して、彼を再び椅子に座らせた。
平然とした顔で接客してみせようとする芽榴だが、周囲からの痛いくらいの視線に、恥ずかしいを通り越して帰りたくなる気持ちを必死に堪えていた。
「楠、原……か」
「うん。あー、何も言わなくていいからね」
芽榴は翔太郎の本人確認を肯定する。
そして自分のことをジッと見ている役員たちの前に片手を突き出し、満面の笑みで告げた。言いたいことはなんとなく分かっているが、それを言われるとお世辞を言われているような気がして芽榴は泣きたくなるのだ。
しかし、そんな芽榴の発言をまったく聞いていないのか理解できていないのか、その男子は目を輝かせてご丁寧にちゃんと言ってくれた。
「芽榴ちゃん、ヤバすぎだよ、それ! ああもう芽榴ちゃんの可愛さがバレるじゃん!」
席を立ち、風雅が芽榴のほうに駆け寄ってくる。そしてそのまま芽榴に抱きつこうとする風雅を来羅がラリアットで止めた。
「はぁい、そこまで。話をややこしくしないで」
もろ顔面でノックアウトし、風雅は鼻を押さえてその場にしゃがみこんだ。
「蓮月くん……大丈夫?」
「大丈夫大丈夫」
「だんでだいだがごだえんの!(なんで来羅が答えんの!)」
鼻を押さえているため、風雅はうまく喋れない。しかし、何が言いたいかはだいたい理解することができた。
「楠原さん、お化粧してますよね」
そしてまさかの有利が芽榴に向かって爆弾を落とす。絶対に言われたくなかった言葉だ。しかもおそらく尋ねるとしたら風雅だろうと思っていた。
「客引きさせるためだって。私じゃなくて別の子選べばいいのにねー」
ぎこちなく笑って芽榴が言うと、有利が困った顔で芽榴を見ていた。
「本当に……。今の楠原さんには客引きしてほしくないです」
有利がボソボソと呟き、芽榴は苦笑する。
もちろん有利の言葉の真意とは正反対の意味で芽榴はこの言葉を捉えているのだが。
芽榴は自分の姿が恥ずかしいと言うが、周囲は芽榴のことをそういうふうには見ていない。その視線は明らかにただの好奇心とは別の熱を持っている。
現にラ・ファウストで一度芽榴の化粧姿を見たことがある役員でさえ固まるほどだ。
前見た時はお嬢様という感じで浮世離れした雰囲気だったが、今回は格好が格好だけにとにかく可愛らしい。
化粧自体、聖夜つきの使用人が施したものよりも芽榴に合っている気がするのだ。化粧を施した人が芽榴のことを理解しているのが分かる。
「……」
先ほどまで風雅に負けず劣らずの阿呆面を見せていた翔太郎だが、席についた途端に赤い顔がみるみる青くなっていった。
「誰か席を代わってくれないか」
そしていい加減耐えられなくなり、翔太郎はそんなふうに助けを求める。
「嫌よ。そんな今にも誰か殺しちゃいそうなオーラ漂わせてる人のそばなんて」
「同じくです」
来羅が笑顔で翔太郎に言い、有利もそれに何度も頷いた。
「え、なに……。うわ」
鼻を押さえながら風雅も不思議そうな顔で視線を彷徨わせて顔をあからさまに歪ませる。
みんなの反応が気になり、芽榴は役員の視線の先を見て可愛らしい顔をサーッと青くした。
「……芽榴」
みんなの青ざめる原因因子、我らが皇帝様が低い声で芽榴の名を呼ぶ。芽榴は彼が渡してきたものを見て目を丸くした。
「紙コップが潰れたから、すまないけど新しいのを頼むよ」
満面の笑みで颯が告げるが、雰囲気は黒く、目は完全に笑っていない。紙コップはグシャッと潰れて本来の用途を果たせなくなっていた。
「ハイ。ワカリマシタ」
芽榴は颯から紙コップのゴミを受け取り、片言で返事をする。そして急いで調理場のカーテンの中に消えて行った。
「……何? 僕の顔に何かついてる?」
颯は自分を真っ青な顔で見つめる役員たちにこれまた低い声で尋ねる。
「「「「イエ、ナニモ」」」」
4人は芽榴同様片言で返事をし、同時にため息を吐くのだった。
 




