105 嘘つきと大惨事
文化祭2日目の朝。
芽榴はいつものように朝早く起きて朝食を作る。台所にはすでに作り終えた自分の弁当と圭と重治の弁当が並んでいた。
「芽榴、おはよう」
背後から重治の声がして芽榴は振り返る。
「おはよー、お父さん。もうお弁当できてるよ」
今起きた重治だが、30分後にはもう家を出なければならないのだ。昨日今日と重治は会社で仕事があるため、文化祭に来るのは明日と最初から約束していた。
「おう。ん? 圭も今日まで文化祭だろう? なんであいつも弁当なんだ?」
重治は芽榴の隣に並び、朝食をつまみ食いしながら尋ねた。文化祭は出店があるから普通弁当はいらない。芽榴の場合はその出店に回る時間があるか分からないから軽食を作っているのだが。
「さぁ? 圭が弁当作ってって言うから」
芽榴も考えるようにして言う。重治は芽榴にお願いしている圭の姿を想像して噴き出した。
「我が息子ながら、健気だと思うぞ」
「別に無理して弁当食べなくてもいいのにねー」
芽榴が困ったように笑うと、重治は「そうじゃないぞ、芽榴」と同じく困ったように笑った。
「喫茶店うまくいってるか?」
「うん、かなり」
芽榴が自信満々に言うと、重治は面食らったように目を丸くしていた。芽榴のことだから、うまくいっていても「それなり」と答えると思っていたのだ。
「それは明日が楽しみだな」
重治が笑って、芽榴も満足そうに笑みを返した。
仕事に行く準備を始めた重治は朝食のお吸い物を作る芽榴に何度も視線を向ける。
「お父さん?」
その視線に気づいて、芽榴はお吸い物をかき混ぜながら首を傾げる。楽しげに光る芽榴の瞳を見て、重治は口を開いたことを少しだけ後悔した。
「ヤツのことなんだが……」
重治が躊躇しながらも口にした言葉に、芽榴の動きがピタリと止まる。
芽榴は余程のことがない限り、自らその話を振ることはない。
何も尋ねないのはそのことに興味がないから。普通はそうだ。
でも芽榴の場合は違う。
芽榴は本心を隠すのが誰より上手だ。何より気になっていることも心の奥に閉じ込め、平然とした顔で無関心になろうとする。
「文化祭にはたぶん……来れない」
10年前のあの日以来ずっと、彼は芽榴の行事に来ていない。唯一今年の体育祭が初めてだった。そしてそれは問題ばかりを抱えていた芽榴が文句無しに活躍した行事だ。
今回の文化祭はあの体育祭よりも芽榴は活躍するはずで、絶対に誰より彼に見てほしいはずなのだ。
「うん……知ってる」
それなのに芽榴は何事もないように笑う。
そうやって芽榴はまた自分の思いを心の奥にしまいこむのだ。
重治を見送り、起きてきた真理子と圭に朝食を出した芽榴は、準備のためにいつもより早めに学園に向かった。F組は中間発表で3位だったため、士気がかなりあがり、早めに集合して出だしから波に乗れるようにみんなで準備をしようということになったのだ。
学園に着き、学年の校舎に向かう。
「来羅ちゃん」
学校に着くと、靴箱のところでばったり来羅に会った。
「るーちゃん、おはよ」
「おはよー」
芽榴は靴を履き替え、来羅と合流する。来羅の早い登校に首を傾げると、来羅は「るーちゃんと理由は同じ」と告げた。来羅のクラスは昨日の中間発表で2位だったがその指揮権はほとんど来羅にある。そのため、準備も来羅が率先してやらなければならないのだ。そしてそれは他の役員も同じで、風雅以外の役員はすでにもう学園に来て準備をしている頃だと来羅は言う。
「風ちゃんは疲労困憊で開始ギリギリまで寝てると思うわ」
「あれだけ歌えばね……。今日も歌うんでしょー?」
「そうらしいわ。あ、るーちゃんが飴くれたって風ちゃんが喜んでたわよ」
来羅が言い、芽榴は忘れていたことを思い出したようにキョトンとした表情になり次の瞬間には笑っていた。
風雅が慎のことで昨日芽榴を心配してやってきたときに、芽榴は別れ際風雅に飴を渡した。
ライブのときから風雅の声に違和感があって気になっていたのだ。のど飴ではないからただの気休めにしかならないのだが、風雅は来羅に自慢するほど喜んだらしい。
「で、昨日ラ・ファウストの二人が来てたって?」
話しながら階段を上っていると、来羅がその話をふってきた。風雅が飴の話をしたならその話も知っているのは当然なのだが、芽榴はぎくっと肩を揺らして来羅の方を見た。
「えっと、その……」
気まずそうにする芽榴を見て、来羅は自分の言葉が芽榴を責めているように感じられて肩を竦めた。
「初対面がアレだから何とも言えないけど……。るーちゃんにしつこく会いに来るくらいだし、あの人たちも悪い人ではないのかもね」
来羅が芽榴に笑いかけ、芽榴は苦笑する。聖夜は確かに悪い人ではない。でも、彼の相棒に関してはそう断言するのは難しいだろう。
「あ、でも今言ったことはみんなには内緒ね。特に颯と風ちゃんには」
来羅が口に人指し指を添えて言った。
颯と聖夜、風雅と慎はそれぞれ似た者同士であるからか、役員の中でも飛び抜けて因縁深いからだ。
芽榴もそれが分かっているため、何度も頷く。おそらく颯にも聖夜が学園に来たことは伝わっているだろうから、颯に次会う時のことを考えると芽榴はサーッと青ざめるのだった。
「じゃあ、るーちゃん。また後でね」
芽榴のクラスは3階、来羅のクラスは2階であるため、2階の踊り場のところで芽榴と来羅は別れる。しかし来羅が芽榴に背中を向けるのと同時に、3階からものすごい勢いで階段を駆け下りる音がしてきた。
「藍堂くん?」
「楠原さん!」
芽榴は降りてきた有利を見て目を丸くする。有利はかなり焦った顔をしていて、芽榴の顔を見た瞬間さらにその顔は険しくなる。
「ちょうどよかったです。今、連絡しようと……」
「え、何……どーしたの?」
来羅も有利の様子がおかしいため、教室に向けていた足を2人の方に向けた。
「有ちゃん、どうしたの?」
「柊さん。……2人とも急いで来てください。F組が大変なことになってるんです」
有利がF組の名を出すと、芽榴と来羅の顔色が変わる。2人は有利の後を走ってついて行った。
F組についた芽榴は驚愕する。
「何……これ」
教室のガラスは割れていて辺りに破片が散らばっている。丸見えになった中では、机がグチャグチャに投げ倒され、カーテンが引き裂かれていた。どこから出たのかも分からないほど大量のゴミや水までぶちまけられている状態だった。
「僕が来た時にはもうすでにこうなっていて……」
「ひどい……」
有利が申し訳なさそうに言い、来羅はその惨状に眉を寄せる。
芽榴は何も言わず、荒れ果てた教室に足を踏み入れた。有利は小さな声で芽榴の背中に声をかけた。
「楠原さん」
「……まだ時間はあるから、大丈夫」
芽榴はニッと笑って教室の中に入った。F組の生徒はまだ来ていない。彼らが来る前に今よりはマシな状態にしようと思ったのだ。
「手伝います」
「私も」
有利と来羅も中に入った。2人も自分のクラスの準備のためにこんな朝早くに来ているのだから、申し訳ないと芽榴は断ろうとする。しかし、2人はF組の生徒が来るまでと押し切って芽榴を手伝った。
「ありがとう」
芽榴は申し訳なさそうに笑って教室のゴミ拾いを始めた。有利と来羅は廊下に出て窓ガラスの破片を拾う。
「有ちゃん。颯と翔ちゃんは?」
来羅は芽榴の様子をうかがい、芽榴に聞こえないように尋ねる。颯と翔太郎もすでに学園に来ているはずで、彼らが芽榴のクラスの惨状を無視するはずがないのだ。
「事態の収拾に行ってます」
颯と翔太郎も最初はF組の片付けをしようとしたのだが、有利がそれを請け負って2人は校門前の監視カメラを確認しに行ったのだ。昨日の最終下校の際、役員はちゃんと見回りをして生徒の有無を確認した。そしてそのときまでF組は無事だった。事件が起きたとしたらその後。
「颯は何か言ってた?」
来羅が問うと、有利は頷く。
「蓮月くんには詳しいことを伝えてはいけないと一言だけ」
「……やっぱり」
来羅はハァッと溜息を吐く。
その後、続々とやってきたF組の生徒たちは自分たちのクラスを目の前にして唖然とする。その様子を不安に思った有利と来羅はその場に残ろうとするのだが、芽榴に送り出されてしまい、渋々そのまま颯と翔太郎のところへと向かった。




