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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
文化祭編
117/410

103 義理とパンプキンカスタードパイ

 そろそろ芽榴の休憩時間も終わる。聖夜も帰らなければならない時間が迫っていた。


「琴蔵さん、まだ時間ありますか?」


 芽榴は立ち上がって聖夜を見下ろしながら問いかける。


「少しなら……。どないした?」


 聖夜が聞き返すが、芽榴は詳細を言わない。ただ「ついてきてください」と言って空き教室から出て行った。


 芽榴はあまり人目につかないように、聖夜を連れてF組のすぐ隣へと通ずる非常階段を降りた。


 非常階段の窓口を開け、1時間半ぶりに戻って来たF組を見て芽榴は「わーお」と感嘆の声を漏らす。


 F組の前には女性客が音楽室の前と同じくらい大量に並んでいた。


「芽榴」

「はい?」


 大行列を見ながら聖夜が芽榴の腕を引っ張った。その聖夜の顔が微妙に歪んでいるのを見て、芽榴はカラカラと笑った。


「あー、心配しなくても並べとか横暴なこと言いませんから。できれば客寄せしてほしいですけど」

「お前の頼みでも断るで」


 聖夜が真顔で言い、芽榴は「分かってます」と笑った。

 そして芽榴は聖夜を連れたまま、調理場の入り口から中へ入る。


「あ、楠原さん。ちょうどいいところに……って、どちら様?」


 芽榴がクラスに帰ってくると委員長が笑顔で迎えてくれた。しかし、委員長は芽榴の背後から入って来た気品たっぷりの男子を見て目をパチクリさせる。


「えっと、知り合い。それより……みんなは?」


 調理場には委員長しかいない。奥の方にチラホラ男子の姿があるが、圧倒的に女子がいないのだ。


「表です。楠原さんの戦利品を見物に」


 委員長はそう言って、また奥の方に消えていく。委員長の発言に納得した芽榴は表の方に足を向けた。


 少し表を覗いてみると、慎が約束通りF組の客として女子を引き寄せてくれているのだ。


「へぇ……美味しいじゃん、これ。……何? 食べさせてやろっか?」


 怪しげな笑みで慎は近くにいる女子に言う。そして自分の食べかけのパフェを女の子たちに食べさせてあげているのだ。その光景に芽榴は鳥肌が立つのだが、お客の女子たちはキャーキャーと顔を真っ赤にして盛り上がっている。

 さっきの功利のときとは逆に、クラスの女子組が目をハートにしていて男子組が目を細めている。舞子まで慎に魅せられているのだ。


「あいつ、よくもまあ、あないな寒いセリフ言えるな……」

「同感ですねー」


 芽榴の後ろから表の様子を見た聖夜が半目でつぶやき、芽榴も同じような表情で言葉を返した。


「それより、お前は仕事せなあかんのやろ?」


 聖夜は辺りを見渡しながら言う。クラスの女子が慎に見惚れていると言えど、この混雑ならかなり忙しいはずだ。実際、芽榴の大量に作ったストックもなくなる頃合いで、聖夜の言うとおり仕事に戻らなければならない。


「はい。でもその前に……」


 芽榴はF組に設置された冷蔵庫の前に行き、首をキョロキョロと動かした後、手に持ったそれを聖夜に差し出した。


「こっそり食べてください」


 芽榴は試作品として作った残り一つのパンプキンカスタードパイを聖夜に渡した。そのカスタードパイはさっき慎に盗み食いされてしまったメニューにないスイーツ。さらに残り一つであるため、クラスの人にも見られてはいけないのだ。


「……」


 ジッとそのカスタードパイを眺めて固まっている聖夜を見て芽榴は苦笑した。


「毒なんて入ってないですよ。簑原さんも一応美味しいって言ってましたから」

「慎は食べたんか」


 聖夜は少し低い声で言う。

 芽榴は2つ作ったうちの片方を慎に食べられてしまったことを素直に聖夜に話した。慎が勝手に食べたとはいえ、やはり自分より先に口にしたというのが聖夜としては癇に障るのだ。


「いらないなら、返してくれれば……」


 聖夜が不機嫌にパイを見つめるため、芽榴はそんな言葉をかけた。聖夜の手からカスタードパイを取ろうとしたが、その手は空を切る。


「え……」


 聖夜は芽榴の手を除け、そのまま三口でパイを食べきった。聖夜は指についたシュガーをペロッと舐め上げて芽榴を見た。


「どーですか?」

「……うまいで」

「それならよかったです」


 芽榴はヘラッと笑う。もちろん、芽榴はその反応を予想して聖夜にパイをあげた。

 せっかく来てくれた聖夜を何もせずに帰すことはできなかったのだ。


「何も考えんでええのに……」


 何もしなくても聖夜は芽榴と一緒にいて、芽榴がかけてくれる言葉一つで満足だった。第一ここに来たのは聖夜の勝手な行動で、芽榴が気を使う必要はない。けれども芽榴はそれを良しとしなかった。


「そーいうわけにはいきませんよ」


 芽榴が言うと、聖夜は笑みをこぼす。義理だと分かっていても聖夜は嬉しかった。


「ほな、もう帰らんと……おい、慎!」


 聖夜は芽榴に優しげな口調で言って調理場を出る。そして少し荒い口調でもって慎の元へ歩み寄った。聖夜の登場にやはり女子は喜ぶのだが、慎と違って聖夜は女子の媚びるような視線も完全無視だ。


「よぉ、聖夜。俺もうちょっと食べてから帰ろうと思うんだけど? 楠原ちゃんと約束」

「どさくさに紛れて残ろうとすんなや。さっさと準備せえ」


 聖夜は慎の目の前にあるケーキを慎の口の中に押し込めた。慎は肩を竦めながら、口の中のケーキを食べきり「はいはい」と言って立ち上がった。


 芽榴は2人を廊下のあまり人目につかない場所で見送った。


「楠原ちゃん。ま、お遊戯会頑張れな」

「……。お手伝いありがとうございました」


 人を小馬鹿にしたような相変わらずの慎の口調に芽榴は目を細めるのだが、約束通りF組の売り上げに貢献してくれた慎に一応の感謝の気持ちを述べた。すると、慎はハハッと満足そうな顔をする。


「芽榴」


 そんな慎とは逆に聖夜は冷静な表情で芽榴の名を呼ぶ。芽榴は慎に向けていた視線を聖夜へと移した。


「はい?」

「さっきの菓子の礼は、文化祭中にちゃんと返す。お前が一番欲しいもので」


 聖夜は真剣な顔で言う。お礼なんていらない。芽榴はそう言おうとしたが、それは言葉になる前に消える。自分が一番欲しいものが何なのか、自分でも分かっていないのに、聖夜がいったい何をするつもりなのか気になってしまったのだ。


「じゃあ、心待ちにしてます」


 芽榴は一言そう返した。

 そして聖夜と慎は相変わらず何かを言い合いながら芽榴を背にし、歩き出す。2人の姿が消えるまで芽榴はちゃんと見送った。








 慎によって制服に着替えさせられている芽榴は衣装チェンジするため更衣室に急いだ。人混みもあるためスピードは出せず、テクテクと小走りで向かう。

 更衣室のそばまで来ると、ほとんど人はいない。更衣室まであと数歩というところで芽榴は誰かに腕を掴まれた。


「うわ」

「あ、ごめん」


 芽榴は少しよろける。引っ張った人物――風雅は申し訳なさそうに芽榴に謝って、彼女の態勢を戻した。


「蓮月くん。あれ、休憩?」

「うん。だから急いで抜けてきたんだけど……。よかった、芽榴ちゃんすぐに見つけられた」


 風雅は嬉しそうに笑って言う。ファンの子が待ち構えている場所を避けて非常階段を降りたところで運良く芽榴を見つけて追いかけたのだ。


 風雅は「運命だよね」と言おうとしたが、やめた。芽榴は即答で否定しかねないし、自分がそう思っていれば十分だと思ったからだ。


 時間があれば風雅に会いに行こうと芽榴も思っていたため、実際運命という言葉も馬鹿にできないほどグッドタイミングではあった。芽榴はそのまま風雅に向かって頭を下げる。


「蓮月くん、さっきはごめん。ライブ荒らしちゃって……」

「そんなこと気にしないでいいよ!」

「いや、そんなことって……」


 大事なライブを邪魔したことについて〝そんなこと〟と一括りに投げていいものか芽榴は悩むが、目の前の風雅は迷うことなく投げ捨ててしまう。


「それより芽榴ちゃん大丈夫? 簑原クンに何もされてない?」


 風雅は芽榴の両肩を握り、いつになく真剣に問いかけてきた。芽榴は大丈夫だと言うが、風雅は心配そうな顔のままだ。


 はっきり言って、慎に関しての敵対心と嫌悪は役員の中でも風雅が一番強い。芽榴もなんとなくそれを分かっているから、何より風雅のところに行くのを避けたのだ。


 しかし慎にはすべてお見通しで、まんまと彼の手にはまってしまったのが芽榴としても腹立たしいところではある。


「ほんと大丈夫だから」

「……簑原クンのことだから絶対芽榴ちゃんに何かしてるって思って、気が気じゃなかった……」


 風雅は芽榴の肩に自分の顔を埋め、思いきりため息を吐いた。おそらく風雅はそんなことをずっと考えていてライブにも全然集中できなかったのだろう。芽榴は申し訳なくてもう一度「ごめん」と謝った。


「でも簑原さんは、なんだかんだ言って私には手を出さないよ」


 芽榴がケロッとした顔で言って、風雅は「え?」と声をあげる。


 芽榴は慎に何度もキスされそうになったことがある。しかし、いつも触れるのは口以外のところで、今日だって手を盾にしてしたくらいだ。


「あの人、好きでもない人にキスできるくらい軟派だけど、私はキスするのも憚られるくらい論外みたい」

「……それ、簑原クンが言ったの?」


 風雅の問いに芽榴は頷く。風雅が実際に慎が何と言ったのか執拗に聞いてきたため、芽榴は夏休みの夜会のときに慎が別れ際に言い残した台詞を告げた。


「……芽榴ちゃん。それは……」


 風雅は額に手をあて、困った顔でため息を吐く。風雅にはちゃんと慎の本心が分かってしまうのだ。でもそれを芽榴に教えてあげるほど風雅は大人じゃない。


「すごく軟派だね」

「でしょー。ある意味、論外でよかったと思うよ」


 芽榴はハハハと笑う。

 一方で、風雅はどこか恨めしそうに窓の外を見た。


「オレ、やっぱり簑原クン大っ嫌い」


 風雅は芽榴に聞こえないようにボソッと呟いた。

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