90 達人シェフと試食会
文化祭の準備が進むある日の放課後――。
家庭科室には、F組の生徒と松田先生、そしてエプロン姿の芽榴がいた。
いまだ喫茶店の具体案が決まらないF組は、本日全員参加で喫茶店のメニューを考える試食会を行うことになっていたのだ。
芽榴はせっせとクラス全員分作ったスイーツをタッパーから取り出している。ほとんどが昨日芽榴が家で作ってみたものだ。一応圭や真理子、重治に食べてもらって不味くないことは確認してある。短時間でできるものだけ昼休み中に芽榴が家庭科室で作り、それを今からみんなに試食してもらってメニューを決めようということなのだが――。
「とりあえず、和風と洋風どっちにするのか決めるってことだったから、どっちも定番なもの作ってみたんだけどー……」
芽榴が今から出すスイーツについて説明するが、そんなことには興味がないという雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。
とりあえずクラスの男女ともに、早く芽榴のスイーツが食べたくて仕方ないという様子だ。
ちなみに家庭科室の一番前の椅子ですでにスプーンとフォークを持って待っている松田先生は人一倍試食会を楽しみにしていたようだ。
「それでは、まず1品目」
委員長が取り仕切る。舞子が芽榴に渡されたお盆を持ってクラスのみんなにチーズケーキとショートケーキとガトーショコラ、それぞれ一口サイズ大くらいの大きさのものがのっている紙皿を配る。
自分のところにその紙皿が届いた瞬間、みんな急いでそれを口に運んだ。
「「「「「「「「「うっまーーーー!」」」」」」」」」
クラス全員が頬を押さえて足をバタつかせる。
「おかわり!」
「ないわよ、バカ」
滝本が元気よく皿を掲げるが、舞子が滝本の頭を叩く。「ってー!」といつものように舞子と滝本の口論が始まったが、もはやみんなの関心は芽榴のスイーツに向いていた。
「このショートケーキのホイップクリーム素晴らしいですね……」
委員長が芽榴の隣で感心しながら一つずつゆっくりと味わって食す。彼女のコメントが1番信憑性が高いと芽榴は思った。
「甘すぎると他に何も食べられなくなりそうだから少し甘さ控えめにしてみたんだけど、どーかな?」
「かなりいいと思います。このクリームのふわふわ感……チーズケーキも口の中にまとわりつかないし、ガトーショコラも甘すぎず、苦すぎず……完璧です」
1品目からかなり高評価である。松田先生やF組のみんなはもはやこれが何のために行われている試食会なのかを忘れたかのように「次ー!」とハイテンションで叫んでいた。
「2品目の試食に入ります」
委員長が口を拭いて、冷静な口調で言う。次に舞子が運んでいるのはただの白いお団子だ。
そしてみんなの前にお団子を置くと、次に二種類のタレを置く。みんながどういうことなのかと首を傾げると、芽榴は自分のところにあるタレを掲げてみんなに見えるようにした。
「そのお団子はただのお団子で、赤丸が書いてある皿に入っているタレは香ばしい醤油ベースの本格タレ、もう一つの青丸の皿に入っているタレは一般的な甘いさっぱりとした風味のタレ。自分の好みで食べれるようにしましたー」
芽榴がのんきな口調で説明する。しかし、その内容は料理について詳しくない人でも感嘆する内容だ。団子一つにバリエーションを持たせるなんてさすがである。みんな黙々と食べては「美味しい……」ともはや溜息を吐く。
「楠原ー」
「何?」
滝本に呼ばれて芽榴は滝本のそばに行く。
「このタレ、混ぜても美味しいぜ?」
「混ぜたんだね……」
芽榴が半目になる。しかし、滝本の意見を耳にした生徒たちが実際にタレを混ぜてお団子につけると、これが意外と好評だった。
「じゃあタレは3種類かー」
好評のため、芽榴が滝本の意見を採用すると、滝本はニッと笑って騒ぎ始める。
「なかなか俺の味覚すごいだろ!」
「すごいねー」
「なんで棒読みなんだよ!」
絡んでくる滝本を適当にあしらって、芽榴は次のスイーツを出しに調理ゾーンへと足を向けた。
次の大福は普通の大福に加えてフルーツ大福も用意し、餡が苦手な人も考慮してカスタードクリームに変えたバージョンの大福も用意していた。それから芽榴特製餡蜜や、硬さいろいろのクッキー、プルプルのゼリーにパフェ、和菓子と洋菓子いろいろなものを出してみたが、どれもすべて大好評。
もはやその中からメニューを選定するのはかなり過酷なものだった。
和風か洋風かを選ぶ投票用紙を見つめてみんな唸る。松田先生に至っては「ぬおぉぉぉぉ」と謎の奇声をあげるほどだ。みんなのペンがなかなか進まない。
「委員長。これじゃあ話進まないわよ?」
舞子が芽榴の後片付けを手伝いながら委員長に言う。委員長も現在ペンが止まっている状態だった。
「和菓子と洋菓子、得意不得意があると思ったのですが……楠原さんのことをあまく見ていました」
委員長が顎に手をあてながら悩む。すると、自称『委員長の補佐役』である滝本がペンを鼻と口で挿みながら口を開いた。
「つーか、俺それよく分かんねーんだけど。和風とか洋風とかどうでもよくね?」
「それじゃあまとまりないじゃん」
「どっちか決めないと楠原も大変だろ。な?」
みんなが滝本の意見に文句を言う中、クラスの男子にいきなり話を振られ、芽榴は挙動不審になる。
「別に、作れと言われれば作るよー」
芽榴が言うと、クラスの生徒は「おぉぉぉ」と感動した。
芽榴の意見、そして滝本の発言に委員長はしばらく何かを考え、そして眉をピクリとあげる。
「……和洋折衷」
委員長は立ち上がり、芽榴に詰め寄る。
「楠原さん!」
「う、うん。どーしたの? 委員長」
「今日のメニュー、全部採用です!」
「え? えぇ!?」
「みなさん、F組の喫茶店は和風洋風どちらも織り交ぜます! こんなに美味しいものを選べません! お客様もみんなそのはず! 絶対もうかります! クラス部門1位間違いなしですよ!」
驚く芽榴を放って、委員長がみんなの前に立ち、喫茶店の具体案を提示した。その演説の熱の入り方に生徒全員唖然である。
そんな委員長を見て反対する者もおらず、F組の喫茶店のメニューは無事決まるのだった。
試食会も終わり、後片付けと掃除が始まる。
芽榴が調理場で使った食器等を洗っていると、箒を持った滝本が芽榴に近づいてきた。鼻歌を歌っていてご機嫌である。
「どしたの? 滝本くん」
聞いて欲しいのだろうと思い、芽榴は一応滝本に尋ねた。すると、滝本は待ってましたと箒に手をついて楽しげに口を開いた。
「自分の提案した出し物にみんなが真剣に取り組んでくれるっていーよなーって思って」
滝本が掃除をしているクラスメートたちを見ながら呟く。掃除一つとっても文化祭シーズンでは青春の1ページだ。
「楠原には迷惑かけちまってるけどな」
「最初からそのつもりで提案したでしょー」
少し申し訳なさそうに言う滝本に、芽榴は唇を尖らせる。しかし、芽榴はすぐにいつもの顔に戻ってクスリと笑った。
「これで、滝本くんがサボってたらボイコットしてやろーって思ったんだけど」
「恐ろしいこと言うなよ」
芽榴がいなければ、この案は予算的にも企画的にも成り立たない。滝本が困り顔で言うと、芽榴は「じょーだん」と言って蛇口を閉めた。
「滝本くん、何気に委員長と一緒に頑張ってるみたいだから私もちゃんと協力するよ」
「当たり前だろ。お前いねーと始まんない」
滝本がそう言うと、芽榴は少しだけはにかんで嬉しそうに笑った。
「うん、ありがと」
芽榴はこんな顔を役員以外には滅多に見せない。滝本は思わず固まった。
「――楠原」
「あ! 舞子ちゃん、私がゴミ捨て行くから調理場の残りの片付けおねがーい」
滝本が何かを言いかけるが、芽榴の耳には届かない。ちょうどゴミ捨てに行こうとする舞子の姿が目に入り、芽榴は急いでそちらに駆け寄った。
「芽榴? なんで……」
「いーから、いーから」
芽榴はそう言って、舞子からゴミ袋を預かってさっさと家庭科室を出て行った。
残された舞子は首を傾げて調理場のほうに目を向ける。そして少し頬を染めて目を細めた。
「芽榴のバカ……」
少し恨めしげに言いながらも、舞子は調理場のほうに向かった。
「サボってんじゃないわよ、バカ滝本」
「サボってねーし」
やはり顔をあわせれば文句を言ってしまう。
「なぁ、植村」
「何よ?」
「楠原、何か雰囲気変わったよな」
いつになく真面目な雰囲気の滝本の口から出るのはやはり芽榴の名前だった。
「舞子ちゃん、笑ってるといーな」
呑気にそんなことを考えて笑う芽榴には曇る舞子の表情なぞ想像つかない。
複雑な恋の糸がここにもまた一つ、紡がれ始めていた。




