86 文化祭と2年F組
新学期が始まって数日が経った。
課題テストも終わり、今回も波乱な結果が発表された。
「なぁ、また楠原さんが神代会長と同点だってよ」
「同点っつうか、2人とも満点だろ?」
「どういう頭してんのかなぁ」
「神代くんはともかく楠原さんはヤバくない? 最近いきなり凄すぎ」
「てゆーか、楠原さんて何気に1番仕事してね?」
「それ確かに」
廊下では時折そんなふうに芽榴の話題が出てくる。
彼女の成績を相変わらずインチキだと考える者が増える結果だったが、その一方で芽榴を認める声も増えてきた。
とにもかくにも新学期早々、芽榴は順調なスタートをきった。
そんな青春真っ盛りの季節――九月。
夏休みは終わっても、まだ夏のような暑さは続いている。
ただでさえ、うんざりする蒸し暑さだというのに麗龍学園高等部2年F組はそのむさ苦しさに拍車をかけている最中だった。
「今年はうちからキングを出すぞ!!」
そうロングホームルーム中にハイテンションで告げたのはF組担任松田先生だ。唐突にまったく意味の分からないことを言い出すものだと芽榴は半目になるのだが、周りの人はその意味をちゃんと理解できているようだった。
「まっちゃん。キングっつったら今年も神代だろー」
滝本が椅子の背に体重をかけながら前に後ろに揺らし、呑気な顔で言うと周りもそれに反応する。
「ばっか、滝本! 今年は風雅くんだよ! 去年も惜しかったし!」
「惜しいって言ったら藍堂もじゃねぇの?」
「キングは葛城くんだと思うなあ」
「今年こそ柊さんだと思うぜ?」
なぜか『キング』というワードにみんなが反応している。それもキング=役員の誰かという方程式のようだ。
まったく意味が分からない芽榴は目の前にいる舞子の背中をトントンと叩いて、キングについて聞いてみる。すると、舞子は目を丸くした。
「は? なんで知らない……あー! あんた、『魔のシック月間』だったのか」
そう言って舞子はクスクス笑い始めた。久々に聞いた『魔のシック月間』という言葉に芽榴は半笑いしてしまう。
芽榴は昨年の文化祭には参加していない。その理由が1年生のときのクラスメートたちが名付けた『魔のシック月間』なのだ。概要を説明すると、文化祭の説明および話し合いから文化祭当日にかけての約1ヵ月間、芽榴はありとあらゆる病気にかかり出席停止。文化祭期間は学校に来ることができなかったのだ。
芽榴は昨年の文化祭はおろか麗龍の文化祭の仕組みについてほぼ何も知らないのだ。
「文化祭だし、クラスの出し物とか部活動の出し物とか、コンテストとかまあいろいろあるんだけど……とにかく全部のイベントにクラス単位・個人単位でポイントがつくのよ。それで、そのポイントが最も高い人がその年の文化祭の『キング』って呼ばれるの」
「へぇ……」
「で、去年のキングは皇帝様だったてわけ。もうほんとすごかったんだから。他の役員もポイント僅差だったし」
何がどう凄かったのか。聞いたところでもう驚くこともないだろうと思った芽榴はまた「へぇー」と返事をするのだった。
「それでキングを出したいのか、松田先生は」
芽榴は納得する。しかし、芽榴の考えではまだ松田先生がキングを自分のクラスから輩出したい理由としては不十分なのだが、そんなことは今の芽榴の知る由もないことだ。
文化祭の仕組みもそれなりに分かったところで、周りは今年のキング予想を始め、芽榴はというと今日の夕飯の献立を頭の中で考えていた。
「こるぁーーー! 楠原!」
なぜかいきなり芽榴は松田先生に怒鳴られた。芽榴は目をパチクリさせる。
「なんで他人事みたいな顔して頬杖をついているんだ!!」
「え……え?」
「F組でキング候補といえば、楠原! お前だろうが! やる気を出せぇ!!」
と、松田先生は相変わらず横暴である。芽榴は半目で、松田先生の隣に冷静に立つF組一のしっかり者であるおさげ委員長を見つめた。
「一番有力なのは……委員長じゃないですか?」
「楠原さん。面倒はやめ……冗談はやめてください」
一瞬、委員長が本音らしきものを吐いた気がするが、松田先生の耳には届いていないらしい。委員長が「楠原さんほどキングに近い人はクラスにいません」と言うと、松田先生もご機嫌で頷く。
「まぁ全力は尽くします」
芽榴がそう応えると、舞子が驚いた顔で振り返る。芽榴のことだから「そんな無茶言わないでください」と言ってあしらうだろうと思っていたのだ。
そんな顔の舞子を見て、芽榴は首を傾げた。
「どーしたの?」
「なんか、意外」
「そう?」
芽榴が笑うと、舞子は「なんでもない」と笑い返す。行事の話し合いでこんなに楽しそうな顔をする芽榴を見るのは初めてだった。
「よし! じゃあ委員長! 進行頼む!」
満足そうな松田先生は委員長に任せて自分は教室の端にある椅子に腰掛ける。お尻が半分くらいはみ出しているのではないかとクラスのみんなは笑を堪えていた。
「では、クラスの出し物を決めたいと思います」
委員長がチョークを片手に告げる。
もちろん、こういうときに先手を取って案を出す人物は決まっている。
「はいはいはいはい!」
「滝本くん、『はい』は一回で十分です」
委員長が言うと、滝本は「はーい!」と大きく手を挙げる。そんな滝本を見て舞子は額を押さえながらため息をついていた。
「舞子ちゃん……」
そんな舞子を見て、彼女の考えていることをだいたい察した芽榴は苦笑した。
「喫茶店!」
滝本が大きな声で提案し、クラスの人はそれに猛反対し始めた。
「は? 超面倒じゃん!」
「却下ー」
「劇でいいじゃん。当日いろんなとこ回れる」
「えー、お化け屋敷が一番楽」
いろんな声があがる中、滝本は断固喫茶店を推す。なぜそこまで喫茶店に拘るのか芽榴は首を傾げる。そんな中、松田先生が立ち上がった。
「先生、どうしました?」
冷静に委員長が先生に尋ねる。しかし、松田先生は委員長の問いには答えない。そのまま教卓にゆっくりと向かう。いつもバカみたいにうるさい先生が静かだとかなり不気味だ。簡単な出し物を提案したり面倒くさがったりしていた生徒たちも静かになる。
そして教卓に立った松田先生はバンッとその教卓を叩いた。
「お前ら……高校2年の文化祭なんてたった一度しかないんだぞ」
静かに、どこか悲しげに松田先生は言う。みんないつもとは違う松田先生の雰囲気にゴクリと唾を飲む。芽榴も少し驚いていた。もちろん顔は全然驚いていないのだが。
「劇もお化け屋敷も当日楽になるかもしれない。でも、結局的に大事なのはみんなで何かをしたということだ。楽して適当にやった行事が思い出に残るか?」
松田先生の言葉は深く生徒たちの心に刺さった。
「みんなで一番の思い出を作ろうじゃないか」
まさに名シーンだ。F組の生徒の目がキラキラしている。
「じゃあ委員長、もう一度話し合いを進めてくれ」
松田先生が格好良くキメる。委員長も松田先生のことを少し見直した。しかし、それもつかの間、松田先生が背を向けた瞬間にキラキラしていた生徒たちの目が細くなる。
「松田先生。見えてます」
「え? あーーーっ!」
委員長が冷静に指摘する。松田先生のズボンのポケットから文庫本の『恩師たちの名言』という題名がはみだして見えていた。
松田先生のかっこいいセリフはつまり、そこからの抜粋。それが分かり、みんな納得しつつ呆れていた。
「お前らが真面目にしないからだろーーー! 真剣に話し合え!!」
ヤケになった松田先生はプリプリして席に戻る。
確かに松田先生の作戦は失敗したが、その意図はちゃんと生徒には伝わったみたいだ。
さっきよりもみんながしっかり話し合いに参加し始めた。
「絶対喫茶店!」
やっぱり滝本は喫茶店案からは離れない。
「喫茶店楽しそうだけどね」
実際のところ可愛い衣装を着れたりするため、喫茶店案は女子にそれなりに人気が出始めた。
「でも、スイーツとか取り寄せたりしたら結構予算ヤバイんじゃねーの?」
男子の意見ももっともである。しかし、提案者滝本はチッチッチと人差し指を振った。
「うちには、どこのクラスにも負けねーシェフがいるんだぜ? 絶対クラス部門一位だ!」
そう言って滝本が芽榴を指差す。芽榴は「へ?」とまた頓狂な声をあげていた。
「滝本、よく考えろって。手作りとかマジでスイーツ店に敵わねぇんだから取り寄せに決まってんだろ」
男子が呆れて言うが、滝本とそしてクラスの女子がそれを猛烈に否定した。クラスの女子は調理実習で芽榴の料理を食べたことがあり、芽榴の料理センスを疑う男子どもを信じられないという顔で見る。
「お前らアホか! アホなのか!?」
「楠原さんのはほんとにヤバイ! スイーツ店のレベルじゃない!」
「あのー……ハードルあげないでください」
自分抜きで勝手に口論が始まり、芽榴が止めに入るが、一切耳を傾けてもらえなかった。
さすがに男子も簡単にはそんな話を信じない。そこで、滝本は約束で芽榴にもらっているマドレーヌをちぎって文句を言う男子に分け与える。すると――。
「は!? 何これ……」
「滝本、もう一口」
「俺も!」
「ばぁか! ねーよ!」
好評という域ではない。
自分にもマドレーヌを作ってきてほしいという男子の視線を感じた芽榴は半笑いで目をそらした。
「楠原の料理センスがはんぱねぇのは分かったけどさ。食べ物系って大変じゃね? 保健所とか」
喫茶店案に反対はしないが、やるなら本格的にと考える男子は、保健所に引っかかって出品の幅が狭まるのは嫌だと言う。
「保健所は私がねじ伏せます」
委員長がキリッとした顔で告げる。委員長が言うと、みんな「おおっ」と感嘆する。
「委員長ノリノリだねー」
「クラス一位の委員長はポイント高いし、内申書もいいからね」
そんなこんなで、結局滝本の熱意勝ち。F組の出し物はとりあえず〝喫茶店〟に決定した。




