※Episode4 頼まれ者と委員会
終礼が終わり、放課後が訪れる。今日は松田先生の罰則という名のパシリも昼休み中に終わらせ、芽榴に残された業務はない。
「芽榴、帰るの?」
「うん。舞子ちゃんは部活だよね、ファイトー」
芽榴は部活道具を持った舞子に手を振って彼女を見送った。
「さて、今日の夕飯は何にしよーかな」
鞄に荷物を詰め込み、芽榴は「うーん」と一人唸る。発言が完全に主婦だ。冷蔵庫の中身を思い出しつつ、芽榴は献立を考える。
「楠原さん、楠原さん」
荷物を詰め終えた芽榴のところに、F組の真面目委員長が小走りでやってきた。委員長に話しかけられること自体、別に珍しいことでもないのだが、帰り際になんだろうと芽榴は首を傾げた。
「何ー、委員長」
「今日、委員会があるんだけど……私少し用事があって、代わりに出てくれませんか?」
委員長が委員会誌を芽榴の手に握らせながら告げる。その行動からして、これはお願いではなく指令だ。
「なんで私?」
一応委員会誌を受け取るものの、芽榴は素朴な疑問を委員長に投げかけた。すると、委員長は目を見張る。まるで「あなた以外誰に頼むの」とでも言わんばかりに。
「部活してなくて、暇そうな人を探したら……」
「私しかいなかった、と。別に暇じゃないけどねー」
家に帰ったらちゃんと楠原家の夕飯作りやら何やら主婦業が待っている。よって暇ではないのだが、だからといって忙しいわけでもない。
「いーよ。この時期だし、委員会もそんなに時間かからないでしょ?」
「……はい、おそらく」
委員長は少し間をおいてニコリと笑う。芽榴が再び首を傾げると、委員長は咳払いをして芽榴の肩に手を置いた。
「さすが楠原さん。なんだかんだ言っても頼まれたら断らないって本当ですね」
「それは誰情報?」
「日頃の行い的に」
そう言われると、否定できない。確かに最終的に全部引き受けてしまっている気がする。成り行きに任せたらそうなったという感じなのだが。
「じゃあ、その情報通り引き受けましょー」
芽榴は渡された委員会誌を両手でしっかり持つ。委員長が「お願いします」と告げると、芽榴は「りょーかい」と言ってクラスを出て行った。
委員会は月に一回程行われる。行事等の兼ね合いで、場合によっては頻度が増えたり減ったりするがだいたいそれくらい。
クラスで決めてほしい事柄、やっておいてほしいこと、行事などの詳細説明など委員会の内容はその時々で様々。かかる時間も内容によって長かったり短かったり、である。
中間テストも終わり、目立った行事も控えていない今日の委員会はすぐに終わる。
と思って委員会にやってきた芽榴だが、本棟の会議室の扉を開いて、もう一度その扉を閉め直した。
「まだクラスに誰か残ってなかったかなー」
扉の前で真剣にF組に残っていた面子を思い出す。
「おい、貴様……」
「うぎょっ!」
頭上から低い声が聞こえ、芽榴は肩を揺らす。とんでもなく間抜けな驚き方に自分で呆れつつ、振り返った。が、芽榴の目に映るのはネクタイ。相手の顔はもう少し上の方にあるらしく、芽榴は自分の顔を上げた。
そしてその人物を視界にいれ、芽榴は苦笑いを顔に張り付けた。
「……なんだ、貴様か。楠原芽榴」
見下ろされながら、葛城翔太郎に言われた。
先日の眼鏡事件で名前を覚えられたらしいのだが、フルネームで呼ばれるのは違和感しかない。
「あはは。どーも」
「クラス委員だったのか?」
「いーえ。今日は代わりです」
芽榴が肩を竦めながらそう言うと、翔太郎の顔が歪んだ。
「まさか、貴様も……か?」
「何が?」
「……何でもない。さっさと入れ。もう始める」
翔太郎はそう言って扉を開ける。そしてイベント会場のように騒がしい部屋の中へと入っていく。再び中の様子を目にした芽榴は半笑いを浮かべた。
会議室の中は女子一色。各クラスの委員が集まるため15人くらいがそこには存在するのだが、全員女子。付け加えて言うなら、全員化粧バッチリの華美な女子だ。
明らかにクラス委員ではないような女生徒が集まっている理由はただ一つ、黒板の前に立っている男子にある。
「もう委員会始まっちゃうんで、静かに」
室内を静かにしたいらしく、この騒がしさの原因たる男子――風雅が口に人差し指を立てた。しかし、いちいちすることがカッコイイ彼は何をしても逆の効果をもたらす。
「風雅くん、かっこよすぎだよぉ」
「ねね、次はウインクしてっ」
要求が増えている。さすがに要求に応えるわけにもいかず、風雅は困り顔だ。
委員会は役員が進行となって行われるのだが、今日の進行は風雅と翔太郎らしい。
風雅の隣にやってきた翔太郎は無言で風雅の頭を叩いた。ゴツッとそれなりに痛い音が響く。
「ったぁぁあ……」
「蓮月、いい加減にしろ」
「翔太郎クン、いきなり殴るのはないよ……ってて、しかも手加減ないし」
「貴様を黙らせれば、室内も静かになる」
風雅と翔太郎が2人で口論しているうちに、芽榴は室内に入った。風雅にバレないように、壁に張り付いて席に向かう。
「あ、芽榴ちゃん」
どうやら彼は芽榴を見つけるのが得意らしい。席についた瞬間に、風雅の口からその名が紡がれた。しかも遊園地にやってきた子どものように目を輝かせているのだ。
「……」
「はははー」
ジロリと周囲の視線が芽榴に向かう。
委員会に参加している女子はわざわざ聞くまでもなく風雅ファンだ。おそらく風雅が今日の委員会担当役員と聞いて、交代してもらったのだろう。翔太郎の言っていた「貴様も」の意味がようやく分かる。しかし、芽榴に限って風雅狙いでの交代はありえないだろうとツッコミたくて仕方ない。
「よかったぁ、今日担当で」
一応ファンの手前、芽榴に手を振ったり愛の言葉を叫んだりはしないでくれているが、顔と独り言にそれらが十分すぎるほど溢れている。
「これは絶対に運め」
ゴツッ
風雅の脳内が桜色に染まり始めると、再び翔太郎の鉄拳が振り下ろされた。
「翔太郎クンっ!」
「隣で気持ち悪い顔をするな。虫唾が走る」
「ひっど! 仕方ないじゃ」
「それでは、委員会を始める」
「オレの話聞こうよ!」
黒板の前でそんな会話が繰り広げられながらも、委員会は開始した。芽榴は翔太郎がいてくれてよかったと心からそう思うのだった。
芽榴の予想通り、委員会の内容は大したものではなかった。諸々の注意事項が発表される程度だ。みんなが風雅の姿にうっとりする中、芽榴は風雅自体には目もくれず、彼の告げる注意事項を委員会誌にすべて書きこむ。
「ではクラスの月間目標などを書いて、提出すること。以上、解散」
淡々と締めくくり、委員会終了。
自分の分をすでに書き上げた芽榴は早く帰れると心の中で喜んでいたのだが、その喜びを握りつぶす勢いで隣の席の女子に腕を掴まれた。
「ねぇ、話聞いてなかったから、あたしの会誌も書いて出してくれない?」
「え……」
「あたしのもよろしくぅ」
「ありがとうございます、先輩っ」
一人の女子のお願いが伝染し、芽榴が了解する前に芽榴の席には全クラスの会誌が積み上げられた。芽榴は「うそーっ」と内心叫ぶが、相手が相手なだけに文句を言うべきではないと察する。下手に関わらないのが一番。
というわけで、また引き受けてしまった。
「風雅くぅん、今日暇ぁ?」
「いや……この後生徒会があるんで」
「やだなぁ、それは知ってるよぉ。生徒会終わってからの話ぃ」
おまけに会誌を押し付けたファンたちは風雅を囲んで楽しい楽しいラブアタックを開催中だ。
風雅はそのままファンの子たちに引きずられる形で会議室を出て行った。
「はあ……」
委員長はおそらくこれを予想していたのだろう。あのニコリ笑顔のワケが分かった芽榴は溜息を吐いた。
役員の片方がいなくなり、会議室の後始末を翔太郎一人でこなす。後始末といっても黒板消しと会誌の回収だけなのだが。
「大変そーだね」
黒板を消す翔太郎の背中に、芽榴は声をかけた。今の会議室はさっきまでの騒がしさが嘘のように静かだ。シンとした空気に溶け込むように、芽榴の声が響く。
翔太郎はピタリと手を止め、芽榴のことを横目に視界に入れた。
「……別に。奴がいるより一人の方が捗る」
風雅が残るということはファンも共に残るということだ。それよりは、風雅には先に生徒会に戻ってもらったほうが効率もいい。
「楠原芽榴。貴様のほうこそ、わざわざ他のクラスの委員会誌まで引き受けて……俺には愚かにしか見えない」
「ははっ、言うねー」
芽榴はスラスラと文字を書き記しながら、苦笑する。そんなふうに芽榴がのんびりした態度で返事をすると、翔太郎はまた消しかけの黒板に視線を戻した。
「葛城くん」
「今度はなんだ」
「私のこと嫌いでしょー」
芽榴が言うと、翔太郎は今度はしっかりと芽榴のほうを振り返った。
「確かに、好きではない」
「……ははっ、やっぱり」
芽榴がそう言ってヘラッと笑うと、翔太郎は目を細めた。
「……貴様の、その態度を見ていると苛々する」
「……そか」
「……っ、そのふざけた態度は元々なのか、それとも故意的なのか。それだけ教えろ」
眼鏡の奥、翔太郎の瞳が芽榴を見つめる。芽榴は会誌に文字を記すのをやめ、ペンをクルリと回した。
「ふざけてるつもりはないよ。でも葛城くんが不快に思っちゃうなら、ごめんね。先に謝っとく」
芽榴はそう言って、もう一度会誌に何かを書き込んでパタリと閉じた。
「葛城くん」
「……なんだ」
「はい、どーぞ」
芽榴は翔太郎のところに歩み寄り、全員分の会誌を彼の目の前に置いた。それを見て翔太郎は目を見張る。
「もう、書いたのか? ……全員分」
「だから提出するんでしょ?」
驚きを隠さない翔太郎に、芽榴は苦笑した。
委員会中に告げた注意事項は多くない。それでも全クラス分書くならもう少し時間がかかるはずだった。翔太郎はまだ黒板を消し終わっていない。そんな短時間のあいだに芽榴は全部書き上げてしまったというのだ。
「じゃあ、さよーなら」
芽榴はそう言って会議室を出て行こうとする。
翔太郎は会誌の中身を2、3冊チェックしてその驚きに拍車をかけた。各クラスの月間目標の欄はすべて異なっている。全クラス分、芽榴は別の目標を考えて書き記した。それだけではない。そこに記されているのはまるで一文字一文字丁寧に記したような綺麗な字。
「……楠原芽榴!」
扉に手をかけた芽榴を翔太郎が呼び止める。芽榴は振り返ることはしない。ただ立ち止まって翔太郎の言葉を待った。
「貴様のことは好きじゃない。けれど……嫌いでもない」
翔太郎がそう言い、芽榴はクスリと笑った。ゆっくり振り返って、芽榴は微笑む。
「そう。じゃあ、そのフルネーム呼びはやめて。なんか怖いから」
肩を竦めながら芽榴は翔太郎にお願いした。そして今度こそ会議室から出て行った。
「……」
芽榴が出て行った後、そう時も経たないうちにその扉がまた開く。
「翔太郎、手伝いに来たよ」
会長の神代颯の登場に、翔太郎は驚いた様子を見せない。今頃風雅が生徒会室に着いた頃だ。翔太郎が一人で後片付けをしていると知れば、誰かしらやってくるとは思っていた。
「もう誰もいないのか。誰かが餌食になって延々と居残りしてると思っていたけれど」
会議室の中を見て、颯がそんなふうに言う。基本的に風雅が担当する委員会ではいつも一名ほど、可哀想な生徒が出てくる。
「ああ……今日も押し付けられた奴がいた」
「へぇ、……ってことはかなり手際がいい子だったのか」
颯は積み上げられた会誌に手を付け、それをパラパラと捲る。今日の委員会の欄をチェックし、先ほどの翔太郎と同様に目を瞬かせた。
「惚れ惚れする字だね。いったい誰?」
黒板消しの粉を綺麗に除去し、翔太郎は颯の持っている会誌に目を向けた。
「……楠原、だ。今日の分は全部奴が書いた」
翔太郎はそう言って残りの会誌すべてを持ち上げた。
「俺の催眠術が効かないだけはある。……まあ、後は貴様の判断だが」
翔太郎の言葉の真意は颯にもしっかり届く。翔太郎は会議室の電気を消し、会誌を持って会議室を出て行った。
「……僕の判断、か」
薄暗い部屋の中に居残る颯はポツリと呟く。その口角は微かに上がっていた。
「さて、夕飯はどーしましょう」
帰り道を一人歩きながら芽榴は改めて献立を考える。しかし、ふと芽榴の頭には別の事柄が浮かんだ。
「さすがは副会長さん」
翔太郎の驚いた顔を思い出して、芽榴は少しだけ苦い顔をする。
家族に連絡していないため、あまり遅くなるわけにもいかない。夕飯の支度の時間も考えると、全員分の会誌をトロトロ書くわけにもいかなかった。
「ま、大したことじゃないか」
蹴った石がコロコロと転がる。
石がピタリと止まったのを確認し、芽榴は少し早歩きで家へと帰った。