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妖御伽唄  作者: 氷椅子
~初ノ幕~
3/7

其ノ参

それは、人に焦がれたヒトの跡。


明かされるのは、美丈夫の秘事。


舞台は夜のあばら家。

幽女に誘われ馴れ合う美丈夫。

このが身は貴方を守るため。

この目は貴方を映すため。

この命は愛しき忌み鬼児のために。



美丈夫の隠し布が取り払われた、銀の月の、とある宵。










宵月は、正直を言えば人という物に飽いていた。

キリ程毛嫌いをしているわけではないけれど、だからと言って好きかと聞かれれば、即座に否と応えるだろう。

好きでも嫌いでもない。ただ、宵月は人というものに、その心の醜さに飽いていた。

今まで多くの村を、町を点々として、宵月は多くの人間と触れ合い、見てきた。その結果がこれなのだ。

宵月に生きる意味というものはあまりない。ただ、生を終えるまでの退屈な時間だ。

退屈で退屈で仕方ないから、なんでもする、ただ人というものに触れ合って、その本質を見ようとする。

それが彼だった。









 あの、小さな鬼児に逢うまでは








◆  ◆  ◆


 

 時刻は子の刻が過ぎた頃だろうか。

 壁に背を預けてまどろんでいた宵月はゆっくりと閉じていた目を開けた。暗闇に慣れた目は月明かりだけでも十分辺りを見ることができ、宵月はそのまま顔をあげる。

 まず目に入ったのは、囲炉裏を挟んで向かい側で横になっている少年の姿。自分と旅を共にする少年――キリは、その体にはやや大きすぎる太刀を胸に抱いたまま、すやすやと眠っていた。普段は不機嫌そうな表情ばかりのキリの顔は、無防備になるとさらに少女めいた可憐さを帯びている。

 めったに見せないキリのそんな姿に宵月は思わず笑みを溢した。

 これでいつもそうしていればいいのに、などと内心では思うが、そんなどと言えばさらに怒って食って掛かるのは目に見える。それに、今のところ自分だけに見せてくれる顔という状況が宵月にとってはやや嬉しくも思えた。

「……冷えると、いけませんよ」

 宵月はそっと彼に近づくと、肩に掛けていた羽織を被せた。よほど熟睡しているのだろう、それでもキリは起きない。

 無理もないと宵月は笑う。

 こうして屋根のある場所で眠れるなど、野宿が基本の二人には願ってもない幸いなのだ。しかも、今この家にはキリと宵月以外、誰もいない。他人など気にせず思いっきり休めるというものだろう。

 二人が今日の寝ぐらを見つけたのは夕刻の事だった。

 妖を退治して日々の路銀を稼ぐ二人には旅籠に泊まる余裕などそうそう無い。そもそも妖を惹き付ける体質を持つキリだ、一般人を巻き込まないためにも依頼時以外は民家に泊まるのは避けるというのが彼らの基本だった。今夜もてっきり野宿のつもりで何処か良い場所をと探していたところ、キリの飼い猫がこの小さなあばら家を見つけたのだ。

 見たところここしばらくは人が住んでいた様子もなく、粗末なりにも雨風は十分に凌げる。当然の如くそこを今晩の寝ぐらにとし、適当に食事を済ませてすぐに、キリは眠ってしまった。

 どんなに意地を張っていても、大人びていても、キリはまだあどけなさを残す子供なのだ。野宿が続けば疲労は当然貯まっていく。普段めったな事が無いかぎりその類のことは自分から言わないキリなので、宵月としてはそこは気になるばかりだ。

 さて次はどの村についた辺りで休もうか、などと考え始めたところで、ふと宵月は思う。

「……なんだか、親のような心境ですねぇ」

 宵月の外見では親子、というのはいささか若すぎる感がないでもないが。

「まぁ……一応保護者ということですが……いやでも……」

 さすがにこんな大きな子供は無理がある気がする、などと悩んでいると、不意に闇の中で何かが動いた。

 宵月ははっと我に返り、動いた影に目をやる。もともと夜目は利く方だ。灯りなどなくとも、月明かりのみで部屋の中は十分見渡せた。

 音も無く動く影はこちらの視線に気付いた様だった。二つの眼がきらりと光る。

 なぁん……

「……黒曜でしたか」

 応える様に黒猫はもう一度鳴く。

「全く……脅かさないで下さいよ」

 ほぅと息を吐き、宵月は脱力する。黒猫は心外だといわんばかりに不平の声を上げ、のそのそと足の上に乗ってきた。

「夜歩きはどうでしたか?」

 小さく笑いながら、宵月は彼女の頭を優しく撫でる。けれども黒猫はつんとそっぽを向き、長い尻尾を揺らしただけだった。

 変わった猫だと、宵月は思う。

 拾った当時は小さな仔猫だった彼女も、今では成長し、立派な雌猫となった。キリは彼女に鈴も付けていなければ、餌付けさえもしていない。 たまに自分の食料を分けることはあるようたが、もっぱら彼女自身が何処かで餌を捕らえている様だ。

 なのに、黒猫は片時も、決してキリの側を離れない。本来なら動物の本能が拒絶するはずのキリの本質を見た時ですら、彼女はあっさりとそれを受け入れたのだった。

「本当に貴女は不思議な猫ですよ……」

 敵がくればいち早く戦況を解し、隠れている元凶を探しだし、今日もまた、この空き家を探し出した。冗談抜きで、もしかすればこの中で一番有能なのは彼女かもしれない。

 宵月はそっと頭を撫でてみる、黒猫は若干不満そうな目で見たが、別段逃げるようなことはしなかった。

 が、次の瞬間、黒猫はばっ、と立ち上がり、毛を逆立てる。その視線は小屋の入り口へと注がれていた。

「黒曜……?」

 どうしたのですか、と続ける前に宵月も直ぐに黙った。そして静かに彼女の視線の先を見やる。

 戸の無い入り口の近くに、月明かりに照らされて小柄な影があった。

「どなたですか?」

 口調自体は柔らかいが、優しさなど全くみせずに宵月は影に向かって問う。

 対する影は大袈裟にひくりと揺れた。

 相手の反応を待ちながら、黒猫に無言で視線を送る。黒猫は心得たと言うように頷くと威嚇の体制を崩さないままキリの傍らへと移動した。

「あの……」

 ようやく影が返答する。か細い、緊張を含んだ高い声音。影がおずおずと姿を見せる。

 月明かりに照らされたその姿は、妙齢の女性だった。




  ◆  ◆  ◆



「ごめんなさい、こんな時間に出歩かせてしまって……」

「いえいえ、丁度目が覚めたところでしたので。それに貴女のような美しい女性を一人で歩かせるのはいささか心配ですよ」

「あら、ご冗談を。誉めても何もありませんよ?」

「それは残念だ」

 宵月と女性は同時にくすくすと笑った。

 二人は小屋から少し離れた場所で歩きながら話をしていた。どうやら女性の方は散歩の途中で、てっきりキリと宵月がいる小屋を空き家だと思って来たらしい。

 とりあえず害意はなさそうだと判断した宵月は女に誘われ、黒猫だけをキリの傍に残して出歩くことにしたのだ。途中、黒猫がとてもとても冷たい視線を送った気がするがそれは気にしないことにする。

「昔……といってもほんの二、三年前ですけど、わたし、あそこで暮らしていたんです」

女が少し寂しげに微笑みながらそんなことを切り出した。

「あそこに? それは意外でしたね。こんなに人里離れたところではさぞかし不便だったでしょうに」

さすがに宵月は驚く。たしかに小屋は少し前まで使われていた形跡がありはしたが、まさかこんな女性が住んでいたとは。

「不便でないとは言えませんが、父の代からずっと住んでいたのでそれほどは。それに……夫もいましたし」

「つれあいがいらっしゃったのですか?」

「ええ。……そんなに意外ですか?」

 表情に出したつもりはなかったが、女は宵月の反応に気付きくすくすと笑った。まるで少女のような無邪気な笑い方だ。けれど彼女の柔らかいな話し方には逆にそれが相応しいように見えて、見ている宵月も思わず微笑む。

「まぁ……貴女のような綺麗な方が独り身というのもいささかおかしい気がしますね」

「それは自分に言って下さいね。私から見れば、貴方みたいな綺麗な方がどうして旅を、って聞きたいんですよ?」

 女は相変わらず笑いながら首を傾げて宵月を見上げた。宵月は曖昧に笑んで無言を返す。なんでと聞かれても、きっとほとんどの者は信じてくれないだろう。

「…………そうですか」

 女はその表情から答えの拒絶を読み取ったのか、それ以上深くは聞いてこなかった。

 悟い女なのか、それともただ単に興味がなかっただけなのか。

 横を歩く女をそっと横目で見て、宵月は思う。

 悟って聞いて来ないのならいい、無関心なら尚更好都合だ。ただ、宵月はそれでも、彼女のその行動に違和感のようなものを感じていた。

 なにか、ざわざわとしてどこか落ち着かないような。

「話を戻しましょうか」

 女は宵月の少し前を歩き、再び話を切り出す。

「あの小屋に住んでいた頃、私は愛する夫がいて、そして……愛しい子供がいました」

 ざっ、と草を踏み分け、女の足が止まる。こちらに背を向けたままなのでその表情は伺えない。

「慎まやかだったけど、すごく、幸せでしたよ。ずっとあの時が続けばいいと、思えるくらいに」

「……今、お二人は」

「いません。子供は死にました」

 不思議なくらい感情の凪いだ声だった。

「いつからかな、急にあの人は出かけることが多くなったの」

 私以外にいい女ができたみたいで、と女は小さくつけ加えた。

「お酒とか、昔は全然飲まなかったのに飲むようになって。何度か喧嘩したあと、ある日出ていくっていって……それっきり」

「それは……お気の毒で……」

 宵月はさすがにかける言葉が見つからず曖昧に返した。

「夫はもういいの。でも、子供がね。二人きりだったのに……私の不注意で……」

 いつからか女の肩は小さく震えていた。

「風邪をこじらせて……医者に見せるお金もなくてあっけなく死んでしまった……」

 肩を震わせながら女は静かに言う。

 堪らなくなり、宵月は女に近づいた。

「なんと……申し上げればいいのか……」

 女は背を向いたままふるふると首を振った。

「……大丈夫よ」

 女の声は予想よりずっとしっかりしていた。

「ですが」

「大丈夫」

 それでも宵月は歩を進め、女のすぐ後ろに来る。

 その時になって、唐突に女が振り返った。

「だって、もう一度やり直せるから」

 とん、と女が軽く宵月にぶつかった。

 同時にぞぶり、と鈍い音が響く。

「え…………」

 そして、腹に走る、冷たい感触と、衝撃。

 宵月は視線を下ろす。まず目に入ったのは赤い液体にまみれた(つか)と、それを握る細い女の手。

「だから、貴方は邪魔なの」

 そして次に見たのは、深々と己の腹部に潜った包丁の刃だった。





 彼は何かを言おうとした様だったが、それはかなわなかった。

「がっ……!」

 宵月というらしい美しい青年の口元が朱に染まる。ずるりと嫌な感触を感じながら、深く深く差し込んだ包丁を引き抜いた。

 一歩身を引けば彼はあっけなく地に伏す。その様を、女は無言で見つめていた。

 どくどくと地面に広がり染み込んでいく、赤い血。

「貴方はいらない。私には子供がいればいい」

 女は繰り返し言う。まるで確認するように。

 そしてくるりと踵を返すと来た道、つまりもう一人の少年が眠る小屋へと歩き出した。

 今度は大丈夫。もう死なせたりなんかしない。今度は二人でも幸せになれる。きっとあの子なら、私の子供の代わりになってくれる。

 女はその光景を思い浮かべてくすくすと笑った。ああ、なんて幸せな未来なのだろうか。

 『彼』がいなくても、もう大丈夫なのだ。だって試したから、何度も、何度も。

 女は歩みを止めずにふと彼のことを思い出す。

 かつて一緒に暮らした、『彼』のことを。

 『彼』のことは愛していた。それは変わらない。でも『彼』は変わってしまった。出ていくと言われて、捨てられるのが怖かった。他の人の元へ行くなんて、そこでまた誰かに愛を囁くなんて、耐えられなかった。

 だから殺したのだ。今持っている凶器で、腹部を貫いて。

 それと同時に『彼』への思いも殺した。だからもう、女には未練はない。ただ、子供だけを生き甲斐に、最愛にしようと、決めた。

「だから、私はやり直さなきゃならない……」

 自分のために、幸せのために。

 小屋を視界に捉え、自然と女の小走りになる。

 はやく、はやく愛しい我が子をこの手に。

 それなのに。

「…………っ!?」

 小屋につく寸前で、女は足を止めた。止めざる、えなかった。

 小屋の入り口に、月明かりに照らされて長身の青年が立っていたからだ。

「今晩は」

 青年は振り向き、女に笑いかける。それは誰もが見とれるほど美しく、妖艶な笑みだった。

 冷たい風が吹き、青年の長い髪と、片目を隠している白い布が揺れる。

「なんで……」

 それは紛れもなく、先程殺した筈のあの美丈夫だった。





 女は信じられないといった顔で宵月を凝視していた。

 当たり前だろう。つい先程、たしかに女は自分を刺したのだから。

 現に宵月の着物は血に塗れており、その優美な顔は暗闇でもわかるほどに青白いだろう。傷はおそらく内腑にまでとどいたはずだ、間違いなく致命傷である。

 彼が人間であるならば。

「どうしたのですか?まるで死人にでも会った顔をなさっていますよ?」

 宵月はそんな女の反応をみて、くすくすと笑う。あたかも愉しい見世物を見ているかの様だった。

「それにつれないじゃありませんか、一人で先に戻ってしまうなんて。あんまりにも寂しくて思わず先回りをしてしまいましたよ」

「なんで……」

 女が小さく呟く。その声は恐怖からか震えていた。

「なんで生きているの、ですか? さて何故でしょうねぇ」

 宵月は彼女に歩み寄った。先程と同じように静かに、けれども顔には冷たい微笑みを湛えながら。そして今度はその手に、懐から出した鈍色の鉄扇を出しながら。

「けれど私も一つ、不思議に思うことがあるのですが」

 扇は閉じたままに、宵月はそれを女の喉元寸前へと押し付けた。

「貴女如きがあの子を育てるなど、本気で思っているのですか? ……執着だけで留まっている薄汚い死霊の分際で」

「………あああぁっ!!」

 女が、叫んだ。

 同時に腕に走る衝撃と、金属同時がぶつかり合う嫌な音が響く。 女が切り上げてきた包丁を宵月は無言で鉄扇で受け、払う。彼女は大きく後ろに跳ね、片手を地について衝撃を殺し着地した。

「やれやれ……これくらいで本性を見せるとは、浅はかですね」

 伏せていた女の顔がゆらりと上げられる。

 そこにはあの美しい顔立ちは微塵もなかった。

 射るように宵月を睨む目には冥い狂気の光。艶やかだった黒髪も振り乱れ、長く鋭く伸びた爪はそれだけでも十分に人の息の根を止めることができそうだ。

「どうして……」

 女がゆらりと立ち上がる。

「なんで邪魔をするの……?」

「なんでも、です。こちらにはこちらの事情というものがあるのですよ」

「それなら私にだってある!」

 女が走り出した。手に持ったままの包丁を逆手に構え、真っ直ぐと、体ごとぶつかるように。

「なら簡単じゃありませんか」

 少しだけ体をずらしてそれを避け、宵月は女の横へと回る。そして彼女の手首を掴み、ひねり上げてそのまま後ろへ。

「潰し合えばいいんですよ。互いが互いを、動けなくなるまで」

 ぎりり、と女が強く歯噛みし、睨んでくるのを宵月は微笑んで返した。女が乱暴に手を払い、無理矢理それから逃れる。再び二人の間に距離が空いた。

「お前、なんか……」

「貴女は……」

 宵月は先程まで女の腕を掴んでいた腕をじっと見る。

 彼女の腕は驚くほど冷たかった。それは、女がすでに死んだものであるという紛れもない証。

 死してなお、魂が留まるだけでなく体が残っているのは女の想いが強かったからか、あるいは生きながらにして人でなくなったからか。先程は女を死霊と呼んだが、その表現はいささか間違いだったようだ。

 どちらかといえば、彼女は。

「貴女はどうやら、私と少し似ているようですね」

「……どういうこと?」

 振り払われた拍子に女の得物がかすったのか、宵月の右目を覆っていた布が切れて音も無く落ちた。

「貴女は死霊というよりも寧ろ、鬼女といった方が似つかわしい。そう言ったのです」

 宵月は閉じていた右目をゆっくりと開く。

 その瞳は、月を宿したかのような美しい銀色だった。




  ◆  ◆  ◆



 銀というものには魔を払う力がある。そんな遠い異国の風習を教えてくれた友人がいた。

 ならばその色を身に宿す自分はなんなのだと言ったら彼は苦笑したけれど。

 今はもう古い、遠い記憶である。


「おに……?」

 銀の瞳など、本来はこの国にはあり得ない。あってはならない。 つまりそれは、女に暖かさが無いのと同様、異端ということをそのまま示すのと同じこと意味していた。

「貴方も、なの……?」

「大きく言えば、ですかね。けれども同じにされては困りますよ」

 女の瞳に浮かんだ微かな期待を切り捨てるように宵月は言う。

「貴女は人でありながら鬼でありますが、私は逆です」


 その昔、混ざり者の人がいた。

 彼は人の母から生まれながら、鬼を父とした。

 鬼の角を持ち、銀の瞳を持ち、人には過ぎた力を持った。


「私は鬼でありながら、人になった」


 彼は父を憎んだ。全てを甘んじて受け入れる母を嫌った。

 彼は人間になりたがり、ついにその術を見つけた。

 そして彼の角は落ち、鬼の力を失った。


「長き命を、代償として」


 鬼である、自分に流れる血の根源である父を殺すという邪道をもってして。



 宵月が動いた。 別段と速いというわけではない。別段と力が強いというわけではない。

 だが、彼の動きの結果、女は首を掴まれ木に押し付けられていた。

「あ……ぐっ……」

 気管が塞がれ女が苦し気な声を上げる。

 宵月の手を引き剥がそうと立てられた爪が彼の肌に食い込むが、そんなものは宵月にとって抵抗にすらならない。

「これは鬼の呪いであり、名残なんですよ。おかげで私は、人の身でありながら人として生きられなくなった」

 鬼の力を捨てる代償に、父親を殺した報いに。

 彼の体はどんな深い傷でもたちどころにそれを癒すようになってしまった。父を殺したその日以来、彼の体は年を取らなくなってしまった。母が、親族が、親しかった同胞が年老い死んでいっても、彼は生きなければならなくなってしまった。

 彼は人となんら変わらない力と脆さを持ちながら、鬼の身として生きることになったのだ。

人に焦がれて、人として生きたかった、たったそれだけの願いのために。

 ぐっ、と首を掴む手に力が込められる。女は苦し気に顔を歪めた。

「……このっ!」

 しかし女は、それでも自らの得物を離さないでいた。無骨な包丁が高く振り上げられる。そのまま降り下ろせば、殺せはせずとも致命傷は確実の距離である。たとえその傷が直ぐに癒えるとしても、一時的にでも。

「……おや、危ない危ない」

 けれども宵月はそれすらも許さない。

 彼は無感動に呟くとすかさず女の手を掴み、そのままひねって包丁を奪い取ってしまった。信じられないほどに、あっけなく。

「いくら治るといえども痛みはありますからね。できればもうご遠慮頂きたい」

 ざくり、と肉を断つ鈍い音。

「ぁ――っ!?」

「ほら、これだけでも痛いでしょう?」

 女の腕が木の幹に縫いとめられる。彼女の冷たい手が、黒い血で濡れていった。

 焼けるようであるだろう痛みに耐えながら、それでも女は気丈に宵月を睨む。

「じゃあ……何故そんなっ……!」

 いくら女といえど相手は鬼の力だ。けれども宵月はいとも簡単にその動きを封じ、優位な体勢へと導いている。

 今までの人間は皆、ただ恐怖に染まった目で自分を見るだけだったのに。そして赤子のように自分に殺されてきたのに。同じ人間程度の能力しかないというのなら、彼と他の人間とか一体何が違うというのだろうか。

「……敢えて言えば、経験ですかね」

 そんな女の疑問を見透かし、宵月微笑みながらは言った。

「ただ無闇に永い時をこの姿で過ごしていませんよ。自分がどの程度の力で、どのようにすれば相手がどうするかなんてとうに知り尽くしている」

 いかに最小限の動きで最大限の威力を与えることができるか。相手の体のどこをどうすれば動きを封じることができるか。そして、相手をどう挑発すれば次にどの攻撃が来るか。

 その全てを、気の遠くなるような年月の中で、宵月は知った。生きていくために、知らざる得なかった。

「脆弱とはいえど、人の身というのも案外使えるですよ?」

「ひっ……」

 ゆっくりと女の右腕に突き刺していた包丁を抜き、宵月は笑う。女はもう抵抗しなかった。ただ、恐怖を写した瞳で宵月を見上げるだけだ。

「さて疑問はもう、解決致しましたか?」

「……っ、お……に……っ!!」

「…………ご冗談を」

 そして……――――。




 ◆  ◆  ◆




 柔らかな朝日が目に眩しく感じた。

「きり……キリ、起きて下さい」

 被っていた羽織りにくるまるようにして未だに起きないキリに、宵月はそっと叩いて声をかけた。

「ん……んぁ……?」

 やや間を置いてから羽織りの固まりがもぞもぞと動き、のっそりとした動作でキリが体を起こす。

「おはようございます、キリ」

「……おはよ」

 まだ寝ぼけた様子で大きな欠伸を噛み殺しながら答えるキリに宵月は思わずくすくすと笑った。

「ここには何もありませんから、朝食は近くの村に着いてからにしましょうか」

「んー……」

 宵月が渡した濡れた手拭いで顔を拭き、ようやく目が覚めたらしいキリはその言葉に曖昧に返す。

「どうしましたか?」

「いや……ちょっと……」

 キリの漆黒の目がやや細められる。その視線の先は宵月の服。

「宵……昨日なんかあったか?」

「どうしてですか?」

「服、昨日と違うし……ついでに目の布、新しくしたろ」

 宵月の右目を隠す真新しい布を指し、キリはきっぱりと言う。そこに先程までのあどけなさは無い。

「……これは昨夜少し汚してしまったのですよ」

 真っ直ぐに、どこまでも見透かしてしまいそうな黒い瞳に、宵月はにこりと笑いかけて返す。

「昨日の深夜に散歩に出たらはしゃぎすぎてしまいまして」

「ふーん……ま、いいけどさ」

 キリは察したのか、そうでないのか分かりにくい表情で答えて大きく伸びをした。

「別に詳しくは干渉しないけどさ。内容がえげつなかったら嫌だし」

「心外ですね。私はそこまでほいほい酷いことをする性格ではありませんよ」

「えー……」

 キリがにやりと笑い宵月を見、宵月もくすりと笑って彼を見返した。しばし二人の視線が交差する。そして合わせたかのように二人は同時に吹き出した。

 なぁん。

 いつのまに出掛けていたのか、黒猫が小屋の入り口から入ってくる。それを合図に二人は立ち上がり、各々の荷物をまとめ始めた。元々一夜を明かす程度の量だ、荷造りはすぐに終わり、キリと宵月は小屋を出る。

「……なぁ、宵」

 腰に差すには大きすぎる刀を背中に背負いながら、ふとキリは聞く。

「あの小屋、本当に何もなかったのか?」

 やや先を歩いていた宵月は一度足を止めた。

「……何もありませんでしたよ。どうやら昔は子供想いの母親が住んでいたようで」

 そして小屋を振り返り、静かにそこに残された記憶を想う。

 幸せを願って、焦がれて、一番哀しい道をたどってしまった、そんな女の記憶を、想う。

「母親かぁ……」

 宵月につられるように小屋を見上げたキリが呟く。その声はどこか羨ましそうな響きが含まれているようだった。

「きっと、いい母親だったんだろうな」

「……まぁ、そうかもしれませんね」

 きっと彼女はいい母親ではあったのだろう。母親であることに固執しすぎて、狂ってしまってはいたけれど。

 犠牲者はいたけれど、少なくとも彼女の子供にとっては、彼女は紛れもなく、優しい母親だったはずだ。

「全てはもう、過去のことですけれど」

 その言葉を最後だというように、宵月は小屋から視線を外した。

 キリはまだ思うところが会った様だったが、黒猫に急かされて渋々歩を進め始める。

「さて、ちい姫が空腹で駄々をこねはじめる前に次の村へと急ぎましょうか」

「そんな餓鬼じゃねぇ。そしてだから何で男に向かってちい姫なんだよ」

「キリはちい姫なんですよ。だって……」


 それは膨大な量記憶の中で、今も色褪せることのない光景。

 目的もなく、かと言って自らで命を終わらせることもできず、たださ迷っていた時だった。

 初めに見たときはそれが人だということが信じられなかった。それでもなお人の形でいることに嫉妬した。

 その業を知った時は喜んだ。これならきっと自分の力を取り込めるだろうと。長き命に終わりを迎えられるだろう。

 そして言葉を交わした時には惹かれていた。その瞳に、魔として生まれても未だに強く生きようとする魂に。自分の運命を受け入れつつも諦めない、その心に。

 彼は主と呼ぶには余りに脆く幼くて、けれどもどこまでも強く、強く生きようとしていて。

 気がつけば、宵月は彼にかしづいていた。

 飽いていた筈の生をまだ続けられるくらいに、たかが数十年などなにも変わらないと思えるくらいに、彼に忠誠を誓っていた。


「……だから貴方は、私にとっては小さき姫なのですよ」

「は?だからだってなんなんだよ」

「秘密です」







 時は大江戸武士の時代。

 まだ夜が暗闇であった時代。

 夜の中には確かに何かが息づいていた。

 人々はそれを恐れ

 死を怖れ

 神を畏れ

 それに並ぶものを慴れた

 例えばそれは死を意味するもの

 例えばそれ普通でないもの

 例えばそれは異形のものを

 破魔の色持つ人鬼は誓う

 尽きることのない忠誠を

 愛しき愛しき鬼児の姫が

 いつか我を殺すその日まで

 人として命を終えることを、いつの日にかと夢を見て――












 誰もいなくなった粗末の小屋の裏方。

 そこには粗末な布で蓋をされた穴と、古びた小さな土の山、そしてその隣にはまだ新しい大きな土の山があった。

 穴の中は奈落の底のように暗く、行方知れずとなった旅人の成の果てが。

 そして二つの山にはそれぞれ、近くで摘んできたらしいささやかな花束と、引きちぎられたような一つだけの野花が手向けられていた……。





      終





――妖御伽唄・壱之幕……完


これで基本の面子、そしてその設定ははでそろいました。

妖御伽唄。これにて壱之幕を引かせてもらいます。


次回からはヒロイン出てくるよ!

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