第98話 『腕の邪神と邪神狩り』
『ロオオオオオオオオォォォーーーーッッ!!!!』
完全に魔物使いを吞み込んだ腕の異形が、奇怪な咆哮を広間に響き渡らせる。
「くっ……なんだ、こいつは! こんな魔物、三年前の戦場でも見たことないぞ!」
アリスが聖剣『刻斬り』を構えながら、大声を上げた。
そういえば彼女は、コイツらを見たことがなかったか。
「アリス、こいつは『邪神』だ」
「邪神……!? 古き神々の……? これが……!?」
「ああ」
邪神、という存在自体は王国に暮らす者ならば知識自体は有している。
だが、実物を見た者はごく少数だろう。
邪神。
古き時代、神々として信仰の対象になっていた異形。
ときに人々に恵みをあたえ、時に人々に災厄をもたらす存在。
――そしてその正体は、『還流する龍脈』より切り離された魔素の淀みであり、人々の信心を食み成長した天然の精霊である。
しかし似たような存在である人造精霊とは異なり、魔術的な調整が一切なされておらず、自らの欲しいままに行動する。
通常、人々の信心を食んで成長した邪神には意思や知性が宿るものなのだが……コイツには欠片もそれが存在しているようには見えない。
素体となった魔物使いとしての人格も残っているかどうか怪しいところだ。
「でも、なんでこんなところで邪神が出てくるの? 見たところ、このダンジョンは古城だ。古き神々が祀られていた神殿や寺院じゃない」
「詳しいことは分からん。だが、そもそも人間が肉の繭から出てくること自体意味が分からんからな。魔剣持ちの一味と関連があるのか……そうだとすると厄介ではあるな」
「いずれにせよ、倒さなければここを出ることはできないってことかな」
「そういうことだ」
いまのところ、腕の邪神はまだ成長途中らしく積極的に襲い掛かってくる気配はない。
だが、無秩序に、そして恐ろしい勢いで腕がどんどんと増殖している。
すでに魔物使いは腕に埋もれてしまっている。
その様子は、蠢く歪な栗のイガとしか形容しようがない、冒涜的な姿をしていた。
『ロオオォゥゥ……』
と、腕の邪神の動きが止まった。
身体を支える腕の一本が床をまさぐり、倒れていた女冒険者を探り当てた。
ぐい、と掴み、そのまま本体の方に手繰り寄せようとする。
同時に邪神の身体が、がぱっと大きく開いた。
口だ。
ずらりと生えそろった杭みたいな黄ばんだ歯と、汚い涎にまみれた長い舌が見える。
ただし、そのサイズは人間を丸呑みできるほど巨大だ。
「まずいっ! ――いくよ、『刻斬り』!」
アリスが叫び、姿が消える。
次の瞬間、女冒険者を掴んだ異形の腕がバシュッ! と切断された。
瘴気混じりの赤黒い血液が周囲に飛び散り、ジュウと床を蕩かす。
『ロロロッ、ロロッッーーーーッ!!』
痛覚があるのか、腕の邪神が咆哮する。
だが、積極的にこちらに反撃しようとはしてこない。目がないからこちらを認識できないのか?
代わりに、何かにすがるように腕という腕が虚空に突き出し、その手を開いたり、閉じたりしている。
見ているだけで正気を失いそうな光景だった。
「っ、体液も瘴気なのか……! 面倒だな、邪神というやつは!」
アリスが忌々しそうにつぶやきながら、こちらに戻ってくる。
彼女の背中には、意識のない女冒険者が担がれている。
あれは……ライル氏のところの魔術師だったか?
意識はないが、息はあるようだ。
「とりあえず、ヤツは目が見えないようだ。音にも匂いにも反応している気配はない。……今のうちに倒れた冒険者を回収するぞ」
実際、手に触れたものはガレキであれ誰かの武器であれ、掴むことができれば本体の口の中に放り込んでいるようだが、こちらの挙動でなにか反応する様子はなかった。
「了解! ……兄さま、魔剣持ちはどうする?」
「連中も、可能な限り助けた方がいいだろう。衛兵隊が取り調べたいだろうからな」
「了解。じゃあ、取り掛かろう」
言って、アリスが別のところで倒れている冒険者を助け起こし、広間の出口側へと移動させてゆく。
俺たちも彼女に続き、冒険者たちを助けてゆく。
幸い、この場にいる者は全員それなりに腕力があるか、魔術に長けた者だ。
ものの数分で全員を安全な場所へ退避させることができた。
もちろん、聖剣二振りも抜かりなく回収。
『ロオオオオオオォォォ…………」
その間も、腕の邪神は何かを探すように、ひたすら無数に生えた腕で周囲をまさぐっているだけだ。
だが、どんどん腕が増えていく。
すでに体は全方位、腕に埋め尽くされており、心なしか膨張し始めているように見える。
……あまりよくない傾向だ。
このまま放置した場合……何しろ邪神だ、どうなるか見当もつかない。
「ブラッド、あれの処遇は?」
俺の懸念を察したのか、カミラがそばに来てそう問うてきた。
「放置はできないな。正直、知性も何もないうえ敵対的とも言えない邪神を滅ぼすのは気が進まないが……やるしかない」
「そうか。ならば、君に任せよう。『邪神狩り』は君しかできない、君の仕事だからね」
「もうだいぶ前の話だろ、それ」
確かに冒険者時代、イキって『邪神』を狩りまくってた時代が、俺にもありました。
だが、この年でその称号で呼ばれるのはさすがにキツいんだが?
そんな俺の胸中を知ってか知らずか、彼女はクスクスと笑いながら先を続けてくる。
「ふふ……私にとって、君の『昔』などつい昨日のことのようなものさ。それに、かつて私が『山羊の邪神』の生贄にされそうになっていたとき、颯爽と助けに入ってきた君の背中など……今でもはっきりと、鮮明に思い出せる。あのとき、君はなんて言ったと思う? 『こいつには、指一本触れ――」
「おいやめろ」
おいやめろ。
黒歴史弄りからの、追撃の思い出話はダメージがデカすぎる。
まあ、昔は俺も青かったからな……
「おいそこのバカ二人。こんなときにイチャついてんじゃねぇぞ。さっきの冒険者みてーに蹴っ飛ばすぞ」
俺たちの様子を見かねたのか、フレイが忌々しそうに悪態を吐いてくる。
「そうだよ兄さま。そういう空気は僕とだけにして欲しいな」
「なっ……!? ブラッド、お主カミラ殿だけでなク、アリス殿までモ手にかけテ……」
「話がややこしくなるからアリスはちょっと黙ってようか!? リンドルムも信じるなよ!?」
『ロオオオオォォォォーーーー!!!!』
と、弛緩した空気を斬り裂くように、腕の邪神が咆哮した。
見れば、さらに身体が大きくなっている。
「言わんこっちゃねえよ。はやくしろってアイツも言ってるぜ?」
「それはお前の願望だろ……」
それはさておき、すでに邪神から突き出した腕のうち、上部に生えているものは広間の天井につっかえている状態だ。
ダンジョンの階層を突き破れるとは思えないが、万が一アイツが野に放たれた場合、そこら中の動植物を捕食して際限なく成長する可能性は否定できない。
「お前に直接恨みがあるわけじゃないが……許せ」
懐から、魔法陣が描かれた羊皮紙を取り出す。
邪神の驚異的な再生力や異様な力の源は、瘴気だ。
だが、それは元をただせば魔素が淀みに淀み、生きとし生けるものに害をなすように変質したものだ。
そこで俺は、『魔力結合阻害』と『魔力漏出』をベースに『流血の呪詛』や神聖魔術における『浄化』を組み込んだ、瘴気に対して有効に作用する『対邪神魔術』を編み出した。
それが、この手のひら大の紙片に込められている。
本来コイツはカミラやフレイに足止めをしてもらったうえで発動する術式なのだが、今のコイツならばこのまま展開しても問題ないだろう。
「みんな、下がっていてくれ。術式の巻き添えを喰らうぞ」
そう警告して全員が安全な場所に退避したのを確認後、俺は邪神の前に立った。
『ロオオオオォォーーーー』
邪神の蠢く腕は、何かを探し求めているようにも、何かに縋ろうとしているようにも見える。
だがまあ、そんなことは俺にとってどうでもいいことだ。
「――――『転写』」
「――――『増殖』」
「『増殖』」
「『増殖』」
「『増殖』――」
手にした魔法陣を床に押し当て、魔術を発動。
床に手のひら大の魔法陣が転写され、さらに『増殖』の術式により倍々の勢いで増えてゆく。
数十秒ののち。
指定範囲内の床や壁、それに天井までを魔法陣が埋め尽くした。
ちょうど俺の立ち位置からすぐ先の広間全体を覆うような形だ。
そんな中、腕の邪神は俺の様子など意に介さないように腕を揺り動かしながら何かを探し求めている。
「悪いな、邪神。もの探しは、『還流する龍脈』で続けてくれ――『投射』」
『邪神殺し』の術式が発動。
――ガシュシュシュシュシュシュシュシュシュッ!
邪神の腕の数よりも多い魔法陣の数々から小さな聖剣が射出され――の全身に突き刺さった。




