第44話 『信仰の自由』
祀ろわぬ神。
大元は『還流する龍脈』より切り離された魔素の淀みが、人々の信心を食み、成長した存在。
別の名を、邪神。
あいつは間違いなく、それだ。
……もしかして、さきほど通ってきた地下神殿は、コイツを封印するものだったのだろうか。
あるいは、鎮めるためのもの。
いずれにせよ……
どうやら俺たちは、特大級の貧乏くじを引いてしまったらしい。
「……いつからだ」
ファルが震える声で、ベティに問いかける。
「いつから……? そうですね」
ベティは少しだけ考えたあと、ニコリと笑みを浮かべた。
「ノスフェラトゥ率いる魔族の兵どもが王宮に攻め入ってきた、あのときでしょうか。ファル、貴方が前線で勇敢に戦っていたとき……私は第三王子に連れられて、あの神殿まで逃げ延びていたのです」
「ベティに執心だった、ギルバート殿下か……彼は王宮で魔族と勇敢に戦い、討ち死にされたと聞いたが」
「まさか! ファルも知っておいででしょう。彼の本性を。卑怯で臆病で猜疑心が強く、他者の尊厳を踏みにじることが趣味のクズのような男が……まさか剣を取って魔族と戦うとでも?」
ベティが顔を歪ませ、笑った。
「あの男は私をあの祭壇まで連れてくると、人気がないのをいいことに、私を犯そうとしたのです。逃げられないように剣で私の足の腱を切った、そのあとに」
「……なんてことを」
ファルは聞き入れたくない、という風に首を振った。
俺の隣にいるカミラも、あまりの惨たらしさに顔をしかめている。
ベティの独白は続く。
「……彼は妾の子などここで使い捨てにしてくれる、などと仰っておりました」
「…………」
「想像できますか? ……そのときの私の苦痛を、絶望を、そして懸命に祈ったにも関わらずこのような仕打ちを与えた女神ソラリアを呪うこの気持ちを」
「…………」
「尊厳を踏みにじられながら、それでも私は祈りました。……そして、応えてくれたのは、彼……『暗がりの御子』でした」
そう口にするベティは、恍惚とした表情だった。
同調するように、彼女を覆う闇が、ゴボリと蠢く。
彼女の漆黒のドレスから腕ほどの太さの触手が伸び、ベティの顔のあたりで止まった。
ベティそれをいとおしそうに頬ずりしている。
「…………嘘だ」
ファルが小さく呟き、膝から崩れ落ちた。
その顔は、絶望に染まっていた。
無理もない。
ベティに降りかかった、あまりに凄惨な過去も。
ずっと旅をしてきた仲間が実は邪神に取り込まれていたことも。
絶対に信じたくはないだろう。
敬虔なソラリア教徒であるファルならばなおさらだ。
「彼はソラリアのような偽りの神と違います。彼は私に力を授けて下さいました」
「やめろ……」
「腐肉すら香しく思えるような汚濁にまみれた王族をその魂に相応しい腐肉の塊に変え、彼らに寄生し甘い汁を吸い続けていた貴族たちを物言わぬ亡者に変え、そして不死であるはずのノスフェラトゥすら取り込み糧とする、この本物の力を」
「やめてくれ、ベティ……」
「……さあ、ファル。貴方にも力を授けましょう。何者にも踏みにじられない、圧倒的な力を。滅びることのない、永遠の命を」
ベティを取り囲む闇色の汚泥が蠢く。
人の腕ほどの太さの触手が幾本も生み出され、ファルへと迫ってゆく。
「う……ああ……」
彼女は動けないようだった。
自分の信じていたものが、すべて打ち砕かれてしまったのだ。
無理もない。
だが、俺は違う。
「ああ、私のファル……さきほどのように痛くはしませんよ。ただ……一度貴方の命を吸い上げるだけです」
触手がファルに触れようとした、その時。
「ちょっと待った」
――ザンッ。
俺は聖剣レインを振りかぶり……ベティの触手を斬り払った。
触手はどうやら魔力で構成されていたようだ。
レインの『魔力漏出』の力により、速やかに分解され、虚空に溶け消えた。
……が、すぐに触手が再生する。
「…………そういえば、貴方たちがいらっしゃいましたね」
ベティの顔がこちらへ向く。
なんの表情も浮かべていない、のっぺりした顔だ。
だが、闇の方はさきほどより蠢きが活発になっている。
少し苛立っているように見える。
「悪いなベティ。まだファルは俺の客だ。ここでアンタに取られちゃ困るんだよ。……カミラ、モタ。ファルを連れて退避だ。モタはファルに剣を渡して実体化を解け」
「わかった」
「はい、ぱぱ」
隙を見せないよう俺はファルの前に立った。
同時にカミラたちに指示を飛ばす。
二人がファルのもとに駆け寄り、力なくうなだれたままの彼女を助け起こした。
「…………無駄なことを」
ベティは身体を覆う闇を蠢かせながら、さらに触手を生み出した。
さきほどの倍以上の数だ。
「ファルは、私たちのものです」
ビュンッ!
四方八方に散った触手が、別々の方向からファルに襲いかかる。
「させないよ! ――《風刃》ッ!」
カミラが叫ぶと同時に、つむじ風が巻き起こる。
不可視かつ鋭利な刃の風だ。
その風に触れたのか、ベティの放った黒い触手が細切れになった。
ぼとぼとと石床に落ちると、触手の振れた場所が黒く染まり、ボロボロと風化してしまった。
「カミラ、あの触手に触れるなッ! あれは呪詛そのものだ!」
「そんなこと、言われなくても分かっているッ!」
カミラの顔が険しくなった。
「……無駄だと言いましたよッ!」
ベティが叫ぶ。
さらに倍の触手がファルを襲う。
「ぐっ……《風刃》ッ!」
鋭利な風の刃が触手を切断。
だが、このままさらに数を増やされると、さすがに分が悪い。
「カミラ、今行く」
俺はベティから距離を取り、隙をみてカミラの元へと向かおうとした。
だが、その時。
「おっと、俺を無視するなよ、新人詐欺野郎!」
右側面に強烈な殺気。
とっさに身体をひねる。
ゴウ、と突風がすぐそばを通り抜けていくのが見えた。
斧槍の斬り払いだ。
「……お前もか、ギース」
「おう新人詐欺野郎。テメーとは、一度本気で殺りあいたかったんだよ」
血走った目で睨みつけてくるギース。
ヤツの身体をよく見てみれば、タトゥーに沿うように闇がへばりついているのが分かった。
これは……やるしかないみたいだな。
俺は即座に覚悟を決める。
「上等だ。前みたいにぶっ飛ばして正気に戻してやる」
「ほざけッッ!!」
俺とギースの、三度目の戦いが始まった。




