第121話 『夜這い』
「ぬぐ……」
俺は妙な気だるさで目を覚ました。
視界は薄暗く、視界の端には開いたままの窓が見えた。
ここ数日は見慣れた光景。
俺は宿のベッドに横たわっていた。
どうやらダンジョンから戻ったあと、食事のさいに飲んだ酒が存外に効いてしまったらしい。
異国での依頼達成とゲイザー捕獲成功で、少々テンションが上がりすぎていたようだ。
「…………」
部屋の中は静まりかえっており、階下のどんちゃん騒ぎの微かな音が、夜風に乗って聞こえてくる。
たぶん、まだセパとレインは1階の食堂で酒盛り中だろう。
ぼんやりとした頭で、そんなことを思う。
蒼い月明かりと、吹き込む夜風が心地よい。
だが……そんな気分とは対照的に、身体がやたら重かった。
まるで身体に鉛を詰め込んだみたいだ。
……いや、違う。
徐々に覚醒していく頭が、それを認識する。
何かが、俺の上にのしかかっている。
柔らかい重み。
頬に、くすぐったいようなふわふわとした感触があった。
誰かの髪の毛だろうか。
「……気づきましたか?」
囁く声と共に、熱い吐息が耳にかかる。
女の声だ。
それも、どこかで聞き覚えのある声だった。
「……誰だ」
「誰だなんて、酷いですね。……私ですよ」
身体にのしかかっていた重みがフッと消えた。
月明かりに照らされ、人の上半身が浮かび上がる。
滑らかな白い曲線が月光で淡く輝き、開いた窓から入り込んでくる夜風で銀髪がそよいでいる。
美しい、しかしながら見覚えのある女性だった。
「ふふ……ずっとこうしたいと思っていたのですよ、ご主人様」
俺の上にまたがりながら、人間大のセパがうっとりとした表情で呟いた。
なんだこれは。
夢か?
確かに呑み過ぎたかもしれない。
だが、俺の腰あたりに感じる彼女の重みが、これが現実であることを告げている。
……マジでなんなんだ、この状況は。
どうにか目の前の出来事を整理しようとするが、どうにも頭の中が霞がかっていて、うまく思考がまとまらない。
それに、違和感がある。
いや、違和感しかないのだが……違う、そうじゃない。
さっき、セパはなんて言った?
それが、違和感の正体だ。
たしか、彼女は――
「ご主人様。どうか、私に身をゆだねてください――」
セパらしき女性の両手が、俺の頬をそっと包み込んだ。
彼女の瞳が、朱く輝く。
「………っ!?」
なぜか彼女の瞳を見つめていると、どんどんと思考が曖昧になっていくとともに、腹の奥に熱いものがこみ上げてくる。
……マズい。
これはおそらく……『魅了』……だ。
ドロドロに蕩けそうになる意識の中、かろうじて自分が何をされているかを自覚する。
くそ、身体が動かない――
「うふふ……ご主人様、このまま私にすべてを任せて――」
人間大のセパの顔が、迫ってくる。
彼女は潤んだ瞳で俺の目を見つめ、しっとり濡れた唇を俺の唇に重ねようとして――
――パンッ!
軽い破裂音とともに、閃光が俺の胸元で弾けた。
「ぬわっっ!?!? 目がッ!? 目がぁっ!?」
とたん、セパが仰け反った。
光をもろに浴びたらしい。
目を押さえ、俺の上で悶えている。
俺も同様に一瞬目がくらんだが……閃光が瞬くのと同時に、頭の靄が消え、身体の妙な気だるさも胸の中の熱もさっぱり消え失せていた。
……今だっ!
「どらっ!」
「ぬわぅっ!?」
勢いよく上体を起こし、『賊』をベッドから叩き落とす。
さすがにセパの顔をしたヤツに本格的な乱暴を働くのは少々気が引けたが、四の五の言ってられる状況じゃない。
だが彼女は、しかしそのまま倒れ込むこともなく、器用に床に着地。
忌々しそうな目でこちらを睨みつけている。
「……『魅了』は完全に入っておったはずじゃ」
「アホか。なりすますなら、もうちょっとアイツの言動を研究することだな。アイツは俺のことを『ご主人様』などと呼ばない」
その違和感が、かろうじて『魅了』の効力を妨げていたようだ。
それと、どうやら酔っぱらって着の身着のまま寝床に入ったおかげで、胸ポケットに仕込んでおいた護符がヤツの魔術を打ち消したらしかった。
これがなければさすがに危なかったぞ。
発動がもう少し遅ければ完全に掛かっていた。
それにしても誰だコイツは。
「チッ。大人しくしておればよいものを……相変わらず無粋な男じゃのう」
言いながら、セパもどきがスッと立ち上がった。
それと同時に淡く身体が発光し、姿が縮んでいく。
セパもどきの代わりに、小柄な少女が姿を現した。
歳は十二、三歳くらいに見える。
背丈は、同年代のアリスより少し低い。
青みがかった長い黒髪と、側頭部から生えた羊のような巻角。
あどけなさを残した顔立ちに映える黒眼紅瞳。
月光に照らされた肌は死人のように青白い。
「……魔族か。どこかで見たことがあるな、お前」
「ノスフェラトゥじゃ! かつてはさんざんやり合った仲じゃろうが! 忘れたとは言わせぬぞ!!」
「……そういうことか」
ノスフェラトゥ。
元不死の上級魔族で、十年前に冒険者をやっていた頃に事あるごとに絡んできたクソウザ魔族で(毎回撃退してやったが)、四年前のリグリア戦役で邪神に呑み込まれ不死の力を奪われたあげく養分になっていたマヌケ魔族だ。
ていうかコイツ生きてたのか……
普通に邪神と一緒に消滅したと思ってたぞ。
たしかにトレスデンとリグリアは国境自体は接しているから、ケルツまで来れなくはないだろうが……なかなかどうしてしぶとい奴だ。
「お前、あの状況からよく生き延びたな。さすがは不死魔族だ」
俺の心からの賞賛に、ピギィッ!? とノスフェラトゥの顔が引きつった。
「邪神に奪われたせいでもう不死ではないわ!! お主! 分かった上で! 妾のことをからかっておるじゃろう!」
地団駄を踏んで憤る元不死魔族。
深夜にドタバタ騒がれると階下に響くからやめて欲しい。
他の宿泊客に怒鳴り込まれるの俺なんだが?
「で、そんな邪神に自分の命より大事な力を奪われたマヌケ魔族が俺に何の用だ?」
「ぬぐっ……! じゃが、今はそれどころではない。お主、妾に妙な魔術を掛けたであろう! 今すぐそれを解くのじゃ!」
怒り心頭と言った様子で、ノスフェラトゥがビシビシと俺に指を突き付けた。
……魔術?
一体こいつは何の話をしているんだ?




