ぼやけた隣の輪郭を作る
「個展をやることになりました!詳細決まったら送りますので絶対きてね!!」
送信。
既読。
画面の下に、小さく表示がつく。
紀彦の指が止まる。
その瞬間、頭の中の光景がわずかに書き換わる。
白い壁に並ぶ作品。
スポットライトに浮かび上がるキャンバス。
静かに行き交う来場者。
視線は作品に向き、やがて作者へと集まる。
その光景の、すぐ横に。もう一人の姿が置かれる。
繭だ。
さっきまで空白だった場所に、当然のように配置される。
やはり、繭はそこにいる。
だから既読がすぐついたのだ。
以前のように、何時間も放置されることはない。
繭の意識はまだ自分に向いている。
そうでなければ、既読はつかない。
紀彦はLINEを閉じ、Twitterを開く。
指はいつものように自分の名前を打ち込む。
——ノリズム
——noRhythm
検索結果をスクロールする。
だが、今はどの言葉も頭に入らない。
通知欄を開いては閉じる。
再びタイムラインに戻る。
視線は画面を追っているが、意識は別の場所にある。
かつて頻繁にLINEを送っていた頃、繭からの返信は日ごとに遅くなり、やがてほとんど同じスタンプだけが返ってくるようになっていた。
「流石にしつこかったか」
「もう少し大人の余裕を見せたほうがいいか」
そんなふうに考え、紀彦は一度距離を置いた。
今回は違う。
成功の報告。
成功者の証明。
選ばれた側が選んだ相手に送る報告。
距離を置いたのは正解だった。
しつこくしなかったのは正しかった。
だからこそ、すぐに既読がついた。
現実としては、まだ何も決まっていない。
打診があり、一度打ち合わせをした。三神が先方に検討するための資料の提示を求めた段階にすぎない。
開催の可否はこれから判断される。
条件も、日程も、規模も、現段階ではなにもかも白紙の状態だ。
だが紀彦の中では、個展の開催はすでに決まっている。
決まるかどうか、ではない。
決まったことになっている。
“開催されない”という未来は、彼の思考には存在しない。
既読がついた、その事実だけで、 紀彦の思い描く光景の中に繭が配置された。
祝福の言葉を受け取りながら、静かにうなずく自分。
そのすぐ横に立つ繭。
細い輪郭。
揺れる髪。
だが、その像は曖昧だ。
焦点を合わせようとすると、輪郭が揺らぐ。
笑っているはずの表情が、はっきりと結ばれない。
繭がそこにいること自体は、もう確定している。
ただ、その繭はまだぼやけている。
輪郭を定めるには、彼女の言葉が必要だった。
たった一通の返信。
それだけでいい。
紀彦の中では、返ってくる内容まで決まっている。
「おめでとうございます」
「すごいですね」
「素敵です!」
「行きます」
その一文が届いた瞬間、ぼやけていた像は結び、繭ははっきりと自分の隣に立つ。
返信が別の内容であるという想定は、彼の中にない。
紀彦は待っている。
くるかこないかではなく、すでに確定しているはずの、彼女の言葉を。
――ピコン。
「来た」
紀彦は、このところ見せたことのない満面の笑みを浮かべる。
確信は裏切られなかった。
指がわずかに震えながら、メッセージを開く。
そこにあったのは、「おめでとうございます」のスタンプが一つ。
他には、なにもない。
一瞬だけ、笑顔の端がわずかに揺れる。
——それだけ?
だがすぐに思考が動く。
送ってから約二十分。今までの中では、かなり早い返信だ。
スタンプだけだが、既読スルーではない。
無視ではない。
「すごいですね」「素敵です!」「行きます」の言葉は入っていないが、内容は想定とずれてはいない。
今は平日の夕方前。繭は仕事中のはずだ。
その合間に、わざわざ返してきたのだ。
むしろ、忙しい中での即時反応だ。
それは前向きだ。
十分に前向きだ。
そう結論づけた瞬間、迷いは消える。
紀彦の中で、光景が再び書き換わる。
ぼやけていた繭の輪郭が、ゆっくりと結び直されていく。
視線がこちらに向く。
微笑みが形を持つ。
祝福の空気が、確かな温度を帯びる。
繭は、そこにいる。
今度こそ、はっきりと。




