表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
掌の上の劇場  作者: マイク密


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/39

送信

午後、会社のカフェスペース。

この時間は、だいたい誰もいない。

昼のざわめきが嘘みたいに引いて、コーヒーマシンの低い唸りだけが、空間に残っている。

持参したマグカップにコーヒーを注ぐ。立ちのぼる湯気をひとつ吸い込み、そのまま窓際の席へ向かう。

この一連の動作が、いつの間にか私のルーティーンになっていた。


席に座ると、仕事の緊張が少しだけほどける。

静けさの中で、私はスマートフォンを取り出す。


――ピコン。


画面にnoRhythm(ノリズム)の文字が表示される。


キャンプ以降も、noRhythm(ノリズム)から連絡はなかった。

既読をつけて終わった会話。それきり。

それなのに。まるで、何事もなかったかのようなテンションで唐突にLINEが届いた。


——「個展をやることになりました!詳細決まったら送りますので絶対きてね!!」


画面に表示されたその文字列を、しばらく眺める。

相変わらず自分の話だ。けれど。「今日は集中できそうです」とか、「これ買いました」と靴や洋服の写真が送られてくるような、どう返していいのかわからない断片的な報告ではない。

いわゆる“連絡”だ。普通の、社会的な、意味のある報告。

それが、拍子抜けだった。

そして同時に、少しだけ、苛立った。


「もし noRhythm(ノリズム)さんから連絡が来たとき相談したいので、三神さんの連絡先を教えてもらってもいいですか?」そう言って、三神さんに連絡先を聞いた。

相談のため——半分は本当。でも、もう半分は.....。

そういう聞き方をしたところで、普通に連絡すればいいだけのこと。

特に不自然ではなく、おかしくもないと思う。

だけど、私たちは”泥棒猫”と”前科者”だ。「ご飯だべにいきましょう」なと無邪気に送るべきではないし、送っていい立場でもない。

連絡するためには理由が必要で、その理由は唯一”noRhythmノリズムさんから連絡が来たとき”、そう決めていた。

だから私は、noRhythm(ノリズム)からの連絡を待っていた。

来たら三神さんに連絡できる。その口実を待っていた。

そんなふうに待っていたはずのLINEなのに、届いた瞬間、苛立っている自分がいる。

可笑しい。

これはもう、noRhythm(ノリズム)の才能なんじゃないかと、半分本気で思ってしまうくらい。


私は、三神さんのトーク画面を開いた。

胸が少しだけ高鳴っている。もちろん個展のせいじゃない。


入力欄に指を置く。

「LINEが届きました」それだけでいい。

それが、この連絡先を聞いた理由なのだから。

打つ。

——ノリズムさんからLINEが届きました。

指が止まる。

それだけ送ったら、そこで終わってしまわないか。

既読がついて、「そうなんですね」と返ってきて、それで会話が閉じてしまう。

もしかすると、三神さんならもう少し何かがあるかもしれない、でもきっと二、三往復して、会話が閉じてしまう。

それは、なんか嫌だ。


文字を消す。また打つ。

——個展をやるらしいです。

違う。しかも三神さんはnoRhythm(ノリズム)のマネージャーだ、知らないはずはない。

——noRhythm(ノリズム)さんから連絡が来ました、どうしたら良いですか?

どうしたらって何。これじゃ、ただの依存だ。

消す。

打っては消し、打っては消す。

画面の中で、私の迷いだけが増えていく。

単に「届きました」と送ればいい。そうすれば、約束通りだ。

でも、約束を守ることが目的なのか?

私は、何を求めている?

考えた瞬間、答えはすぐに浮かんだ。


会う口実。


私は三神さんに会いたい。

無自覚のふりをしていただけで、気づかないようにしていただけで、本当はずっとわかっていた。

私は三神さんが好きなんだ。


入力欄は、また空白に戻る。

時間だけが、少しずつ進む。


私は、一度深呼吸をして、画面を見つめたまま、指を止める。

そのとき、ふと思う。

——noRhythm(ノリズム)も、こんな感じだったのかな。


会いたくて、でも会う理由がなくて、だから断片的な近況報告を送る。

「これ買いました」と靴や洋服の写真。今の私には、その気持ちがわかる。

noRhythm(ノリズム)は悪い人じゃない。ただ、不器用なだけ。

それなのに私は、うまく返せなかった。

どう返せばよかったのか、今でもわからないけれど。


私は、もっと器用だと思っていた。

でも、好きになると、うまくできなくなる。

ああ。これが、恋愛なんだな。



改めてトーク画面を開く。

指先が、ほんの少し震えている。

送る。


既読がついたら、きっともう戻れない。

それでもいい。そう思ったから、送った。

私たちは“泥棒猫”と“前科者”だ。

お互い境界線の外に立っていることくらい、わかっている。

それでも。


私は、踏み出した。

ああ、私は本当に厄介者だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ