“例”の奴。「問題なし」という判断
画面右下の時計が、いつの間にか三十分を超えていた。
正確には、三十三分と少し。
「いや……本当に、noRhythmさんの作品、全部追ってますから」
NOISE / RATIO のもぎは、最初からずっとこの調子だ。
初対面だというのに、距離の詰め方が早い。
「え、あれも知ってるんですか? あれ結構マニアックですよ」
ノリ君は、完全に乗っている。
声が軽く、楽しそうで、少し誇らしげだ。
「はい。あの構図は今見てもやっぱり異常だと思います」
ノリ君に対して、的確に“気持ちいい言葉”を投げ続けている。
その瞬発力には、正直、目を見張るものがある。
好感度を上げるために、まず「あなたのファンです」を全力で差し出す。
ノリ君相手の初手としては、正しい。
そしてノリ君は、その正しさにどっぷり浸かっている。
ただ、もぎは一つだけ間違えている。
そこにもう一人の参加者がいるということだ。
三十分までは許容する。
だが、それを超えた時点で、もぎに対する評価は、静かに下がり始める。
もぎは、キーとなる人物を定めて場を組み立てるタイプ、というわけでもない。
いわゆる、そういう“計算した立ち回り”とは少し違う。
もぎはもっと単純だ。
関わって満足する相手。
関わりたいと感じる相手。
自身の欲求をベースに入り込んでくる。
場の構造も、同席者の立場も、二の次。
さらに気に入らないのは、話の流れの中に、自分の交友関係の広さを匂わせる話題を織り込み、自分の評価を上げようとする意思が、はっきりと透けて見える点だ。
ノリ君はともかく、残念ながら自分にとっては、それはマイナスポイントにしかならない。
うちの会社の業界での立ち位置。
そこでの、自分の立ち位置。
それが理解できていれば、交友関係の広さなど、さほど意味を持たないものだと分からないはずがない。
もぎには、まったくこちらのことは見えていないということだろう。
(……これ、打ち合わせだよな)
議題とすべき内容には、まだ一つも触れられていない。
正直、居た堪れなくなった。
そっと、カメラをオフにする。
続けてマイクもミュートにする。
ノートPCはそのままに、椅子を立つ。
Bluetoothがギリギリ届く距離――喫煙所に入ると、少し冷たい空気が肺に入ってくる。
イヤホン越しに流れてくるノリ君の声は、いつにもまして軽快だ。
ライターを擦る。
火がつき、煙が上がる。
「あれ、“例”の打ち合わせって終わったの?」
社長の佐々木が喫煙所に入ってきて、タバコに火をつけながら言った。
「いや、まだ続いてますよ。っていうか、始まってもいませんね」
片耳のイヤホンを外し、残した片方を指さしながら答える。
「毎度、不良社員だなあ三神ちゃんは。ちゃんと仕事してくださいよ」
冗談まじりに言う社長の口調から、ちゃんと状況を分かっていることが伝わってくる。
「どう? 今回の“例”の感じは?」
「いいですよ。濃いめの“例”の奴って感じです」
「濃いめ! いいじゃん」
「でも……ちゃんと企画書とかあるかどうか。まずはそこからですね」
「そりゃそうだな。でも“例”のタイプ大っ嫌いだろ。がんばるねえ」
「だから今ここにいるんですよ(笑)。ノリ君には、いつもの“例”よりだいぶ刺さってるみたいなんで。我慢のしどころですって」
ノリ君から転送メールが届いた翌日、この話はすでに社長に相談し、自分の意図も伝えたうえで了承をもらっている。
このまま案件として進め続ければ、ノリ君の評価だけでなく、会社の評価まで下げかねない。
だったら――“例”の傾向が強いタイプ。
つまり、作家ファーストという体でノリ君をひたすら持ち上げてくるような相手に、全部任せてしまうようなことをやらせてみてはどうか。
そんな相手であれば、そこでノリ君が撒き散らすであろう黒も、喜んで回収してしかるべき、という算段だ。
会社としての関与は、極力薄く。
うまくいけばラッキー。
うまくいかなくても、会社として痛みは伴わない。
もちろん、所属作家の痛みが会社に無関係というわけはない。
だが、ノリ君がマイナスイメージを受けた際の会社への影響を鑑み、「問題なし」という判断になった。
イヤホン越しに、もぎとノリ君の楽しそうな声が続いている。
いまだ、打ち合わせの議題に触れられる気配はない。
「何? まだ“例”が続いてるの」
「続いてますね。いい加減、お楽しみタイムも終わりにして、現実に戻ってもらいます」
そう言って、タバコの火を消し、デスクに戻った。
◇
デスクに戻り、腰を下ろして軽く深呼吸をする。
画面では、もぎとノリ君の雑談が続いている。
会話の間合いなど、考えない。
あえて空気を読まず、カメラとマイクをオンにする。
一拍置いて、口を開いた。
「そろそろ、打ち合わせの本題に移ってもよろしいでしょうか?」
言った瞬間、場の空気が一気に冷えるのを感じた。
画面に映っている自分は、もちろん――百パーセントの作り笑顔だ。
いや、違うかもしれない。
撒き散らすであろう黒を喜んで回収させる相手として、想像以上にぴったりの人物が目の前にいる。
だからこれは、案外――本物の笑顔なのかもしれない。
「もぎさんから打診いただいた内容は理解しています。具体的にどう進めていきたいのか。企画書のようなものはありますか?」
「あっ、さっきそこらへんの話はしてまして……HeartBeaterの続き的な作品を描き下ろしして、そこをメインにしようって」
いきなり、ノリ君が口を開いた。
「そうですね。HeartBeaterの世界観をテーマにすることで、noRhythmさんの原点回帰的なイメージと重ねつつ、描き下ろしの新作を出すことで、これからの意思を表現しましょう、という話になりました」
――なるほど。
単なる雑談かと思っていたが、そこまで話は進んでいたらしい。
……いや、違う。
「しましょう」
「なりました」
まだ、受けるかどうかの判断すらしていない。
会社として、何ひとつ了承していない段階だ。
ノリ君はともかく――
この、もぎという人間は、マネージメントという立場を、何だと思っているのか。
「すみません」
声のトーンを落とし、言葉を選ぶ。
「会社として、正式な判断をする必要があります。ですので、まずはそれの材料となる資料の提出をお願いできますでしょうか。取り急ぎの希望ベースで構いませんので、条件面も含めた形でお願いします」
「了解です。noRhythmさんとお話しして、だいたい固まっていますので、すぐ提出します」
次回の予定については、自分とメールでやり取りをするということにし、
軽く終わりへの促しを入れたところ、
あれだけ盛り上がっていたにもかかわらず、打ち合わせはあっけなく終了した。
◇
HeartBeaterの世界観をテーマにする。
それ自体は悪くない。
というより、ノリ君の個展をやるのであれば、それ以外に選択肢はないとも思う。
ここまでのもぎの振る舞いは、いわゆる、単なるファンのそれだ。
ファンであること自体は構わない。
問題は、それを仕事と切り分けられるかどうかだ。
今のところ、その兆しはほとんど感じられない。
だとすれば――
ノリ君が撒き散らすであろう黒も、黒として受け取らない可能性がある。
あるいは、ただの熱量として、都合よく解釈されるだけかもしれない。
(……それは、さすがに都合が良すぎるか)
そういえば描き下ろしをメインにする、と言っていたが
これだけ仕事が滞っている現実を、もぎはともかく、ノリ君は自覚しているのだろうか。
直近の提出物は、期日からすでに二週間が経過している。
再三呼びかけてはいるが、いまだ進捗報告はもちろん、反応すらないままだ。




