整いすぎた非日常
noRhythmの家を出てから、車でおよそ二時間。
街を抜け、山の中へと入っていくと、空気が少しずつ変わっていくのがわかった。
車窓の外には、濃い緑と岩肌が交互に現れ、気づけば信号も建物もなくなっている。
やがて車は細い道を抜け、施設の駐車場に到着した。
街の雰囲気が完全に遠のき、耳の奥に残るのは、木々の葉のざわめきだけ。
実際に着いてみると、そこは意外にもこぢんまりとしていた。
けれど、すべてが計算されたように整っている。
白いドーム型のテントが木立の合間に点在し、どのテントも互いに距離を取りながら、まるで森の中の小さなヴィラのように並んでいる。
「受付してくるから、ちょっと待ってて。あっ、キッチンとかの使い方の説明もあるかもだから、並木さんも一緒にきてもらっていいかな」
――その言葉に、内心ほっとした。
三神さんが一人で行けば、私とnoRhythmが車内に残されることになる。
やっぱりこの人は抜け目がない。
外に出て振り返ると、車の中で一人になったnoRhythmが、まるで運転手付きの車に乗る社長のように、堂々とシートにもたれている。
受付棟はウッド調の小さな建物で、フロントには季節のドライフラワーが飾られている。
チェックインの手続きを終えると、三神さんはスタッフの説明を丁寧に聞きながら頷く。その姿は、なんだか“慣れてる人”のそれで、見ていて少し安心する。
受付を終えると、三神さんは車をゆっくりとテント脇の駐車区画へと移動させた。
敷地内はすべてウッドチップで舗装されていて、タイヤが走る音さえ柔らかい。
車が静かに止まり、私たち3人はそれぞれドアを開けて外に出る。
その瞬間、湿り気を帯びた風がふわりと頬をかすめた。
テントの前には広々としたウッドデッキが広がっている。
そこには、節の残る無垢材を切り出したローテーブルと白いソファが配置されている。
ガラスのランタンの中で揺れる琥珀色の灯り。
まるでラグジュアリーホテルのテラスをそのまま森の中に移したようだ。
“自然の中なのに、不便が一つもない”。
そんな矛盾のような贅沢さに、思わず息をのんだ。
各区画にはそれぞれ専用の流し台が設けられていて、簡単な調理ならここで完結できそうだった。
さらに驚いたのは、お風呂まで各区画ごとに備えられているということ。しかも、それが“露天風呂”らしい。
まさかキャンプで、星を見ながらお湯に浸かれるとは思ってもみなかった。
思わず「すごい……」と小さく声が漏れる。
グランピングという言葉を、少し甘く見ていたかもしれない。
「ここって相当高いんじゃ...」
「あはは。うん、高いよ。自腹じゃ絶対無理だね。お酒も食材も、“自腹じゃ無理なもので揃えた”から、もう佐々木さん感謝で贅沢しちゃいましょう」
そう言うと、三神さんは小さく笑った。
背後ではnoRhythmが、何やら得意げに荷物運び出そうとしている。
その様子を見て、三神さんは小さくため息をつき、すぐに彼のもとへ向かった。
「いやいや、ちょっと待ってノリ君、それ全部持っていくの? 一回確認しよう」
noRhythmは少し不満そうながらも、三神さんの指摘に従って荷物を選り分けはじめる。どうやら“持っていくもの”と“車に置いておくもの”を分けているらしい。
「これは持っていっても使わないだろ。あそこにあるんだから」
そんななりとりを見て――これも予測通りの行動なんだろうな、と思わず笑ってしまった。
◇
しばらくすると、三神さんの車の隣に、艶のある黒い高級車が静かに止まった。
運転席から降りてきたのは佐々木さん。その後部座席から、サキさんと遥香が姿を見せる。
車を降りるなり、佐々木さんはnoRhythmの姿を見て吹き出した。
「何それ? なんでノリ君、長靴なの? ていうか……野鳥の会の人?」
その様子を見て、三神さんは慌てて佐々木さんのもとへ駆け寄り、なにやら小声で耳打ちをする。
佐々木さんは一瞬キョトンとした表情を浮かべたあと、「ああ、なるほどね」と小さく頷いた。
「それにしても、ここすげーな。さすが三神セレクトだよ!」
と、改めて場を見渡して感嘆する佐々木さん。
「え、三神さんが選んだんですか? さっき車の中で、“俺が選んだ”って言ってましたけど」
サキさんがいたずらっぽく言うと、三神さんは肩をすくめて笑った。
「繭ちゃん、お疲れ。今日は来てくれてありがとね」
佐々木さんが穏やかな笑顔で声をかけてくる。
「いえいえ、こちらこそありがとうございます。こんな豪華で……びっくりしてます」
「あはは。でしょ? 今日はもう仕事のこと忘れて、思いっきり楽しもうね」
そんな会話をしていると、noRhythmがすかさず会話に割り込んできた。
「これ、長靴じゃなくてブーツなんですよ」
唐突に、自分の足元を指差しながら言う。
「見た目はゴムっぽいですけど、革製で。水にも強いし、焚き火の炎にも強いんです」
「あっ、そうなのね。さすがノリ君セレクトだな。――繭ちゃんはどう思う?」
いきなり話を振られ、少し戸惑う。
「えーと……いいと思います、はい」
noRhythmの表情には、ほんのりとした優越感が滲んでいる。
「繭ちゃーん!」
サキさんが手を振りながら駆け寄ってくる。
遥香は少し照れたように会釈して、控えめに後ろをついてきた。
サキさんは、アースカラーのフリースに細身のカーゴパンツを合わせた大人っぽいキャンプルック。
一方の遥香は、雑誌のアウトドア特集からそのまま飛び出してきたような“今どき”の可愛さ。ベージュのショートパンツにふわっとしたダウンベスト、耳元には大きめのピアスが揺れている。
「すごいねここ!想像よりずっとオシャレ!」
「でしょ?俺のセレクトだからね」
佐々木さんが冗談めかして言うと、サキさんは笑いながら軽く肘でつついた。
◇
「さっき佐々木さんに、何を耳打ちしてたんですか?」
「あー、あれね」
三神さんは苦笑いを浮かべ、少し肩をすくめる。
「社長、ノリ君の“ああいう感じ”をまだ完全には把握してないからさ。初見であれ見たら、たぶん面白がってボコボコにいじっちゃうと思うんだよね。だから、“ちょっと我慢してあげてください”って頼んだの」
「へぇ……」
「ノリくん、単に良かれと思ってやってることだからさ」
その言い方には、呆れと、ほんの少しの優しさが混じっているように思えた。
まるで“どうしようもない弟”を見守る兄のようでもあるが、その裏に「諦め」みたいなものを感じる。
ふと、さっきの車での荷物の選別を思い出す。
あれも――noRhythmが余計な荷物を指摘されて恥をかいたりしないように、前もって整えていたのかもしれない。
そう考えると、彼の一つ一つの所作が、また違った意味を帯びているように感じた。




