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掌の上の劇場  作者: マイク密


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承認の肥料

午後五時の五分ほど前。

Zoomのアプリケーションを立ち上げ、ミーティングルームに接続する。

昨今はオンライン上でのミーティングが主流になっており、本日もその形式で行われる。


午前中にノリ君に送ったリマインドは既読がつかないまま。


彼の出席は内容と相手次第だ。

前向きなら、五分以上前に現れることもある。

参加不要のものでも、共有している自分のカレンダーを見て勝手に入ってきたこともある。逆に、後ろ向きなら「気づきませんでした」で済ませる。


今回の場合――七割程度来ると踏んでいる。

もし来なければ……まあ、そのときは謝ってリスケジュールしてもらうしかない。



「お世話になっております。〇〇社の△△です」

クライアントが入室した。

落ち着いた声。マイクの音もクリアだ。

挨拶と軽い会話を交わしながら、画面共有の準備を進める。


定刻通り、あとはノリ君が来るだけ。

時計が予定の開始時間を五分ほど過ぎた頃、通知音が鳴った。


「すみません。遅れました」

ノリ君は、通過儀礼のように遅れを詫び、無言で待機する。


「お世話になっております。〇〇社の△△です。この度は案件をお引き受けいただき大変光栄です。実は私、noRhythmノリズムさんの大ファンでして、いまものすごくテンション上がってます」


モニター越しに、クライアントの声がわずかに上ずった。

反射的に笑顔を作りながら、横目でノリ君の様子をうかがう。


明らかに、入室したときとは表情が違っていた。

オンラインは、対面よりもその変化がはっきり見える。


クライアントは開口一番から“ファンですアピール”を繰り返す。

過去の作品の話、展示会の感想、そしてSNSの投稿内容まで細かく覚えていた。


「この間のあのシリーズ、最高でした。光の絵描き方がもう神がかってて。あと、あの白の扱い――あれ、どうやってるんですか?」


画面の中で、ノリ君の口角がゆっくりと上がっていくのがわかった。

最初は軽く相槌を打つだけだったが、次第に言葉が増え、語尾が熱を帯びていく。


「まあ、白っていうのは“抜く”というより“残す”感覚で……」

「へぇー! それ、すごく興味あります!」

「いや、すごいってほどでもないですよ。ただ――」


そこから先はもう止まらない。

制作環境、筆圧、ディスプレイのキャリブレーション。

相手が聞いていないことまで語り始め、画面の中で彼だけがゆっくりと膨張していく。

クライアントはひたすら頷き、笑顔で相槌を打ち続ける。


タイムラインのように流れるその光景を黙って見つめる。

――不毛の序曲だ。


ノリ君が打ち合わせに来るかどうかは、結局これがあるかないかだ。

要するに彼は、承認という快楽を得るために打ち合わせに参加してくる。



しばらくそんな話が続いたのち、タイミングを見計らって、本日の本題――案件の詳細説明へと話を戻した。


早速、クライアントが画面に映し出した資料をもとに説明を始める。

だが、話し始めて間もなく、ノリ君がやや怪訝な声で言った。


「今映している資料、後でもらっていいですか?」


資料はすでに持っているはずだ。

そもそもこの案件の依頼があった際、彼のPC画面でその資料を開き、二人で対応可否の検討を行っている。


「いやいやノリ君、一緒に確認したでしょ……」

思わず口を挟んだ。

「あっ、すみません。あの資料ですね。失礼いたしました」

悪びれる様子もなく、淡々とそう言った。


――忙しさのアピールでもしたかったのだろうか。


資料の存在を忘れていたわけでもなく、そもそも資料があったかどうかなど、彼にとってはどうでもいいことなのだ。

これは、相手の反応を“計算して”行う、即興劇のようなものだ。

こう言えば、相手はこう思う。こう思わせれば、自分の印象はこうなる。

自分が望む筋書きがあり、現実の方を、都合よくそこに当てはめていく。

そんな“都合のいい物語”の中で、彼は常に自分を演出している。


特に、今回のように――事前に相手から持ち上げられ、“調子に乗った”状態にあるときは、その傾向が顕著だ。

まるで、自分に“予知能力”でもあると信じているかのように、現実が自分の筋書きに従って動いているかのように振る舞う。


厄介なのは、そこに「想定外」という概念が存在しないことだ。

どんな反応が返ってきても、すべてが“自分の思いどおり”として処理される。

ノリ君の中で、その筋書きはいつだって完璧で、揺らぎがない。


改めて説明を始めるクライアント。

だが、ノリ君は毎度のごとく、聞いているようで聞いていない。

相づちを打ちながら、心ここにあらず――まるで、ただ“自分の出番”を待っているだけのようだ。


一見、会話は成り立っているように見える。

だが彼の目的は、相手と理解を交わすことではなく、“自分の言いたいこと”を放つことにある。

そのため、相手の意図とのあいだに、いつも微妙な“ずれ”が生じる。


相手も、その“ずれ”には当然気づいている。

だが、気を使ってノリ君に合わせてくれるので、余計におかしくなる。

会話の歯車が噛み合わないまま、笑顔だけが増えていく。

それが、彼の肯定感をさらに高めてしまう。


そして、その肯定感は、さらなるへ大きな“ずれ”へと繋がる。


「ちょっと今の話に関係あるんですけど」

ノリ君は突然、そう言って画面共有を始めた。


彼が開いたのは、数年前に発表した自作のアートブックのデータだった。

「この作品なんですけど、実は当時も似たテーマを描いてて――」


クライアントが軽く相槌を打つのを合図に、再度noRhythm(ノリズム)の独演が始まった。

まるで授業のように、過去の作品を一枚ずつめくりながら、筆の運びや構図の意図を得意げに語っていく。


「ここであえて白を残してるのは、空気の“余白”を見せたくてですね……」


こうなると、打ち合わせを終わらせるのも自分の役目だ。

再びタイミングを見計らい、話をスケジュールの確認へと誘導した。


「では、一度スケジュールの方について改めてお話しさせてください」


共有画面に資料を戻すと、ノリ君がすぐに口を開いた。

「ここのフェーズ、こんなにかからないですね。もう少し短くしていただいても大丈夫です」


……何を言っているのか。

度々、いや、ほぼすべての案件で期日を守らない事実はどこに行ったのか。


とにかく、彼はいつだって自分をよく見せることに終始する。

そのためなら、過去などいくらでも捻じ曲げる。


今回のように、打ち合わせで盛り上がったかどうか――そんなことと期日を守れるかどうかは、まったく関係がない。

それはこれまでの経緯で、いやというほど証明されている。


本来なら、ここは自分が口を挟むべきところだ。

だが、以前そうしたとき、ノリ君は強い口調で「できます」と言い放った。

クライアントにとっては、それが前向きな返答に聞こえる。

だから、それを否定する自分の方が、まるで悪者のようになる。


画面に映るスケジュールは、自分が事前に交渉し、何度も調整を重ねたものだ。

もちろん、ノリ君にも事前に確認を取っている。

しかも、やや先方に無理を言って、少し長めに設定している経緯もある。

それを軽く否定されることは、クライアントに対して、身に覚えのない無能さを突き出されるようなものだった。


こうしたことは毎度のことで、過去に何度か注意したこともある。

だが、返ってくるのは決まって無言だ。


それ以来、自分は可能な限り進行役に徹している。

口を出すのは、ノリ君の罠にかかりにいくようなものだ。

彼の承認の肥料になるのは、まっぴら御免だ。


――期日が守れなければ、そのときはまた、いつものように交渉と調整をするだけだ。



「……では、引き続きよろしくお願いいたします」

「はい、よろしくお願いします」


形式的な挨拶を交わし、通話が切れる。

ミーティングは、予定の時間を三十分ほど過ぎてようやく終わった。


他の参加者が退出し、Zoomのウインドウには自分の顔だけが映し出される。

無表情で、どこか色の抜けた顔だった。

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