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カーテンは今日も開けていない

紀之は先月で47歳になっていた。

「まだやれる」と思うには少し重く、「もう無理だ」と見切るにはどこか未練が残る──そんな年齢に差しかかっている。

——アルバイト内定。 これが、47歳の彼に届いた、久しぶりかつ最新の“肩書き”だった。


都心から電車を乗り継いで小一時間。

駅前にはコンビニとパチンコ店、それから名前を変えながら経営者が変わっていく喫茶店。

繁華街でもなければ、“歴史のある町並み”とも無縁な、どこか所在のない一帯である。


治安が悪いわけではない。 夜道を歩いていても、誰かに絡まれるようなことはまずない。

ただ、周囲と比べて家賃が少し安い理由が、暮らしてみるとなんとなくわかる。

空き地の雑草はいつも腰丈まで伸びていて、掲示板の「地域清掃のお知らせ」は去年の日付のまま誰にも剥がされずに貼られている。

夕方でも、人の気配がやけに少ない。

隣人の顔も声も知らないけれど、特に困ったことも起きない。 何も問題がないことが、逆にじわじわと不安を呼ぶような、そんな空気。

そんな街の、駅から徒歩二十分のアパートで、紀之は一人暮らしをしている。


北陸の田舎町で育ち、社会人として一度は地元に根を下ろしかけた人生を、あっさりと、自分の手で捨てた人間だ。


思い返せば、子どもの頃から目立つタイプではなかった。

イラストを描くことが好きで、いわゆる“オタク”に分類されるような存在だった。

ただ、運動は嫌いじゃなかったし、走るのもそこそこ速かった。

球技大会では「紀之、バレー入れ」と言われるくらいには、動ける方だった。


それでも、紀之は自分を「オタク」枠のなかに置いた。 わざわざその枠を抜け出すようなことはしなかった。

それはたぶん、居場所が欲しかったからだ。 「オタクだけど、運動もできる」──そんな風に思われているかもしれないという、 曖昧な幻想に守られながら、自分のポジションに満足していた。



中学を卒業して、紀之は高専に進んだ。 高校と専門学校を足したような、5年制の理系の学校だ。

地元では、成績上位の生徒は高専に行くのが珍しくはなく、むしろ“主流”だった。

実家は決して裕福じゃなかったし、大学に進むにはお金が足りなかった。 「寮のある高専」を最終学歴とすることは現実的な選択肢だった。


男ばかりの教室。 でも、その空間は不思議と居心地がよかった。 似たような連中ばかりで、紀之も気楽にいられた。

たまに地元に帰ると、親戚や近所の大人が 「紀之くん、高専なんだって? すごいね」と褒めてくれる。 それがちょっと誇らしかった。


もちろん、恋愛なんてなかった。 女子は数えるほどしかいなかったし、遠い存在だった。

興味はあったが、話しかける理由が思いつかないまま、五年間が過ぎた。

結局、仲の良い異性ひとり作れないまま卒業し、そのまま学校から紹介を受けた地元の中小企業に就職した。

卒業式の日、彼の学生服の第二ボタンは、誰にも求められず、胸元に残っていた。



紀之が就職したのは、県内でも比較的大きな都市に拠点を構える、工作機械の設計・製造を手がける企業だった。

顧客の要望に応じて一品物の装置を作る技術屋の世界であり、社交性よりも探究心が重んじられる社風があった。


会社全体の雰囲気は、にぎやかさとは無縁で、「わいわい」ではなく「黙々」とした空気に満ちていた。

なかでも紀之が配属された設計部はその傾向が顕著で、私語は少なく、各々がモニターに向かって図面と向き合っていた。


紀之はそんな環境にすぐに馴染んだ。


新入社員研修を終えたのち、紀之が任されたのはCAD(コンピュータ支援設計)だった。

高専時代にも軽く触れたことはあったが、本格的に取り組んでみると、自分でも驚くほどにしっくりきた。

多様な人とのやり取りが少なくても成り立ち、与えられた条件を論理的に組み立てて形にする仕事。 紀之にとっては理想的な作業だった。


黙々と進めるうちに、その手は確実に技術を蓄え、やがて部署内でも一目置かれる存在になっていった。

数年後には「設計部のエース」と呼ばれるまでになり、決して高給ではないが、仕事への充実感と“評価される自分”という状況が、紀之の心を大きく満たしていた。

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