彼
俺は、物心ついたときから二重人格だった。
もう一人の人格が、自分の中にいることに気づいていた。
これから別の人格のことを「あいつ」と呼ぶ。
あいつは優しくて、誠実だった。
……それが、時に弱さにもなる。
だからこそ、俺が助けなければならなかった。
あいつが喧嘩に巻き込まれれば、俺が出て殴ってやった。
あいつが緊張して立ちすくめば、俺が出て発表をこなしてやった。
あいつが眠るときは、俺が代わりに目を覚まし、身の安全を守った。
――それなのに、あいつは俺のことを「怖い」と言った。
守ってきたのに。
あいつは、俺を「消したい」とさえ……言っていた。
⸻
僕は、ある日からたまに「僕じゃない時間」があることに気づいた。
最初は、いつものように親から虐待されていたときだった。
気づけば、親は怯えた目で僕を見ていた。
近づこうとすると、親が叫んだ。
「こっちに来るな! バケモノ!」
……それが、始まりだった。
その日から、時々、意識が飛ぶようになった。
最初は、それでよかった。
学校でいじめられても――気づけば、いじめっ子はいなくなっていた。
緊張で声が出なくても――気づけば、発表は終わっていた。
運動が苦手でも――気づけば、運動会は過ぎ去っていた。
ある日、学校の先生のつてで、病院の先生に診てもらった。
そこで僕は、「解離性同一性障害」と診断された。
――もう一人の人格がいる。
彼は僕よりもずっと強くて、度胸があって、運動もできるらしい。
でも、それは僕が望んだタイミングで現れるわけじゃない。
僕には、彼をコントロールすることができない。
それに、彼は僕のことを知っている。
僕は彼のことを、何も知らないのに。
数年後、僕は、好きな人ができた。
彼女と話したり、一緒に遊ぶ時間がとても楽しかった。
不思議なことに、彼女といる時は、「彼」は一度も現れなかった。
だから僕は、思いきって告白しようと決めた。
緊張で、心臓の音がうるさいくらいだった。
……気づけば、僕は振られていた。
何が起きたのか、分からなかった。
彼女の友達にまで嫌われていて、周りの視線も冷たくなっていた。
僕の知らない「僕」のせいで――
僕の大切な場所が、失われていった。
――彼さえいなければ。
⸻
俺は――あの女が、あいつに好意なんて持ってないこと、最初から知ってた。
なんなら、あいつを使って遊んでた。おもしろ半分で、まるでオモチャみたいに。
だから言ってやったんだ。
「これ以上、俺で遊ぶな。このブスが」
……そして、突き飛ばした。
すると、あの女は鼻で笑って、こう言った。
「へぇ〜。気づいてたの。
いつも頭お花畑だから、このまま告白されるかと思ったわ」
そのまま、取り巻きの女たちと笑いながら去っていった。
俺は、あいつを守った。
……ちゃんと、守ったつもりだった。
それなのに、あいつは今でも――
俺のことを、「消したい」って言うんだ。
⸻
僕はあれ以来、カウンセリングを受け、人格を統一しようとした。
敵意を向けられない、穏やかな場所に引っ越して、
「彼」が生まれた原因そのものを、取り除こうとした。
そのおかげで、意識が飛ぶことはほとんどなくなった。
ある夜、僕は不思議な夢を見た。
知らない男が、優しい目で僕を見つめていた。
近づくと、彼は微笑んで言った。
「俺は、おまえを助けてたんだ。けど……完全に嫌われたなら、仕方ない」
「おまえを守るために――消えてやるよ」
そう言って、彼は静かに消えた。
目が覚めた時、涙が頬を伝っていた。
それからというもの、「彼」は二度と現れなかった。
僕は人格が統一され、平穏な日々を送るようになった。
数年後――同窓会が開かれた。
本当は行きたくなかったけれど、当時、隣のクラスで唯一話せた友達に誘われて、参加した。
会場の奥に、彼女がいた。
僕は気まずさと罪悪感で、近づけずにいた。
すると友達が、隣でぽつりと言った。
「久しぶり。……なあ、おまえ、まだあの子のこと引きずってるのか?
やめとけよ。悪行バレて、フッたんだろ? あの子、性格も変わってないらしいし」
……悪行?
「えっ……悪行って、何のこと?」
そう尋ねると、友達は静かに語り出した。
僕のことを「キモい」と笑っていたこと。
弄んでいたことを武勇伝のように話していたこと。
彼女の親が権力を持っていて、学校では誰も逆らえなかったこと――
僕は、何も知らなかった。
あのとき、全てを背負ってくれていたのは――彼だったんだ。
僕は彼を拒んだのに、
彼は僕を――なんの見返りもなく、ずっと助けてくれていた。
……僕は、それに気づくことさえ、できなかった。
終わった後、家に帰り、鏡を見てこう言った。
「……ありがとう」