Vol.1 第一章 7話 蛍の提灯
午後17時。
日が沈み、森林をその日光が山吹色に照らす。
首都では賑やかなエルフ達の声で賑わい、狩りで得た戦利品や道中で手に入れた果実などを交換し合っている。
中には親子で談笑する者も。その光景は平和そのものだ。
少年はその光景を、この首都で最も高い住居からボーッとただ眺めていた。
「いいなぁ…」
ボソッと呟く。
何気ない幸せ、本来自分は生まれた時点で他者より優れた存在である事が約束された筈の存在だ。
しかし、現実は正反対のもの。
王の血筋など、例えどれ程の金品をつぎ込もうが得られるものでは無い。
まだ幼いトレスだが、自分の価値については完全に理解せずとも察していた。
それが、望んでもいない押し付けられた重荷でしか無くても。
ふと、自身が眺めていた親子の子供が此方を見返す。わかりやすくトレスはビクつき、慌ててツタのカーテンを閉める。
禁じられていないとは言え、自分の存在自体は秘匿されている。
市民にうっかり姿を見られたなどと知れたらどんな目に遭わされるか、想像しただけで恐ろしい。
トテトテとトレスは薄暗くなった部屋へと戻っていき、寝床へと寝転がる。
うつ伏せになりながら、枕元に几帳面に並べてある本を手に取る。
トレスの数少ない楽しみの一つだ。
その中でも大きく、そして薄い本を手に取る。
母が買ってきてくれた探偵の絵本。
寝る間も惜しみ読み返した、彼の宝物の一つだ。
絵本以外は文字が羅列してある、いわば小説。
これは母からのお下がりで、所々擦り切れている年代物だ。
エルフ達は碌に勉学を教えようとはしない為、まるで読めない。
しかも、エルフ文字ではなく人間の文字だ。
トレスにとっては訳のわからない魔導書のような物。
それでも、母が自分の為に譲ってくれたという事実が堪らなく嬉しかった。
─湯けむり氷柱の殺人事件─
かなりポップに描いてあるが、内容は若干5歳の少年が読むには些か過激だ。
頭脳明晰な少年探偵と、個性豊かな警部達が紡ぐ物語。
この本では、派手なタトゥーの入った男が蒸し風呂で殺害された事件。
しかし、現場には一切の証拠も無く、どれだけ探しても凶器が出てこない。
あるのは、被害者の刺し傷だけ。
初めて読んだ時は、凄い指の力で突き刺した!とか魔法の槍で刺した!などと突拍子もない考察をし、母と共に笑い合ったものだ。
その記憶は、つい昨日のことのように思い出せる。
懐かしむほど昔のことでは無いが、彼にとっては貴重な記憶だ。
「コレは氷柱で刺したから、現場で凶器が消えちゃったってオチだったなぁ」
トレスはクスクスと笑いながら何度も読み返した本をペラペラめくる。
─子供向けだからって、”氷柱の殺人事件”って題名から特大ネタバレじゃない!─
読み終わった後の母のツッコミだ。
“ネタバレ”の意味はよく分からなかったが、母曰くこの類の世界では第一級犯罪なのだと言う。
絶対にやらない様にしよう。
そう、心に刻む。
夕日が沈み、森がどんどん暗くなる。
首都には真っ白い提灯が点々と灯り、真夏の蛍にも似た幻想的な光景が広がり始める。
それと同時に、僅かに肌寒さを感じトレスは部屋の端にある提灯を持ってくる。
白い紙の筒の中には赤子の手ほどの虫が入っており、ムシャムシャと葉を貪っている。
光蟲と呼ばれるこの樹海特有の虫だ。
エルフ達はランプの代わりにコレを用いる。
森林を守護する存在、その為”火”という概念そのものがエルフにとっては禁忌とまではいかなくても、非常に行儀が悪い物という認識が多い為だ。
「ごめんよ」
そう呟きトレスは虫の背中を人差し指でトントンと叩く。
すると、青白く優しい光が彼の小さい世界を照らした。
大広間などでは、何匹も光蟲を集めなければいけないが、彼の住む小さい部屋であれば一匹で十分すぎる程に照らしてくれる。
「これでよし!あとは…」
トレスは普段通り夜に備えて準備を整え、最後の仕上げをする。
彼は、提灯の近くの鏡の前に立つ。
グニグニと左手で頬をほぐし、ニコニコと笑う練習をする。
間も無く帰ってくる最も大切な存在の為に。
「笑う門には福来るだよね、お母さん」




