Vol.1 第一章 4話 僕の右腕
右腕
「おはようございます。お父さん」
返事はない。まるで、その場に居合わせないかのように手元にある資料に目を向けている。
「スフィアくん、今日の治療の内容はなんだい?」
「はい、まずはゴブリンの生き血を啜って頂いた後、腕に電撃を与え経過を観察します。また、辺境の魔女が本日来国する為、彼女に治療を任せる事となっています」
右腕の麻痺。僕は生まれた時から腕が片方しか動かなかった。しかし、感覚がない訳ではなく痛みや熱い冷たいなどの感覚はある。
そして、意識を向ければ僅かにだが動かす事も出来た。
小指が揺れる程度だが。
「そうか良かった。それが終わったら、その魔女を是非私の元によこして欲しい。どんな神秘で人を癒しているのだろうね?実に気になる」
父の名はアルファリア。エルフ種最強の民族。
雪の妖精スヴェリアの長だ。
外見的な特徴は雪のように白い肌と、銀髪だ。
完全な銀髪ではなく、薄い水色を帯びた髪や赤色を帯びた物もあり同じ系統であっても多種多様だ。
そして、みな一律にガラスのような銀色の瞳を有している。
とりわけ父のもつソレは、暗闇で光り輝いて見えるほど
一種の凶悪性すら感じさせる野獣の如き眼光だった。
「承知致しました。トレス様、こちらに」
そういい女は僕に手を伸ばしてくる。
右手を。
「…うん」
僕は左手を差し出した。
「あら、御免なさい!私右利きだったものでうっかり!失礼しました。さ、参りましょう」
そう言うと女は差し出された左手を無視し、強引に動かない方の腕を掴んだ。
「フフ、良かったなトレス。お前も、その腕が治りさえすれば今みたいに自分から手を取ることができるよ?君は優しいね、この子の文字通り右腕になってくれて」
「いえ、とんでもございませんわ。戦士タイプの癖に腕が動かない。私なら、恥ずかしくて自害してしまう所ですわ」
「全くだね。トレスも恥ずかしいだろう?だったら治療、頑張ろうね?」
「…うん」
父は完璧主義者だった。自身の子、ひいては王の血族が障害持ちだなどと、平民に決して知られる訳にはいかなかった。
秘匿された三人目の子供トレス・アルフヘイム。
それが僕の本当の名前。
アルフヘイムの名前は名乗ることを許されなかった。
なんでも、僕は本来生まれてくる筈のない存在だったという。
女官の言っていた事がだ、詳しくは分からない。
だが、母がこの国のエルフではなく
他者から白い目で見続けられていることは知っていた。
母は女官と違い、高い地位は与えられていなかった。
父の命で、僕の治療費を稼ぐために馬車馬のように働かされていた。
僕と会う時は、勤めて母は笑っていた。
母と話す時間は大好きだ。
僕の知らない世界の事、文化の事、魔物の事、ドワーフの事、そして人間のこと。
僕の唯一と言っても良いほどの生き甲斐だった。
だが、就寝に着くと静寂のなか
よく隣から、母の啜り泣く声が聞こえて来た。
きっと、僕に涙を見せることを嫌ったのだろう。
母は強い人だった。でも、会う度にやつれていく母を見て次第に自責の念が強くなっていった。
腕が動きさえすれば、僕も晴れて公の場に出る事ができる。
腕が動きさえすれば、母は晴れて王子トレスの母を名乗る事ができ市民権を得ることもできる。
腕が動くなら、母の為ならなんだってやる。
そう、最初は思っていた。
父はあらゆる手段を用いて僕の腕を治そうとした。
最初は飲み薬と塗り薬。
次は注射などの投薬。
最初こそマトモな治療で、父も真剣に悩んでくれていた、と思う。
だが、その治療は次第にエスカレートしていった。現在は腕に直接電流を流し強引に動かそうとしている。
他にも怪しげな黒魔術だの、毒液に手を浸しては治癒魔法をかけ蘇生を繰り返すだのと激しい苦痛を伴うものばかりだ。
僕にとってそれは、拷問と何も違わなかった。
「さぁ、トレス様?今日も治療を頑張りましょうね?」
動かない腕をグイグイと引っ張られ、胸がキュッとなる。
ムカムカと言葉では言い表せない不快感に、全身がフワフワと浮かぶような感覚を覚える。
昔、あまりの辛さに大泣きしてしまったが
その日、女官からされた事を思い出すだけで身震いが止まらなくなる。
だから、泣かない。
だから、笑う。ニヤニヤと。
お前には期待してたんだけどね…
扉を閉じる瞬間、父が嘯いたその言葉が
今でも、僕の心を蝕み続けている。