第一話 陰陽師は悪鬼に出会う
応和三年(963年)の京の都。
時代は後の世に平安時代末期と呼ばれる時のことであった。
平易な狩衣に烏帽子を被り、腰には太刀を佩き、左手にはたいまつを持って、数歩先の場所を照らしながら夜の都を闊歩する。
屋敷を出た頃に見えたまんまるが美しい月夜も、次第にぼんやりと滲んでしまい、朧月夜になってしまっていた。
普段連れている供回りの明久や雄二ならば「風情がある」と歌の一つでも読むのだろうが、あいにくと俺には詩作の才覚も媚びへつらう才もない。
だからこんな下級役人がやる御役を任されるのだ。
「はぁ」と短く溜息を吐く。
これも全てわが祖父、播磨守のせいだ。
なぜ役人の俺が人が出歩かぬ夜中に都を歩いているのか、それにはのっぴきならない事情があった。
内裏が数年前に火災によって消失し、疑心暗鬼になっていたときの帝は、市中に出る鬼のうわさを耳にし、わが祖父である播磨守安倍清明に「市中を騒がす鬼を討て」と御命じになられた。
それが巡って俺、安倍春秋に回ってきたというわけだ。
共周りで友人の二人に『お役目だ』と声を掛けたのだが、ともに今宵は良い仲になった女生との逢引きがあり都合が悪いと断られてしまった。
なんとも低俗でうらやまけしからん理由だ。
播磨守も単独で俺に巡回を命じるあたり、噂を眉唾物ていどにとらえていたのだろう。
俺も「鬼など早々出るものではない。」とタカを括っていたので、喜んで友でもある共周りを送り出したのだが……
深い溜息と共に愚痴のひとつも出るというもの。
俺だって歌がうまければ、女子の一人や二人……
そんなことを考えながらそぞろ歩くと、いつしか都を南北に真っすぐ走り抜ける大通り~羅生門に始まり朱雀門に終わる~に出ていた。
メインストリートには夜空を隠す高い建物はなく、御所まで真っすぐ伸びている。
「朱雀大路か……時も丑三つ時、出るとしたらそろそろか……」
夜空を見上げれば、先ほどまでと月の大きさが明らかに違う。
雲間から見えるそれはまるで辰砂のように紅かった。
得も言われぬような怖気を感じ、体がぶるりと震える。
珍しく明かりを灯した集団が歩いているのが見えるが、その明かりは上下にゆらゆらと揺れ、歩みも遅い。
「こんな時間に妙だな……逢引きの共にしては多いし、賊にしては整然とし過ぎている……」
一瞬、武士かとも思ったが、奴らが警備しているのは御所と門だと思い返す。
はて? では何だろう?
意識を改めて目を凝らせば、少なくない異形の一団が列をなし、遠くまで続いている。
「鬼の軍勢……百鬼夜行か!」
一人で祓いきれる数ではないが、やるしかない。
そう言って懐から呪符を取り出し呪力を込める。
すると呪符はみるみる内に、小さなネズミの姿を取った。
式神で名を歩鼠と言う。
妖怪変化の類を調伏し、零落させた【調伏式】だ。
「――歩鼠よ、この書を播磨守に! 疾く走れ!」
あらかじめ発動させていた巻物型の自動筆記の呪法具【慧可自在筆記巻物】によって、今までの出来事が書き留められているのだ。
この巻物を歩鼠に届けさせることにした。
援軍がくるまで時間を稼げば俺の勝ちと言う訳だ。
改めて覚悟を決め、鬼の一団に式を放つ。
長細い呪符は一瞬で姿を変え、一対の犬のような四足獣の姿を取った。
「行け! 香狗!」
~香狗と呼ばれた式は~
獅子ような立派な鬣を持ち、口を開き今にも飛び掛からんとする攻撃的な阿形獅子と、伏せるような低い姿勢で相手を睨みつけ、口を固く閉ざした有角の吽形の二体で一体の狛犬を模した調伏式だ。
人間の腰ほどの体高を誇る香狗が、それぞれ命に従い襲い掛かる。
「「アォォオオオオーーーーーーン!!」」
まず阿吽の香狗が遠吠えし、鬼の放つ強力な陰の邪気……鬼気を払い飛ばす。
侵攻を続ける鬼たちは、何が起こったのか分からない内に呪力を持っていかれ弱体化する。
「陰陽師か!」
喋れるだけの知性を持った鬼が吠える。
「あらら、強力な鬼がいるとは……俺もついていない」
鬼とは中国から来た言葉であり、本来の意味は霊である。
『記紀』では精霊や山神といったよくわからない超常の存在という意味で使われる。
しかし時代は下り、不吉な存在として鬼が再定義されたことで、鬼門(良くないものが来る方角)の獣である牛と虎の性質を持った鬼神とされた。
時刻で言えば二時三時の方角からくる存在には、逆の方角……奇門遁甲で対応する猿と鳥と犬が弱点となる。
だから犬の属性を持つ式神香狗の遠吠えには、邪気である鬼の気……鬼気を散らす破邪の力があるのだ。
狛犬は『拒魔犬』とも表記され、仁王像を含む二対の像は、天竺(インド北部)より西側ではスフィンクスのような獅子の姿をした石像が神殿の前に配置され、聖域や王権を守護していると考えられてきた。
そして俺の香狗は、『狛犬』、『阿吽・二対』と言った類似により破邪の力が大幅に強化されている。
「良くもわが手勢を……陰陽師よ、なぜ我らの邪魔立てをする? われは平門公配下の鬼人将が一人安房守であるぞ!。
そこな陰陽師、名を名乗れ!」
安房国(現在の千葉県南部)と言えば平門公配下の上兵・文屋好立の所領だ。
(あれほどの武士でも魔縁に落ちたと言うのか……)
多くの鬼たちは膝をついたり、倒れて大の字になって天を仰いでいてまさに満身創痍と言った様子。
そんな鬼の一団の中から、一人の大鬼が前に出てくる。
巌のように大きく立派な体躯は鮮血のように紅く、その額には大きく立派な一本角が生えた鬼であった。
源氏の方の名乗り方に似ている。
さすがは関東武者である平将門の配下の悪鬼だ。
天慶3年(940年)に行われた平門公調伏の際には、宇多天皇の第八皇子である敦実親王の子寛朝僧正が調伏したはずだ。
その際に弘法大師空海作の不動明王像を本尊とした仏閣を建立した成田山新勝寺を立てて霊魂を慰めた鎮魂したが、この様子だとどうやら祓いきれていなかったということだろう。
鬼の邪気を吸わないように気を付けて深く息を吸い、こちらも名乗りを上げる。
「われは播磨守安倍晴明の子孫! 安倍春秋なり! 安房守よ! なにゆえ帝のおわす都に参られた?」
「知れたこと!
古き帝が支配する世に災いをもたらし、新たな帝とならん。
かつて八幡神並びに天満天神よりご神託を受け、世に覇を唱えた《殿》は求めておられるのだ!」
――――ということは京の都で目撃された鬼共は、いわゆる斥候と言ったところか……
「陰陽師、安倍春秋よ。貴様我らの戦に水を差すようなまねはするまいな?」
「これでも俺は帝に仕える陰陽師の端くれでね、そういうわけにもいかないんだよ――――!」
刹那。
安房守は腰に佩した大太刀に左手を添わせ、鯉口を切る。
それはいつでも叩き斬る! と言う覚悟の表出だろう。
「戦を愚弄しおって! そこに名折れ! 叩き斬ってくれるわ!」
右手で太刀の柄を握り、素早く抜刀すると足を前後にしながら逆八の字に開き、刀を八相に構える。
「あいにくと俺は武士ではなく豪族出の貴族。
それも曾祖母は狐なもので、あいにくと田舎武者の作法には詳しくなくてな!……まぁ歌もロクに読めぬ無作法者の言など軽く聞き流してくれや!」
「貴様ぁぁあああああああああああッ!!」
怒りに任せた安房守は、大太刀を袈裟斬りに振るう。
俺を守るために前に出た香狗を、一太刀と返しの二太刀でばったばったと薙ぎ払い、三間(約4.8Ⅿ)ほど殴り飛ばした。
「たかが犬ころに後れを取る我ではない!」
左手を鞘に添わせ鯉口を切り、右手で太刀の柄を握ると素早く抜刀し、足を前後にしながら逆八の字に開いて衝撃に備え、刀を頭の高さで寝かせるように構えて、袈裟斬りに振られた太刀を剣で受け流す。
ガッ!
化妖の馬鹿力を真面目に受けるなんて戯けのすることだ。
間と技、そして最低限の力があれば受け流すことなど容易い。
「な!」
「お主、剣を使うのか……はァ!」
「急急如律令!」
祝詞や真言、手印といった術を発動させるために必要な所作を省略して、即座に斬撃を防ぐ術を発動させる。
直後、安房守は地面に当たった姿勢のまま無理やり太刀を振り抜いた。
半円のような軌跡を描き、袈裟斬りに大太刀が振り抜かれる。
武者の鎧ほどの防御力を持った防御術が、安房守の大太刀による攻撃を防いでいる。
「ぬんッ!」
安房守が声を出して大太刀に力を込める。
だが術も限界なのか、術が作り出した結界がブレて霞んでゆく……
ヒィ、ビキ。
次第に太刀の白刃がめり込んでヒビが入っていくのが見える……
まずいな……仕方ない、ここで呪符を使うか。
平将門を鎮めた先人である寛朝僧正に倣って不動明王に縋るとしよう。
「緤べて緤べよ、必死と緤べよ、不動明王の正末の本誓願をもって、この邪霊悪霊を絡めとれとの大誓願なり! オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ。オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ……」
周囲に散らされた呪符が光を放ち、明王が所有する悪魔や煩悩を縛り屈服させる縄――羂索を生じさせ安房守を拘束する。
「むっ! これは不動金縛りの術! それも羂索が実体化するほど強力な術をその年で使いこなすとは……末恐ろしい陰陽師だ」
俺は感嘆の言葉をこぼす鬼を無視し、不動金縛りの術を唱え続ける。
羂索がミシミシと音を立てて、安房守の肉体へ食い込んでいく……
捕縛は成功。後は調伏して払っていくだけだ……そう思っていると……
突然、ズン! と胃の腑を強く突き上げられるような強烈な威圧感に襲われた。
先ほどの鬼気よりも気分の悪い気配を感じる。
「なんだコレは……まさか!」
「《《我らが帝、我らが親方》》新皇、平将門様が御目覚めになられたようだな……」
安房守が苦しそうに、だが歓喜の籠った声色で大怨霊である平将門の顕現を告げた……
※七話まで読んでください。絶対後悔はさせません。