第八話
メイン会場に戻ると、そこはぐちゃぐちゃになっていた。
美しかった庭の花は散らされ、美味しそうに並べられていた食べ物や飲み物は、地面の上で無残に転がっている。数分前までは優雅に会話を楽しんでいた貴族たちは逃げ惑い、荒らされた会場で飛び交うのは悲鳴や叫び。
目の間の光景に息を飲んだ。
「どうして、王宮内に魔物が…」
パルフェはこの状況を作り出した根源であろう、獣の姿をした数匹の黒い影に顔を険しくする。
あれが、人間を襲う危険な存在―魔物。
文献で目にしたことはあるが、実物を見るのは初めてだ。間近で感じる黒い獣の禍々しさに、体が恐怖で震える。隣にいるシエルも、胸元で握っている手がカタカタと揺れていた。
「早く建物の中へお入りください!」
魔物に応戦しながら騎士たちは貴族を王宮の中へ誘導している。騎士の一人が、パルフェに気が付き駆け寄ってきた。
「パルフェ様、ご無事ですか!?」
「僕は大丈夫だ。それよりも、一体何があった? 結界は?」
王宮には強力な結界が施されているはず。なのに、目の前では王宮の敷地内であるにもかかわらず魔物たちが暴れている。理解し難い状況に、パルフェは当然の疑問を投げかける。
「それが…突然、この魔物たちが現れたのです。結界については、現在確認中です」
パルフェの問いに騎士は力なく首を横に振る。詳しいことはまだ分からないらしい。
「そうか…僕のことはいい。皆の避難を最優先にしてくれ」
「はっ!」
「シエルとソルトさんも速く建物の中へ。アシドさん、彼女たちをお願いします」
「かしこまりました」
私とシエルをアシドに預けると、パルフェは踵を返し魔物たちのほうへ向かう。
「パルフェ様も一緒に行きましょう!」
危険な場所へ自ら行こうとする少年の手を思わず握る。パルフェは一瞬目を見開いたが、すぐに作ったような笑みを張り付けると、やんわりと私の手を解いた。
「会場を少し見てくるだけです。大丈夫、僕もすぐに行きます」
「でも…!」
「キャァアア!」
悲鳴が響く。悲鳴の先には、魔物の前で座り込んでしまっている女性がいた。
逃げ遅れたであろう女性に気が付くと、パルフェは迷いなく誰よりも速く彼女の元へと向かった。
腰に携えていた剣を引き抜き魔物の前に飛び出すと、女性に襲い掛かる魔物を薙ぎ払う。魔物が体制を整える前に、パルフェは手を翳し魔力を集中させた。
「水球!」
パルフェが魔法を唱えると、彼の手から水の小さな球が放たれる。真っ直ぐに勢いよく飛ぶ水の弾丸は、魔物の体を貫いた。急所に穴が空いた魔物は、傷口から霧のように散っていき消滅していく。
「立てますか?」
「あ…」
片膝をつき手を指し伸ばすが、恐怖で腰が抜けてしまった女性はカタカタと震えることしかできないようだ。それを察したパルフェは騎士を呼ぶと、女性を安全な場所へ運ぶように指示をする。
騎士に抱えられ王宮へ向かう女性を見送ったパルフェは安堵の表情を浮かべる。緊張の糸が緩んだ一瞬の隙を魔物が見逃すはずがない。
別の魔物がパルフェに襲い掛かろうと地を蹴るのが視界に映った瞬間、私の体は反射的に動いた。
「パルフェ様!」
「ソルトさん!?」
走った勢いのままパルフェに飛びつく。全力の体当たりのおかげで、私とパルフェの体は地に転がり、魔物の牙から逃れることに成功した。
「怪我は!?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
ホッとするのも、つかの間。すぐに魔物は体制を整えると、再びこちらに鋭い牙をむき出しにして襲ってくる。
咄嗟に両手を広げパルフェを庇う。そして、痛みに耐えるため固く目を閉じた。
「ソルト様!」
シエルの叫ぶ声が聞こえる。だが、いつまでたっても私の体には、痛みも衝撃も何も感じない。恐る恐る瞳を開けると、栗色の髪と大きな背中が視界に映る。
「アシド…!」
私と魔物の間にいたのは、アシドだった。
私を庇った彼の腕には魔物の鋭い牙が突き刺さり、傷口から深紅が地面に滴り落ちている。痛みに顔を歪ませながらも、アシドは魔法を放つ。
「風拳!」
アシドの属性魔法は『風』。その魔力が混ざった風を拳に纏い、魔物を殴り飛ばした。
牙が抜けたことで、アシドの腕から血がさらに溢れる。けれど、彼は出血など気にする様子もなく、琥珀の瞳で鋭く魔物を捉え続ける。
打撃に怯んだ魔物は、アシドと距離を取ると咆哮を上げた。その声に反応するように、散らばっていた全ての魔物たちがアシドへと狙いを定めたように集まってくる。
威嚇するかのように、牙をむき出しに唸る魔物たち。死をも連想させる光景に、普通の人間ならばただ恐怖を抱くしかできないだろう。けど、アシドは違った。彼は魔物たちへ立ち向かうように、前へ踏み出す。
「アシドさん!」
「動いたら…!」
「絶対に動くな」
振り向かず声だけの制止。加勢しようとしたパルフェ動きも、心配する私の声さえも、素の彼の言霊は自由を奪う。
アシドは大きく息を吸うと魔物たちを真っ直ぐに見据えた。
ぶわりとアシドの周りに魔力が集まっていく。
「風の精霊よ、我は望む。汝の怒りを解き放ち、我が力となることを―」
魔法詠唱だ。
パルフェや先ほどアシドが放った魔法とは違い、詠唱してから放たれる魔法は時間こそ必要ではあるが、通常魔法より強力なものとなる。そして、威力が大きいが故に消費する魔力も大きく、コントロールも難しい。
そんな高度な技を若くして扱える者は、魔法に専念している者くらいのはず。公爵令嬢の執事だから、という理由だけでは納得できないこと。彼自身が言っていた通り、アシドの優秀さは本物だと示されている光景から目を離せない。
詠唱を終えると同時に、アシドの魔力が一気に膨れ上がった。
「風の無数斬!」
アシドの魔力が解放された瞬間、目では捉えきれない風の刃が魔物たちに襲い掛かる。
鋭い風が止むと同時に、全ての魔物が黒い霧となり消滅した。
魔物の完全消滅に周りから喜びの声が上がる。歓声に安堵したのか、アシドの片膝が地面についた。
「アシド!」
私はアシドに駆け寄る。彼の腕からとめどなく流れる血に、頭が真っ白に染まっていく。
「失礼します!」
いつの間にか隣に来てくれたシエルが、両手をアシドの傷口に翳した。ふわりと、シエルを中心に美しい魔力が広がっていく。
「癒しの雫」
柔らかい光が血まみれの腕を包み込む。暖かさを感じる魔力は、傷口をゆっくりと治癒していった。
「傷口は塞ぎました。でも、多くの血を流しているのですぐに医務室へ運んでください!」
シエルの声に騎士たちは慌てて動き出す。力なく座り込むアシドに手を添え立たせると、そのまま支えるように王宮内に進む。
「光の魔法を使えるならば、同行を願います! 怪我人が他にもいるのです!」
騎士の必死の訴えに、シエルはこちらに目を向ける。私がコクリと頷くと、シエルは騎士の背を追った。王宮内に消えていくアシド達を見送りながら、彼らの無事を祈ることしかできない自分が情けない。じわりと、子供の脆い涙腺が緩む。
スカートを握りしめ、涙を堪える私の隣にはいつの間にかパルフェがいてくれた。
「ソルトさん、ご自分を責めないでください。大丈夫、シエルも王宮内には熟練の魔法師もいます」
「パルフェ様…」
不安を取り除くかのような柔らかな声と微笑み。彼の優しさに触れ、私の涙は引っ込んでくれた。パルフェに応えるように小さく笑みを浮かべ、コクリと頷く。
私とパルフェの間に穏やかな空気が漂う。だが、その心地よさは一人の男の登場によって消え去った。
「これは、これは…随分と酷いことになっているな」
魔物の脅威が去った庭園に響くは、粘り気のある嫌味ったらしい声。声と共に登場してきたのは、肩まである黄金の髪とキャラメルのような濃い茶色の瞳を持つ少年だった。
誰、この人…?
「兄上…」
兄上という言葉で、眼前の少年の名前が分かった。
この国の第一王子、アラモド・テイスト。パルフェの腹違いの兄で、歳は確か十五歳。パルフェは十歳なので二人は五歳差の兄弟だ。
兄であるアラモドの登場に、パルフェの表情が曇る。
アシドから王族たちの人間関係を少しだけ教えてもらっていたおかげで、私はその表情の意味がすぐに理解できた。
次期国王の座を巡って、パルフェとアラモドの兄弟仲はあまりよくない。といっても、アラモドが一方的にパルフェを敵視しているだけと聞き、半信半疑だったが…どうやら本当のようだ。
くるり、とボロボロになった会場を見渡した後、アラモドは大げさなほど息を吐いた。
「王宮に魔物が現れるなど、前代未聞だな」
はぁ…と額に手をあてながら、芝居じみた台詞を吐くアラモド。そして、チラッと弟であるパルフェに目を向けると、ポツリとけれど全員に聞こえるように呟く。
「まるで、呪われているみたいだ」
その一言にパルフェの肩が大きく跳ね、周りがざわつく。貴族たちの反応に、第一王子はニヤッと笑った。
「パルフェ、お前どうして魔法で魔物を一掃しなかった?」
「それは…」
「”全”の属性魔法であるお前なら、あれくらい魔法で簡単に対処できただろ?」
嘲笑するようなアラモドの言葉に、周囲の空気が悪い方向へ染まっていく。
「アラモド様の言う通りだ。パルフェ様はなぜ強力な魔法を使わなかった?」
「属性判定は嘘だったのでは?」
「やっぱり…あんな気味の悪い子供を精霊が愛するわけありませんわ」
囁きが小さな笑い声に変化していくのが信じられなかった。
勇敢に魔物に立ち向かい、女性を助けたパルフェに与えられる言葉は、称賛でも感謝でもない。ただ、容姿が人と違うだけの差別の言葉。そして、肉親であるはずの眼前にいる兄は下品な笑みを浮かべ優越に浸っている。
ここで私は、アラモドの思惑に気がついた。
第二王子であるパルフェには、次期国王として絶対的な約束が無い。けれど、パルフェは兄であるアラモドに比べ、魔力も勉学も優秀。加えてパルフェの属性魔法は、精霊の加護が強いとされる極めて稀なもの。故に、第一王子よりも第二王子の方が次期国王にふさわしいと思っている貴族が少なからずいる、とアシドが教えてくれた。
だからアラモドはこの場を利用して、パルフェを見下し、疑いの種をまき、自分が上だと皆に見せつけているのだ。それは、王座を獲得するためには必要なことなのかもしれない。けれど…
なんなのよ、この人たちは!
半分とはいえ血の繋がっている弟を心配もせず、自分を優位な位置につけようとするアラモドの言動。それに便乗し、パルフェを蔑む大人たち。
ふつふつと怒りが沸きあがってくる。
黙り込んだままのパルフェが気になり、目を向けた。パルフェは顔を少し俯かせると、何かに耐えるように拳を握りしめ、諦めたような笑みを浮かべている。
ブチッ!
「黙りなさい!」
膨れ上がった怒りは弾けるように飛び出し、薄暗い空気を一気に払いのけた。
「パルフェ様が呪われている? バカバカしい! どこにそんな根拠があるのですか!」
第一王子の発言を全否定する私の怒声に、パルフェすらも目を見開いている。けど、私は口を止める気は一切なかった。
「彼がどうして魔法を使わなかったか…皆を傷つけないためです!」
意味が分からないとでも言うように、ざわめく貴族。大人たちの鈍さは、私の怒りの炎に油を注いだ。
「パルフェ様の強力な魔力が放たれれば、確かに魔物は退けられます。しかし、怪我人がでる可能性もあるのです! そんな彼の優しさを、どうして理解できないのですか!?」
パルフェは十歳の子供。魔力の鍛錬を日々行っていても、時間という壁がある。いくら魔力が高かろうが、コントロールが未完成であれば意味がない。一か八かで放ったとしても、周りへの被害が予想できない。頭の回転が速い彼は被害を抑えるため、強力な魔法を使わなかったのだろう。
「パルフェ様は、確かにまだ魔力をうまくコントロールできません。ですが、それは魔力が強大である証…それよりも、戦いもせず逃げて助けを乞うだけの自分自身の未熟さを恥じなさい!」
勢いのまま言い切る。ぜいぜいと息切れがするが、私の怒りはまだ収まらなかった。
「あなたもあなたです、パルフェ様!」
「ぼ、僕?」
呆然となっているパルフェに、キッと鋭い視線を向ける。
「言われっぱなしで悔しくないのですか!? 言い返せばいいのです!」
「でも、僕は…」
「たかが容姿が人と違うだけでしょ!?」
深紅の瞳が大きく見開かれた。
瞳が紅くとも、髪が白くても、私達と見える世界や感じるものは違わない。なのに、どうしてパルフェだけが自身に向けられる鋭利な言葉や薄汚い嘲笑に、耐え続けなければいけないのか。
優しくて勇敢な少年。そんな彼が、これ以上否定されるなんて私には我慢ならなかった。
「容姿が違うってだけで、負い目を感じる必要なんてあってたまるものですか!」
高ぶった感情は敬語を取り払い、心からの叫びを辺りに響き渡らせる。
「それに…あんな魔物と戦ってない腰抜けの言葉なんて、気にする必要ないわ!」
ビシッ! と私が指さしたのは、アラモドだ。
「なっ!? 無礼な!」
「何よ!」
プライドを傷つけられたアラモドは、声を荒げ怒りを露わにする。だが、私がそれ以上の怒声をぶつけた。言い返されると思っていなかったであろう、アラモドはたじろいでいる。私の怒りの矛先が、パルフェからアラモドに変更した。お父様譲りの、眼光をアラモドに向ける。
「大体ね、将来国を背負う者なら皆の無事を喜ぶのが先でしょ!? それを、ネチネチとパルフェ様を責めるようなことを…男らしくないのよ!」
「貴様…! この俺が誰か分かっているのか!?」
「第一王子だからって、何? 事実は事実じゃない!」
身分という武器を前にしても一歩も引かない私に、アラモドは驚愕している。おそらく、彼の人生で出会ったことのないタイプの人間なのだろう。残念ながら、私はそんじょそこらの令嬢とは違う。なんてたって、人生二回目なのだから!
ガルル、と唸りながら今にも噛みつきそうな令嬢と、戸惑いながらも王族の威厳を保とうとする第一王子が睨み合う。異様すぎる光景に周りは対処の方法が分からず、情けなくもただ困惑するしかできない。
そんな張り詰めた空気の中に、不似合いな音が響く。
「ぷっ…」
音の発生源は、パルフェだった。
パルフェは小さく噴き出すと、そのまま腹の底から笑い出した。王子らしからぬ腹を抱えての大笑いに、その場の全員の目が点になってしまう。
「はぁ…たかが、か…そうか。そうだよな」
余程可笑しかったのか、パルフェの瞳には涙まで浮かんでいた。しかし、その涙から負の感情は感じ取れない。寧ろ、スッキリしたような爽やかさがある。
「ありがとう、ソルトさん」
「へ? どういたしまして?」
どこか吹っ切ったように、晴れやかに笑みを浮かべるパルフェ。何に対してお礼を言われたか分からないが、とりあえず典型的な返事する。毒気を抜かれたように怒りが鎮火された今の私の顔は、きっと間抜けに違いない。
「兄上」
凛とした声。静かに兄を見据えるパルフェは、実年齢よりももっと大人に見えた。これが、王族としての威厳というものなのか。
「彼女の言う通り、僕のことなど今はどうでもいいでしょう。それよりも、被害状況の確認が最優先です」
「あ、あぁ。そうだな…」
「では、この場は兄上にお任せします」
「は!? 何故、俺が…」
「僕のような呪われた者がいては、皆が休まりません。そうでしょ?」
どこか棘を含んだ言葉にアラモドは大きく目を見開き、何も言えない。周囲は気まずそうに顔を背け、誰一人として、さきほどのようにアラモドに賛同する者はいなかった。忌々しそうに弟を睨むアラモド。そんな兄の視線などさらりと受け流すパルフェ。これでは、どっちが年上か分からない。
「行きましょう、ソルトさん」
優しく手を差し出してくれるパルフェは、王子様のようにキラキラ輝いて見える。本物だからこそ出せる煌めきというものなかもしれない。
私はパルフェの手に自分の手を重ねた。パルフェは私の手をしっかり握ると、ゆったりと歩き出す。
すれ違う時、アラモドと目が合ったので小さく舌を出し馬鹿にしてやった。
「きさ…!」
「殿下」
怒鳴ろうとしたアラモドを止めたのは、細身の男だ。服装からして貴族だと思われるその男は、いつの間にかアラモドに寄り添っている。
「そのような娘は放っておきましょう」
「だが、ビタネス!」
ビタネス、と呼ばれた男。血色の悪いその顔は、薄気味悪さを感じさせる。
「貴方を馬鹿にした愚かな奴には、いずれ罰がくだります」
口の端を上げるビタネスを視界に映した瞬間、言葉に現わせない不気味さが全身を駆け巡った。ドロリと腹部から何かが流れ出すような感覚。思わず足が止まりそうだったが、パルフェが手を引いてくれたおかげで、その場を離れることができた。
何だろう…あのビタネスって人…
初めて見るはずなのに、そう感じなかった。もしかしたら、ゲームのキャラクターなのかもしれないが、シエル達がいない今は確認できない。ドクリ、ドクリと心臓の音がやけに大きく聞こえる。
「ソルトさん」
ハッ! と意識を目の前に戻す。
「僕、初めて兄上に言い返しました」
足を止め振り返った彼の表情は、悪戯が成功した子供のようだ。一瞬、呆気にとられたが言葉の意味を理解し、私もニッと同じように悪い笑みを浮かべた。
「その調子です! パルフェ様!」
パルフェと笑い合ったおかげで、ビタネスに感じた不可解な感情は上書きされた。けれど、あの男の笑みだけは頭から離れてはくれない。
一欠片の不安を胸に抱きながらも、私はパルフェが導いてくれるまま歩き出す。
読んでいただき、ありがとうございます。
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