第七話
メイン会場から少し離れた場所。庭園の休憩所なのか、小さなベンチがあったので、そこに私と女の子は腰掛けた。
「落ち着いた?」
「はい…申し訳ありません」
まだ少し潤んでいるが、涙は収まったようだ。手で涙を拭ったせいで、少し目元が赤くなっているのが痛々しい。ハンカチを渡すと、おずおずと受け取ってくれた。
「ありがとうございます」
お礼を言いながら、そっと涙を拭く女の子。可愛いうえに、礼儀も出来ていていい子だ。そんな子を理由は分からないが、泣かせてしまったことに良心がチクチクと痛む。
「とりあえず、自己紹介からしましょう…私はソルト・ドルチェット。あなたの名前は?」
改めて名乗り、怖がらせないよう出来るだけ柔らかく微笑みながら問いかける。
「シエル…私は、シエル・パティエと申します」
ゆっくりと真っ直ぐに、こちらを見て名乗ってくれた女の子の瞳に涙はもう無かった。
落ち着いてくれたようで安堵したが、どうも彼女の名前が引っかかる。
この違和感を放置してはいけないと、本能が告げている。こういった勘は当たることが多い。私はシエルの情報を頭の中で整理してみることにした。
「ん?」
パズルのピースを揃えていくうちに、一つの答えが姿を現す。まさか…と背中に嫌な汗を感じながら、シエルに決定打となる質問を投げかけた。
「シエルちゃん…あなたの魔法属性って…?」
「光です」
僅かな希望を持って放った問いは、絶望となって返ってきてしまった。
パルフェと幼馴染で、魔法属性が光の女の子。ショートケーキを持っていたことから、平民街にあるお菓子屋の娘であるのは間違いないだろう。そして極めつけは、シエル・パティエという名前。そこから導き出される人物は、一人しかいない。
『Sweet Loves』のヒロインのデフォルト名―それがシエル・パティエ。
シエルは私が関わってはいけない人物ナンバーワンである、このゲームのヒロインだったのだ。
ショートケーキに目がくらんで、我がスイーツライフを脅かすヒロインと自ら関わってしまった…
精神的に打撃を受けた私を、シエルは心配そうに見つめる。その顔すら可愛くて、シエルがヒロインだと事実を再認識してしまう。
どうにかここから巻き返せないかと、頭をひねる。だが、どんなに頭を回転させても悲報ともいえる現実は変わらないので嘆息をこぼすしかできない。
私のため息と同調するかのように、アシドの口からも息が漏れた。また、小言が始まるのかと体を固くしたが、アシドは私ではなくシエルの前に仁王立ちになると、瞳を鋭くさせた。
「ったく、目立ちやがって…泣く奴があるか」
「ごめんなさい…ソルト様に会えたのが嬉しくて…」
「ちょっと、アシド!」
いくら私の消滅の要因であるヒロインだからといって、女の子を雑に扱っていい理由にはならない。
無理矢理アシドの腕を引き、シエルと距離を置いた。シエルに聞こえないように、小声でアシドに注意する。
「女の子になんて言い方するの! それに、素の口調が出ているわよ!」
「問題ねぇよ。シエルも前世の記憶持ちだからな」
「………はい?」
たっぷりの間の後、間抜けな声が出た。アシドの言葉の意味を脳が理解すると、私はさび付いた機械のようにぎこちなくシエルに顔を向けた。
「シ、シエルちゃんも…前世の記憶があるの?」
「はい。私もソルト様やアシドさんと同じく、転生者です」
あっさりと肯定するシエル。雷に打たれたような衝撃を受けた私は、ふらふらとベンチに戻り、力なく座る。そんな私を見て、シエルは不思議そうにしている。
「もしかして、アシドさんから何も聞いていませんか?」
「うん。今、初めて聞いた」
シエルは驚いたように目を見開くと、アシドをキッと睨むように見上げた。
「アシドさん! どうして私のこと話していないんですか!」
「話すより実際に会った方が早いだろ」
「そんなこと言って…また、恵真ちゃんを独り占めする気ですね!」
「ちょっと待って! なんでその名前を…」
記憶がある、といっても私の前世の名前を知っているのはおかしい。ソルトである現在の私に、前世の咲本恵真の外見要素は皆無に等しいのに、何故分かったのか。驚いている私に、シエルはキョトンとしている。
私は大きく深呼吸し気持ちを落ち着てから、シエルと向き合った。
「とりあえず、一つずつ聞いていくね。シエルちゃんは私が転生者って、どうやって知ったの?」
「アシドさんから連絡をもらいました」
「いつの間に!? というか知り合いだったの!?」
「ヒロインの様子を見に、俺が店に行ったんだよ」
「あの時は、お互い探り合っていて…思い出すと、可笑しいですよね」
眉間に皺が寄るアシドとは対照的にクスクス笑うシエル。私の記憶が戻る前に、既に接触していた二人の行動力に感心してしまう。
そして、どうやらアシドは私がマナーレッスンを受けている期間に、シエルと連絡を取り合っていたようだ。
魔法とは便利なもので、手紙なんかも瞬時に目的の場所に送れるらしい。
「じゃあ、次は…シエルちゃんの前世の名前って聞いてもいいかな?」
「私は…恵真ちゃんの妹分でデビュー予定だった、笹野美穂です」
「美穂ちゃん!?」
コクリと頷くシエルに、今回一番の驚きの声を上げてしまった。
笹野美穂は、私が女優へ転身後に事務所のアイドル枠を埋めてもらう予定だった子。清楚系で控えめな笑顔が可愛い彼女は、私に憧れてアイドルを目指したそうだ。そんな美穂ちゃんのことが大好きで、私は本当の妹のように接した。可愛い妹のデビューを成功させるため、自分の経験で得た大切なことを私は彼女に叩きこんだ。努力家な美穂ちゃんは素直にアドバイスを聞き入れ、デビュー前から少しだがファンが付き、事務所からの期待の新人として注目を集めていた。
そんな美穂ちゃんが、何故転生しているのか理解できず私の脳内はパニック状態になる。
言葉にせずとも私の聞きたいことを察せた美穂ちゃんこと、シエルはゆっくりと話し始めてくれた。
「恵真ちゃんが死んでしまったあの日…私、近くにいたんです」
「え!?」
あの日、というのは過激な前世のファンに私が刺された時のことだろう。まさか美穂ちゃんまで襲われたのではないかと、背筋が冷たくなる。
シエルは遠くを見つめて、記憶をなぞるように語った。
「恵真ちゃんが刺された時、向かいの道に私はいました。恵真ちゃんが倒れた瞬間、身体が勝手に動いてしまって…道路に飛び出して、そのまま車に轢かれたんです…」
「ドジですよね」と笑うシエルに、胸が痛んだ。直接でないにしても美穂ちゃんの人生を終えさせてしまったのは、自分に責任があるのではないだろうか。あの時、自分がもっと気を付けていれば…遅すぎる後悔が襲ってくる。
無意識に固く握りしめていた拳を、そっと暖かなシエルの手が包んでくれた。
「恵真ちゃん…いえ、ソルト様。私はあの日の自分の行動に後悔なんかありません」
「美穂ちゃん…」
「だって、私は今ここにいます…シエル・パティエとして生きています。だから自分を責めないでください」
ふわりとしたその優しい微笑は、美穂ちゃんと重なった。
「ありがとう…そうだよね。姿が違っても美穂ちゃんは美穂ちゃんだよね」
「もう! 今はシエル・パティエですよ」
少し頬を膨らませ拗ねたように訴えるシエル。あざといとは思いつつも、中身が美穂ちゃんと知った今では可愛さが倍増して見える。どんな無理なお願いでも叶えてしまいそうだ。
「ごめん、ごめん。じゃあ、改めて…今世でもよろしくね、シエルちゃん」
「はい、ソルト様」
微笑み合うと遠い昔を思い出し、懐かしさから心が少し暖かくなった。
ふと、ここで小さな疑問が浮上する。
「記憶がある人は強い後悔がある、ってアシドが言っていたけど…シエルちゃんにもあるの?」
以前、アシドが言っていた記憶を持つ人に共通している特徴―強い後悔。
私はスイーツを食べるというもので、アシドは守りたい人を守れなかったこと。ならば、彼女の後悔とは何なのか…もし、私に何か手助けできるなら協力もしたいと思い問いかけた。
「私は…」
一度開いた口を閉じたが、シエルは言葉を選ぶように再び唇を動かす。
「私は…私が作ったお菓子を、大好きな人に食べてもらいたかったです…」
美穂ちゃんは私と違って手先が器用で、趣味はお菓子作りだと言っていた。過去に作ったお菓子を写真で見せてもらった時、プロに引けを取らないほどの完成度で、私の目は釘付けなったことを思い出す。
「でも、その人は必死にお菓子を我慢していたから…食べてほしいとは言えませんでした」
寂し気に目を伏せるシエル。彼女が前世で言っていた言葉が脳裏をよぎっていく。
どんな素晴らしいお菓子でも、食べてくれる人がいなければ意味がない。
きっとシエルは、その大好きな人に食べてもらいたいお菓子のレシピが沢山あったはずだ。でも、我慢している理由は分からないが、その人の邪魔をしたくなくて自分の願望を抑えたのだろう。健気な彼女にここまで想ってもらえる、その人がちょっとだけ羨ましくなった。
「だから…ソルト様には私が作ったお菓子を沢山食べてもらおうと思っています」
「ん?」
ここで何故、私の名前が出てくるのか分からない。だが、シエルの美味しいお菓子を食べる機会をみすみす逃すほど馬鹿ではないので、疑問を投げ捨て、彼女の意見を素直に受け入れた。
「ありがとう。楽しみにしているわ!」
嬉しそうに微笑むシエル。彼女の大好きな人の代わりになれるか分からないが、その人の分まで美味しくスイーツを食べられる自信だけはある。寧ろ、役得というものだ。
「それと…」
シエルはスス…と、私との距離を詰めてきた。肩が触れ合うほどの距離まで近寄ると、ニッコリと可愛らしい笑顔を向けられて、同性だというのにドキッと心臓が鳴ってしまう。
「誰よりもソルト様の隣にいることも、今世の私の目標です」
ギュッと私の腕に抱きつきながらアシドに目を向けるシエル。どこか挑発的な彼女の視線を、アシドはフンッと鼻で笑いながら受け取る。
「誰よりも、ねぇ…達成できるといいな。応援だけはしてやるよ」
「ありがとうございます。でも、そんな余裕があるでしょうか?」
「執事であり護衛も任されるほど優秀な俺だぞ。余裕しかねぇよ」
「そうですね。優秀な執事さんは主人との適切な距離も心得ていますもんね」
バチリっと何かが二人の間で散る。何となくだが、この空気を長引かせてはいけないような気がした。
「シエルは、攻略対象達にはもう接触したの?」
シエルも『Sweet Loves』をプレイしていたので、このゲームの内容については知っている。ちゃんとストーリーも進めていた彼女は攻略対象達の事も私よりは詳しいはずだ。
「攻略対象達には、全員お会いしました」
シエルはこれまでの経緯を話してくれた。
ゲームの設定通り、シエルは平民街の小さなお菓子屋に生まれた。物心つく頃には、前世の記憶が蘇り最初こそ戸惑ったが、ケーキなどのお菓子作りが存分に出来る環境が嬉しくて深くは考えないようにしたそうだ。
シエルの父とこの国の国王は古くからの知り合いのようで、公務に疲労した王はお忍びでよく店に遊びに来ていたという。その時に、息子であるパルフェも同行することもあった。貴族や平民といった階級など気にしない寛大な国王は、平民であるシエルとパルフェの交流を咎めることはなかった。寧ろシエルの父の方が、あたふたしたそうだ。
「パルフェには、よくお菓子の試作品を食べてもらっていました」
記憶があるとはいえ身体は違うので、お菓子作りの技術が衰えていないかパルフェで試していたそうだ。
メイン攻略対象をそんな風に扱うヒロインって斬新だなぁ、と脱線しかけた思考を慌てて戻す。
簡単なクッキーから始まった実験は見事成功。シエルは製菓技術に自信を持つようになり、記憶にあるスイーツをどんどん作っていった。国王も食し、幼い子供の腕前に驚いたそうだ。
王族のお墨付きのお菓子を、シエルの父は試しに店で販売してみることにした。すると彼女のお菓子は瞬く間に人気を博し、貴族の間でも噂になっていくのに時間はかからなかった。
噂が人を呼び、忙しくなることは必須というもの。多くなった来店者数の中に、攻略対象達が偶然居合わせたことはあるものの、慌ただしい店内では深く交流はできなかったそうだ。接客はしたが、あくまでも最低限の会話のみ。その一瞬でも彼女の中にある、ヒロインっぽい気持ちが動くことはなかったそうだ。
「カソナード様も先日、来店されましたよ」
「お兄様が?」
甘い物や流行物に興味がない、兄の来店理由が思い当たらず首を傾げる。
「ショーケースをしばらく見ていたので声をかけたら、ショートケーキをお求めでした」
「ショートケーキを…?」
どうして? と更に疑問を抱く。シエルはフフッと小さく笑う。
「可愛い妹が食べたがっているから、と言っていましたよ」
とても嬉しそうに告げられた兄の言葉は、抱いていた疑問を優しく紐解いた。
カソナードはきっと私のために、店に足を運んでくれたのだ。
マナーレッスンで必死に頑張る妹へ、差し入れとして持って来てくれようとしたのかもしれない。寡黙な兄らしい、行動での気遣いに笑みがこぼれる。そして令息でありながら従者に頼むではなく、彼自身が動いてくれたことが何よりも嬉しかった。
心に春の陽気のような暖かさが心に広がっていく。
「その日は、今日のために苺が無かったのでご用意が出来ず…申し訳なかったです」
「大丈夫! 今度はお兄様と一緒に行くわね」
二人であれこれ言いながら選ぶのはきっと楽しいだろう。マイペースな兄はどんなお菓子を選ぶのか、想像するだけで今からワクワクする。
ここでふと、方向音痴の兄が店に辿り着けたのは、乙女ゲーム効果というものだろうか? と、ぼんやり考える。
「俺が付き添いとして、連れて行ったのだが…方向音痴は厄介だ」
「…なんというか、色々とお疲れ様」
その時のことを思い出したのか疲労の色が濃くなった苦労人に、せめてもの労いを言葉で送った。
「それで…誰のルートに入るとかは、決めているの?」
核心を突く質問に、空気が張り詰めたような気がする。
ヒロインの選択によって、悪役令嬢としての運命を回避する糸口を見つけ出すことができる。ソルトという存在をこの世界から抹消させないためにも、現在の彼女の恋心が誰に向いているのか。知っておく必要が私には大いにある。
固唾を飲んで返事を待っている私に、シエルはパチパチと瞬きをした。
「私は誰のルートにも入りません。ソルト様が消滅してしまう可能性を、自ら作る必要はありませんよね?」
至極当然と言わんばかり返答をした天使に、愚かな質問をした自分を恥じた。
そうだ、この子は誰かを気遣う事ができる優しい子。だから、私はこの子のことが実の妹のように大好きなのだ。
「それに、正直に言いますと…お菓子作りに集中したいので、恋愛にはあまり興味がありません」
笑顔で安心材料を付け加えてくれるシエル。本心から言っていることは、とても伝わってくる。しかし、心とは移り変わりゆくものだ。
私はシエルの肩を掴むと、しっかりと向き合う。
「今はそうかもしれない…けど、もしこの先の未来で誰かに恋しても、私は絶対に怒ったりしないからね! シエルちゃんの気持ちを犠牲にしたら絶対ダメよ!」
仮にシエルが誰かのルートに入ったとしても、その時はその時で消滅への道を逃れられるよう全力で抗う。私の天寿全うのために、シエル自身の幸せを潰すことだけはしたくない。
シエルは少し目を見開いた後「ありがとうございます」と、微笑んでくれた。
「本当に大丈夫です…私には、彼らよりも大好きな人がいますので」
「他に?」
私が把握している攻略対象達以外に、ヒロインが興味を持ちそうな人物…該当する者がいるとすれば、それは―
「シークレットキャラ!?」
「それは無いです」
「それは無い」
間髪入れず同時に否定する、アシドとシエル。こうもきっぱりと言い切れるということは、シエルもシークレットキャラを知っているのだろうか?
名前だけでも聞いておくべきかと、悩んでいると両手が温かさで包まれた。
「ソルト様が人生を謳歌できるよう、私も全力で協力します!」
力強い瞳からは、彼女の決心が伝わってくる。心強い味方の誕生が嬉しくて、細い体を強く抱きしめる。
「ソルト様!?」
「ありがとう、シエルちゃん! とっても嬉しいわ!」
戸惑ったシエルだったが、私の喜びに応えてくれるように優しく抱きしめ返してくれた。
ヒロインが完全に味方になってくれたことに、消滅の道が大きく遠のいたことを悟る。気持ちが緩んだからなのか、お腹の虫がここにきて騒ぎ出した。
チラリと、隣に置いているショートケーキが入った箱に目を向ける。主人の思考に気が付いた執事は、ギロリと鋭い視線で制止を命じてきた。
「…どうしてもダメ?」
「一応、貴族令嬢なんだぞ。落ちたのを食うな」
「でもぉ…」
甘えるように語尾を伸ばし、潤んだ瞳で見上げる。子供の可愛さを利用した視線を受け、アシドは頭痛を和らげるように側頭部に指を押し当てた。
「はぁ…シエルからも言ってくれ」
「形は目茶苦茶ですが、それでも宜しければ…」
「いいの!?」
「…俺の常識がおかしいのか?」
腹の虫に慈悲を与えるように、シエルは箱のショートケーキを食べる許可をくれた。
そうと決まれば、ショートケーキを無駄にするわけにいかない。だが二人以外が見ていないとはいえ、さすがに素手で食べるのは気が引ける。どうしたものか…
「そうよ…スプーン! スプーンでなら食べられるわ!」
「食べるなら真ん中くらいが、よさそうですよ」
「おい…本当に食うのか?」
最後の忠告とばかりに、アシドが顔を歪ませる。
「もちろんよ! こんな美味しそうなスイーツを捨てるなんて…私のスイーツ道が許さないわ!」
「どんな道だよ…一口だけだぞ」
アシドが呆れながらも、許可を出してくれた。これで気兼ねなく食べられる。粘り勝ちだ!
気遣いが完璧な彼が添えてくれていたプリン用のスプーンで、箱の中にあるショートケーキをすくった。形こそ歪かもしれないが、食欲を掻き立てる甘さが鼻孔をくすぐる。匂いを十分に堪能し、次は舌で楽しむため、ゆっくりと口内にショートケーキを運んだ。
フワフワのスポンジ。なめらかで甘くとろける生クリーム。そして、それらを存分に楽しめるように、ほのかな酸味を与えてくれる香り高い苺。
じっくりと味わった後、ゆっくりと余韻を楽しむように飲み込む。
「美味しい! お茶会に並ばなかったのが不思議だわ!」
興奮気味に感想を伝える私。けれど、幸せな気持ちにしてくれたパティシエは苦笑を浮かべている。
「本当はお茶会にも出すはずだったのですが、王宮のパティシエが許してくれませんでした」
「えぇ!?」
シエルはお父さんとこのお茶会に招待してくれたパルフェのため、大きな苺のホールケーキを用意したそうだ。
店内の商品の中でパルフェは苺のお菓子を好んで食べていたので、大きな苺のホールケーキを持っていくと約束した。その時のパルフェの喜色に染まった顔は、とても可愛かったらしい。
苺と生クリームたっぷりのホールケーキは、可愛い友人の一大イベントに花を添えるために美しく飾り付けようと設計図まで作った。そして、私がお茶会に参加することをアシドから聞いていたので、シエルはいつもより気合が入ってスイーツ作りに取り掛かったのだ。
二人の笑顔を想像しながらのお菓子作りは、シエルにとってすごく幸せな時間だったそうだ。
苺のホールケーキを作り上げたシエルは、今日のお茶会を心待ちにしていた。
しかし、いざ持ってくると、王宮専属のパティシエ達が『平民街のものと自分たちの菓子を並べてほしくない』と言ったそうだ。
おのれ王宮パティシエ…私の楽しみをそんなくだらない理由で奪うなんて…!
静かな怒りが沸き、拳を胸元で握りしめた。
門前払いされたシエル達だったが、招待自体はされているのでお茶会への参加は許可された。だが、当然ながら彼女は納得いかない。王宮パティエに怒りはもちろん沸いたが、何よりパルフェの悲しむ顔だけは避けたかった。彼に一口だけでも食べてほしい気持ちが勝り、シエルは目立たないように大きなホールケーキを切り分け、ショートケーキとして箱に詰め、持ち込んだそうだ。もちろん、お父さんには内緒で。
なんという行動力のある女の子なのだろう。前世では大人しかった彼女を知っている私としてはヒロインのイメージが一気に変わった。
「それに…少しでも早く、ソルト様に会いたくて」
少し照れながら告げてくれたもう一つの原動力に、私はキュンっときた。
見た目も可愛くて健気なヒロイン。攻略対象よりも私の恋心を揺さ振られてしまう。
「シエル!」
私が悶絶していると、焦ったような声と足音が駆け寄って来た。
純白の雪のようにふわりとした髪に、深紅の瞳。この国の第二王子であり、メイン攻略対象であるパルフェ・テイストだ。
「パルフェ!? どうしてこんな所に…」
「平民の娘が令嬢に連れていかれたと聞いて…気になってね」
チラリ、とパルフェは私に目を向ける。明らかに警戒しているパルフェに、どう言葉をかければいいのか悩む。ここで間違った一言を放つと、パルフェから悪役令嬢のレッテルを貼られてしまう。
言葉に詰まっていると、すかさずシエルが間に飛び入ってくれた。
「心配してくれてありがとう。でも、ソルト様は私を助けてくれたの」
「そうなのかい?」
「えぇ。そればかりか、私が作ったケーキを食べてくれたのよ」
パルフェは目を真ん丸に見開いた。令嬢が平民の娘が作ったお菓子を食べるなど、彼の中ではあり得ないのだろう。しかし、幼馴染の少女が嘘をつくとは思えない。シエルの言葉を信じた証拠に、パルフェの瞳から警戒心が薄れた。
「初めまして。ドルチェット公爵が娘、ソルトでございます。こちらは執事であり護衛のアシド・トリートです」
今が最適だと察したので、カーテシーをしつつアシドを含めた自己紹介をする。恭しく一礼と共に執事モードのスイッチが入ったアシドは頼もしさしかない。
「フレーバー王国第二王子、パルフェ・テイストです。先ほどは失礼しました」
どうやら、第一声は成功したようだ。完全に警戒が解けたパルフェにホッと胸を撫で下ろす。
「いえ、シエルちゃんを心配しての対応ですもの。それよりも、殿下が一人でここにいては皆が心配してしまいますわ」
王族であり、本日の主役が会場から離れた場所にいては、またあの侯爵令嬢達のような者が騒ぐだろう。至極当然の指摘にパルフェは苦笑を浮かべている。
「いや、僕が会場にいたら…皆、気味悪がってしまいますから」
パルフェは物悲しそうに微笑むと、顔を見えなくするように俯く。首を傾げる私に、シエルが小声で理由を教えてくれる。
「パルフェは自分の容姿にコンプレックスが強いのです」
その言葉で、ゲームに関する新たな知識が呼び起こされた。
老人のような白髪に血のような瞳を持つ、異端の子。それが、パルフェの王宮内での扱いだった。
パルフェの魔法属性は『全』だったと記憶している。『全』は精霊に愛された者の証とも言われる魔法属性であり、適性者は生まれながらに魔力が高い。浮世離れした容姿と大人顔負けの高い魔力を持つ子供へ向けられるのは、恐れと嫉妬。それらの感情が混ざり合った言葉達というのは鋭く尖り、パルフェの自尊心というものを削っていく。
令嬢たちがパルフェの婚約者に必死なっているのも、彼を愛してではなく王族の持つ権力欲しさ故なのだろう。
私は改めてパルフェの容姿に意識を向けた。私の不躾な視線から逃げるように、パルフェの真っ赤な瞳が忙しなく動き回る。
「…パルフェ様ってショートケーキみたいですね」
「え…?」
脳が言葉の意味を理解できていないような、どこか間抜けな彼の表情は少し面白い。不思議そうな目に私は笑顔で答えた。
「白いフワフワとした髪は生クリーム、赤い瞳は瑞々しい苺のようです」
思ったことを、そのまま飾らない言葉を紡ぐ。きっとその方が気持ちというものは誤解なく届くから。
「ショートケーキは皆に愛されるスイーツです」
だから、もっと自分に自信を持って欲しい。言葉にはしなかったが、気持ちが伝わるように力強く言い切る。するとパルフェは、絞り出したような弱弱しい声を出す。
「僕が…ショートケーキみたい…?」
「えぇ。ショートケーキってご存じですか? ここに現物が…」
パルフェの視線が箱の中にあるショートケーキに向けられた。そこで思い出した。私の手元にあるショートケーキの惨状に…
サァァと血の気が引いていく。よりにもよって、歪な形の物をコンプレックスが強い子に例えてしまうなんて…!
「あ、あの! ショートケーキはショートケーキなのですけど、こういったのではなくてですね!」
あたふたしながら全力でフォローする。更なる援軍要請のため、口達者な執事と慈愛溢れる幼馴染に目を向けるが、アシドは小さく息を吐き、シエルはクスクスと笑っているだけで助け船を出してくれる気配はない。
パルフェの瞳が静かにショートケーキに突き刺さっている。
どうしよう…これが原因で悪役令嬢認定されて、消滅ルートが稼働してしまったら…!
何より、シエルの大切な幼馴染を傷つけてしまったのが申し訳ない。自分のデリカシーの無さを悔やみながら、パルフェの反応をうかがう。
「そうか…僕はショートケーキのようなのか…」
ゆっくりと言葉を咀嚼するように呟くと、パルフェの顔が照れたように綻ぶ。予想もしていなかった反応に、私は驚いた。だが、その表情があまりに穏やかだったので、先ほどの無礼な発言で気分は害していないことだけは理解できた。悪役令嬢認定は回避もできたみたいで、よかった。
ふぅ…と心の中で安堵の息をこぼす。
その瞬間、獣の咆哮が空気を揺るがした。全員が音の発生源に意識を向ける。
「今のは…?」
「会場の方から聞こえましたが…」
「行ってみよう!」
パルフェが真っ先に会場に向かって走り出した。
胸が嫌にざわつく。嫌なものが全身を這うような感覚を振り払うように、駆け出した。
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