第六話
眩い光によって反射的に閉じた瞳をゆっくりと開けると、そこには教会とは違う空間が広がっていた。
石造の太い柱が何本も立ち並ぶ、広くはあるがシンプルな部屋。唯一の飾りは目の前にある、大人一人分くらいの大きさの真っ白な女神像。
ここが、転移の間。家で学んだ王宮の歴史に書かれていた特徴と一致していた。
柔らかく微笑んでいる女神像の左右には一人ずつ、ゴツイ生身の男がいた。鎧を身にまとい、腰に剣を携えている彼らは恐らく王宮の警備兵だろう。
「ドルチェット公爵に仕えております、アシド・トリートでございます。本日は、ドルチェット公爵の長女ソルト様の護衛の任を承っております」
彼らの鋭い眼光に私が固まっていると、アシドが一歩前に出て警備兵に軽く頭を下げ招待状を渡した。
王家の印が押された招待状を確認すると、警備兵の空気が少し緩んだように感じ、私もホッと胸を撫で下ろす。さすが王宮の警備を任されているだけあって、眼力がすごい。
警備兵は「こちらです」と案内をしてくれた。
アシドに続くように足を進める。当たり前だがドルチェット家よりも広く、歴史とかがありそうな物が沢山並んでいる廊下。物珍しさにキョロキョロと視線を彷徨わせてしまう。
「はしたないですよ、お嬢様」
「ごめんなさい…」
笑いながら軽く注意するアシドに、反射的に謝罪し背筋を伸ばした。微笑ましい会話に聞こえたのだろう、警備兵は軽く笑っている。でも、私だけは知っている…アシドの目が笑っていないことに!
細めた目の奥に、小さな怒りの炎が見えた。その炎が爆発した瞬間を想像すると、身震いしてしまう。
大人しくしていよう…前世からの教訓を活かす私って偉い。
自画自賛をしていると、いつの間にか目的地の会場に到着したようだ。警備兵の足が止まり、扉がゆっくりと開かれた。
目の前に広がるのは開放感たっぷりの大きな庭。王宮庭園というやつだ。
整えられた緑の中で綺麗な花々が咲き誇り、庭師達が丁寧に仕事していることがよく分かる。見惚れてしまうほど美しい庭園の中で行われているお茶会は立食形式のようで、すでに大勢の貴族たちが微笑みながら雑談と食事を楽しんでいるようだ。
なんか嫌な空気だなぁ…
演技を勉強していた影響なのか、この場にいる貴族たちの表情が嘘っぽく感じる。アシドから貴族社会の面倒なことを事前に教えてもらっているから余計にそう見えるのかもしれない。今からこの中に飛び込んで行くのかと思うと、気が重い。うげぇ…とこぼれてしまいそうな声は頑張って喉に押し込んだ。
「それでは…私はこれで失礼いたします」
「あ! ありがとうございました」
反射的にお礼を告げると、警備兵は驚いたように目を丸くしていた。
しまった! 貴族ってこういう事にお礼って言わないんだっけ!?
またもや、マナー違反というか貴族らしからぬ行動をとってしまった事に冷や汗をかく。
恐る恐る、警備兵を見ると照れくさそうに微笑む顔があった。不快な思いをさせていないことにホッと胸を撫で下ろす。警備兵は軽く頭を下げるとそのまま扉を閉め持ち場に戻っていってしまった。
バタンと少し大きめの音に、会場の視線が自然と私とアシドに集まる。
「おや…どこの家のお嬢さんだ?」
「あれは、アシド・トリートでは?」
「じゃあ、あのお嬢さんはドルチェット家の…」
「まぁ! 髪を切ったという噂は本当だったのね。でも、独特な前髪ね」
聞こえていますよ、と伝えたくなる。ひそひそと言うには少し大きな話し声なので、嫌でも内容が理解できてしまう。好奇な目を向けられるのも、居心地が悪い。どうしたものかと考えるが、何も思い浮かばなかった。
せめて知り合いでもいればなぁ…と会場内に視線を彷徨わせる。ふと、視界に入ったある一角のテーブルに私の目はくぎ付けになった。
「アシド! スイーツよ! 沢山のスイーツがあるわ!」
「お嬢様、落ち着いて下さい」
興奮気味光り輝くスイーツコーナーの存在をアシドに訴えた。アシドの小言など耳に入らないほど、私は視線の先の甘い空間に夢中だ。
テーブルに並べられた様々なスイーツ達。クッキーやフィナンシェといった焼き菓子はもちろん、プリンやチョコレートなどといった他のお菓子も用意されている。
マナーレッスンのせいで、スイーツに飢えていた私のお腹がもう限界だといわんばかりに鳴った。幸いにも小さな音だったので、アシドにしか聞こえてはいないようだ。
私のお腹から響く欲望の音に、アシドは小さく笑って背中を軽く押してくれた。
それを合図に私は駆け寄りたい気持ちをグッと堪えて、優雅に貴族令嬢らしくゆったりとスイーツが並ぶテーブルに向かう。
テーブルの前に着くと、甘くとろけるような香りが憂鬱だった気持ちを癒してくれる。
香りを十分に堪能した後、私は今回の最大の目的であるスイーツを探した。私のお目当てのスイーツはなめらかそうなプリンでも、香ばしく食欲をそそるクッキーでもない。
純白の生クリームで雲のようなスポンジを包み、真っ赤な苺で彩りを添える魅惑的なスイーツ…ショートケーキなのだ。
前髪パッツンの発端でもある、ショートケーキに心が躍る。期待を込めて瞳を輝かせなあら探した。だが…
「私のショートケーキが…ない!!」
絶望的な現実に膝から崩れ落ちた。
「お嬢様のではないですよ」
「アシドの嘘つき! ショートケーキが無いじゃない!!」
「誰もお茶会のお菓子がショートケーキだ、なんて一言も言っておりませんよ」
『特に私は』と添えるアシドに、確かにと頷くしかできない。
「でも、お兄様はくるって…」
「カソナード様が嘘をついたわけではありませんよ。ただそのお菓子屋が、この場に出しているスイーツがショートケーキで無いのかもしれません」
ショートケーキを作っている店がくると教えてくれたのは、カソナードだ。だが、兄はその店がお茶会に出すスイーツの種類までは把握できていなかった。しかも、ショートケーキは平民街で有名な菓子屋が作っているそうだから、貴族たちのお茶会には下手したら出てこない可能性だってある。
「でもでも! ケーキで有名なお店なんでしょ?」
近くにある他のテーブルも確認するが、置かれているスイーツの中にケーキの類は無い。身分の高い者たちが集まるこの場を有効活用しようとしない商人はいない。ショートケーキでないにしても、自身の店を宣伝するためには自慢の商品を持ってくるのが当たり前ではないのだろうか。
アシドは親指でブリッジを上げると、ふむと周りを見渡す。前世でマネージャーだったアシドは、こういった広告的な戦略には長けている。
「…これは、そのお菓子屋自体来ているのかも疑わしいですね」
「そんなぁ!」
ショートケーキのために攻略対象に関わるリスクを負い、辛いマナーレッスンにも耐えてきたというのに…
がっくりと落ち込む私に、アシドは苦笑を浮かべた。
「ほら、お嬢様。クッキーなどもありますから、元気を出してください」
スッと差し出してくれたお皿。今日までの頑張りを見ていてくれたアシドの優しさに、私の心は少し絶望から浮上した。
そうよね、いつまでも落ち込んでいてもしょうがない!
アシドからお皿を受け取ると、魅惑的なスイーツに狙いを定める。
「よぉーし! ショートケーキの分までいっぱい食べるわよ!」
ムンッ! と気合を入れる私にアシドの眉がピクリと動いた。
先程渡してくれたお皿を、ヒョイと私から奪うとニコリと笑顔を向ける。
「私がお取りしますね」
「え、自分で取れる…というか、取りたい」
「私が、き・れ・いにお取りしますね」
黒いモノを背負ったアシドの圧のある笑み。強調された部分でアシドが何を言いたいか理解した。
きっと今の私のテンションだと、スイーツを山盛りでお皿に乗せる未来が瞬時に想像できたのだろう。それは公爵令嬢として、いや女子としてあまりに恥ずかしい行為だ。私自身も「そんなことしない!」とは断言できない。美味しそうなスイーツを目の前にして、欲望を抑えられる自信が皆無だ。
「じゃあ、お願いするわ…でも、なるべく隙間なく色んな種類でお願い!」
「承知いたしました」
テーブルに用意されていた取り分け用のトングで、アシドが丁寧にクッキーをお皿に置いていく。その隣で私はお皿が幸せで埋まられていくのを、よだれを抑えながら監視していた。
「あ、そこの隙間にまだ入るわ! あの小さいの入れて!」
「これ以上は無理です」
「無理と思ってからが、本番なのよ!」
「また後で取りに来ればよろしいではないですか」
「もし無くなったらどうするの!? こんな美味しそうなの、皆食べたいに決まっているわ!」
「決まっておりません」
ギャーギャーと騒ぐ私にアシドが冷静に返答する。私の食い意地のはった意見は、九割が却下されてしまった。とはいえ、お皿の中には様々な焼き菓子がバランスよく盛り付けられていく。香ばしい焼き目ばかりでなく、小さな器に入ったプリンもきちんと取ってくれているアシドは優秀だと思う。
些か隙間があるのが気になるが、お皿にあるお菓子をこれから食べられると思うと心が躍る。スキップでもしてしまいそうなほど、夢見心地な私の意識を現実に引き戻すような声が耳に届いた。
「あなたのような方、相応しくなくってよ!」
アシドが静かにトングを置くと同時に、甲高い怒声が響き渡る。何事かと反射的に声の方に振り返ってしまった。
目に飛び込んできたのは、手を押さえながら顔を俯かせる女の子と、その子を鋭く睨みつけている派手な女の子とその取り巻きらしき者が数名。そして、二人の間に転がる白い箱から飛び出してしまったのであろう苺と白い物体。
あれはもしかして…!
とある可能性を推測した私の脳は、二人の間に飛び込むことを瞬時に命令した。
「何をしているの!」
私の声に二人の肩が跳ねるが、関係ない。私は最も重要な地面に転がっている箱の中身を確認した。
「やっぱり…ショートケーキだったのね!」
会場になくて絶望していたスイーツ。念願のショートケーキ! と喜んだが、拾い上げた箱の中でぐちゃぐちゃになってしまっている。原型を留めていないショートケーキではあるが、箱の中に残っている部分だったら一口くらいならいけるのでは? と思案する。
あまりに意地汚い行為…でも、ここでショートケーキを逃すと次はいつ食べられる機会がくるか分からないし…
「ショートケーキをご存じなのですか…?」
理性と欲望の狭間で揺れている私に、とても可愛らしい声が恐る恐るかかる。顔を向けると、そこには声に負けないくらいに可愛い女の子がいた。
フワフワとした顎のラインまである桜色の髪に、瑞々しい葉のような澄んだ瞳。子供らしくふっくらとした頬が、彼女の可愛らしさを一層引き立てている。だが、服装や装飾は質素で地味な感じでこの場では少し浮いているように感じる。
この子…どこかで…
記憶のどこかで見たことがある顔だが、思い出せない。
必死に思い出そうとしている私の顔が怖かったのか、緊張したような面持ちで女の子は胸元でギュッと両手を握っている。その手の甲が赤くなっている事に気がついた。
「あなた、その手どうしたの!?」
「あ…これは…」
「誰かと思えば…ソルト様ではありませんか」
名前を呼ばれて、すっかり忘れていた女の子集団と向き合った。
全員、ピンクや黄色といった明るい色を中心としたドレスを身にまとっている私と同じくらいの年齢の子達ばかり。少々派手気味の化粧をしていて、本来の年齢が持つ若々しさが活かされていないように感じた。そして、キラキラと美しく輝くアクセサリーたちの影響で目が少し痛い。
煌びやかさと流行を取り入れた装いなのだろうが、正直似たり寄ったりな気がする。
そんな集団の中で私の名前を呼んだのは、それはそれはフリルをふんだんにあしらった桃色のドレスを身にまとう令嬢だった。いかにも自信たっぷりな物言いからして、おそらくこの中ではそれなりの爵位を持つ令嬢なのだろうが…私の記憶にこの顔はなかった。
誰だっけ? と必死にソルトの記憶の引き出しを漁るが一向に出てこない。
「侯爵家の令嬢です」
いつの間にか隣に来ていたアシドがそっと囁いてくれた。そのヒントのおかげで、ぼやぁ~と輪郭だけが浮かび上がる。けど、やっぱり名前は出てこなかった。
普段から社交界に顔を出さないソルトに友人なんていたのだろうか…と疑問に思っていると会話が進んでいく。
「ごきげんよう。珍しいですわね、ソルト様がこのような場にいらっしゃるなんて」
「えぇ、とても素晴らしいスイーツ日和だったもので」
「は? スイーツ?」
「あ…」
本心がポロリとこぼれてしまった。恐々と視線だけをアシドに向けると、彼は静かに様子を見ているという感じだ。いつもなら、ここでため息の一つでもこぼすのに…珍しいこともあるものだ。
無反応な方が逆に怖いかもしれない…と内心ビクビクしている私は話題を変えることにした。だが、初対面に近い人物にどのような話題をぶつけていいものか分からない。ましてや、相手は貴族令嬢。前世で一般市民だった私に煌びやかな知識など無い。まぁ、スイーツの話ならできるけど…寧ろしたいぐらいだ。
うーん…と悩んでいる私を、侯爵令嬢は上から下まで観察すると真っ赤な唇を開く。
「随分と雰囲気を変えられたのね…どういうおつもり?」
「へ?」
言っている意味が分からず、キョトンとしている私に侯爵令嬢は苛立ったように顔を歪めた。
「ソルト様も、殿下と幼馴染だと言うその平民の娘も…そんなに殿下の気を引きたいのかしら? 随分と必死ですわね」
その言葉で、大体の事情が理解できた。
殿下の婚約者に選ばれるということは、未来の王妃になるということ。それは、貴族にとって名誉なことで誰もが羨望していることだ。だから、家柄的に第一候補の公爵家である私を敵視しているのだろう。場慣れしていないソルトならば、勝てると思いこんでいるのが伝わってくる。
殿下の幼馴染という平民のこの子には、貴族令嬢という立場を利用して圧力をかけたようだ。平民なんて眼中に無いかもしれない。けれどこの幼馴染という子は、容姿がとても可愛らしいから標的になってしまったみたいだ。
面倒くさい事になってきた。私はただショートケーキを助けたかっただけなのに…とりあえず、ここは私の正直な気持ちだけでも伝えておこう。
「私は別に殿下の婚約者に興味は…」
「無い、なんて…言いませんわよね?」
言葉を切ってまで自分の考えを押し付けてくる侯爵令嬢に頬が引きつる。
『必死なのは貴方のほうじゃない!』という正論は心にとどめておこう。こういう人は、自分の考えが否定されるのを嫌がるし後々もっと面倒なことになる。これも前世の人生経験から学んだことだ。
「あんなに固執していた前髪を切ってまで参加されているのですもの。何か理由があるのでしょ?」
「えっと、それは…」
スイーツが食べたかったんです! なんて正直に言ったら、絶対アシドから大目玉を食らう。今後のティータイムのスイーツに関わってくる可能性が高いから、それだけは避けなければならない。
なんとか上手い言い訳はないかと、必死に頭を回転させている私。そんな様子を、図星をつかれて私が言葉に詰まっていると勘違いしたのだろう。侯爵令嬢は勝ち誇ったように鼻で笑う。
子供らしからぬ小馬鹿にしたような笑みに、私はカチンッときてしまった。が、ここで感情むき出しに怒ってしまっては相手の思う壺だ。怒りを抑えつつ、得意の営業スマイルで乗り切ろう。そう決心した矢先、侯爵令嬢が追撃とばかりに言葉をぶつけてきた。
「それにしても、そんな流行遅れなドレスを着ているなんて…ソルト様はとても歴史を重んじる人ですのね」
クスクスと小さな笑いが聞こえてきた。
これは、あれだ。歴史を重んじる、というのは“古臭い”と言われているということだ。つまり…面と向かって喧嘩を売られている、と受け取っていいのだろう。
お母様が厳選したドレスは派手さこそは無いが、ドルチェット家の瞳と同じ青色をベースにした少し大人っぽいデザインのシンプルなものだ。ドレスが控えめな分、髪飾りを華やかにしたのでバランスが取れて丁度いい。ハーフアップにされた黒髪で銀色の花が職人の技と共に光り輝く。
トータルコーディネートを見た時、私はお母様のセンスの良さを実感した。自身の好みや流行を無理矢理押し付けるのでなく、娘の魅力を存分に発揮できる装飾を厳選している。
鋭い目元が原因か、それとも実年齢より年上の前世の記憶があるせいか、同年代の子供より大人っぽい雰囲気がある私。それを考慮してくれた自慢のコーディネートを、馬鹿にしてきたのだ。
その行為は、お母様の思いやセンスまでも見下しているということ。
私単体ではなく、目の前にいない家族をあざ笑うこの令嬢を許すことはできなかった。
フッと笑みを浮かべると、相手を真っ直ぐに見据えた。お父様譲りの鋭い瞳で、敵をしっかりと捉える。
空気が変わったことを肌で感じたのか、相手が一瞬怯えたのを私は見逃さなかった。
「私、オンリーワンを目指しておりますの。流行りだからといって、そんな量産型の装飾で殿下にお会いするなんてできませんわ」
「なっ!? 量産型ですって…!」
「あら? 私、何か間違ったことを言いまして?」
怒りを露わにする令嬢に、私はフンッと鼻で笑ってやった。前世で散々アンチに攻撃されてきた私にとって、令嬢の嫌味などくらい可愛いものだ。
記憶が戻る前のソルトを知っているのなら、今の私の態度はありえないのだろう。一歩も引かない私に、相手の取り巻き達がオロオロと慌てだす。
「先ほど、このドレスを馬鹿にしましたが…この色は我がドルチェット家を象徴するもの。それを馬鹿にするということは、どういう事かお分かり?」
スッ…と目を細めると、令嬢の肩が大袈裟なくらいに跳ねた。指摘され、やっと自分の失礼な態度に焦りを感じているようだ。
先程までの勢いはどこへやら…顔を青くしたり、目が泳ぎまくっている令嬢たち。滑稽なほどに様子が変わるのを見ていると、怒りが徐々に冷めていく。
小さく息を吐き、私は彼女たちに温情をかけることにした。
「今回はスイーツに免じて聞かなかったことにします。けれど、次は…お分かりですね?」
「は、はい! 失礼致します!」
深々と頭を下げて、取り巻き達と足早に去っていく侯爵令嬢を冷めた瞳で見送る。
これで爵位の階級がわからない年齢でもないであろう侯爵令嬢たちが、こちらに絡んでくることは無くなったはず。ということは、思いっきりスイーツを楽しめる準備ができたということだ。
アシドが先ほどお皿に取り分けてくれたスイーツ達を思い出すと、ムフフと笑みがこぼれる。ふと、手元にあるショートケーキだったものを見つめた。
ジー…と箱の中身を見ている私にアシドは小さく咳ばらいをする。
「言っておきますけど、そちらは食べられませんよ」
ギクリッと言わんばかりに私の体が跳ねた。
「べ、別に食べようとしてたわけじゃ…」
「ほぅ…では、その箱をこちらに渡してください」
差し出してきたアシドの手から逃げるように、箱を背中に隠す。アシドの瞳が細められた。
「あ、あの…そう! 食べ物は無駄にしてはいけないと思うの! それに箱の中身の部分なら大丈夫かもしれないし…」
「やはり食べる気だったのですね」
「うっ…だって、ショートケーキなのよ!?」
眉間にしわを寄せるアシドは瞳で『渡せ』と圧をかけてくる。けれど、私は箱を渡さなかった。形が崩れているとはいえ、待ち望んでいたショートケーキ。せめて、一口だけでも無事な部分を食したいのだ。そんな私の必死の訴えなど関係ないとばかりに、アシドがじりじりと距離を詰めてくる。
「あ、あの!」
半泣き状態でアシドに抗っている私に、女の子の震える声が届いた。先ほど、因縁をつけられていた殿下の幼馴染の子だ。女の子は小さな唇を震わせ、意を決したように問いかけてくる。
「ソルト…ドルチェット様でお間違いないですか?」
「そうだけど…あ! あなた、手は大丈夫?」
名を呼ばれたので、肯定する。と、同時に彼女の手が赤くなっていたことを思い出し、そっと手に触れた。
赤くはなっているが、腫れていないようだ。よかったと安堵の笑みを浮かべると、女の子の大きな新緑の瞳から涙がポロポロとこぼれだした。
「え!? もしかして、痛かった!?」
慌てて手を放す。女の子は首を横に振るが、涙は止まる気配が無いようだ。
なぜ、この子が泣いているのか…はっ! と私は自分の持っている箱を差し出した。
「ごめんなさい! これはあなたのショートケーキよね!」
スイーツに目がくらんで忘れていたが、この箱は元々この子の物だ。あの侯爵令嬢によって叩き落された後、私がずっと奪ってしまっていた。しかも、持ち主の許可なく食べようと目論んでいたなんて…盗賊のような自分の行動を少しだけ恥じた。
これで万事解決と思っていたが、女の子は箱を受け取ろうとしない。それどころか、涙の量が増えてしまった。
何故!?
唖然となりながらも私は他に考えられそうな、涙の原因を探すが皆目見当つかない。原因が分からないので、どう対応したらいいのかも分からず固まってしまう。
黙り込むキツイ顔の公爵令嬢と涙を流す可愛い女の子。
これは…あまりよろしくない構造が出来上がっているのではないだろうか?
不吉な予感は的中したかのように、ひそひそと第三者達の囁きが聞こえてきた。
「あのご令嬢が泣かせたのかしら?」
「まぁ、酷い! なんて野蛮な子なの」
やっぱり、悪役令嬢に見えちゃっていますか!?
ガーン! とショックを受けている私。徐々に人目も集まってきてしまっていることに、アシドは小さく舌打ちをすると私の手を掴んできた。
「アシド?」
「あちらでお話を伺いましょう。君もそれでよろしいですね?」
コクリと女の子は頷くと、涙を拭いながら後ろについてくる。
アシドのことだから何か考えがあるのだろうが、私にはそれが一切分からない。
不安で足が止まりそうになったけど、アシドを信じる気持ちを動力にして前に進めた。
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