第五話
『前髪パッツン事件』から時間が慌ただしく過ぎていった。
私の前髪を見たお母様は、驚いたがすぐに「まぁ、可愛らしい!」と瞳を輝かせたのだ。
使用人に前髪を整えさせようとしたお父様を止めて、私はこのままパッツン前髪でお茶会に参加することになった。まさかの展開だ。
その後に待っていたお茶会の準備が、それはもう大変だった。
お母様は私のドレスを新調するべきだと、お父様に提案した。社交の場にあまり出席しなかった私は、王宮のお茶会に相応しいドレスを所持していないらしい。そういうことなら、とお父様はすぐに許可してくれた。その瞬間、お母様の瞳がキラリと輝いたのを私は見逃さなかった。
嫌な予感がしたので、そろり、とその場を逃げようとした。だが、ガシリッと腕を掴まれ「明日はお買い物よ!」と鼻息荒いお母様に、頬を引きつらせながら頷く。
翌日、朝食を終えたお母様と私は早々に街に行く準備を始めた。準備が完了した私をお母様は逃がさないよう、詰め込むように馬車へ乗せた。護衛として、アシドも慌てて同行してくれた。
最初に向かったのは、お母様御用達のお店。そこでは、ドレスを仕立ててもらった。ドレスが決まれば別のお店に移動し、靴選び。さらに他店で、アクセサリーと髪飾りの厳選。最後は化粧品まで手を出そうとしたので、それは止めた。十歳の子供に過度な化粧は不要なので、当日お母様のリップだけを借りることとなった。
ほぼ一日、私は着せ替え人形状態だった。アシドも護衛というよりも、荷物持ちの仕事の方が主になるくらい、大量の荷物を持ってくれた。ドレスの仕立てというものは、想像よりも体力が必要な作業で疲労が積もっていった。だが、何より大変だったのが、お母様のテンションだ。
私が髪を切ったことがよほど嬉しかったのか、はたまた殿下の婚約者探しに気合を入れているのか、お母様のテンションの高さは凄まじかった。興奮気味にコーディネートを考えてくれている。その表情がとても嬉しそうで、無下にはできなった。
ドレスが決まれば、次はマナーをみっちりと学んだ。見た目からしてベテラン感と厳格な風格がある教師から、たっぷりと小言を受けながら作法を叩きこまれていった。幸いにも基本的なマナーは体に沁み込んでいたようだったので、なんとかお茶会までには間に合った。
十歳の子供にとって、かなりハードなスケジュール。毎日が本当にクタクタになっていた。
そして、時は流れお茶会当日。
「あぁ…なんていい天気なのかしら」
馬車に揺られながら、うふふと微笑む。馬車についている小窓を開けると、心地よい風が頬を撫でる。気分はまるで前世の世界で有名な夢の国のプリンセスのようだ。
我が領地は、優秀なお父様のおかげで本日も平和である。賑やかな街並みの中で、何かスイーツが無いか探してしまう。
「こんな日はスイーツを食べて、のんびりするのが一番よね」
「王宮に着いたら、たっぷりとスイーツを食べられるぞ。よかったな」
現実逃避をする私。その向かいに座っているアシドが、現実を突きつける一言を容赦なく放つ。
ズーンと重い空気が一気に肩にのしかかった。
「はぁ…行きたくない…」
重々しい息と共にこぼれた本音。ちなみにお茶会に参加するのは私とアシド。そして、この場にはいないがお父様だ。陛下に挨拶があるからと、先に王宮に向かってしまった。
双子の兄であるカソナードも同行しようとしたが、今回は招待を受けていないのでお父様に却下された。あの時のショックを受けたカソナードの顔を見て、私は変わってほしいと心から願った。
私がこんなにも王宮に行きたくないのには、ちゃんと理由がある。
今世こそ天寿を全うしたい私にとって、本来のソルトが辿るシナリオを回避することが絶対条件だ。
前世の記憶が戻ったと言っても、肉体がソルトであることに変わりはない。つまり、何がきっかけで、悪役令嬢兼ラスボスとしての未来が待っているゲーム本来のシナリオが始まるか分かったものではない。
平穏なスイーツライフのためには、攻略対象達となるべく接点を持たない方がいいと思っていたのに…
「まさか、パルフェの婚約者選びに参加することになるなんて…」
「王宮で開かれるお茶会だぞ。殿下の婚約者探しくらい予想できるだろう」
「お茶会ってとこしか耳に入ってなかったのよぉ」
「自分の都合のいいとこしか聞かないの、変わってねぇな」
私の嘆きを蹴飛ばすかのような、アシドの特大ため息。いつもなら言い返すが、今の私にその体力も気力もなかった。
慌ただしいお茶会の準備のせいで、私はこの数日スイーツ付のティータイムを味わえていない。紅茶は水分補給も兼ねて飲んでいたが、肝心のスイーツは食べる余裕がなかった。
攻略対象との接触だけでも憂鬱なのに…スイーツ不足から、ストレスまでも溜まっていく。
今の私の口からこぼれるのは、重いため息と愚痴ばかりだ。
「別に攻略対象と接しても、お前なら大丈夫だろ」
「甘い…甘いわ、アシド! 女の子の気持ちは海の天気のように変わりやすいのよ! もしかしたら、私がパルフェからの愛を求めてしまうかもしれないじゃない!」
「海じゃなくて、山だ」
アホ、と言わなくていい一言を添えるアシド。本日も厳しさは健在のようだ。
アシドは私と二人だけの時は、前世のように接してくれている。しかし、少しでも人目に触れそうな場所となると、すぐに執事モードのスイッチをオンにする。その切り替えは職人技クラスに素早くて、私が戸惑ってしまうくらいだ。
そうこうしているうちに、馬車が目的の場所に着いたようだ。
アシドの手を借りながら馬車から降りると、目の前には大きな真っ白の教会。
立派な建物に圧巻され、思わず口をポカーンと開けて教会を見上げてしまった。この場にマナー講師がいたら、ゴホンッと鋭い指導の咳ばらいを受けてしまうだろう。
キュッと口元を引き締めると、教会の入口にある木製で造られた扉が開かれた。
「お待ちしておりした。ソルト様、アシド殿」
出てきたのは穏やかそうな老人。スキンヘッドではあるが、顎に蓄えている真っ白な髭はサンタクロースのように立派だ。服装からして、ここの神父であろう老人にアシドは頭を下げた。私も慌てて頭を下げる。その様子に神父はニコニコと笑顔を浮かべている。
「お久しぶりでございます。ムラング様」
「アシド殿も元気そうですね。また、少し大きくなりましたか?」
ポンポンと、アシドの肩に手を乗せた神父の少し薄い灰色の瞳には暖かさがあった。その暖かさをアシドは少し照れくさそうに、しかし嬉しそうに受け止めている。
アシドのあんな顔…初めて見る。
物珍しいので、思わずジー…とアシドの顔を眺めていた。すると、私の視線に気が付いたアシドは空気を変える咳をこぼした。
「お嬢様…こちらはこの教会の神父であり魔法陣の管理者、ムラング・ショード様です」
「あ、えっと…ソルト・ドルチェットです」
「これはこれは…改めまして、神父をさせていただいておりますムラング・ショードでございます」
名乗った後、カーテシーをする。不慣れでぎこちない挨拶に、神父ことムラングは優しく応えてくれた。
その笑顔から理解した。この人は絶対いい人だ!
軽い挨拶を終えた後、ムラングは私達を教会の中へと招き入れてくれた。
目の前に広がるのは、白を基調としている広々としたホール。そして、ステンドガラスで描かれた大きな女神の絵画。太陽の光を受けた女神によって、清楚な祭壇が幻想的に照らされている。そして、祭壇の前には大きな魔法陣が描かれていた。
私達が教会に来た目的である魔法陣…転移魔法陣。
この魔法陣で王宮へ一瞬で移動できるなんて、魔法という存在はとても便利だと実感してしまう。
「魔法陣を作動させる前に…アシド殿、少しよろしいですかな?」
ムラングは、アシドを私から少し離れた場所へ呼び寄せる。アシドは首を傾げながらも、ムラングの方へ近づいた。
何やら会話をしているようだが、小声なので内容はわからない。でも、私のスイーツセンサーが反応していないので、気にしないことにした。
大人が難しい話をしている間に、私は転移魔法陣について学んだ事を頭の中で復習してみる。
転移魔法陣は魔法陣の中に入り少し魔力を込めれば、どんなに遠くの場所でも一瞬で目的地に到着することができる。人は勿論、魔力は少し消費するが動物や食品など大きな物も運搬が可能だ。
なんとも便利な魔法陣ではあるが、どれほど爵位が高い貴族であっても転移魔法陣を個人で所持することは禁じられている。教会と王宮のみに設置が許された、特別な魔法陣だ。
というのも、この転移魔法陣の使用者の八割は商人や他国の役人など。彼らが、我が国にとって危険な物が持ち込む可能性もゼロではない。万が一密輸などの危険性があれば、すぐに対処できるように出入り口を把握しておく必要があるのだ。
そしてこの世界には、人間を襲う魔物が存在する。
各領地には騎士団がいるので、魔物に応戦することは可能ではある。しかし、戦闘となると戦えない者たちに危害が及ぶ可能性が極めて高い。迅速な避難のため、平民や貴族関係なく皆が平等に使える場所として教会が選ばれたのだ。教会から一気に王宮へとワープし、騎士団が全力で戦える環境を作る。
王宮には強力な結界が施されているので、避難にはうってつけなのだ。
「魔物かぁ…」
ポツリとこぼれた言葉は、離れた場所にいるアシド達には聞こえないくらい小さなものだった。
私はまだ魔物に出くわしたことはない。空想のような存在である魔物に、具体的な恐怖を抱くことは難しかった。闇属性の魔法を扱う私は、もっと魔物について学んだ方がいいのかもしれない。もしかしたら、いずれ異界の者を召喚する可能性だってあるのだから。
そういえば…異界にもスイーツってあるのだろうか? 人間も食べられるのなら、是非とも食べてみたい。
「お待たせしました、ソルト様」
「…え? スイーツを?」
素っ頓狂な返答にムラングは、キョトンとしてしまっている。
「転移魔法陣のことですよ、お嬢様」
アシドの指摘に、ハッと脱線しかけていた思考を正常の位置に戻す。
状況を確認すると、いつの間にか二人が大人の会話が終わり転移魔法陣を発動させる準備に取り掛かっていた。アシドに至っては、すでに転移魔法陣の中で待機している。
自分のあまりにも馬鹿な発言に顔に熱が集まっていく。
ムラングは、小さく微笑むと改めて私と向き合った。
「転移魔法陣の準備は、よろしいでしょうか?」
「は、はい!」
ムラングの丁寧で柔らかな問いかけに、元気よく返事をした。
素早く転移魔法陣の中に入り、アシドの隣に立つ。意識がスイーツに飛びかけていた私の脳内を読み取ったアシドが、小さく息を吐いた。アシドに私の頭の中は完全に読まれているようだ。
「それでは…転移魔法陣の使用を見届けます。アシド殿、準備はよろしいですかな?」
「はい。お任せ下さい」
まだ幼い私は上手く魔力を操作できないので、転移魔法はアシドにお任せする。
初めての転移魔法に、緊張してしまう。アシドの事は信頼しているが、魔法を実践で使用する機会があまりない私としては未知の世界に触れることと同じなのだ。
カチコチに身体を固くしている私に、ムラングが気付いてしまった。
また、笑われてしまうだろうか…
魔法初心者丸出しの私に、ムラングは微笑むと小さく手を振ってくれた。まるで、孫を見送る祖父のような…見守る優しい笑顔だ。私はフッ…と、自分の体から力が抜けていくのが分かった。
ムラングからは、癒しのオーラ的な何かが放たれている。そう確信した。
「お茶会、楽しんできてください。どうぞ、お気を付けて」
「ありがとうございます、神父様」
どこまでも気を遣ってくれるムラングに深々と頭を下げた。ムラングは驚いたように目を見開いた。
しまった! こういう時はカーテシーだっけ!?
気まずそうにムラングを見れば、彼は顔に喜色を浮かべていた。
「…ふふ、ソルト様は本当に変わられた。ドルチェット家に女神様の祝福がありますように」
ムラングからの祝福の言葉を受けて、私とアシドは魔法陣の光に包まれた。
読んでいただき、ありがとうございます。
ほんの少しでも面白いと思っていただけたら、下にある⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎で評価やブックマークボタンを押していただけると、とても励みになります。